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遊郭着いたら仕込まれた
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私もマンガの知識しかないけれど。
大正時代の吉原で売られたら、一定時間の仕込み期間を経て座敷に出される。
出されるのはお茶屋とか旅館とかいろいろあるけれど、元が乙女ゲームだから、そこまで深くは考えなくてもいいらしい。
売られた芸妓はその中で呼ばれた分だけお賃金を得て、その稼ぎが借金返済に宛がわれる。借金返済が完了するか、年季……置屋で一定期間働かないといけない期間のことだ……が明けるかしたら、売られた娘も無事に解放される。
完全歩合制のキャバクラと、一定期間働かないと駄目な芸妓、どっちがマシなのかは私だと判断ができないけれど。
とにかく座敷に出すまでにある程度のレベルにするために、売られた子たちは皆それぞれ仕込みがはじまった。
本当だったら仕込み期間が長いのは、もっと若い子なんだけれど。ここは乙女ゲームだから細かいことは考えない。
「ほら、背筋を伸ばして! きちんと三味線を持つ!」
「はいっ!」
「ちゃんと持って! こんなへっぴり腰でお客さんの前に座れません!」
「はいっ!」
芸事のお師匠さんたちは皆厳しく、私だけでなく、仕込み中の女の子たちの過半数は涙目だった。中には怒られるのに怖がったせいで、お師匠さんを見た途端に楽器が弾けなくなるような子までいる始末で、その子はすごい勢いで叱り飛ばされていた……もし前世であったら、モラハラだと糾弾されそうな勢いだった。
私からしてみたら着慣れない着物で正座をするというだけでもきついというのに、楽器を覚えないといけないというのがなかなかにつらかった。
音が外れれば怒鳴られる。一曲通して弾いても「こんな曲で姉さんたちが踊れますか!」と叱られる。一長一短で楽器は上手くならないから難しい。
毎日毎日、着物で正座で楽器の稽古と、朝から晩まで仕込みに明け暮れている上に、移動中は普通に寒い。仕込み中の子たちで雑魚寝は狭いと、さんざんな毎日だった。
三味線とばちを持ってようやく荒れてきた手は、家事ひとつしたことがない白魚のような手だった。気の弱く世間知らずな登紀子は、女学校の先生からすらそこまで厳しく指導を受けたことがないから、毎晩毎晩枕を泣き濡らしていただろうに、私が目が覚めてからというものの、彼女の意思をちっとも感じない。
……元々ルートによっては、世間の残酷さを一心に浴びて心を病んでしまうくらいに臆病な性格なんだから、いきなり実の親に売られたとなったら、メンタルが持たなくって精神死しちゃったんじゃないかなあと思う。だから前世の私の意識が表に出てきちゃった訳で。
私は私で、起きてきて早々、自分がしてもいない借金をおっかぶされて楽器を仕込まれているんだから、だんだん腹が立ってきていた。
なによりも、登紀子にあれだけ執着を見せてきた攻略対象たちがひとりも助けに来ない。なんなんだ、お前らのヤンデレムーブは見せかけだけだったのか。他人様を謀殺したり誅殺したりいろいろしたりしたのはなんだったのか。
でも逆に考えれば気が楽になっていた。
前世のときは、もし私がしっかり稼いで奨学金を返済しなかったら、親を巻き込んで奨学金返済をしないといけなかったのだから、プレッシャーが半端なかった。でも今回の借金は違う。親が勝手におっかぶせた借金なんだから、年季明けるまで働けば終わるだろう。よくも悪くも登紀子は借金おっかぶされていても健康状態はすこぶるよろしく、おかげで体は丈夫なんだから、ここで働き詰めでも前世の私のように死ぬことはないだろう。
その日の仕込みを終えて、くたくたになって置屋に帰ると、「お疲れ様」ととたとたとこちらに寄ってきた子がいた。
私と同時期に仕込みのはじまった子だ。たしか今は「しおん」と名乗っていた。
「お疲れ様……今日もお師匠さん厳しかったね」
「本当にね」
「嘘ぉ、しおんは楽器ものすごく上手かったじゃない」
実際に聞いていてびっくりしたけれど、仕込み中の女の子たちの中で、しおんだけは頭ひとつ分抜きん出る三味線の腕前をしていた。それにしおんはころころと笑う。
「うちのお母さんも、売り飛ばされて仕込まれてたから。おかげで小さい頃から、なにかあったら三味線弾いてくれてたのよ」
「なるほど……お母さんもここで?」
「うーん、同じ置屋かまでは知らないけれど。それに、今のほうが楽しいし。百姓だったら、綺麗な着物を着ることも、楽器を弾いたらお金をもらえることもなかったから」
なるほど。ときをとしおんは真逆なんだ。
ときをからしてみれば、借金まみれになって親に売られた不幸なお嬢様だけれど、しおんからしてみれば、農村から仕事にやってきて立身出世した……みたいな感じなんだな。
幸せも不幸も、人それぞれだよね。
私がそう素直に感心していたところで、置屋のほうに「ふたりとも、早く上がれ」とぶっきらぼうに声をかけられた。
伸ばしっぱなしの髪をひとつで括った青年は、がたいがよく、質素な長法被にステテコ姿で腕を組んで待っていた。うちの置屋で働いている男衆の孝雄だ。孝雄の姿を見た途端に、しおんがぽっと顔を赤くする。
そうか、この子のタイプはこういういかついのかあ……まあ、私の前世で遊んでいた乙女ゲームは基本的に柳風な体格が多かったものの、一定数ずっしりとした体格の人が持てはやされていたもんなあ……『華族ロマネスク』はゲームコンセプトのせいか、あんまり体格がいい人はいなかったものの。
このふたりの仲を見ていると思わずしんみりとしてしまうのは、登紀子にもそんな顔をする相手がいたということを思い出すからだ。
登紀子がまだ幸せで、普通に婚約していた頃。入り婿になる予定だった彼と、遊びに行っては頬を染めていたのだ。
乙女ゲーム補正がかかっているとはいえど、華族のお嬢様が大手を振って恋人と遊びに行ける時代ではなく、せいぜい親戚周りをした際に、大きな屋敷の庭を散策するのが関の山だった。
借金が原因で婚約が破談になってからは、シナリオからも完全に姿を消してしまい、現在どうなっているのかがわからない。あの人は次男だったから、家を出て行って働いているか、既にどこかいい家に入り婿に出ているかもしれないけれど。
攻略対象たちは外面だけはいいから、彼らに深く関わりさえしなかったら無事平穏に生活できるとは思うけれど。
そう回想するものの、その気持ちをふっと鎮めてから、もじもじしてしゃべれないしおんに代わり、私が彼に声をかけた。
「ありがとう。でもどうかしたの?」
「……この数日、不審な人影が見られるから、芸妓の姉さんたちにも仕込みたちにも、注意勧告を出してるんだ。あんたたちももうそろそろしたら座敷に上がるんだろう? それまでに大事にされたら困る」
「あ……」
それにはギクリとなった。
江戸時代の吉原だったら大門を閉じることで、夜中に不審者の侵入を許さないようになっていたけれど、大正時代は芸妓の不自由さが問題になって、その手のセキュリティーが存在していない。つまりは、不審者が来ても、防ぎきることが難しいのだ。
商売道具である体を傷付けられた女は、それはそれは悲惨なことになる。売り物にならない女を置いておく訳にもいかないが、ただで解放する訳にもいかないからと、そうなったら女郎屋に堕とされる……置屋は仕込みが厳しいだけで、まだ女郎屋よりも人権はある。女郎屋に堕とされた女が年季まで生きて吉原を出られることは、本当に稀なのだ。
おまけに。私は前世の記憶のせいで、不審者にひとりふたりどころじゃなく、心当たりがあった。
……いつまで経っても助けに来ないと思っていた攻略対象の誰かが、登紀子を探して人を雇ったんじゃないだろうなあ。
出てくる攻略対象たちのヤンデレ具合を知っているせいで、私はだんだんと背筋に冷たいものが流れていくのを堪えた。
「ときをさん?」
しおんに声をかけられて、私ははっとした。彼女は心配そうにこちらを見ている。
「なんでもないわ。それにしても怖いわね、充分気を付けないと」
「ああ。だから、さっさと入ってくれ。俺も他の仕込みが帰ってきたのを確認してから、姉さんたちを座敷にまで送らないといけねえから」
「ええ……帰ろう、しおん」
「はい」
空は既に沈みかけている。
吉原はこれからが稼ぎ時だが、私たちはまだその時期ではない。もうしばらくしたら座敷に上げられるが、それまでは。
大正時代の吉原で売られたら、一定時間の仕込み期間を経て座敷に出される。
出されるのはお茶屋とか旅館とかいろいろあるけれど、元が乙女ゲームだから、そこまで深くは考えなくてもいいらしい。
売られた芸妓はその中で呼ばれた分だけお賃金を得て、その稼ぎが借金返済に宛がわれる。借金返済が完了するか、年季……置屋で一定期間働かないといけない期間のことだ……が明けるかしたら、売られた娘も無事に解放される。
完全歩合制のキャバクラと、一定期間働かないと駄目な芸妓、どっちがマシなのかは私だと判断ができないけれど。
とにかく座敷に出すまでにある程度のレベルにするために、売られた子たちは皆それぞれ仕込みがはじまった。
本当だったら仕込み期間が長いのは、もっと若い子なんだけれど。ここは乙女ゲームだから細かいことは考えない。
「ほら、背筋を伸ばして! きちんと三味線を持つ!」
「はいっ!」
「ちゃんと持って! こんなへっぴり腰でお客さんの前に座れません!」
「はいっ!」
芸事のお師匠さんたちは皆厳しく、私だけでなく、仕込み中の女の子たちの過半数は涙目だった。中には怒られるのに怖がったせいで、お師匠さんを見た途端に楽器が弾けなくなるような子までいる始末で、その子はすごい勢いで叱り飛ばされていた……もし前世であったら、モラハラだと糾弾されそうな勢いだった。
私からしてみたら着慣れない着物で正座をするというだけでもきついというのに、楽器を覚えないといけないというのがなかなかにつらかった。
音が外れれば怒鳴られる。一曲通して弾いても「こんな曲で姉さんたちが踊れますか!」と叱られる。一長一短で楽器は上手くならないから難しい。
毎日毎日、着物で正座で楽器の稽古と、朝から晩まで仕込みに明け暮れている上に、移動中は普通に寒い。仕込み中の子たちで雑魚寝は狭いと、さんざんな毎日だった。
三味線とばちを持ってようやく荒れてきた手は、家事ひとつしたことがない白魚のような手だった。気の弱く世間知らずな登紀子は、女学校の先生からすらそこまで厳しく指導を受けたことがないから、毎晩毎晩枕を泣き濡らしていただろうに、私が目が覚めてからというものの、彼女の意思をちっとも感じない。
……元々ルートによっては、世間の残酷さを一心に浴びて心を病んでしまうくらいに臆病な性格なんだから、いきなり実の親に売られたとなったら、メンタルが持たなくって精神死しちゃったんじゃないかなあと思う。だから前世の私の意識が表に出てきちゃった訳で。
私は私で、起きてきて早々、自分がしてもいない借金をおっかぶされて楽器を仕込まれているんだから、だんだん腹が立ってきていた。
なによりも、登紀子にあれだけ執着を見せてきた攻略対象たちがひとりも助けに来ない。なんなんだ、お前らのヤンデレムーブは見せかけだけだったのか。他人様を謀殺したり誅殺したりいろいろしたりしたのはなんだったのか。
でも逆に考えれば気が楽になっていた。
前世のときは、もし私がしっかり稼いで奨学金を返済しなかったら、親を巻き込んで奨学金返済をしないといけなかったのだから、プレッシャーが半端なかった。でも今回の借金は違う。親が勝手におっかぶせた借金なんだから、年季明けるまで働けば終わるだろう。よくも悪くも登紀子は借金おっかぶされていても健康状態はすこぶるよろしく、おかげで体は丈夫なんだから、ここで働き詰めでも前世の私のように死ぬことはないだろう。
その日の仕込みを終えて、くたくたになって置屋に帰ると、「お疲れ様」ととたとたとこちらに寄ってきた子がいた。
私と同時期に仕込みのはじまった子だ。たしか今は「しおん」と名乗っていた。
「お疲れ様……今日もお師匠さん厳しかったね」
「本当にね」
「嘘ぉ、しおんは楽器ものすごく上手かったじゃない」
実際に聞いていてびっくりしたけれど、仕込み中の女の子たちの中で、しおんだけは頭ひとつ分抜きん出る三味線の腕前をしていた。それにしおんはころころと笑う。
「うちのお母さんも、売り飛ばされて仕込まれてたから。おかげで小さい頃から、なにかあったら三味線弾いてくれてたのよ」
「なるほど……お母さんもここで?」
「うーん、同じ置屋かまでは知らないけれど。それに、今のほうが楽しいし。百姓だったら、綺麗な着物を着ることも、楽器を弾いたらお金をもらえることもなかったから」
なるほど。ときをとしおんは真逆なんだ。
ときをからしてみれば、借金まみれになって親に売られた不幸なお嬢様だけれど、しおんからしてみれば、農村から仕事にやってきて立身出世した……みたいな感じなんだな。
幸せも不幸も、人それぞれだよね。
私がそう素直に感心していたところで、置屋のほうに「ふたりとも、早く上がれ」とぶっきらぼうに声をかけられた。
伸ばしっぱなしの髪をひとつで括った青年は、がたいがよく、質素な長法被にステテコ姿で腕を組んで待っていた。うちの置屋で働いている男衆の孝雄だ。孝雄の姿を見た途端に、しおんがぽっと顔を赤くする。
そうか、この子のタイプはこういういかついのかあ……まあ、私の前世で遊んでいた乙女ゲームは基本的に柳風な体格が多かったものの、一定数ずっしりとした体格の人が持てはやされていたもんなあ……『華族ロマネスク』はゲームコンセプトのせいか、あんまり体格がいい人はいなかったものの。
このふたりの仲を見ていると思わずしんみりとしてしまうのは、登紀子にもそんな顔をする相手がいたということを思い出すからだ。
登紀子がまだ幸せで、普通に婚約していた頃。入り婿になる予定だった彼と、遊びに行っては頬を染めていたのだ。
乙女ゲーム補正がかかっているとはいえど、華族のお嬢様が大手を振って恋人と遊びに行ける時代ではなく、せいぜい親戚周りをした際に、大きな屋敷の庭を散策するのが関の山だった。
借金が原因で婚約が破談になってからは、シナリオからも完全に姿を消してしまい、現在どうなっているのかがわからない。あの人は次男だったから、家を出て行って働いているか、既にどこかいい家に入り婿に出ているかもしれないけれど。
攻略対象たちは外面だけはいいから、彼らに深く関わりさえしなかったら無事平穏に生活できるとは思うけれど。
そう回想するものの、その気持ちをふっと鎮めてから、もじもじしてしゃべれないしおんに代わり、私が彼に声をかけた。
「ありがとう。でもどうかしたの?」
「……この数日、不審な人影が見られるから、芸妓の姉さんたちにも仕込みたちにも、注意勧告を出してるんだ。あんたたちももうそろそろしたら座敷に上がるんだろう? それまでに大事にされたら困る」
「あ……」
それにはギクリとなった。
江戸時代の吉原だったら大門を閉じることで、夜中に不審者の侵入を許さないようになっていたけれど、大正時代は芸妓の不自由さが問題になって、その手のセキュリティーが存在していない。つまりは、不審者が来ても、防ぎきることが難しいのだ。
商売道具である体を傷付けられた女は、それはそれは悲惨なことになる。売り物にならない女を置いておく訳にもいかないが、ただで解放する訳にもいかないからと、そうなったら女郎屋に堕とされる……置屋は仕込みが厳しいだけで、まだ女郎屋よりも人権はある。女郎屋に堕とされた女が年季まで生きて吉原を出られることは、本当に稀なのだ。
おまけに。私は前世の記憶のせいで、不審者にひとりふたりどころじゃなく、心当たりがあった。
……いつまで経っても助けに来ないと思っていた攻略対象の誰かが、登紀子を探して人を雇ったんじゃないだろうなあ。
出てくる攻略対象たちのヤンデレ具合を知っているせいで、私はだんだんと背筋に冷たいものが流れていくのを堪えた。
「ときをさん?」
しおんに声をかけられて、私ははっとした。彼女は心配そうにこちらを見ている。
「なんでもないわ。それにしても怖いわね、充分気を付けないと」
「ああ。だから、さっさと入ってくれ。俺も他の仕込みが帰ってきたのを確認してから、姉さんたちを座敷にまで送らないといけねえから」
「ええ……帰ろう、しおん」
「はい」
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