独裁者・武田信玄

いずもカリーシ

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【最終章 西上作戦】 武田家を滅ぼす策略に抗うべく、信長と家康打倒を決断す

第六十五話 徳川家康の生命線、高天神城

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遠江国とおとうみのくにの南に高天神山たかてんじんやま[現在の静岡県掛川市]という山がある。
標高は100メートル程度しかないものの、山全体が急斜面のために攻めづらい地形となっている。

この地域を治める国衆くにしゅう[独立した領主のこと]であった小笠原おがさわら一族は……
山のふもとを流れる一つの川に注目した。

「この川は菊川きくかわに合流し、遠州灘えんしゅうなだという海へとつながっている。
この場所に船着き場を設ければ……
難攻不落の城に守られた、海へとつながる港ができるではないか。
遠江国とおとうみのくにの支配者は必ず、我ら一族に対して『一目置いちもくおく[相手が自分よりも優れていると認めて敬意を払うという意味]』に違いない!」
と。


あの今川義元いまがわよしもと一門衆いちもんしゅうと同じほどに扱い、徳川家康は近隣の国衆くにしゅうたちの筆頭として扱っている。

高天神城という難攻不落の城に守られた、海へとつながる港を……
国の支配者がどれだけ『重要視』していたかお分かり頂けただろうか。

 ◇

「この高天神城たかてんじんじょうを、全軍で直ちに落とすことです」

四郎しろう勝頼かつよりの発言は大きな波紋を呼ぶ。
周囲の者たちから様々な声が上がったが、どれも否定的なものばかりであった。

「高天神城は……
西ではなく東にある城であろう?」

「我らは、『西上作戦』とごうして西へと向かっている。
東へと向かうのは逆方向ではないか」

「それに高天神城は……
浜松城と違って山地の城では?」

「『難攻不落の地形に恵まれた城を攻めれば、大きな犠牲が出よう。
高天神城などほっておけ』
信玄様も、こう申されていたではないか」

などと。

 ◇

ただし。

一人、敏感に反応した男がいる。
勝頼の父・武田信玄である。

「勝頼よ。
高天神城は、それほどまでに重要な城だと申すのか?」

「『徳川家康の生命線』です」
「何っ!?
なぜ、そうなる?」

周囲の者たちの声が一斉に止んだ。

 ◇

「生命線とは……
鉄砲を撃つのに必要な、弾丸と火薬の補給線のことです」

「弾丸と火薬の補給線?
詳しく説明してくれ」

「弾丸と火薬を作る原料のなまり硝石しょうせきは、南蛮人なんばんじん[スペイン人とポルトガル人のこと]から買うしかありません。
そこで日ノ本ひのもと各地の武器商人たちは……
なまり硝石しょうせきを得るために、価値のある金や銀に加えて同じ日ノ本の人を奴隷として売り渡す『南蛮貿易なんばんぼうえき』という醜悪しゅうあくな取引をしています」

貿?」
「父上!
武器商人どもは、異国の奴らに同胞どうほう[同じ日本人であること]を売り渡しているのですぞ?
売国奴ばいこくど[自分の国を他国へ売る裏切り者のこと]』どもの取引を語るのに、醜悪しゅうあく以外の相応ふさわしい言葉がありましょうや?」

「売国奴、か。
確かにそうだな……」

「この醜悪しゅうあくな取引は、さかいのある和泉国いずみのくに[現在の大阪府堺市など]、安濃津あのつのある伊勢国いせのくに[現在の三重県]、摂津国せっつのくに[現在の大阪府北部と兵庫県東部あたり]で行われているとか。
織田信長はこれら3つの国を押さえ、鉄砲の弾丸と火薬をほぼ独占しています。
肝心の織田の軍勢は浅井あざい軍、朝倉あさくら軍などへの対応で釘付けとなっていますが……
盟友の徳川家康を最大限に支援すべく、堺や安濃津などから船を回しておびただしい量の鉄砲の弾丸と火薬を送っているのです」

「要するに。
高天神城のふもとにある船着き場を経由して、家康は鉄砲の弾丸と火薬の『補給』を受けていると?」

おびただしい量の弾丸と火薬をです、父上。
この補給線を断たない限り……


周囲の者たちは依然として沈黙したままだ。

 ◇

一方で父の方は……
息子の着眼点に、ただただ驚いていた。

こんなに大事なことを見落としていたとは!


父が賛同しようとする前に……
穴山信君あなやまのぶただが反対の意見を言い始めた。
自分の意見というよりも、ただ反対意見をまとめただけであったが。

「我らは、西上作戦とごうして西へと向かっています。
東へと向かうのは逆方向ではありませんか?
しかも。
高天神城は山地の城であり、難攻不落の地形に恵まれています。
それを全軍で直ちに落とせとは非常識極まりない!
常識で考えれば浜松城か、信豊のぶとよ殿の申された岡崎城おかざきじょう[現在の愛知県岡崎市]を攻めるべきでしょう。
どちらも難攻不落の地形に恵まれていない、平地の城ですぞ」

勝頼が言い返す。
「岡崎城などもってのほか
時間の無駄だ!
徳川家康を討つか、捕らえない限り……
いつまで経ってもこのいくさの目的が『達成』できないではないか」

「……」
「加えて。
浜松城には、鉄砲を扱える兵に変えた数万の民がひそんでいると申したはずだが?」

「それはまことですかな?」
「おぬしは……
武田軍最強部隊である赤備あかぞなえを率い、武将としての本能を極めた山県昌景やまがたまさかげ殿の目が節穴ふしあなだと申したいのか?」

「い、いえ……
そういうわけではないが……
仮に数万の民が武器を手に潜んでいるとしても、民など所詮はいくさの『素人しろうと』に過ぎないのでは?」

「それで?」


「我ら武田軍が敗北する?
わしが、いつ、そんなことを申したのか?」

「え?
違うと?
勝頼殿は、浜松城は容易に落とせないと申されていたではないか」

「おぬしは何か勘違いをしているのではないか?」
「勘違い!?」

「我らは、何の『ため』に戦っているのか!
民を殺すためなのか?」

「そ、それは……」
?」

「し、しかし!
いくら民とはいえ、武器を手に取った以上……
殺されて当然では?」

「おぬしは、それでも『武人』なのか?」
「武人?」

おのれより圧倒的に弱い、いくさ素人しろうとを殺して何が武人か!
情けなや。
恥を知るがいい」

「……」
「まだあるが。
おぬしは……
?」

「ん?
『真実』?」

 ◇

「民が、真実を知った上で武器を手に取っているのか?」

相手の身になって考えることのできない穴山信君あなやまのぶただには……
勝頼の発した質問の意味が、まるで理解できないようだ。

「真実?
どういう意味で?」

「徳川家康は、一貫した意図いとを持って行動していると申したではないか。
1つ目は、圧倒的に不利な状況でも、決して滅ぼされない戦い方をすること。
2つ目は、それでも敗北する場合は、織田信長のために武田の兵を一人でも多く殺しておくこと。
この2つを満たすために……
奴は、巧みな『演説』で民を兵に変えたのだ」

「演説?」
「『浜松に住む民よ。
この遠江国とおとうみのくに大樹たいじゅ[強大な勢力という意味]であった今川家すら滅ぼした武田軍が、すぐ近くの大井川おおいがわの先にまで迫っている。
武田軍が信濃国しなののくに[現在の長野県]を侵略したとき、どんな蛮行ばんこうを働いたか知っているか?
おもだった者たちをことごとく殺し、城下の町を略奪し、その民を老若男女問わず奴隷として売り飛ばしたのじゃ!
この浜松城が落ちれば……
すべて終わりだと思え。
男は殺され、女は犯され、子供は売り飛ばされる!
浜松に住む全ての民よ!
さあ、鉄砲を取れ!
有り難いことに、日ノ本中の鉄砲の弾丸と火薬を独占した織田信長殿がおびただしい量の弾丸と火薬を送ってくれている。
遠慮せず撃って、撃って、撃ちまくれ!
そちたちの手で、父と母を、妻を、息子と娘を守れ!』
とな」

「ま、待たれよ!
勝頼殿。
信濃国しなののくにを侵略したときの蛮行ばんこうだと!?
十年以上も昔のことではござらぬか。
それも、相応そうおうの理由があってのことじゃ。
我らは徳川の多くの城を落としたが……
男を殺し、女を犯し、子供を売り飛ばしたりなどしていない!」

「さっき申したではないか。
『民が、真実を知った上で武器を手に取っているのか?』
と」

「すると。
徳川家康は……
民に真実を伝えず、言葉巧みに『操って』武器を手に取らせていると!?」

「そもそも。
家康は、圧倒的に不利な状況にある。
おのれの意図を貫くために……
なりふり構わない手段を用いるとして、何の不思議があろうか」

「……」
「奴を甘く見ないことだ。
敵を過小評価することは、ひたすら敗北へと転がり落ちる道ぞ」

あの武田四天王も、勝頼が語る度に大きくうなずいている。
勝頼の意見が圧倒的優位に立っているのは一目瞭然だ。
後は武田信玄の言葉で全てが決まる。

息子の意見に賛同しようと信玄が口を開いた、まさにその瞬間。
不運としか言えない出来事が起こってしまう。

大量の血を吐き、倒れてしまったのである。


【次話予告 第六十六話 武田勝頼と織田信長の差とは】
武田勝頼の実力は、父の信玄さえ凌いでいました。
ただし……
勝頼の持つ器用さが、『仇』となるかもしれないのです。
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