凶悪ハニィ

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【本編】

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 一体どのくらい、そうやってただ抱き合っていたんだろう。
 痛みの感覚が引いて、ただ圧迫感だけが残るようになるまでだから……多分結構経っていると思う。
 池田はただ寄り添って、俺の息が整うのを待っているようだった。
 右手が肩口を撫でて、ギプスの左手指があやすように内腿を辿る。
 と、
「ん……ッ、ちょ、動かすなッ、」
 ゆったり腰を揺すられて、閉じていた目が反射的に開いた。
 治まっていた痛みが目を覚ます予感に身体が震える。
「動かさなきゃいけねえじゃん……つって、本当はこのままでも十分いけそうなんだけどさ。ちょっとそろそろ理性も限界っていうか、切れて無茶苦茶やっちまわねえように、ちょっとだけ動かさして」
「は……ッ? え、や、ちょ……ッ」
 甘えるようにねだる声だが、その内容がとんでもない。
 死刑宣告めいた恐怖のおねだりに慄く間もなく、ゆっくりと、少しだけ進入が退いていく。
「つ……ッ、う」
 少し引いては奥まで戻り、また少し退いては進入を繰り返す。
 ゆらゆらと揺蕩うような波の動き。
「ん、んぅ……」
 眠りを誘うような緩やかさで、やわやわと浅く繰り返される。
 掌が頭を、額を、頬を、胸を撫でてくる。
 唇が耳朶に、顎に、目尻に、首筋に寄せられる。
 浅く引いて、深く戻ってくる。
 違和感の後退に身体がほっとする間もなく、奥まで押し広げられて首が仰け反る。
 優しいだけだった動きが、芯を持ち始める。
「ん、んぁ、あッ、は……ッ」
 腹の中をずるずると灼熱の塊が行き来する。
 その熱に、頭の中が熔かされる。
 引いては押し込み、退いては侵略する。
 さんざ指で引っ掻き回されて喚いた箇所に、時折痺れのような疼きが走る。
 肉が掠めて電流を起こす。
 痛い。
 痛い。
 痛いのに。
 ……痛いだけじゃない。
「くろ、くろ、あんま動ッ」
 思考が波に呑まれる。
 深度が増す。
 深く引いて、深く戻ってくる。
「……流石に、立て続けに三回は、無理か」
 しょんぼり項垂れた股間に手を伸ばして、池田は独り言のように「残念」と呟いた。
 波の動きが繰り返される。
 浅く引いて深く戻る動きから、深く退いて深く侵略する動きへ。
 突き入れられるたびに身体がゆれる。
 ゆらゆらというにはぎこちなく、激しい。
 思考が焼き尽くされる。
 波の動きに攫われる。
 怖い。
「くろ、や、やだ、怖、あ……ッ、」
 怖い。
 何も考えられなくなるのが怖い。
 痛い。
 痛いだけじゃないのが怖い。
 頭を抱きこまれて、堪らず目の前の胸に額を押し付ける。
 身体に手を回して爪を立てる。
 上半身は優しく労わってくるのが分かるのに、下半身は容赦が無い。
 深く引いて、深く戻る。
 何度も。
 何度も。
「ごめんな涼二」
 宥めるように頭が擦り寄ってくる。
 ベッドがぎしぎし悲鳴を上げている。
 囁きかけてくる池田の言葉が、もう聞こえない。
「けどオレ、決めてたんだよ。お前は抱くって……ずっと前から」
「や、やだ、あッ、あ、あ……ッ」
 思考が侵略される。
 頭の中が犯される。
 混ざり合う体温に眩暈がする。
 縋り付くからだが熱い。
 穿ってくる肉があつい。
「あ、あ、や、やだ……ッ」
 打ち付けられる振動が下肢から全身に響く。
 深く深く深く。
 熱の塊が膨張して、
「や、あ……ッ!」
「ッ、」
 弾ける。
 波というよりは嵐の動きは、唐突に緩やかになって……それから止まった。
 荒い息に喘いでうっすら目を開くと、押し留めていた涙がぼろぼろ落ちた。
 緩慢な動きで池田が身体を引き起こす。
 眉間に皺。
 肩で息をしている。
 硬く目を閉じて痛みに耐えるようなその表情は、壮絶に色っぽい。
 余裕の無いその顔を見て、翻弄されたのが俺だけじゃないのだと分かって、不思議と安堵した。
 顎から離れた汗が鎖骨に落ちてきた、その感触にすら。
「……風呂、入れてやろっか?」
 額に張り付いた前髪を払いながら、池田がうっとり微笑みかけてきた。
 嫌だと訴えるのをさんざ無視して好き勝手したくせに、反省の色など微塵も感じられない幸福そうな微笑。
 毒気を抜かれる。
 腕を振り上げて殴り付けたい気もするけど、そんな体力はもう残っていない。
「……いい。もう指一本も動かしたくない」
 ふいと顔を背けてそう訴えた後のことは……覚えていない。


 *****


 目覚めると腕の中だった。
 ゆるゆると目を開いて、最初に目に飛び込んできたのは喉仏。
 最初それが何か分からずぼんやり眺め、次に瞼が全開した。
「……ッ!」
 気分的にはがばりと跳ね起きるくらいの驚きだったけど、実際は身体がびくんと痙攣しただけに終わった。
 がっちりと肩に腕を回されていた所為だ。
 俺が池田に抱き枕にされているのか、池田が俺に腕枕をしているのか分からない格好。
 目だけで頭上を確認してみれば、瞼はぴたりと綺麗に合わさって灰色の目は隠れていた。
「玖朗……?」
 そっと呼びかけてみるが、反応は無い。
 寝てる。
 本当に眠っている。
 今まで池田の寝顔を見たことは幾度となくある。
 ただそのどれもが、本当に寝ているのかタヌキ寝入りなのか判別し難いものばかりだった。
 ぱちりと唐突に開かれるその目に、寝起きの余韻が残っていたことは一度も無い。
 そんな池田が、目の前でささやかな寝息を立てていて、呼びかけても無反応。
 酷く無防備なその姿に、咄嗟に目を逸らした。
 見てはいけないものを見てしまった気分だ。
「……」
 少し考えて、それから肩にかかる腕をそっと、そーっと退ける。
 叩き起こすには忍びない穏やかな寝顔。
 俺は多分、今ここに居たらいけない。
 池田は多分……無防備な姿を見られたくないタイプの人間だ。
 野生の獣みたいに。
 だったら気付かれないうちに、そっとベッドを抜けたほうがいい。
 そう思い身を捩った瞬間――
「い……ッ!」
 有り得ない場所がずきんと痛み、思わずベッドに突っ伏した。
 何でこんなところがと手を遣りかけて硬直、早送りの引き潮みたいに頭から音を立てて血の気が引いていく。
 大変なことを思い出した。
 昨夜の記憶。
 ところどころ抜け落ちてはいるけど、断片的に思い出されるその内容がとんでもない。
 とんでもない。
 別の意味でベッドから逃げ出したくなり、痛むケツを抑えながらもかさかさ移動した。
 また服を着ていない事実に慌てて視線を巡らせ、床にほっぽり出されていたパンツをむんずと掴む。
 馬鹿だ俺は。
 さんざ好き勝手されといて、無防備な獣を気遣ってそっとベッドを抜けようなんて……どんだけお人好しなんだそれただのアホだろ。
 俺は良い子だが、アホの域に達するほどのお人好しではないはずだ。
 今のはそう、寝起きのはっきりとしない思考がそうさせた……そうだそうだ、きっとそうだ。
「……逃げよう」
 ぽつりと呟き、ベッドを降りる。
 と思いきや、膝が笑って転がり落ちた。
 慌てて背後を確認してみるが、池田はぴくりともしていない。
 そうかそうか、久々の発散は物音に気付かない気付けないくらい寝入ってしまうほど好かったか人のケツさんざ引っ掻き回して……しね。
 ぎりぎり背後を睨み付け、それでも逃げ腰の俺は格好悪いことだろう。
 けど、もう昨日の醜態以上に格好悪いことなどないと思えるから、そんなものへっちゃらだ。
 途中でスウェットを拾い、タンクトップを拾い、這い蹲って部屋を抜ける。
 まさか、人様のお宅で匍匐前進とかする日が来るなんて思いもしていなかった。
 昨夜以上の醜態などそうそう無いとは思いつつも、あまりの格好悪さに既に涙目だ。
 部屋から抜けきってそっと扉を閉じると、ほっと息が漏れた。
 どうしよう。
 今すぐ逃げ出そうにも、身体がいうことをきかない。
 痛みを堪えて立ち上がろうにも、すぐに膝から力が抜ける。
 腰が、ケツが、痛くて重くて堪らない。
 ともすれば気力が尽きて気を失いたくなる。
 人様の家の中でパンツ握り締めて気絶とか、絶対に嫌だ。
 今すぐ逃げ出したい。
 けど、それは無理だと身体が言っている。
「……どうしよう」
 這い蹲りながらもぽつりと零すが、咄嗟に妙案なんて思い浮かばない。
 ぐっすり寝入ったあの様子なら、池田も暫くは起き出してはこないだろう……そう思うけど、リビングのソファで身体を休める気は起きなかった。
 池田と顔を合わせるのが怖い。
 どんな顔をしたらいいのかが分からない。
 赤くなればいいのか青くなればいいのか、いっそ死人のように真っ白に燃え尽きればいいのか。
「……さいっあくだ、」
 また一人で悪態を零し、カウンタに縋るようにして身体を起こす。
 と、昨夜ほっぽり出したままで後悔していた携帯電話が目に入った。
 綺麗な飴色のそれが、朝の光に艶々輝いている。
 咄嗟にそれを捕まえる。
 そうだ、逃げ出すのは後からでも遅くない。
 幸い、池田は離れていても連絡の取れる便利なものを、頼んでもいないのに与えてくれたじゃないか。
 一先ずどこかに隠れて、身体の調子が少し良くなったらこっそり部屋を抜け出そう。
 それではさようなら、と、ほとぼりが冷めた頃に外からメールを入れれば、全てが終わる。
 あとは隠れる場所さえ確保できれば……
「……トイレは、だめだな」
 風呂場もすぐに見つかる。
 ベランダに出ていても良いけど、いつ池田がひょっこり出てくるか分からないから落ち着けないだろう。
 池田が普段寄り付かなくて、更には殆ど手もつけないような……そんな、すっかり存在感のなくなったところは……
 きょろきょろ辺りを見回すと、ふと客間の扉が目に留まった。
 と同時に、ぱちんと名案が閃いた。
 壁伝いによたよたと移動、服と携帯だけはしっかり持って。
 明るい部屋の中でも扉を閉じれば漆黒に包まれるそこに、ずるりと身体を滑り込ませる。
 ちっちゃい身体で良かったと思ったのは、初めてのことだ。
 しっかり扉を閉めてうつ伏せに転がると漸く肩から力が抜けて、緩やかに意識が遠のいた。






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