魔法少女の食道楽

石田空

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醤油ラーメンと鉄火丼

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 その日は月末。経理のひと月でもっとも忙しくなるときだ。

「あのう、すみません。この領収書は使えないんですけど」
「どうして!?」
「あのですね、規定が変わりまして……」

 経理は必死に社内から回ってきた領収書を分別し、入力し、使えないものは本人に直接言いに行く。領収書をこちらに持ってくる人のほとんどは営業の人たちだ。この人たちがいなかったら会社は成り立たないのだけれど、偉そうにされても困ってしまう。
 だって経費にできないものは入力できないから。
 社内をあちこち謝ったりなんだったりしながら、どうにか入力を終わらせたときには、残業二時間超過していた。この時間に会社を出ても、いったいどれだけご飯が食べられるのか。
 胃がキリキリと痛む。

「お疲れ様。今日はずいぶんと災難だったね。規定変わったのは何度も言ってたのに」

 そう声をかけてくれたのは、うちの部署の先輩の立川たちかわさんだった。柔和な人で人当たりがかなりいい。経理はなにかと各部署から詰められることが多い中、上には頭を下げ、下にはフォローを入れるという、善人の見本のような人だ。
 しかしあまりに善人過ぎるがために、いまいちモテない。婚活アプリは全滅、お見合いパーティ全部断られるって、いい人過ぎて影が薄いってことなんだろうかと心配になるレベルだ。

「ありがとうございます」
「ところで一ノ瀬さん、仕事終わったのならなにか食べに行く? いいラーメン屋知ってるけど」
「あ、ラーメン……」

 行きたいなあと思う。
 ラーメンはなんでも好きだ。醤油、塩、とんこつ……最近はつけ麺とかもあるけれど、あれは食べるスピード速くないと冷めやすいのが難点だ。海鮮出汁も鶏がら出汁も、どれもとってもおいしい……トッピングはもやしとネギがいい。味玉も好き。
 でも。
 昼間に一生懸命ストレス抑え込むために飲んでいた、コーヒーで胃が荒れている。これはもう、家に帰って麦茶でお雑炊食べるコースだ。

「すみません、ちょっと体調が……」
「ああ。たくさんコーヒー飲んでたから。お疲れお疲れ。なら今度体にいい店探そうか。薬膳の店とか」
「あははははは……あればよろしくお願いしますね」

 こうして私たちは会社を出て別れた。
 立川さんの教えてくれる店はどこも外れがないのになあ。鎮まれ私の胃の荒れ模様。おいしいラーメン食べれるようにならないかな……。

「ナナ、大変です。また闇妖精が」
「あら……リリパス普段どこにいるの?」

 リリパスはポコンと会社の出入り口付近から出てきて、私の肩に飛び乗った。リリパスの重みがパソコン仕事終わりの私には大変に厳しい。私が疲れてヒンヒン言っている中、リリパスは続けた。

「闇妖精が出たんです。このままじゃあちらの通りが闇妖精でぐちゃぐちゃにされてしまいますからぁ」
「あ……」

 あちらはラーメン横丁。仕事終わりの会社員狙いの店が、ところ狭しと並んでいるんだ……立川さんが行ったのもそこだ。
 リリパスはひょいっとタクトを差し出してきた。

「ほら、早く変身して」
「変身……うんわかった。カレイドスコープ、オープン!」

 途端に私の周りに光の粒子が飛び、洗濯し過ぎてくたびれてきたパンツスーツはピンク色のふりふりとしたワンピースに早変わりし、面白みもない黒いショートカットも金髪のロングヘアへと変わる。
 人は見えたり見えなかったりで、取り立てて私たちを見たり見なかったりする。その人波を擦り抜けながら走ると、「キャアアアア!」と逃げ惑う人たちがいた。
 今回はわかりやすい。どう見てもネズミがドブのにおいを撒き散らして犬くらいのサイズで暴れていた。
 ……ここに並んでいるラーメン屋さん。一軒でも営業停止にしたら承知しないから。私はカレイドタクトを構えると、しこたま闇妖精を闇オーラを吸収できる段階まで殴り飛ばしたのだった。

****

「ふう、お疲れお疲れ」
「お疲れ様です……カレイドナナ、必死でしたね?」

 リリパスは相変わらず困惑した顔でこちらを見ていた。

「そりゃそうだよ。この辺りラーメン通りだし」
「らあめんどおり?」
「ラーメン。元々はお隣の大陸から来た麺料理だけれど、今や日本食と呼ばれるくらいにバリエーション豊かになってる。町中華からラーメン専門店まで、まあ千差万別。それが軒を連ねてるのがラーメン通りなの。そういえばお腹空いたなあ……まだ晩ご飯食べてないんだ。ラーメン屋さんどこか空いてないか探しに行こうか」
「らあめん……」

 リリパスは相変わらず「なにそれ?」という顔をしていたけれど、気にせず空いているラーメン屋を探しに出かけた。
 若返って胃も綺麗になっているけれど、夜はあんまりガツンとした脂マシマシなとんこつラーメンって気分じゃないなあ。どちらかというとこっくりとした味わいの醤油ラーメンが食べたい気分。
 元気を分けてもらう昼のラーメンがとんこつならば、その日一日をしみじみ思い返すラーメンが醤油だと思う。
 私がそう思いながら、一軒知らない店が出ているのに気付いた。

「おっ」
「ここもらあめん屋なんですか?」
「知らない店が出てる……まあ、ここの通りは競争率激し過ぎるんだけど」

 ラーメン通りはコンセプトを持っている店以外はすぐに潰れてしまう傾向にある。にんにくましましスタミナラーメンとか、女性に嬉しい美と健康のラーメンとか、とにかく会社員にラーメン出してりゃいいだろ、味勝負だ、みたいなところは埋もれやすい。
 だからめぼしい店はすぐに通って唾付けとけというのが立川さんの判断だった。私も入社したての頃はきちんと教えに従ってたんですけどねえ。そう思いながら戸を開けた。

「いらっしゃい」
「わあ」

 カウンターも座席も人がギューギュー詰めだ。それでもカウンターはひとり分空いていたので、そこによじよじと座った。
 メニューを見てみると、ここはどうも居酒屋みたいな印象だ。そうだな、この辺りだと居酒屋通りはもうちょっと先だから、ラーメン通りに居酒屋出したのは正解と言えば正解なのかも。
 そう思っていたものの。並んでいるメニューに目が点になった。

「醤油ラーメンと鉄火丼セット……?」
「うちの一番人気だよ」

 醤油ラーメンと鉄火丼セット。なんだか炭水化物の多い組み合わせだ。あと互いの味を潰して喧嘩にならないのかなとついつい心配してしまうけれど。
 口の中はすっかりとラーメンになってしまったので、私は抗うことができなかった。

「それじゃあ、その醤油ラーメンと鉄火丼セットをひとつ」
「はいよ」

 店主さんがそう言ってカウンターでさっさと準備をはじめた。リリパスは他のお客さんが一生懸命食べているのを眺めている。

「てっかどんとはなんですか?」
「マグロの赤身を載せたどんぶりだよ。妖精はマグロは食べないの?」
「妖精は食事は嗜好品だと申したでしょうに」

 そうとりとめのない会話をしている間に「はい、醤油ラーメンと鉄火丼」と出してくれた。
 醤油ラーメンは澄んだ色をしていて、麺は細麺でなかなかおいしそうだ。一方鉄火丼は思っているよりも小ぶりだけれど、赤身がつやつやしていておいしそう。でも互いに味を殺し合わないのかな。私はそう気を揉みながら「いただきます」とひとまず醤油ラーメンのスープをすすった。
 ……!? おいしい! 澄んだ色をしていても、旨味がスープにギューッと濃縮されている! これは多分、昆布にあごに……あと貝かな。とにかく魚介スープの旨味が詰まったスープだ。ラーメンの具材はオーソドックスにわかめと味玉で、これもわかってます感がすごい。
 ひと口ラーメンをすすると、鼻を通っていく海鮮出汁と醤油のスープの香り。噛み締めると麺のつるつるしこしこした具合が合わさり、とにかくおいしい。
 そして。鉄火丼はのりと青ネギが散らしてあり、赤身は醤油ベースのたれに漬け込まれている。醤油に漬け込んでたらラーメンと味の奪い合いにならないのかな。ご飯と一緒にひと口食べると、目の前を星が流れていくような感想を覚えた。
 赤身は身がプリプリ締まっている上に、ただの醤油だれでなく、海鮮のなにかが詰まっている。それでいてラーメンの海鮮スープとの相乗効果でひたすらおいしく感じる。なによりもご飯。白ご飯かと思いきや酢飯だ。酢飯はただ甘酢を入れるだけでなく、昆布だしも混ぜ込んであるのが基本だ。
 つまりは。醤油ラーメン、鉄火丼を交互に食べ続ければ食べ続けるほど、ずっとおいしさの相乗効果が続くということ。
 やられた。こんなに考え抜かれてつくってるとは思わなかった。
 私が夢中になってガツガツと食べていると、リリパスが私の肩に乗った。若いとあんまり肩に響かない。

「おいしいんですか?」
「そうだねえ……」

 私は鉄火丼をひと切れ、醤油ラーメンをひと口あげた。途端にリリパスは私の周りでくるんくるんと踊りはじめた。
 妖精も踊り出すおいしさ。夢中で食べ過ぎて写真を撮れなかったのが残念だ。
 私は手を合わせた。塩分をたくさん取ってしまったから、ひとまずお冷やをたくさん飲んでから、会計を済ませて店を出た。

「また来よう……」

 今度もまた、カレイドナナかもしれないけれど。
 普段の私にはあれだけおいしい醤油ラーメンと鉄火丼のセットが厳しいと思うから。
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