大罪人の娘・前編 最終章 乱世の弦(いと)、宿命の長篠決戦

いずもカリーシ

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第伍章 引き金、弦の章

第六十九節 焼き討ちの真の目的

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「敵襲!」
最前線の兵士を率いる指揮官の叫び声が響いている。


あるじである織田信長様の本陣が襲撃されるのは……

「戦国乱世に終止符を打ち、平和な世を達成したいとのこころざしつらぬくためならば、わしは『手段』を選ばない。
例え無関係な人々を巻き込むことになろうとも、上京かみぎょう[現在の京都市二条通の北側]の焼き討ちを実行し、腐り果てた武器商人どもを根絶ねだやしにするのじゃ!」

明智光秀、佐久間さくま信盛のぶもりはやし秀貞ひでさだ柴田しばた勝家かついえ丹羽にわ長秀ながひで木下きのした秀吉ひでよしなどの名だたる重臣を前に自身の強靭な意志を表明したあるじは……
続いてこんなことを言い放つ。

「この焼き討ちで、数千、いや数万の血が流れるかもしれん。
だが!
腐り果てた武器商人どもを野放しにすれば、どうなる?
未来永劫みらいえいごうに至るまで平和な世の達成など叶わないではないか!
だからこそ!
今ここで!
我らの手で、戦国乱世の元凶をて!
これで散々に乱れ切った日ノ本ひのもとも……
多少は『清潔』になるだろう」

続けて、こう宣言した。
「『わしは京の都にいるクズどもように……
おのればかりを安全な場所に置き、他人ばかりを危険な場所へ送り込むような、恥知らずで卑怯者になるつもりなど毛頭ない。
常に陣頭に立って己の身を危険にさらすことを心掛けようではないか」

「それは、どういう意味でござる?」
真っ先に反応したのが織田家中かちゅうで随一の猛将・柴田しばた勝家かついえだ。

「わしも、そちたちと一緒に包囲陣に加わるつもりじゃ。
堂々と本陣の旗を掲げてな」

「何と!?
それはなりませんぞ!
上京の人々はいくさ素人しろうとではあるものの、多くの武器弾薬を持っています。
堂々と本陣の旗など掲げては……


権六ごんろく[勝家のこと]よ。
素人しろうとどもを恐れる理由がどこにある?
雑魚めが、一斉に襲い掛かって来るがいい!
返り討ちにしてやるわ」

いくさ素人しろうとばかりが相手とは限りませんぞ、信長様。
裕福な武器商人たちは大勢の伊賀者いがもの伊賀国いがのくに、現在の三重県伊賀上野市付近に住む人々のこと]を抱えているとか。
忍びの術に長けた伊賀者を相手にするのは危険です。
何卒なにとぞ、安全な後方へお下がりくだされ」

「心配無用!
わしの率いる馬廻うままわり[本陣を守る兵士のこと]は数百人程度だが、今まで一緒に死地を乗り越えてきた精鋭たちばかりじゃ。
伊賀者いがもの相手に引けを取ることなど万に一つもない。
安心して上京かみぎょうの包囲を開始せよ」

「……」

 ◇

案の定……
勝家かついえ危惧きぐしたことは現実となった。

武器を手に取った者たちが、本陣の旗を見るや襲い掛かってきたからだ。
それも一度や二度ではない。

「京の都に火を放った信長が、あそこにいるぞ!
皆の者!
手薄な本陣に襲い掛かって奴を討て!」

何者かに操られた人々は執拗しつように攻めて来たが……
そのことごとくが鉄砲の狙撃によって打ち倒され、本陣に近寄ることさえできなかった。

無理もない。
鉄砲隊を率いている2人の指揮官は、その実力を信長に愛されて側近となった武将なのだから。
1人目が菅屋すがや長頼ながよりで、2人目がほり久太郎きゅうたろう[後の堀秀政]である。

長頼ながより殿と久太郎きゅうたろう殿が率いている限り……
武器を手に取った者たちがどれだけ襲い掛かってこようとも、突破など不可能に決まっている」
2人の優れた指揮を見た万見まんみ仙千代せんちよは一人こうつぶやく。

「ただし。
伊賀者いがものの集団が相手となると話は別だ。
奴らは竹束たけたば[鉄砲を弾くことができる盾のこと]を持っているし、集団の戦法にも個人の武芸にも長けている。
だからこそ信長様は……
それがしに、特殊な部隊の指揮を任せられた。
必ずやあるじを最後まで守り通して見せよう」

仙千代せんちよの言う特殊な部隊とは、どんな部隊なのだろうか。

 ◇

上京かみぎょうの包囲を開始する直前のこと。

「落とし穴を掘るだと!?」
「はい」

「待たれよ。
ここは、大勢の人が住む京の都であろう?」

「はい」
?」

「はい。
その通りです」

「踏み固められている地面に穴を掘るなど、容易ではないぞ?」
万見まんみ仙千代せんちよの作戦に対し、側近筆頭の菅屋すがや長頼ながよりは思わず作戦の困難さを指摘する。

長頼ながより殿。
信長様が陣頭に立つとお決めになったとき……
明智光秀殿が、万が一の備えとして特殊な部隊を数百人ほど遣わしてくださいました」

「特殊な部隊!?
どんな部隊ぞ?」

「普段は鉱山などで働き……
いくさではなく、穴を掘るのが『専門』の部隊のことです」

「それは金堀衆かなほりしゅうのことか?
確か、あの武田信玄が敵の城を攻める際に用いたと聞く。
城内へ通じる道を掘らせたり、飲み水を断たせたりすることで、短時間で敵の城を落とすことに成功したとか」

「その通りです。
光秀殿は、この金堀衆かなほりしゅうをもっと『大規模』に用いる方法を研究されているようで……」

「もっと大規模に?」
「敵を近付けないための穴を掘ったり、敵を殺すための落とし穴を掘ったりなどです」

「ん!?
敵を殺すための落とし穴?
あの忍びの術に長けた伊賀者いがものたちが、落とし穴の罠にまんまとまるだろうか?」

「京の都の武器商人に飼われている伊賀者いがものたちは……
他の伊賀者と違い、この京の都に『住んでいる』ではありませんか」

「なるほど!
京の都に住んでいるからこそ、踏み固められている地面に穴を掘るのは容易ではないことを知っている……
それを逆手に取って奴らを『わな』にめると?」

「はい」
「見事だ。
……」

続けて長頼ながよりは、更なる懸念について質問し始める。
「ところで仙千代せんちよよ。
万が一、数百人もの伊賀者いがものが攻めてきたらどうする?
落とし穴で殺せるのは数十人程度だぞ?」

「はい。
そこで……
味方の鉄砲隊をひそませるための穴[塹壕ざんごうのこと]も掘ろうと考えております」

「ん!?
なぜ、味方の鉄砲隊を潜ませる必要が?」

「攻める伊賀者いがものの立場になってお考えください。
竹束たけたば[鉄砲を弾くことができる盾のこと]で身を守りつつ前進している伊賀者たちは……
ある『瞬間』を待っているはず」

?」
「はい。
伊賀者いがものたちは集団の戦法にも個人の武芸にも長けているとか。
鉄砲隊の目と鼻の先まで接近し、得意の白兵戦に持ち込めれば絶対に勝つ自信を持っていると思います」

「確かに」
「そして。
落とし穴が掘られているなど夢にも思わない伊賀者いがものたちは……
勝利を確信して竹束たけたばを投げ付け、刀を抜いた瞬間!
おのれの地面が突如として消える事態に遭遇するのです」

伊賀者いがものたちは、想定外の出来事に『驚愕きょうがく』するはず」
「はい。


「その数秒の『隙』を逃さず……
ひそませた鉄砲隊の一斉射撃で伊賀者たちを一気にほふるのか!」

「お見立ての通りです」
こうして、前節において下山平兵衛しもやまへいべえはまんまと仙千代せんちよの罠にまってしまったのである。

 ◇

仙千代せんちよよ。
本陣を、よくぞ守り抜いてくれた」

「臣下として当然のことをしたまでにございます」
あるじねぎらいに対し、仙千代せんちよは謙虚な答えに徹する。

「これで。
愛娘まなむすめ』を抹殺した4人のクズどものうち、丹波たんば屋を除く3人を始末できたな」

「……」
「それに。
わしは、ただ殺すだけでは物足りないと思っていた。
みにくい身内争いで互いの足を引っ張り合い、最後は飼い犬に噛まれるような死にざまこそ……
クズどもに相応ふさわしい最期であろう」

やはり、そうであった。
これこそが焼き討ちの『真の目的』であったのだ。

「戦国乱世に終止符を打ち、平和な世を達成したいとのこころざしつらぬくため……
わしは上京かみぎょうの焼き討ちを実行し、腐り果てた武器商人どもを根絶ねだやしにするのじゃ!」

掲げている目的は、もっともらしいが……
正直なところ時期尚早である。

兵法の観点で考えれば一目瞭然のことだ。
こう書かれている。
「複数の敵と『同時』に戦ってはならない」
と。

まだ大名や国衆くにしゅうをすべて従えていないのに……
商人を敵に回して大丈夫なわけがない。

「織田信長は、武器商人をことごと根絶ねだやしにするつもりでは?」
こう疑心暗鬼に駆られた武器商人は、あるじに敵対する大名や国衆くにしゅうに武器弾薬を支援し始めるだろう。

ただ、そんなことはあるじは百も承知なのだ。
要するに。


「信長様に、ここまでの復讐をさせた『愛娘』のことを……
それがしに教えて頂きたく存じます」
前触れもなしに仙千代せんちよあるじに問い掛ける。

「良かろう」
怒りもせずあるじは要望に応えた。


【次節予告 第七十節 斎藤道三の愛娘・帰蝶】
「斎藤道三殿が、わしの元に愛娘の帰蝶を送り込んだのは……
『なぜ』だと思う?」
織田信長は万見仙千代にこう問います。
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