後宮なりきり夫婦録

石田空

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薔薇園を造る者

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 月鈴と静芳ふたりで後宮の花の咲く場所を見て回る。
 梅見を楽しんだあとは、どこかの妃が楽しんでいる養蜂のための蓮花畑を眺め、仙人郷に見立ててつくられた蓮池をぐるりと回る。どれもまだ、花の季節からは遠いために、梅林のように花は咲いてはいなかった。

「梅が咲き、そのあとに桃が咲く。そうか……花が咲いていない季節ならば、掘り起こすこともできるのか……」
「ですけど、花が咲かなかったら匂いを打ち消せなくはございませんか?」

 静芳に指摘されて、月鈴はピタリと歩みを止めた。彼女の極端な動きに、思わず静芳も立ち止まる。

「静芳は、屍兵たちのにおいを嗅いだのではないのか? あれは腐臭が進んでいたと思うが」
「……たしかに、お世辞でもいいにおいではありませんでした。ですけど、そんなにおいのする場所だったら、他の妃様たちも庭園を持ってらっしゃるのです。苦情が来ませんか?」

 それはもっともな指摘である。月鈴は考え込んだ。

(たしかに……しかし梅林であったら、木々の間を縫って屍兵を埋めなければならず、あそこに隠すことは無理だと思う。他の場所は花が咲いていなかったが、においもなかった……だとしたら、他は?)

 そうふたりで考え込んでいた中。
 芳香が漂ってきて驚く。振り返った先を見て、もっと信じられなくなる。
 赤い一重《ひとえ》の薔薇が、艶めかしい匂いを漂わせて咲き誇っていたのである。

「薔薇……!? この季節に……!!」

 静芳も知らなかったのだろう。薔薇園の艶やかさは、目を見張るばかりであった。

(信じられない……薔薇は初夏の花のはず……今はまだ、初春だというのに……)

 呆然と見ていても埒が明かず、月鈴は静芳に尋ねる。

「この庭の持ち主は誰か、知っているか?」
「え、ええ……たしか……白妃《はくひ》様……です……」
「館におられるだろうか。話を聞きたい」
「直接お会いするおつもりですか!?」
「さすがに昼からあちらも仕掛けてくる訳がないだろうからな。静芳、案内ありがとう。元来た道を帰って欲しい」

 月鈴の言葉に、静芳はむっとした顔をしたかと思ったら、頬を膨らませる。

「月鈴さんは知らないじゃありませんか。妃様たちへの対応を。あなたでは誤魔化しが利かないかもわかりませんから、私が案内します!」
「無理をしなくてもいいんだぞ? 相手はもしかしたら外法遣いかもわからない方士なのだから……」
「無理はしていません、月鈴さんじゃあるまいし」

 そう言われると、月鈴もこれ以上静芳を無下に扱う訳にもいかず、大人しくふたりで連れ添って白妃の館へと向かった。
 月鈴が通されたこじんまりとした館と違い、白妃の館は大きい。その上、中を布で覆って見えなくなっているため、薔薇の咲き誇る庭とあまり噛み合ってないようにも見えた。

「失礼します。私、宮女の静芳と申しますが……」
「ふむ、開けてやれ」

 仰々しい声が帰ってきた。

「ごきげんよう」

 扉が開かれ、中に招き入れてくれたのは、ずいぶんと化粧の濃い宮女であった。化粧が濃過ぎて、元の肌色が全くわからなくなってしまっている。おまけに口にも頬にもむやみに朱が塗りたくられてしまっているため、造形自体はそこまで悪くない宮女の顔が、人形じみて不気味に思えた。
 その不気味さに一瞬静芳は怯んだものの、昨晩屍兵に襲われたことよりはましと判断したのか、口を開いた。

「こちらは白妃様の館とお聞きしましたが、白妃様はいらっしゃいますか?」
「まあ、宮女が白妃様とお話をしたいと?」

 人形のような宮女に当然のことを突かれ、静芳は黙り込むが、その彼女の肩を「ありがとう」と軽く月鈴が叩いた。

「失礼します。彼女は私の付き添いです。このような格好で大変申し訳ございません。私は先日後宮に入りましたばかりの妃、月鈴と申します。先達であられる白妃様に、後宮のことを学ぼうと思ったのです」

 宮女の格好をしている月鈴を、宮女は上から下までまじまじと眺めて、口元を袖で覆ってしまった。主人に会わせるべきか否かで悩んでいたようだが、あっさりと声がかけられた。

「ふたりに無礼であろう。早うわらわの部屋まで来やれ」
「大変申し訳ございませんでした。どうぞ、白妃様の部屋までご案内します」

 そう言って宮女はきびきびと歩きはじめた。
 彼女の背中を見て、月鈴と静芳は顔を見合わせる。

「あの方は……いったい?」
「なんとも言えないな」

 屍兵にしては、月鈴や静芳の纏っている破邪の桃の香りの影響を受けていないように見える。しかし、舞台役者でもないのに肌色が見えなくなるほどの濃い化粧に、会話をしていてもいまいち噛み合わない据わりの悪さ。どこを取ってもちぐはぐな宮女を、人間として扱っていいのか考え込んでしまうのだ。
 やがて通された部屋に、月鈴は濃い薔薇の匂いが漂ってくるのに気付いた。

「匂いが濃くて、苦手なものには臭く感じるかもしれぬなあ……」

 カランカランと音が響く。
 揺り椅子に座っているのは、小柄な少女であった。しかし着ている仕立てのいい着物といい、結わえられた見事な髪型といい、老成した口調ではあれども、彼女こそが白妃であろうことは明白であった。
 香炉からは薔薇の匂いがひっきりなしに漂い、脳が甘く痺れそうなほど、薔薇の匂いで満たされていた。

「お初にお目にかける。わらわが白妃……青蝶《せいちょう》じゃ」
「ご丁寧にどうも。私は新妃、月鈴と申します」
「ほお……ずいぶんと活発な娘よのう。たしかに、妃の佇まいでは動きにくいであろうな」

 老成した口調ながら、美しい少女は黒い瞳でじっと月鈴を上から下まで舐め回すように見つめる。この不可思議な青蝶の様子に、月鈴はいまいち落ち着かなかった。

「薔薇園を眺めておりました。すごいですね、この季節では薔薇は咲かないと聞き及んでおりましたが」
「なあに、手を加えれば、夏の花も冬に咲くし、冬に咲く花も夏に咲くであろう。からくりを見て参るか?」

 唐突な申し出に、月鈴と静芳は顔を見合わせた。正直屍兵を隠しているのではという疑惑があるために、できれば妃の名前を確認したらすぐにでも離れたかったが、こう申し出られると断りにくい。
 少し考えてから「よろしくお願いします」と言って、着いていくことにしたのだ。

****

 青蝶の館の中庭には、グツグツと湯が煮立った鍋が並べられ、その湯気は布を貼られた天幕に注がれていた。

「これは?」
「蒸気で天幕の中を温めておる。天幕の中は、常に初夏の気温になるように調整しておるのだ」
「すごい技術ですね……?」
「元々、火山の麓には存在しておる技術でのう。火山の熱と湯気を使って煮炊きを行い、その熱を使って野菜や花を育て、冬にも新鮮な野菜を育て上げるのだそうじゃ。さすがに後宮内に火山熱を持ってくる訳にはいくまいから、湯を炊き続けて代わりにしておる」

 その話は月鈴も聞いたことがある。火山をおそろしがって、故郷を捨てて離れるよりも、どうにか共存する方法を模索した結果、火山熱を利用して生活を営む術を得たと。

(しかし……その技術は雲仙国よりだいぶ東方の技術のはずなんだが……白妃がどこから来た妃かは知らないが、一諸侯の娘というだけではなかなか知りようもない話だが……)

 方術や寺院というものは、一見閉鎖的な空間に見えるが、そんなことはない。
 最先端の技術の研究や実験は常に寺院で行われるものだし、ときに国境を越えようとする商人たちを泊めて世間話をし、最新の情報を得ることもある。
 後宮に入るような娘の場合、妃教育を最優先にされるため、真新しいものにうつつを抜かさぬように、その手の情報は遮断されるはずなのだ。
 ましてや、青蝶はどう見繕っても月鈴よりは年下にしか見えず、妃教育から解放されたばかりにしては、世間に明る過ぎる。

(これは私の考え過ぎか? しかし……)

 月鈴が考え込んでいると、先程の人形のような宮女が「白妃様、お茶の時間になりました」と声をかけてきた。
 それに青蝶が笑顔を浮かべる。

「ふむ。お茶の時間になった。滅多にない妃同士の交流じゃ。ぜひとも話をしたい」

 そう笑みを浮かべ、月鈴と静芳に背を向けて歩きはじめた。
 どうも違和感が拭えないと戸惑っていた月鈴であったが、どうしてかはなんとなく察することができた。

(世間に明る過ぎるのに、あまりにも警戒心がなさ過ぎる……普通に考えれば、夜な夜な宮女行方不明事件が勃発している上に、今代の皇帝陛下すら昏睡状態に陥っているというのに、よその妃を招いてお茶会なんてするのか?)

 互いに同盟を結んでいるような花妃と月鈴だったらいざ知らず、今押しかけてきたばかりの妃をもてなすのはどういうことか。
 迷った末に、こちらに背を向けているのをいいことに、静芳にそっと言った。

「私は念のため白妃のお茶会に乗ってみるが、あなたは勧められても食べないほうがいい」
「……あなた、まさか自ら毒味をするつもりですか!?」
「なにも知らずに食べる訳ではないから安心していい。これでも毒物については詳しい」
「……あまり危ない真似をなさないでくださいよ」

 静芳は本当は止めたそうではあったが、黙って見届けてくれるつもりらしい。
 それに感謝しながら、月鈴たちは再び館へと戻る。
 円卓に用意されていたのは、先程から香る薔薇の匂いのする茶に、薔薇の花を固めたものであった。

「これは……?」
「薔薇は美容にいいそうじゃ。薔薇茶は体全体を美しく保ち、薔薇を飴で固めた菓子は見目も麗しくて味も優しくなる。堪能してたもれ」

 月鈴は念のため、袖に隠していた銀の匙でそっと器を拭い、薔薇茶と飴も突いた。色は変色せず、銀色のままだった。
 念のため口に含んでみたものの、薔薇の匂いが鼻から抜けていくばかりで、毒らしい毒もない。痺れもなければ痛みもなかった。ついでに薔薇茶を美味いかまずいかで言えば、「言うほど味がない」としか言えなかった。薔薇の飴がけも、薔薇の花びらの柔らかさがすっかりと抜け落ちたさくさくするなにかで、飴がおいしい以外に反応ができなかった。
 静芳は心配そうに様子を窺っていたが、月鈴はお世辞で「おいしいです」とだけ言う。
 その様子を、青蝶はコロコロと笑って眺めていた。

「なに、嘘は申されるな。初めて食べた者で心から美味いと言うものなどおらぬからなあ」

(なら何故食べさせた)

 思わず眉間に皺を寄せそうになるのを必死に堪えるが、青蝶は余裕の笑みを浮かべたままだった。
 相変わらず彼女は、底が見えない上に得体が知れない。

「なに、捜し物をしているから、手助けをしてみようと思ったまでよ」
「……ええ?」

 それには思わず、素の声が漏れ出てしまった。
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