失踪バケーション

石田空

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競走:とにかく居場所を探さなきゃ

1話

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 ふたりでホテルに泊まったにも関わらず、見知らぬ異性が一緒の部屋に泊まって気まずいというイベントは訪れなかった。私はようやく見つけた陽葵さんと私の体の居場所のことに興奮しきって、寝ないといけないのにちっとも眠ることができず、何度も寝返りを打ってはホテルのベッドのスプリングがギシギシ音を立ててばかりだった。
 どうしよう、なんて話せばいいんだろう。
 ストレートに「私の体を返してください」と言えばいいのかな。でも向こうもなんで私の体を持ち逃げしたのか、わからないままだし。

「あのう……起きてますか?」

 ふいに岸雄さんから声がかかる。ああ、何度もギシギシ音を立てたせいで、迷惑かけてる。私はそれに体を丸める。

「ごめんなさい、寝付けなくって何度もうるさくしてしまって……」
「いや、混乱しますよね。自分の体がなんの覚えもなくテレビに映って、見知らぬ場所で働いていたら」
「……そんな体験する人なんて、まずいないんじゃないですか?」

 そんなこと「わかりますよ」なんて言われてしまったら、見え透いた慰め過ぎて、岸雄さんを幻滅してしまうかもしれない。少しだけ緊張が走ったけれど、岸雄さんは全然違う話をする。

「昔トッペルゲンガーの話なんて、結構オカルトで取り扱われていたと思いますけど」
「……とっぺるげんがー、ですか?」
「うちのお客さんでも、ときどき詳しい人が来て、そんなもんかと又聞きしたくらいですけどね」

 まあ、美容師は客商売だから、ときどき変わった人も来るんだろうな。そう納得していたら、ポツンポツンと語り出した。

「世の中には同じ顔が三人いて、同じ顔同士が集まったら死んでしまうって話。遙佳さんと陽葵の場合は違いますけど、遙佳さんの体験って、トッペルゲンガーに会いに行くみたいな話だなと、少しだけ思ったんです」
「……それって、死んでしまうから会いに行かないほうがいいってことなんでしょうか?」
「いえ。どちらかというと、陽葵が逃げ回っている理由のほうかなと思いました。置いてきた自分に捕まりたくない。今の自分のままがいいって……本当に遙佳さんには迷惑かけ通しで申し訳ないんですが」

 そんな発想、私からはちっとも出てこなかった。ただ体を返して欲しい。もう勝手に仕事を辞められたり、音信不通になったり、勝手に髪型弄られたことはなかったことにしても、こちらだっていつまでも陽葵さんのままでいるのは具合が悪いから、体を元に戻したいだけなんだから。
 ……戻ったところで、陽葵さんがいろいろやらかしてくれたもんだから、私の人生がそのまんま元通りになる訳じゃない。でも。
 今まで先延ばし先延ばしにしていた、私の将来について考え直さないといけないときが来たんだから。

「じゃあ、陽葵さんを怖がらせましょうか」
「……怒ってないんですか、陽葵について」
「怒ってないと言えば嘘になりますけれど、占い師さんも言ってましたけど、私、人生を変えるチャンスを不意にしていますし。でも陽葵さんがいろいろやってくれたおかげで、充分私の人生変わっていますから。会えたらまずは説教です」
「学校の先生の説教は、なかなか大変そうですね」
「私、生徒に舐められっぱなしで、いい先生ではありませんでしたけどね」

 国語の先生に、なりたかったのにな。
 もう戻れそうもないことに、今更ながら少し悲しく思いつつ、ようやく寝付けそうだ。

****

 次の日、私たちはルームサービスでモーニングを取る。
 てっきり洋食だと思っていたのに、届いたのはお菓子屋さんが営んでいるホテルとは思えないような純和食で、ほかほかのご飯に味噌汁、綺麗なだし巻き卵にじゃこピーマンと、細々としたものをふんだんに出してくれたもんだから、ひとつひとつの量は少なくても充分腹持ちするものだった。
 私たちは昨日テレビで見たブックカフェの場所を確認してから、チェックアウトを済ませ、目的の駅へと出かけていった。
 普段はあまり通らない山が近い街に降り立つと、そのまま結構しんどい坂を登っていった。この辺りは学生街となり、坂の上には有名高校や大学が並び、街も学生をターゲットにした店が幅を利かせている。
 その中に目的のブックカフェがあった。今は午後の授業中だからだろう、ランチの客も程よく捌けてすぐに入ることができた。
 本の品揃えを見て、私は少しだけ目を輝かせる。
『星の王子さま』やアンデルセン全集と、絵本や童話好きだったらよだれを垂らしそうなラインナップが棚を占め、絵本を読みながら注文を待っているお客さんもちらちらと目に入る。おまけに分厚い絵本に合うように、棚は真っ白に塗装したもので、絵本の背表紙のアピールをしっかりとしている。棚なども造花で、ただの彩りだけでなく、本を濡らしたり汚したりしないという強い意志を感じられる。

「いらっしゃいませ」

 テレビでちらりと映っていた人が、注文を取りに来てくれた。おそらくは店長さんだろう。
 ……いけないいけない。今日はブックカフェを堪能に来たんじゃなくって、陽葵さんを捕まえに来たんだから。
 私が口を開く前に、「注文の前にいいですか?」と岸雄さんが店長さんに問いかける。

「昨日のテレビ拝見しました」
「ああ、ありがとうございます。テレビで見たお客さんがいらっしゃるとは思ってもみませんでした。ここの坂、結構きついですから」
「ということは、こちらのお客さんは皆常連ですか?」
「ええ。本を読みたくても買うお金のない学生さんが、食事ついでに本を読めたらと思って開いてますから」

 ……たしかにメニューの値段が、他の場所だったらもっと高く取りそうなところを、これならバイトをしている学生さんだったら手頃な値段なのだ。他のお客さんにとってもありがたいとは思うけど、ここは坂がきついから、本当に学校の行き帰りしている人たち向けだよね。店長さん、考えが本当にしっかりしているなと感心していたところで、ようやく私も口を出す。

「あのう、姉が……遙佳深月がテレビに映ってて、びっくりしてここに訪れたんですけど……姉、今日はここで働いていますか?」
「あらっ、遙佳さんの……」

 店長さんは口元を少し押さえる。
 ……もし怪しまれたらどうしようと思っていたけれど、この店長さんは信じてくれたようだ。

「私、ちょっと姉と喧嘩したまま離ればなれになってしまったんで、お話ししたいんですけど……」
「あら……でも今日は遙佳さんは欠勤ですよ?」

 どうして……! どうしてよりによって今日……!
 悲鳴を上げそうになったものの、岸雄さんは冷静に尋ねる。

「もう欠勤なんですか? いくらなんでも早過ぎないですか? 彼女と遙佳さんが喧嘩したのは一昨日ですから、仕事をここではじめたのも昨日からではないですか?」
「そうなんですけど、彼女ずっと手を合わせていたんです。『私の人生がかかっているので、今日は休ませてほしい』と」

 私は思わず岸雄さんの顔を見ると、岸雄さんは今にも頭痛が痛いと日本語になってない言葉を言いたそうに苦悶の表情を浮かべていた。
 替わりに私は尋ねる。

「さすがに今日はどこに行くかわからない感じでしょうか?」

 今日中に陽葵さんを捕まえたいし、ヒントだけでも欲しい。そう祈るような気持ちで尋ねると、拍子抜けするくらいあっさりと店長さんは教えてくれた。

「ああ、港街に向かうとおっしゃってました。お見合いだと」
「はあああああ!!??」

 私が思わず悲鳴を上げると、岸雄さんは本当に苦悶の表情を浮かべた。

「……休むときのあいつの常套手段だし、しかもお見合いって。なに考えてるんだよ」

 そんなのこっちが聞きたいんですけど、とは。さすがに困った顔で私たちの顔を見比べている店長さんに八つ当たりすることは躊躇われた。
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