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八百比丘尼
三
しおりを挟む百合が嫁いだ城主は、特に男色ではない。
武将の間で衆道が持てはやされてはいるが、生真面目な城主は戦と土地管理を第一にしていた。父が戦死してしまった関係で家督を早く継いでしまったがために婚姻が遅れ、やっとひと息ついて嫁を探した結果、城に長いこと勤めていた家来の娘として百合が宛がわれた。
結婚して夫婦生活が送れるのかと思った束の間。また世間がきな臭くなり、戦に追われてなかなか城主が城に帰ってこられず、百合が城主に替わって城の世話をする羽目に陥った。夫婦生活を送れる機会を逃してしまったがために、未だにふたりの間はぎくしゃくしていた。
「北の方様、そろそろ城主様と……」
何度か女中勤めの人々から、遠巻きに「早く子作りしろ」「跡継ぎを寄越せ」と言われるが、したくても夫婦関係が上手くいっていないのだから、百合からしてみればどうしようもなかった。
そしてそれを、食事の世話に行った牢に入れられた尼僧にしっかりと看破されてしまったのである。
百合のなけなしの尊厳が粉々になった。
(私だって……お館様と睦み合いたいけれど、あちこちで戦が起こっていて……大きな国ならいざ知らず、うちみたいな小国ではお館様が指揮を執らないとままならないのに……なのに、なのに……)
台所に御膳を片付け、洗い物をしながら、百合は悲しさと苛立ちで涙を滲ませる。悔しくて悲しくてたまらないが、嫁いでから夫婦生活に難があるなんてこと、親にすら相談できなかった。人の口には戸が立てられぬ。そこからあることないこと言われて、離縁させられたらそれこそ大恥である。
多忙に多忙を重ねている城主に、百合は焦がれていた。だからこそ、無理強いもできずに今に至るのだ。
──困っていることがあったら、相談に乗ってもいいぞ
普段の百合であったら、まず戯れ言と一蹴してそのまま忘れてしまう言葉だったが、残念ながら百合の不満を当てられたことで、気丈なはずの彼女の心も少しだけ綻びが生じてしまっていた。
だからこそ、彼女はその言葉を受け入れてしまった。
……それこそが、あの尼僧の計略だということに百合が気付いたのは、取り返しが付かなくなってからである。
****
「失礼します、食事をお持ちしました」
「ご苦労……ふむ、なにやら私に相談でもありそうな顔だな」
「……どうしてそのようなことがわかるのですか?」
「私はこれでも長生きなのだよ。目は口ほどに物を言う。目を見れば大概その人物がなにを考えているか、ある程度は絞れようぞ」
朝食に百合は、今日も粟を握り飯にして持っていった。あと糠床に漬けていた蕪を少し刻んで持っていったら、それに目を細めて尼僧はコリコリと囓った。
「塩はもらえぬと思っていたよ」
「あなたの処罰が決まってませんのに、殺すような真似はお館様は致しませぬ」
「ほうほう。惚れ抜いている様子。恋は盲目とはよく言ったものだ」
「お館様を悪く言うのはお止めくださいませ」
「まあ、カリカリせずともよい。話を聞こうぞ」
粟の握り飯を満足げに平らげた尼僧を、百合はじっと観察した。
牢に閉じ込められた人間は、一日でも牢に入れられたらどこかが荒む。この城の牢は北側に立っており、基本的に日の光は入らない。真夏の昼間ですら薄暗いのだから、心のどこかが磨り減ってしまうのだ。
しかしこの尼僧と来たら、昨日とあまり調子が変わらない。
(本当に尼僧だから修行の成果とか……? でも、それにしたら彼女は俗物的過ぎる……)
百合が訝しがっている間に、尼僧は牢の柵越しに百合を指差した。
「さしずめ、城主と睦み合いたい、体の火照りを抑えたいと言ったところか」
「……そのような下品な言葉はお止めくださいませ」
「まぐわいたいよりは直接的ではないとは思うが、まあいい。戦が終わらないせいで、夫婦生活がままならず、そのまんま跡継ぎもなく討ち死にでもしたらいち大事だ。そりゃ早く子をつくれ跡継ぎを残せと言われるだろうな」
あまりにもあけすけな物言いだが、尼僧の言葉や彼女の指摘する懸念は、うっすらとだが城内にも渦巻いている。
戦続きのせいで、夫婦生活に来している。そのことも皆重々承知だからこそ、表立って誰も「早く子をつくれ」と言わないだけだ。
百合は居たたまれなくて唇を噛んでいる中、尼僧は淡々と語る。
「とかげの黒焼き」
「……はい?」
「疲労回復薬だよ。松の葉、梅干し、少しの糠……煎じて飲ませてやればいい。疲労が原因でできぬならばそれをやれ。それ以外に理由があるのならば、次は媚薬の煎じ方でも教えようか」
「……疲労回復薬で」
尼僧が淡々と語った内容を、百合は一生懸命解釈した。とかげの黒焼きだけは、どこかの薬師から分けてもらわなければならないが、それ以外ならばなんとかなりそうだ。
御膳を下げる際、百合は「ありがとうございます」とお礼を言った。それに尼僧は鼻で笑う。
「私は残念ながら修行の足りぬ者でな。教えた対価は支払ってもらいたい」
「恩赦……ですか? それならばお館様に相談します」
「それの必要はない。上手く行ったら私の元に来い。それだけだ」
牢から出たくはないのだろうか。百合は尼僧の言葉に違和感を覚えながらも、ひとまずは台所に戻り、所用を片付けてから、疲労回復薬の材料集めに取りかかった。
糠は日頃から糠床用に溜めてあるし、梅干しも兵糧用のものを少しだけ分けてもらった。松葉は城の近くに生えている松の葉を少しだけ切ればよかったが、問題はとかげの黒焼きであった。
「はあ……とかげの黒焼きですか?」
「なんとかなりませんか?」
城に先々代の頃から詰めている薬師に話を伺うと、怪訝な顔をされた。
「いえ。北の方様のつくりたいと願う疲労回復薬ですが、たしかにその作り方は合っているんですが……ずいぶんと古い作り方ですね?」
「そうなのですか?」
「ええ……源平合戦より前のものになりましょうか。薬師の中では脈々と煎じ方は口伝で残っていますが、あまりに古臭くて、寺社仏閣のほうにはもう残ってないでしょうに」
最近でこそ、寺社仏閣は権力闘争の場だったり、私利私欲に走る者たちの溜まり場みたいな印象になってしまっているが、元を正せば一番新しい情報が他国から入ってくる場所であった。仏教も大陸から流れてきたものであり、それらの教えを守っている寺社に大陸の聖先端の技術が流れてくるのは当然のことであった。
しかし大陸とのまめな交流も途絶えた現代となっては、古過ぎる技術はそこまで残っておらず、宗教組織から権力の場へと流れてしまって様相がずいぶんと変わってしまった。
寺社仏閣から離れて技術を継承している薬師たちのほうが、その手の技術を受け継いでいる実情があった。
それらに思い至り、百合はますますわからなくなった。
(……あのお方、本当に何者なのでしょう。でも)
少なくとも自分はからかわれた訳ではないと、百合は安堵も覚えていた。
今日は城主が戻ってくるのだから、これで少しは元気になってもらおう。そう、百合は心から願っていた。
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