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偽夫婦、トラブルに対処します
5話
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早川さんが病院から帰還した次の日。
彼女にネットの文面を参考にさせながら退職届を書かせてから、宅配センターにまでやってきた。
早川さんはひと晩きっちり寝たおかげで、初めて会ったときよりも大分顔色はいいけれど、宅配センターに近付くにつれて、だんだんと顔色が悪くなっていく。これはおそらくは、精神的なもんのせいだろうなあ。俺は隣の早川さんに言ってみる。
「もういっそ、俺が退職届を出してこようか? そうしたら早川さんもわざわざ宅配センターに行かなくってもいいだろ」
「い、いえ……私がちゃんと出さないと……多分向こうも納得してくれないと思いますから……本当だったら……ひとりで行かないと駄目なんですけど……多分、またシフトを頼まれたら、私は断り切れないと思うんで……」
「だって早川さん、バイト先に近付くごとに顔色悪くなってるぞ。せっかくぐっすり眠れたのに、また体壊すだろ」
「ですけど……」
本当に真面目な子なんだよなあ。そうしみじみと思う。
彼女と同い年の頃、俺はさんざん調子乗っていた頃だったから、ここまで真面目に人のことばっかり考えてはいなかったと思う。でもこんないい子が食い物にされちゃ駄目だよなと思い直す。悪い大人は真面目ないい子ほど使い潰そうとするもんだから。
宅配センターの事務所に向かうと、すぐに事務員の人が出てきた。
「早川さん!」
「あ、すみません……今日は」
早川さんが退職届を差し出そうとする前に、事務員さんはすごい勢いで口を回す。
「次のシフトなんだけれど、入れる日があるかしら……!? またバイトの子が辞めて、本当に回らなくって困っているのよ」
早川さんが退職届を出す暇も、彼女が口を挟む暇も与えないくらいに、ペラペラと事務員さんがしゃべる、しゃべる。そのたびに早川さんの顔色は、どんどんと悪くなる。
いや、今でも働き過ぎなのに、これじゃもうバイトじゃなくって社員だろ。社員ほどの待遇も保険もない癖に。
「すみません、今日は彼女の退職届を出しに来ました」
俺は事務員さんの言葉を遮るようにして、声を上げる。それに事務員さんはきょとんとした顔をする。
「あのう……失礼ですが、あなたはどちら様でしょうか?」
「自分は早川さんの入寮している寮の管理人です。寮生の監督をしている以上、これ以上彼女に無理をさせることはできないと判断し、今日は付き添いに来ました」
「で、ですけど……! 退職するにしても最低でも二週間前に出していただきませんと……」
「早川さんはドクターストップかかっているんです。こちらに診断書もありますから。彼女はそれ以降、有休扱いとさせてください」
「困りますよ……! うちだって本当に人手が足りないんです……!」
「どこだって人手が足りないっていうのは理解できます! ですが、それで学生を食い潰していい訳ないでしょう!?」
すっかりと固まっている早川さんに、俺は声をかけた。
「早川さん、退職届を」
「は、はい……!」
我に返った彼女はいそいそと事務所の机に、書いた退職届と診断書を出した。そして事務員に対して礼儀正しくお辞儀をした。
「……今まで、本当にお世話になりました……!」
さすがにこれ以上は、事務員も食い下がることはなかった。
少しすがすがしい気分になりながら、俺たちは宅配センターを後にして、青陽館へと帰る。
気付けばすっかりとそめいよしのの季節は終わりを迎え、桜餅みたいな牡丹桜がポンポンと花を付けているのを目にしながら、帰りがてら俺は思ったことを口にしてみる。
「早川さん。さすがにブラックバイトにお礼はしなくってもよかったんじゃない?」
「そうかもしれませんけど……最初はブラックではなかったですし……楽しかった思い出もありますから……辞めたあとじゃなかったら、そんなこと思っている暇もなかったですけど」
うーん……悪い思い出だけだったらブラックだと一蹴できるかもしれないけど、いい思い出もあったらなかなか悪く言えないもんかもしれないな。
そういう優しくていい子が、都合のいい子扱いされないようにしないと駄目なのかもなあと、俺はそっと息を吐いた。
「うん、そっか。まあ早川さんがすっきりしたんだったら」
「はい」
まあ彼女だったら、次のバイト先でも頑張れるだろう。また思い詰めないといいんだろうけどな。
青陽館で彼女を部屋まで送り届けてから、厨房に向かう。そこでは、事務所から届けられた食材を片付けている素子さんの姿があった。
「ただいま戻りましたー。一応無事終わりましたよ」
「あら、お帰りなさい。そうですか、無事に済んでよかったです」
「いやあ……なんか今回の件でしみじみ思いました」
一緒に事務所から届けられた食材を、常温冷蔵と分けながら言う。
「俺、大学には行ってなかったんですけど、学生ってもっと楽しいもんだって思ってたんです。けど、蓋を開けてみたら思ってもない壁ってあるんだなあと思いました。まさかブラックバイトに捕まっている子の対処に当たることになるとは思ってもみませんでしたから」
「うーん、どこで悩んでいるのかって、一見すると全然わからないですよね」
素子さんは調味料の確認をし、足りなくなった分を発注書に書き込みながら答えてくれた。
「一番いいのは選択肢が多いことだと思います。ブラックな場所だとどんどん追い詰められて、思考が袋小路になってしまいます。そうなってしまったら、もう逃げ出すって発想も出なくなってしまいますから、その前にブラックな場所から逃げないといけません。学生のいいところは、選択肢が多いところだと思いますよ」
その答えに、俺はなるほどなあと思った。このあたりの発想は、ここで働きはじめるまではちっとも出なかった発想だ。
片付けが終わってから、俺はこの数日の出来事を簡単にメモにまとめておいた。これが使えるかどうかはまだわからないけれど、これで書けることもあるだろうから。
そういえば。素子さんがにこにこ笑いながら入寮生としゃべって仕事をしていると、最初に会った時の彼女を忘れそうになる。
あのとき出会った彼女は、顔色も悪くてずっと泣いていた。早川さんに肩入れしていたのも、彼女に対してなにかしら思うところがあったんだろうか。
……いくら偽装結婚しているからって、こんな込み入ったこと聞いてしまってもいいのかね。そう思ったら、思うだけでも口にすることはできなかった。
彼女にネットの文面を参考にさせながら退職届を書かせてから、宅配センターにまでやってきた。
早川さんはひと晩きっちり寝たおかげで、初めて会ったときよりも大分顔色はいいけれど、宅配センターに近付くにつれて、だんだんと顔色が悪くなっていく。これはおそらくは、精神的なもんのせいだろうなあ。俺は隣の早川さんに言ってみる。
「もういっそ、俺が退職届を出してこようか? そうしたら早川さんもわざわざ宅配センターに行かなくってもいいだろ」
「い、いえ……私がちゃんと出さないと……多分向こうも納得してくれないと思いますから……本当だったら……ひとりで行かないと駄目なんですけど……多分、またシフトを頼まれたら、私は断り切れないと思うんで……」
「だって早川さん、バイト先に近付くごとに顔色悪くなってるぞ。せっかくぐっすり眠れたのに、また体壊すだろ」
「ですけど……」
本当に真面目な子なんだよなあ。そうしみじみと思う。
彼女と同い年の頃、俺はさんざん調子乗っていた頃だったから、ここまで真面目に人のことばっかり考えてはいなかったと思う。でもこんないい子が食い物にされちゃ駄目だよなと思い直す。悪い大人は真面目ないい子ほど使い潰そうとするもんだから。
宅配センターの事務所に向かうと、すぐに事務員の人が出てきた。
「早川さん!」
「あ、すみません……今日は」
早川さんが退職届を差し出そうとする前に、事務員さんはすごい勢いで口を回す。
「次のシフトなんだけれど、入れる日があるかしら……!? またバイトの子が辞めて、本当に回らなくって困っているのよ」
早川さんが退職届を出す暇も、彼女が口を挟む暇も与えないくらいに、ペラペラと事務員さんがしゃべる、しゃべる。そのたびに早川さんの顔色は、どんどんと悪くなる。
いや、今でも働き過ぎなのに、これじゃもうバイトじゃなくって社員だろ。社員ほどの待遇も保険もない癖に。
「すみません、今日は彼女の退職届を出しに来ました」
俺は事務員さんの言葉を遮るようにして、声を上げる。それに事務員さんはきょとんとした顔をする。
「あのう……失礼ですが、あなたはどちら様でしょうか?」
「自分は早川さんの入寮している寮の管理人です。寮生の監督をしている以上、これ以上彼女に無理をさせることはできないと判断し、今日は付き添いに来ました」
「で、ですけど……! 退職するにしても最低でも二週間前に出していただきませんと……」
「早川さんはドクターストップかかっているんです。こちらに診断書もありますから。彼女はそれ以降、有休扱いとさせてください」
「困りますよ……! うちだって本当に人手が足りないんです……!」
「どこだって人手が足りないっていうのは理解できます! ですが、それで学生を食い潰していい訳ないでしょう!?」
すっかりと固まっている早川さんに、俺は声をかけた。
「早川さん、退職届を」
「は、はい……!」
我に返った彼女はいそいそと事務所の机に、書いた退職届と診断書を出した。そして事務員に対して礼儀正しくお辞儀をした。
「……今まで、本当にお世話になりました……!」
さすがにこれ以上は、事務員も食い下がることはなかった。
少しすがすがしい気分になりながら、俺たちは宅配センターを後にして、青陽館へと帰る。
気付けばすっかりとそめいよしのの季節は終わりを迎え、桜餅みたいな牡丹桜がポンポンと花を付けているのを目にしながら、帰りがてら俺は思ったことを口にしてみる。
「早川さん。さすがにブラックバイトにお礼はしなくってもよかったんじゃない?」
「そうかもしれませんけど……最初はブラックではなかったですし……楽しかった思い出もありますから……辞めたあとじゃなかったら、そんなこと思っている暇もなかったですけど」
うーん……悪い思い出だけだったらブラックだと一蹴できるかもしれないけど、いい思い出もあったらなかなか悪く言えないもんかもしれないな。
そういう優しくていい子が、都合のいい子扱いされないようにしないと駄目なのかもなあと、俺はそっと息を吐いた。
「うん、そっか。まあ早川さんがすっきりしたんだったら」
「はい」
まあ彼女だったら、次のバイト先でも頑張れるだろう。また思い詰めないといいんだろうけどな。
青陽館で彼女を部屋まで送り届けてから、厨房に向かう。そこでは、事務所から届けられた食材を片付けている素子さんの姿があった。
「ただいま戻りましたー。一応無事終わりましたよ」
「あら、お帰りなさい。そうですか、無事に済んでよかったです」
「いやあ……なんか今回の件でしみじみ思いました」
一緒に事務所から届けられた食材を、常温冷蔵と分けながら言う。
「俺、大学には行ってなかったんですけど、学生ってもっと楽しいもんだって思ってたんです。けど、蓋を開けてみたら思ってもない壁ってあるんだなあと思いました。まさかブラックバイトに捕まっている子の対処に当たることになるとは思ってもみませんでしたから」
「うーん、どこで悩んでいるのかって、一見すると全然わからないですよね」
素子さんは調味料の確認をし、足りなくなった分を発注書に書き込みながら答えてくれた。
「一番いいのは選択肢が多いことだと思います。ブラックな場所だとどんどん追い詰められて、思考が袋小路になってしまいます。そうなってしまったら、もう逃げ出すって発想も出なくなってしまいますから、その前にブラックな場所から逃げないといけません。学生のいいところは、選択肢が多いところだと思いますよ」
その答えに、俺はなるほどなあと思った。このあたりの発想は、ここで働きはじめるまではちっとも出なかった発想だ。
片付けが終わってから、俺はこの数日の出来事を簡単にメモにまとめておいた。これが使えるかどうかはまだわからないけれど、これで書けることもあるだろうから。
そういえば。素子さんがにこにこ笑いながら入寮生としゃべって仕事をしていると、最初に会った時の彼女を忘れそうになる。
あのとき出会った彼女は、顔色も悪くてずっと泣いていた。早川さんに肩入れしていたのも、彼女に対してなにかしら思うところがあったんだろうか。
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