大学寮の偽夫婦~住居のために偽装結婚はじめました~

石田空

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偽夫婦、またまたトラブルに対処します

5話

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 俺が帰ってきたら、素子さんは既に夕食の準備に行っていた。俺は食堂に顔を出して、素子さんに謝る。

「ただいま戻りました……すみません、すぐ手伝います」
「いえいえ。それよりポスターは?」
「はい、これです」

 俺が印刷してきたものを見せたら、素子さんはにっこりと笑った。

「一度見たものって、なんとなく気に留めますからね。皆見てくれると思います。じゃあこれを貼ってから手伝ってください」
「ありがとうございます。すぐ貼ってきます」

 とりあえずプリントしたマルチ商法の啓発ポスターは、一枚は管理人室前の掲示板に、一枚は団らん室の掲示板に貼り付けておくことにした。テニスサークルの問題は外部の俺たちでは手も足も出ないけれど、本当になにもしないよりはまだマシのはずだ。
 俺は慌てて彼女の手伝いに向かう。
 その日はさんまの一夜干しに、わかめと豆腐の味噌汁、切り干し大根と薄揚げの煮物、きゅうりの酢の物とオーソドックスな和食であった。
 既に切り干し大根と薄揚げの煮物を炊き、わかめと豆腐の味噌汁をつくっていた素子さんはきゅうりとじゃこを指差して言う。

「それじゃ、夕食の時間のギリギリになったら一夜干しを焼いてしまいますから、その間に酢の物つくっちゃってください」
「あー、わかりました。すぐにやります」

 きゅうりを輪切りにし、ボウルに入れて合わせ調味料とじゃこを混ぜて酢の物をつくってからそれを器に盛っていると、素子さんに尋ねられた。

「コンビニに向かってから遅くなりましたけど、なにかありましたか? 七原さんもひどく興奮した様子で帰ってきましたし」
「あー……彼女、怒っていましたか?」
「怒っているというより、混乱しているっていうんでしょうか。とにかく興奮している感じでしたね。今は皆と団らん室で遊んでいるとは思いますけど」

 運動して発散ってことなのかな……皆でテレビに繋いで遊んでいるフィットネスゲームのことを思い出しながら、そっと息を吐き出した。
 俺はまだ食堂に人が来ていないのを確認してから、こっそりと素子さんに先程までのことを話した。素子さんはそれを黙って聞いている。

「……困りましたね、事務所は動いてくれる様子はありませんし、サークルのほうも自己責任なんてひと言で切られてしまったら、なにも解決できません」
「だからと言って、俺も啓発以外でどう動けばいいのか」
「でもテニスサークルの合同ってことは、あちらのほうのサークルのトラブルに巻き込まれていると、その問題のOBやOGの大学に訴えるというのはどうでしょうか?」

 ん……? 俺は素子さんのほうを見た。彼女は頷く。

「大学は学外の問題ですし、他校のOGやOBの問題でしたら関わりたがりません。テニスサークルの皆さんも、自己責任で関与したがらないとなったら、他に対処する方法はありません。ですけれど元凶のOBとOGの出身校の場合は、大学の経営にも関わりますから、訴える声が一定数集まれば、対処せざるを得ないはずです」

 素子さんの言葉に、俺は「はあ……」と溜息をついてから、天井を仰いだ。

「なんというか、本当だったらもっと早くに注意勧告なり、大学で教えたりっつうこと、しなくっていいんですかね。そうしたら七原さんだってもうちょっと上手いこと逃げられたでしょうに」

 俺の場合は俺がほぼ唯一社会経験なかったガキだったがために、作家同士での交流会で先輩たちが、口酸っぱくフリーランスが引っかかりがちな詐欺について教えてくれたから、よくも悪くも変なものに引っかからずに済んで今に至る。そう考えると、大学だってもっと先輩たちがあれこれ口を挟んだほうがいいんじゃないかと思うんだけど。七原さんの話を聞いている限りじゃ、そういうお節介は期待できそうもないし。
 俺の言葉に、素子さんは曖昧な笑みを浮かべた……別に素子さんを困らせる気はなかったんだけどな。

「うーん……あまりいい話ではないんですけど、大学の本分は研究で、就職の面倒や社会常識の講座を行うことじゃないっていう気持ちはわからなくもないんですよね。予算の使い道をとやかく言われがちですから。でも家庭で教える暇がない、学校で教えてくれない、企業でお金をかけてそういう講習をしないとなったら……どこかで絶対にツケが回ってくるような気がします」
「まあ、そうですよね。そもそもマルチ商法なんて、人間関係破壊するとんでも商法じゃないっすか」

 とにかく、ひとまずはあのOBとOGがどこの大学の学生なのか、ちょっと探らないとなあ。そうしないことには、抗議すら入れられない。

   ****

 今時の大学生の格好のなにが正解なのかわからん。
 とりあえず素子さんにOBたちはどうも俺と年は変わらないと言ったら、「だったら大学が近所の人には貸し出している図書館までは入れるかと思いますので、変装しますか?」と提案された。
 さすがにあのガラの悪い連中と素子さんを会わせる訳にはいかないからと、俺が若づくりして大学に入って情報を仕入れに行くことにしたけど……。
 素子さんが見繕ってくれたスラックスにシャツの上に、秋物のジャケットを羽織る。普段は髪をぼさっとしっぱなしなところを、素子さんにワックスを付けられてブラシで梳かれたもんだから、どうにも落ち着かない。ワックス独特の甘苦いにおいが漂っている。
そもそも普段からスポーツメーカーのジャージの上下でうろうろしているから、服や髪形の名称すらよくわかっていない。今度書くラブコメ用に、もうちょっとこう、服飾の語彙を増やしたほうがいいんだろうなと反省する。
 普段から事務所までしか入ったことのない日名大に入るのは気が進まないものの、とりあえず大学名を知らないことにはどうしようもないからなあ。
 俺がどうしたもんかと大学の中に入り、図書館の近くをうろうろしていたら。

「……管理人さん?」

 怪訝な声をかけられ、俺は「ひっ」と肩を強張らせた。そりゃそうだ、うちの寮生だってここに通っている訳だから……。
 恐々と振り返ったら、そこには早川さんと舘向さんが立っていた。普段寮内でうろうろしている姿ばかり見るから、青空の下で見るのは新鮮な気分だ……じゃなくって。

「どうしました? イメチェン……ですかぁ?」

 舘向さんの日頃からのパンを千切ったような口調にようやく落ち着きを取り戻した俺は、「ああー……ゴホンッ」と咳ばらいをした。
 どうしたもんか。寮の子たちを巻き込む気はなかったんだけど、見つかったからなあ。俺は少しだけ考えてから、「テニスサークルに行きたいんだけど」と言うと、ふたりとも顔を見合わせた。なんだ、この反応。
 早川さんは日頃の性格ながら、口をもごもごとさせて言いにくそうにしていたが、舘向さんがいつも通りのマイペースに言う。

「最近、評判よくないですよぉ。あんまり評判よくないですから、みつるもテニスサークルに入ってる子たちには注意勧告してたんですけどぉ……最近寮にマルチ商法の注意勧告貼ってましたけど、それですかあ?」
「ええ……そこまで?」
「みつるが注意勧告していたのは、あそこのサークル、他校と交流してて、あちこちの学校とグループをつくってイベントをやっているみたいなんですけど」
「ああ、その辺りは聞いたことがある」

 七原さんから直接聞いたけれど、さすがに名前は出さなかった。それに舘向さんは続ける。

「ちょっとサークルの部長でも責任負えないくらいに大きなグループになっちゃって、変なパーティーを開催しまくってるってことなんですけど……内容とかも聞きかじり程度ですけど聞きますぅ?」
「……やめとく。これ、マジでうちの寮の子たち関わってないんだよなあ?」

 俺は七原さんの名前をどうにか引っ込めて尋ねると、今度は舘向さんが口を噤んでしまい、どうしようと言いたげな顔で早川さんの横顔を眺めている。早川さんはというと、顔をひとりで赤くしたり青くしたりと忙しくしている。
 ようやく意を決したのか、「……学生課にも、相談が入ってるみたいなんですよ」と言う。

「そうなの?」
「私も、授業のレポート提出に学生課によく行きますから……。サークル外のトラブルは大学でも対処できないって、評判よくないみたいですけど……」
「事務所でもそうだったけど、学生課でも一括その対応かよ……。ああ、ならテニスサークルが参加しているっていう大きなグループの大学ってわからないかな?」
「管理人さん、それも対処するんですか?」

 早川さんが意外そうな顔をする。それに俺は「あー、うーん……」と答える。

「俺も大学のトラブルシューティングができる立場ではないけど、せめてうちの寮の子たちで困っている子がいたら、その子が気持ちよく大学生活送れるようにくらいはしたいなあと……」

 さすがに綺麗ごと過ぎて胡散臭がられるかなと思ったら、意外なことに舘向さんがパチパチパチと拍手を送ってきた。

「いいんじゃないですかぁ、そういうのは。格好いいですもん」
「舘向さん……でも、管理人さん危なくないですか……? だって、やっていること、ブラックになってないだけで、ほぼ黒のグレーですし……」

 早川さんは心配そうにこちらを見てくる。
 そりゃなあ。俺だってあんな訳のわからん奴らと関わりたくないし、変に恨まれても怖いと思っている。でもなあ……。第一志望に落ちたけれど、学生生活を諦めたくないっていう七原さんの気持ちも、本当になんとなくだけれど理解はできる。全部を全部、校風に合わせることなんてできないもんな。
 大学行ったことないけど、最後の学生生活くらい、幸せに過ごしてもいいじゃんって思うのは俺だけか?

「まあ大丈夫大丈夫。相手の大学に通報するだけだから。もし情報あるんだったら教えて欲しい」

 俺がふたりに頭を下げると、早川さんはブンブンと首を振る。

「顔を上げてください。私たちも、学生課で拾ってきた情報くらいしか教えることできませんけど……」

 そりゃそうだよな。それで大学が違ったら他大に冤罪がかかるし。
 ところで、さっきから舘向さんはスマホを弄っていた。そして顔を上げると「はあい」と手も挙げる。

「猫の里親になってくれた子たちの中にも、テニスサークルの子がいたんで、今グループで確認取ってましたぁ」
「ええ……本当に?」
「空気が悪くなったからって、夏休みに辞めた子なんですけどねぇ……今連絡来ました」

 そう言ってスマホアプリのグループチャットを見せてくれた。テニスサークルの参加している私学グループの大学名がつらつらと並んでいる。どこもこの辺りだと有名大学だ。そして一校【ここは本当に評判が悪いから関わらないほうがいい】と注意書きが入っている大学があった。

櫻大おうだい……?」

 この辺りだと有名私大だし、ローカルニュースでなにかと話題になっていたと思うけれど、まさかそこが一番駄目だとグループチャットで出回っているとは思わなかった。舘向さんがそっと耳打ちをする。

「裾野が広いと、地元企業がスポンサーになって研究成果を出しているようなゼミもあれば、ずっとここの大学に留年続けてとどまったり,OBとして厄介な仕事はじめたりする人も出るんですよ……大きい大学って、いい意味でも悪い意味でも人脈が集まりますから」
「わかるような、わからないような……でもありがとう。次はそこに連絡してみるよ」

 あそこの事務所といち大学の寮管理人がやり取りをするのは、はっきり言って荷が重いけれど、放置するよりはマシだろう。早川さんは心配そうに言う。

「あ、危ないことだけは、しないでくださいね?」
「いやあ、単純に苦情言うだけだから。さすがにそんなでかい大学と戦う気はないよ」

 最後に念のために大学のサークル活動を見物してから、帰ることにした。
 キャンパスライフってどんなもんだろうと思っていたけれど。勉強や課題に追われているのかなと思いきや、それだけではないらしい。
 皆で緩い服装で踊っているのはストリートダンスのサークルだろうか。さっきから着物にたすき掛けでうろうろしている子たちがいるが、あれは競技かるたのサークルなのか書道サークルなのかは傍からだと確認できなかった。
 キャンパスライフを楽しんでいる子たちは楽しんでいる。もしそれを横槍入れられて楽しめなくなったら気の毒だろう。七原さんがサークルを辞めたいと言い切れなかったり、大事にしたくないっていうのも、きっとサークル自体が楽しかったからだろうし。

「よし。頑張るか」

 口の中でそう自分に言い聞かせると、俺は急いで青陽館に戻ることにした。素子さんと作戦会議してから、櫻大に掛け合うべきだろうと。
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