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人魚
二
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念のため、百合は財布のお金を漁ってみたが、医者を呼ぶだけならともかく、治療完了するまで支払い続けるだけのお金はとことん足りなかった。
「これじゃあ駄目ですね……この辺りで妖怪でもいたら、それを売って医者を呼べたんですが……」
「師匠、でもあいつの父ちゃん助ける必要あるのかい?」
「小十郎。そういうことを言ってはいけません」
「けどさあ……そもそも師匠、その金で本当だったら人魚の肝を買うはずだったんだろう? それを投げ打ってまで助ける必要はあるのかい?」
「小十郎。それは、それだけは絶対にいけません」
百合は小十郎の肩を掴んで、ピシャンと言い切った。それに小十郎は不満げに唇をひん曲げる。それを見て、百合は小十郎の頬をムニムニと揉み込んでから伸ばした。
「いいですか? 私も仏教の教えは少し囓った程度ですが。人と妖怪を分けるのは、相手の気持ちを考えるか否です。相手の気持ちに寄り添わなくなったら、途端に妖怪に落ちます……その点で言えば、八百比丘尼はあれだけ人に戻りたがったのにとっくの昔に妖怪になり果てていたのだと思います」
「……でもさあ、あいつは師匠の財布を勝手にスッた上で、のうのうとあいつの父親を助けるって、そんなの変じゃねえか?」
「たしかに、小三太は方法を知らず、すりを働いた。それはよろしくはありませんでした。ですが、父親を助けようとする、その志は尊いものです。まずはすりは間違いだと正してからならば、助ける道もあるはずです」
「うううう……師匠、そんなに仏教に熱心だったか?」
小十郎の村なんて、当然ながら皆で一斉に戦から逃げ出した村なのだから、寺なんてある訳もなく、僧侶もいない。それで生きていけたのは、彼らがそれぞれ心根が強かったからに他ならない。
百合は仏の教えにすがらないと生きていけない人の気持ちが、少なからず理解できる。
「人は自分自身に正しくあれと擦り込まなかったら、簡単に道を踏み外します。小三太もですが、小十郎、あなたもです。ですから、これはおあいこだと思ってあげなさい」
「うううう…………うん、わかった。今は一応」
「それで充分です」
百合は頷いて、小十郎の頭を撫でた。
ふたりの話し合いが済んだところで、なにひとつ進展はない。小三太の父親をどうやって助けるかだ。
医者は呼べない……金が足りないのだから。百合もどうにか栄養を取れるようにとお粥を出すので精一杯で、それ以上の対策は思いつかない。
頼みの綱は小三太の言っていた謎の肉屋だが。百合は二年間あちこちを巡ってもとうとう巡り会うことのできなかった人魚の肉があるかどうかはわからない上に、そもそも小三太の父に人魚の肉を食べさせていいものかどうかがわからない。
「……どのみち、お金を工面しなければなりませんね。大道芸でもしましょうか」
「おお! 師匠、果心とやっていたような奴をやるのかい?」
「さすがにあれは無理です。あれは果心様が絡繰りを持ってきてくれたおかげでできたようなもので、私たちだけでできるものにしなければ……小十郎。槍の動きはどうですか?」
「ずっと練習してたよ」
「そうですか……」
どうにも百合が放浪している二年間の間に、武器を持つといちいち角が立つために「大道芸のため」と言い張らなければ没収されてしまう。
生活のためにも、大道芸をしているという風に見せなければならなかった。
百合は小三太に「少し出てきますね。荷車を置いておきますから、そのままにしておいてください」とひと言かけてから、出て行った。
大道芸で金を稼ぎたいのがひとつ。謎の肉屋の情報が欲しかったのがひとつだ。
****
堺はどこもかしこも密集していて、なかなか大道芸ができるような広場が存在しない。とうとう見かねて百合は店先に声をかける。
「すみません。私たちは大道芸で金を稼いでいるんですけれど、どこかでできる場所はございませんか?」
「はあ……だいたいは何年先も予約されているから、なかなか場所は空いてなかったと思うよ」
「そうですか……ありがとうございます」
百合はトボトボしているのに、小十郎が言う。
「もうどこでやってもいいだろう? どっちみち小三太の親の命がかかってんだし」
「まあ、わかってくれましたか小十郎」
「いや、さっさと恩を着せて退散したい」
どうにも小十郎は小十郎なりに、おんぶに抱っこを疑問に思わない小三太とさっさと離れたいらしかった。
(この子からしてみれば、親を早くに亡くしているから、いろいろ思うところがあるのかもしれない……)
小十郎が小三太について、甘ったれだと下に見ているのか、苦手視しているのか、それとも親が生きていて羨ましいのか、百合にも測りかねたが、この辺りは小十郎は口を割らないだろうと判断した。
「わかりました。ならせめて程よく槍を振り回せて、人の捌けた場所を探しましょう」
ふたりであちこちを見回っている中、女性が困った顔でうろうろしているのが目に留まった。派手な着物を着て、化粧も濃い。百合や小十郎がしているものよりも、立派な楽団のついた大道芸人だろう。
「どうなさいましたか?」
「ああ、すみません……もしや、おふたりも槍を使えますか?」
「はあ……まあ……」
「お願いします、うちの楽座で、ちょうど人が腹を下して出られなくて……このままじゃ公園できないんです!」
そう言って手を取られ、百合は思わず目を見開いた。
「それはかまいませんけど……着替えるのは私ひとりでして大丈夫ですか? もちろん着付けは見てもらいますが」
「ええっと、着替える場所にもよりますが」
「あと、私たちは今日堺についたばかりで。ここには変わった肉屋があると聞き及んでおりますので、その情報をくださればと」
「それならば、皆さんに聞いておきますね」
「あと給金ー。俺たちこれから大道芸披露する予定だったんだから、せめてその分のお金をもらわないと困るー」
「それはもちろん」
百合と小十郎は交互に取り決めをかわしてから、彼女の楽座へと向かっていった。
そこは女性だけでなく、男性も美しい着物を着ていた。行う演目は華麗に舞う踊りだけでなく、力強い剣舞や仕合も行うようだった。
「得物を使える人を捕まえてきました!」
「得物!? 持っているのは!?」
「槍ー!!」
途端に女性たちに取り囲まれ、衣装を渡されると天幕に突っ込まれた。
「あなたはそこで着替えて。坊はこっち。この服」
「あ、はい……」
「おーう……」
百合は果心居士に仕立ててもらった着物から、艶やかに染められた赤い布地の着物へと着替えはじめた。それに花のように広がる袴を合わせると、まるで花の天女のようになる。百合が出てくると、女性陣は「まあ! 素敵!」と言いながら、よってたかって彼女に近付き、おしろいを思いっきりはたいてから、目尻、眉、唇に色を施されていく。
全部終わったときには、百合も見事なまでの大道芸用化粧で、誰だかわからなくなっていた。一方の小十郎ときたら、緑色の着物に袴を合わせられていた。
「得物の振るい方を教えますから……こう」
「あ、はい。こう」
「ええ、それからこう」
曲芸用の舞踏だが、そこまで難しいことはなく、百合はすぐにそれを覚えて舞っていた。小十郎は子供たちに混じって一緒に大道芸をしているが、すぐに失敗してもにこにこ愛想よく笑っているものだから、そういうものに見えてしまい、百合のように厳しい指導はされてないようだった。
こうして、さんざん仕込まれてから、百合たちは大道芸をしに出かける。
天幕を出た先では、既に人が集められていた。
「もう人が集まってるんですか?」
百合はそれに驚いて尋ねると、ここの責任者らしい男が笑う。
「大坂ではいつもやっているからね。おかげさまで、堺には常連客もできたよ」
「それはすごいですね……それだけ大坂は平和だってことでしょうか」
「そうでもないとは思うけどねえ。大坂だってきな臭い話はなにかと出ているけれど、ただこの辺りが平和ってだけさ。もし堺から出て、大坂城にでも出て行ったら、治安もだいぶ変わるだろうし」
百合は今の大坂を大坂を治める人が何者かを知らない。ただ、相当な傑物らしいことだけは感じ取れた。
百合からしてみれば、平和であったことのほうが短い分、大きな市が常連客ができるほど栄えるなんてのをほとんど知らないし、そういう店が点在している堺はすごいところであった。
「私はあまりこの辺りのことを存じませんが……素晴らしいことですね」
「そうだね。そんな平和が長く続いて欲しいから、こうして皆に平和の素晴らしさを伝えているのさ。大道芸なんて、平和じゃなかったら見てもらえやしない」
「はい」
こうして、百合は出番が来た途端、槍を振りはじめた。
普段大道芸をしても、そのほとんどは通り過ぎられるだけだが、物好きが立ち止まってはお金をくれる。それが、これだけ打てば響く場所に立てたのだから、それを稀少だと張り切っていたのだった。
「これじゃあ駄目ですね……この辺りで妖怪でもいたら、それを売って医者を呼べたんですが……」
「師匠、でもあいつの父ちゃん助ける必要あるのかい?」
「小十郎。そういうことを言ってはいけません」
「けどさあ……そもそも師匠、その金で本当だったら人魚の肝を買うはずだったんだろう? それを投げ打ってまで助ける必要はあるのかい?」
「小十郎。それは、それだけは絶対にいけません」
百合は小十郎の肩を掴んで、ピシャンと言い切った。それに小十郎は不満げに唇をひん曲げる。それを見て、百合は小十郎の頬をムニムニと揉み込んでから伸ばした。
「いいですか? 私も仏教の教えは少し囓った程度ですが。人と妖怪を分けるのは、相手の気持ちを考えるか否です。相手の気持ちに寄り添わなくなったら、途端に妖怪に落ちます……その点で言えば、八百比丘尼はあれだけ人に戻りたがったのにとっくの昔に妖怪になり果てていたのだと思います」
「……でもさあ、あいつは師匠の財布を勝手にスッた上で、のうのうとあいつの父親を助けるって、そんなの変じゃねえか?」
「たしかに、小三太は方法を知らず、すりを働いた。それはよろしくはありませんでした。ですが、父親を助けようとする、その志は尊いものです。まずはすりは間違いだと正してからならば、助ける道もあるはずです」
「うううう……師匠、そんなに仏教に熱心だったか?」
小十郎の村なんて、当然ながら皆で一斉に戦から逃げ出した村なのだから、寺なんてある訳もなく、僧侶もいない。それで生きていけたのは、彼らがそれぞれ心根が強かったからに他ならない。
百合は仏の教えにすがらないと生きていけない人の気持ちが、少なからず理解できる。
「人は自分自身に正しくあれと擦り込まなかったら、簡単に道を踏み外します。小三太もですが、小十郎、あなたもです。ですから、これはおあいこだと思ってあげなさい」
「うううう…………うん、わかった。今は一応」
「それで充分です」
百合は頷いて、小十郎の頭を撫でた。
ふたりの話し合いが済んだところで、なにひとつ進展はない。小三太の父親をどうやって助けるかだ。
医者は呼べない……金が足りないのだから。百合もどうにか栄養を取れるようにとお粥を出すので精一杯で、それ以上の対策は思いつかない。
頼みの綱は小三太の言っていた謎の肉屋だが。百合は二年間あちこちを巡ってもとうとう巡り会うことのできなかった人魚の肉があるかどうかはわからない上に、そもそも小三太の父に人魚の肉を食べさせていいものかどうかがわからない。
「……どのみち、お金を工面しなければなりませんね。大道芸でもしましょうか」
「おお! 師匠、果心とやっていたような奴をやるのかい?」
「さすがにあれは無理です。あれは果心様が絡繰りを持ってきてくれたおかげでできたようなもので、私たちだけでできるものにしなければ……小十郎。槍の動きはどうですか?」
「ずっと練習してたよ」
「そうですか……」
どうにも百合が放浪している二年間の間に、武器を持つといちいち角が立つために「大道芸のため」と言い張らなければ没収されてしまう。
生活のためにも、大道芸をしているという風に見せなければならなかった。
百合は小三太に「少し出てきますね。荷車を置いておきますから、そのままにしておいてください」とひと言かけてから、出て行った。
大道芸で金を稼ぎたいのがひとつ。謎の肉屋の情報が欲しかったのがひとつだ。
****
堺はどこもかしこも密集していて、なかなか大道芸ができるような広場が存在しない。とうとう見かねて百合は店先に声をかける。
「すみません。私たちは大道芸で金を稼いでいるんですけれど、どこかでできる場所はございませんか?」
「はあ……だいたいは何年先も予約されているから、なかなか場所は空いてなかったと思うよ」
「そうですか……ありがとうございます」
百合はトボトボしているのに、小十郎が言う。
「もうどこでやってもいいだろう? どっちみち小三太の親の命がかかってんだし」
「まあ、わかってくれましたか小十郎」
「いや、さっさと恩を着せて退散したい」
どうにも小十郎は小十郎なりに、おんぶに抱っこを疑問に思わない小三太とさっさと離れたいらしかった。
(この子からしてみれば、親を早くに亡くしているから、いろいろ思うところがあるのかもしれない……)
小十郎が小三太について、甘ったれだと下に見ているのか、苦手視しているのか、それとも親が生きていて羨ましいのか、百合にも測りかねたが、この辺りは小十郎は口を割らないだろうと判断した。
「わかりました。ならせめて程よく槍を振り回せて、人の捌けた場所を探しましょう」
ふたりであちこちを見回っている中、女性が困った顔でうろうろしているのが目に留まった。派手な着物を着て、化粧も濃い。百合や小十郎がしているものよりも、立派な楽団のついた大道芸人だろう。
「どうなさいましたか?」
「ああ、すみません……もしや、おふたりも槍を使えますか?」
「はあ……まあ……」
「お願いします、うちの楽座で、ちょうど人が腹を下して出られなくて……このままじゃ公園できないんです!」
そう言って手を取られ、百合は思わず目を見開いた。
「それはかまいませんけど……着替えるのは私ひとりでして大丈夫ですか? もちろん着付けは見てもらいますが」
「ええっと、着替える場所にもよりますが」
「あと、私たちは今日堺についたばかりで。ここには変わった肉屋があると聞き及んでおりますので、その情報をくださればと」
「それならば、皆さんに聞いておきますね」
「あと給金ー。俺たちこれから大道芸披露する予定だったんだから、せめてその分のお金をもらわないと困るー」
「それはもちろん」
百合と小十郎は交互に取り決めをかわしてから、彼女の楽座へと向かっていった。
そこは女性だけでなく、男性も美しい着物を着ていた。行う演目は華麗に舞う踊りだけでなく、力強い剣舞や仕合も行うようだった。
「得物を使える人を捕まえてきました!」
「得物!? 持っているのは!?」
「槍ー!!」
途端に女性たちに取り囲まれ、衣装を渡されると天幕に突っ込まれた。
「あなたはそこで着替えて。坊はこっち。この服」
「あ、はい……」
「おーう……」
百合は果心居士に仕立ててもらった着物から、艶やかに染められた赤い布地の着物へと着替えはじめた。それに花のように広がる袴を合わせると、まるで花の天女のようになる。百合が出てくると、女性陣は「まあ! 素敵!」と言いながら、よってたかって彼女に近付き、おしろいを思いっきりはたいてから、目尻、眉、唇に色を施されていく。
全部終わったときには、百合も見事なまでの大道芸用化粧で、誰だかわからなくなっていた。一方の小十郎ときたら、緑色の着物に袴を合わせられていた。
「得物の振るい方を教えますから……こう」
「あ、はい。こう」
「ええ、それからこう」
曲芸用の舞踏だが、そこまで難しいことはなく、百合はすぐにそれを覚えて舞っていた。小十郎は子供たちに混じって一緒に大道芸をしているが、すぐに失敗してもにこにこ愛想よく笑っているものだから、そういうものに見えてしまい、百合のように厳しい指導はされてないようだった。
こうして、さんざん仕込まれてから、百合たちは大道芸をしに出かける。
天幕を出た先では、既に人が集められていた。
「もう人が集まってるんですか?」
百合はそれに驚いて尋ねると、ここの責任者らしい男が笑う。
「大坂ではいつもやっているからね。おかげさまで、堺には常連客もできたよ」
「それはすごいですね……それだけ大坂は平和だってことでしょうか」
「そうでもないとは思うけどねえ。大坂だってきな臭い話はなにかと出ているけれど、ただこの辺りが平和ってだけさ。もし堺から出て、大坂城にでも出て行ったら、治安もだいぶ変わるだろうし」
百合は今の大坂を大坂を治める人が何者かを知らない。ただ、相当な傑物らしいことだけは感じ取れた。
百合からしてみれば、平和であったことのほうが短い分、大きな市が常連客ができるほど栄えるなんてのをほとんど知らないし、そういう店が点在している堺はすごいところであった。
「私はあまりこの辺りのことを存じませんが……素晴らしいことですね」
「そうだね。そんな平和が長く続いて欲しいから、こうして皆に平和の素晴らしさを伝えているのさ。大道芸なんて、平和じゃなかったら見てもらえやしない」
「はい」
こうして、百合は出番が来た途端、槍を振りはじめた。
普段大道芸をしても、そのほとんどは通り過ぎられるだけだが、物好きが立ち止まってはお金をくれる。それが、これだけ打てば響く場所に立てたのだから、それを稀少だと張り切っていたのだった。
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