魔法執政官エイブラム・ウィルズの尋常ならざる日常

石田空

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惚れ薬の追徴課罪

ことの顛末

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 バラ園には、色とりどりのバラが咲き誇っていた。
 チェルシー宅の中庭のバラも見事なものだったが、本職の営むバラはなによりも芳香が強い。その匂いに普段のレイラであったら「いい匂い」と素直に嗅いで楽しめたのだろうが、先程中身の確認のために妖精の涙の匂いを嗅いだあとだと、不安に駆られて素直に楽しむことができない。
 しかしエイブラムは平然としたものだった。

「なんだい、レイラ。先程の惚れ薬の匂いを思い出したのか?」
「……はい。私、別に先生と恋愛したくありませんもん」
「さすがに助手に手を出したら、俺はどんな扱いを上から受けるかわかったもんじゃないから、御免被りたいね。さて、所有者はと」

 どうにもバラ園の所有者宅が見当たらず、何度もバラ園をぐるぐる回る。
 しかし見つからない。仕方がないからとエイブラムは鞄を開いて召喚陣を引っ張り出すと、自身の指を噛み切って血を落とした。
 召喚陣から出てきたのは、人が入れるほどに大きな鍋だった。

「な、鍋……ですか?」
「箒を持ち歩くにも不便だし、他の魔道具を召喚するにはコストがかかるし、コストがかからず魔道具を召喚するとなったら、結局は鍋に落ち着いたんだよなあ」
「は、はあ……でも箒で空飛ぶ魔法使いなんて、ほとんど見たことありませんけど」
「田舎だと未だに現役らしいが、この辺りだと建物が高くなりすぎたせいで、かえって飛びにくいらしい。魔法学院の教授の中にも、地元と思って飛んだら屋根に激突して弁償代払わないといけなくなったとかが相当いるぞ」
「なるほど……」

 とにかくふたりでいそいそと巨大な鍋に乗り込むと、それで空を飛んで見下ろしてみた。
 溢れんばかりのバラも、遠巻きにすると点に見える。所有者の家を探し回って、ようやく小さな小屋を見つけた。

「あれか……」
「本当に小屋ですね……」
「しかし、チェルシーさんと婚約していたのだとしたら、相手も相当釣り合う関係だろう? どこでバラ園のお嬢さんと知り合うんだろう」
「そう言われればそうですね」

 魔法使いや菓子職人、薬剤師。バラ園と直接取引しそうな家はいくらでもあるが。
 富豪はそのほとんどを誰かを使いにやって享受する。チェルシーの家の庭だって、あれは庭師が面倒を見ているものだろう。
 この小屋の人と、彼女の婚約者がどうやって出会うのかがわからない。ふたりは首を捻りながら、小屋の戸を叩いた。

「はい」
「すみません」

 そこでレイラは止まる。
 いきなり魔法執政官が出てきて、惚れ薬のことを根掘り葉掘り聞いたら困るだろう。なによりもこれはあくまで仕事の合間を縫って調べている私事であり、彼女を逮捕したい訳ではないのだから。
 それでエイブラムはさっさとローブを脱いで鍋の中につっこみ、レイラにも「ローブを鍋に」と促した。慌ててレイラも彼にならって鍋につっこむと、彼はさっさと鍋を召喚陣の中に戻してしまった。

「すみません、魔法学院で薬草学研究をしているものですが。バラの買い取りについてお伺いしたいことがございまして」
「あらぁ、少々お待ちください」

 出てきたのは、あの抽象画のモデルのブリジットだろうが。
 銀色のサラサラの髪にラベンダー色の瞳。日焼けしていない肌が、どうにもバラ園を営んでいる女性からかけ離れていて、少しレイラは驚いた。

「あら? どちらの学院の方ですか?」
「自分、オズワルドの卒業生でして。客員講師としてしばらく配属になったんですよ。遠方から来たので、いつもやり取りしているバラ園と取引するのも困難でして」
「まあ……そうだったんですね。どうぞ」

 ブリジットが納得して小屋に入れてくれたのに、レイラは罪悪感が募る。
 見ている雰囲気で、どうにも彼女が悪人には思えないのだ。チクチクとレイラが罪悪感に駆られている中、エイブラムは小屋の中を見ていた。
 暖炉は食事の煮炊きにも使える代物。ベッドに食卓。あとはあちこちに送るためのラベル。あまり農村について知らないレイラだが、ごくごく普通のバラ園の所有者の家に思える。

「すみません、手狭なところで。すぐ飲み物出しますね。麦湯になってしまいますけど」
「いえいえ、お構いなく。それにしても……おひとりでバラ園を営んで?」
「朝と夕に手入れを手伝ってくださる方はいらっしゃいますけど、ここに住んでいるのは私だけですね。それにしても、どこでうちのバラ園のことを?」
「知人がここが親切だと教えてくれたんですよ」
「そうなんですか……」

 彼女は暖炉でお湯を沸かして麦湯を出してくれた。それをレイラはあまりにも惚れ薬をつくるような人物に見えない彼女を見ながら、ひたすら首を傾げていた。
 一方エイブラムはにこやかに彼女としゃべっている中、ときどき軽く足でレイラの靴を踏む。痛くはないが、靴が汚れるので止めてほしい。
 思わずレイラはむっとしてエイブラムを睨もうとするが、彼はブリジットから目を離さない。最初はただの嫌がらせかと思っていたレイラだが、彼が彼女としゃべっている隙に、惚れ薬の痕跡を探せの意味だと気付き、慌ててレイラは麦湯を飲むふりをしながら、辺りを見回した。
 思えばこの小屋。バラの発注の準備はしてあっても、バラを切るハサミがない。売り物だったら余計にトゲを切り落としてからでなければ売れないはずなのに。それが魔法学院みたいな薬草学で使うものだったら余計にだ。
 どういうことかとレイラは考えていて、ふとチェルシーが言っていたことを思い出した。

『私、幼少期には既に決まっていたのよ。だから恋もできなかったわ』

 憎いことを言っておきながらも、チェルシーはずっとシリルだけを愛していた。
 レイラは周りを見ていて、小さく喉を鳴らした。
 ……顛末がわかったような気がする。

****

 レイラはエイブラムに何度もお礼を言ってから、連絡をしてからシリルのところに出かけていった。
 知らない女の対応に困るのではないかと思っていたが、意外なことにすんなりと許可をもらえた。

「こんにちは、ブレイディさん。私はレイラ・クルックシャンクと申します」
「ご機嫌よう。唐突に魔法学院の卒業生の方に尋ねられましたが……どうなさいました?」

「いえ。単刀直入に申します。あなた、妖精を匿っていませんか?」

 それにシリルは押し黙った。
 黙っていると金髪碧眼の美青年であり、あの快活なチェルシーとは似合いの夫婦になっただろうに残念である。

「どうしてそれを?」
「バラ園に出かけた際に、所有者の女性と話をしましたが、そこにはあるはずのものがありませんでした」
「バラ園ですと……なにがありましたかな?」
「農具です。食器は銀が使われていましたので普通にありましたが、農具だけはありませんでした。もちろん最初は農具がないのは別の場所に片付けているのだろうと思いましたが……さすがに発注をしているのに、ハサミすらないのは変です。あの小屋には鉄という鉄がありませんでした」

 妖精は鉄に弱い。鉄に触れるとたちまち火傷してしまうからだ。農具やハサミがなかったのもまた、鉄製のものを避けるためだろう。

「一番の理由は、彼女は生花を扱うにはあまりにも手が綺麗でした」

 麦湯を配られる際に手を見たが、爪先から手首まで、ぴかぴかと光り輝いていた。レイラも魔法学院で薬学実習で大量の生花を触ったことがあるからわかるが、花は綺麗なだけではなく、とにかく維持するためのコストがかかる。水をずっと触り続けるから、どうしても爪も指先も割れて乾燥しやすくなるのだが、あの小屋には手荒れ止めの脂すらなかったのだから。
 シリルは「それで?」と尋ねた。

「あなたは弁護士にどうして、『惚れ薬を使っているから無罪』なんて主張をさせたのですか? 婚約者と別れたいならば、普通に破棄した末に、慰謝料を支払えば済むだけの話だったのではないですか?」

 そもそもどうしてそんな慰謝料請求裁判を行い、さっさと慰謝料支払って和解に持ち込まなかったのか、意味がわからなかった。
 だがシリルは「ですけど」と言う。

「裁判を長引かせなかったら、ブリジットの存在を認めてもらえないでしょう?」
「それは……」

 妖精が人間界にいるのは、基本的には取り替え子に他ならない。
 元々いたはずの人間と妖精が、立場を入れ替えてその場にいるのだ。そして妖精は基本的に人間と違う価値観で生きている。そのせいで取り替え子とされた人は、皆著しく美しい容姿ながら、人間社会に溶け込めずに世捨て人になるケースが多い。
 あのブリジットも、バラ園にある小さな小屋で朝と夕にやってくる世話役以外と接することもなく、ひとりで静かに暮らしているのは、そういうことなのだろう。
 シリルは続けた。

「自分のやっていることは、チェルシーを傷付けることだとはわかっています。ですが、自分はブリジットを愛しています。彼女はこの世界にいたくている訳ではないのに、そこでひとりで生活していたんです。そんな彼女の状況をいろんな人たちに知って欲しいというのの、なにが間違っているのでしょうか? チェルシーは財もあり、美貌もあり、なによりもこの社会を生きていく強さがあるというのに……ブリジットにはそんなものがないんですから」

「……事情はわかりました。あなたが裁判を続けたいという事実を。ただひとつだけお聞かせください。あなたは妖精に魅了されていない証拠は、出せますか?」

 妖精は魅了魔法が使える。
 一度人間は気に入られると、人間関係をズタズタになるまで滅ぼされてしまうし、それのせいで行方不明になった者まで存在している。
 今のレイラでは、シリルが惚れ薬を処方されたのかどうかは立証できずとも、ブリジットに魅了されているかどうかすら、わからないのだ。
 しかしシリルは言う。

「魅了されてていけませんか? 好きでかかっているのに」

 そう開き直られてしまったら、もう弁護士を立てて思う存分やってもらうしかない。
 せいぜいあの妖精の涙の出所を探ることくらいしか、もうレイラでは手伝うところがないのだから。

「わかりました。お話しありがとうございます」

 チェルシーの恋が砕ける音を聞き、レイラの胸は痛くなった。
 誰かが誰かを好きになるとき、誰かの恋が砕ける音がする。砕けた恋を語るのは詩人であって、魔法執政官見習いではないのだが。

****

 仕事の合間のお茶休憩、落ち込むレイラに珍しくエイブラムが気を遣ってお茶を出してくれた。彼の淹れるお茶は存外に美味く、もらい物のハーブクッキーとよく合った。

「それで賠償請求は……」
「チェルシー、むしろ逆に訴えを取り消したんですよ。この恋を表沙汰にしたくないって」

「まあ、新聞屋に面白可笑しく書き立てられたら、たちまち妖精の人権問題にまで発展するだろうから、それがよかったのかもねえ」
「……結局、妖精の涙はどこから来たんですか。今回の一件、なにからなにまでふたりの恋路に利用された気しかしないんですけど」

 シリルとブリジット。そもそも取り替え子を匿っているシリルと、人間社会に嫌気が差しているブリジットが表立って付き合えるかと言えば無理だろう。
 チェルシーと婚約破棄に持ち込んでまで、なにがしたかったのかはレイラにはわからない。
 このふたりの関係に利用されている旨を伝えて「裁判続ける?」とレイラが尋ねたとき、チェルシーは大泣きしていた。
 ……無理もない。婚約は契約。そこに真実の愛とやらをぶち込まれてしまったとき、契約でも愛していたという言葉は、たちまち軽くなってしまうのだから。

「私、どうしたらよかったんでしょうか?」
「むしろ俺は、君がチェルシーさんの話を聞いてあげなかったら、もっと彼女は諦めきれずに裁判を長引かせ、世の中を変える手助けをしてしまっていたから、それでよかったと思うよ。悲劇のふたりが愛を勝ち得たなんて筋書きをつくられてしまったら、彼女は悔やんでも悔やみきれなかっただろうから」
「……せめて、妖精の涙の出所だけ付いて、黒魔法だあっていびることってできませんか?」
「やりたきゃやればいいけど、それは被害届けが出ないことには、それもできないと思うよ?」

 それにますますレイラはシュンとした。
 エイブラムは「なあレイラ」と語りかける。

「我々にできることなんて、たかが知れてる。万能だなんて思い上がらないほうがいい」
「ですけど……」
「魔法は万能調味料じゃないんだよ。魔法執政官だって無敵じゃない。でも、困ってる人がいたら魔法を紐解く……もうそれでいいじゃないか」
「……ありがとうございます」

 禁術法のせいで、とかく魔法使いの数が足りない。
 そのせいで頻繁に事件が起こるが、これは禁術法違反かどうかさえも、一般人では判別できない。
 だからこそ、魔法執政官が必要なのだ。
 事件を全部解決できなくても、事件に関与した人々に寄り添うことはできる。
 それが一番大切なのだから。

<了>
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