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【本編】
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しおりを挟むどうしよう、予定が狂った。
そう思う以上に、目の前にある光景に動揺していた。
「くろ、出かけるって……まさか、」
これで?
愕然と呟く俺に池田はあっさり頷き、運転席から手招きしてきた。
「おう。早く乗れ」
「乗れって……」
車だ。
片手片足不自由の池田が、さも当然みたいな顔をして運転席に納まっている。
左腕のギプスと左足のギプスが、物凄い違和感。
変な光景。
怪我人が運転席に居るのって、とんでもなくおかしな光景だ。
「いや、やめとこうよ、危ないよ」
「危なくねえよ。大丈夫だよ」
信じられるか。
怪我人の運転する車になんて、ほいほい乗れるわけがない。
勢い余って二人で心中なんて、洒落にならない。
絶対にいやだ。
無言の抵抗とばかりにじりじり後退すると、池田の目に剣呑な色が浮かぶ。
けど、睨まれたっていやなものはいやだ。
池田の部屋から失踪ならば兎も角、この世から失踪しかねない。
俺が消えたいのは池田の部屋からであって、この世からじゃない。
まだ死にたくない。
「で、電車にしようよ。鈍行でとことこどっか行くのも楽しいよ多分」
「やだよ。人ごみ嫌いだもん」
だもん、なんつって唇を尖らせたって、ちっとも可愛くない。
全開にした窓枠に右腕を引っ掛けた池田が、軽く身を乗り出すようにして睨んでくる。
その手が差し出されて、俺の左腕を掴んでくる。
「このまま引っ張り込まれたいか? 強引なのが好きなんだな。よし分かった今後の参考にする」
ちらりと舐めるような上目遣いが、不穏な色を湛え始めた。
池田は意外と短気だ。
兄貴の友達というだけはある。
デートなんて甘酸っぱい単語を使ったわりに、その態度はやくざの脅迫のそれだ。
薄情そうな灰色の目が、煮え切らない態度の俺をじっと見ている。
「う、後ろ! 後ろ乗って良い? 運転席のッ」
腕を掴んでくる手にぐっと力が篭った。
その瞬間、引っ繰り返った声が飛び出した。
「後ろ? 何で?」
「や、事故った時の死亡率の関係で……」
「死亡率の一番高い助手席に乗れ」
「……」
容赦ない。
池田は本当に、容赦が無い。
というか、年甲斐が無い。
兄貴以上に、年下に接する態度に大人げが無い。
半泣きで渋々助手席に乗り込めば、満足げに一つ頷き、移動棺おけが動き始めた。
怖い。
とんでもなく怖い。
鼻歌混じりでマンションの駐車場から出ようとする池田の顔を、ちらちらちらちら盗み見てしまう。
何かあったときには、アクション映画みたいにドアから転げながら脱出しないといけなくなるんだろうか。
俺はどちらかといえば運動神経は良い方だけど、流石にそんな命がけの真似はしたくない。
死ぬなら一人で死んで、お願いだから池田。
懇願するその思いが通じたのか、池田がちらりと横目で視線を寄越してきた。
「んな顔すんなって。これオートマだから片手片足で十分なんだよ。運転つまんないけどな、仕方ない」
「……」
つまるとかつまらないとか言っている時点で、俺と思考の次元が違う。
ああ、外の光がまぶしい。
とうとう公道に出てしまった絶望感に、せめてと命綱となるシートベルトを握り締める。
何か気も遠くなってきたけど、気を失って目覚めたらあの世でしたなんて冗談じゃないから、根性で目は開けておく。
「……何処行くんだよ」
既に疲れきった気分でぐったりシートに背中を預け、問いかける。
池田は悠々片手でハンドルを繰りながら、そうだなと呟いた。
のんびり肘置きに左腕を預け、ゆったりとシートに納まるその姿が憎らしい。
下々のものを恐怖に陥れる魔王の貫禄だ。
「どこ行きたい? なんならこのまま遠出しようか」
「……家に帰りたい」
「はい却下。次」
「……」
遠出なんて、とんでもない。
そして、渋る俺に対する池田の態度もとんでもない。
不貞腐れて黙り込むと、ギプスの付いた左手が軽く頬に押し当てられてきた。
「大丈夫だって。オレが政一の弟に怪我させるわけないだろ。信用しろ」
「……」
「お前が行ったことあるとこ行こっか。思い出めぐり。旅行とか。どこ行った?」
「……旅行とか、あんま行ったこと無い」
不貞腐れたままにもぽつりと返事をすると、池田は「あらま」と呟いた。
うちは自営業だから、家族旅行なんてとんと縁がなかった。
それでも小さい頃はちょこちょこどこかに連れてってもらっていたように思うけど……正直、あんまり覚えていない。
親が居なくなった四年前からは、兄貴は仕事一筋で旅行の「りょ」の字も話題には挙がらなかった。
ていうか、兄弟二人で旅行ってのも微妙だしな。
「旅行らしい旅行で覚えてるのって、中学の修学旅行くらいかな……」
「どこ行った?」
「京都と大阪。寺巡りとUSJ」
景色が流れていく。
車なんて久しぶりに乗った。
漸くちょっと外を見る余裕が出てきた。
信用しろと言った手前か、池田の運転は優しかった。
信号に引っかかって止まるときも、殆ど振動しない。
発進の時も。
「神戸は?」
「行ってない」
「そりゃ残念。いいとこだぜ。オレ好きなんだ」
短い俺の返事に気を悪くする風もなく、池田が軽く笑った。
「修学旅行、楽しかった?」
「楽しかったことは楽しかったけど……」
楽しい以上に、淋しかった。
周りの友達が家族に山ほど土産選んでる中で、まるで取り残されるような気分を味わった。
家に帰ったって待ってるのは兄貴一人で、その兄貴は甘いものは一切食わない。
土産物屋で売ってるものなんか、饅頭だのなんだのと甘いものばかり。
うけ狙いで木刀なんて買おうものなら実用されそうで恐ろしくて手が出なかった。
散々悩んで買って帰ったのって、京都の漬物だったっけ。
旅行自体は楽しかったけど、正直あまり思い出したくない。
何となくしんみりとした気分になってしまい、気を取り直すように頭を振った。
もしかしたら今日死ぬかもしれないのに、じめじめするのはいやだ。
どうせ死ぬなら楽しいこと思い出しながら死にたい。
「玖朗は?」
「ん?」
声の調子をからりと変えて問いかけると、前を見たまま池田が軽く小首を傾げた。
「修学旅行。どこ行った?」
しんみりした俺の思い出話を語るより、楽しかった池田の思い出話を聞く方が余程良い。
窓の外に向けていた目を車内に戻し、心もち身を乗り出す。
池田は軽く思案するように左手の指で顎を撫でた。
「オレは、中高は行ってねえしなー……小学校ん時は伊勢だったな。見たことある? 夫婦岩」
「え。行ってないって何で……」
夫婦岩とかより、その前の台詞が引っかかった。
思わず眉根を寄せて問い返すと、苦笑するみたいに肩を竦めた。
「中坊ん時は単車で事故って入院、高校ん時は喧嘩で怪我して入院……て考えたら、オレもあんま旅行って縁ないな」
「……」
なんでもないことのように池田は言って、軽く笑った。
忘れてた。
池田は兄貴の友達だ。
しかもこの物言いからして、兄貴よりも年季の入ったヤンキーだ。
高校デビューの兄貴のヤンキー暦は、精々三年弱だが……中学で既に単車で事故ったと告白した池田は少なく見積もっても兄貴よりも一年以上は長くグレていたってことだ。
そういえば、兄貴も高二の時に派手に喧嘩して入院したことがあった。
あれも確か、修学旅行の時期じゃなかったっけな……
ランドセル背負って何度か見舞いに行ったのを覚えている。
「知ってるか? 学校行事欠席したら、その間に山ほど宿題出されんだぜ。その辺は中高一緒。別にサボってるわけじゃないのにさ、病院のベッドでしこしこ宿題してたら看護師の姉ちゃんに「真面目ねー」とかって茶化されんの。格好悪いったらなかったな」
「……それは、自業自得だと思う」
「正論で反撃するなよ」
ぽつりと呟いた俺の言葉に、機嫌よく笑っていた池田が始めてその表情を曇らせた。
むくれた顔に思わず吹き出しそうになると、その目の前で池田の顔がぱっと輝いた。
「決めた」
「何を、わ!」
と同時に急速転回、重力に負けてがくんと身体が傾いだ。
「目的地」
悪戯を思いついた子供の顔で池田が笑う。
ぐん、とスピードが上がって後頭部がシートに押し付けられた。
「どこに?」
「神戸。オレのお勧めの地」
「はあッ?」
遠いよ!
無意識のうちにシートベルトを握り締め、素っ頓狂な悲鳴を上げる。
「やだよ! 遠いよ危ないよ! 死ぬよ!」
「死なないよ」
目標を定めた後の行動は、早い。
つい先程までの眠たくなるような運転から激変、ヤンキーの本性丸出しの顔をして池田がステアリングを繰る。
片手運転の癖に、容赦が無い。
「今からぶっ飛ばせば夜には向こうに着く。そのままどっか宿取って、明日は観光な。いいとこだぜ神戸。京都とはまた違った情緒があって」
「電車にしようよ! 行くなら電車が良いよ! 電車の方が安全だよ! 新幹線ならたったの三時間だよッ?」
「やーだね」
泡食ってわあわあ喚く俺に、池田は全開の笑みで舌を出した。
一瞬にして頭から血の気が引いていく。
暴走する池田を止めたいが、運転する人間に触るわけにもいかず……上げた手は中途半端に宙をうろうろするだけだ。
そうこうしている間に車はあっという間に高速道路に飛び込み、気が遠くなった。
貧血を起こしてぱったりシートに倒れれば、ふと頭の中でぱちんと音がした。
「……」
今からぶっ飛ばせば夜には着くと言っていたということは、移動時間は七時間くらい。
明日一日観光してそのまま帰って来たとしても、こっちに戻ってこられるのは……明後日だ。
明後日。
やばい。
別の意味で背筋が寒くなってくる。
完全に逃げるタイミングがなくなった。
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