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第伍章 引き金、弦の章

第六十六節 非凡な人とは、どんな人か

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大和やまと屋よ。
人々が、斎藤道三さいとうどうさん松永久秀まつながひさひでという『商人』の出身をこれほどまでに嫌った理由が分かるか?」

「……」
秀吉の問いに、大和やまと屋は答えることができない。

これに対し、秀吉自身の答えは単純明快であった。
「『銭[お金]の力』で成り上がったからじゃ!」
と。

 ◇

秀吉の話は続く。

「一見すると……
銭[お金]で成功した者は、人々からうらやましがられ、たたえられ、手本とされているように見えるのだろうが。
ただし!


「……」
「しかも。
表面ではうらやましがり、たたえ、手本としているように見えるが……
腹の底では、こう思っているのじゃ。
『偶然うまくいっただけでは?
単に、運が良かっただけではないか。
どうせ汚い方法を使ったんだろう?
一度、偶然うまくいっただけで人生の成功者面されても痛々しいだけよ。
いずれ失敗するに決まっている』
とな」

「要するに。
銭[お金]で成功すれば『有名』にはなれるが、人々から好かれるわけではないと?」

「うむ」
「し、しかし!
秀吉殿。
人々から好かれない理由は、ほとんどの者が銭[お金]を稼ぐ実力が『ない』からでは?」

「……」
「ほとんどの者が貧乏人に甘んじているのは、おのれ自身に銭[お金]を稼ぐ実力がないからでしょう。
それが『辛い』から成功した者をねたみ、嫌がらせをするのです」

「一つ。
はっきりしている事実がある」

「事実?」


「……」
「同じ成功を収めながら、これほどまでに『差』が出るのはなぜじゃ?」

「銭[お金]の力で成功したかどうかだと?」
「そういうことよ。
人々は、ちゃんと分かっているのじゃ。
銭を稼ぐ実力を持つ者と……
真にたたえ、真に手本とすべき非凡ひぼん[優れた人物という意味]な人とは、全く『別物』であると」

「では……
?」

「常に『相手の立場』になって考えられる人こそが非凡ひぼんなのじゃ。
人々から好かれるか、好かれないかの分かれ道はそこよ。
うぬら上京かみぎょうの商人どもが一番欠けているところだな」

「……」
「勘違いするなよ。
常に相手の立場になって考えるのは、『弱さ』じゃない。
むしろ、いくさにおいて圧倒的な『強さ』になる」

「……」
「相手の立場になって考えられれば、相手の動きを正確に読むことができる。
常に相手よりも先手を打ち、ときに一流の策略で相手を圧倒することもできるのじゃ。
逆に。
相手の立場になって考えられなければ、相手の動きを読むことができない。
おのれの都合の良いように考えて相手をあなどり、最後は哀れな敗北をきっするだけよ」

「……」

 ◇

秀吉の話は、さらに続く。

「初めて信長様とお会いした日。
信長様は、ちょうどご自身のめいを連れて帰る途中であった。
いつになく上機嫌でおられた。
『親の教育が素晴らしいのもあったのだろうが……
わしは、常に相手の立場になって考えられる非凡ひぼんな娘を一族の中に見出すことができた。
これから手元に置いて大切に育てるつもりじゃ。
一つ心配があるとすれば、勝手に連れて帰ったことを帰蝶きちょう[信長の正妻、濃姫のこと]に怒られることかのう。
ははは!』
とな」

大和やまと屋の反応に構わず秀吉は話を続ける。
「続けて、こう申された。
『そちには優れた才能がある。
この娘と同じく、常に相手の立場になって考えられる才能がな。
わしの家臣となってその実力を存分に振るって欲しいが……
ただ、商人の出身であることは伏せた方が良いだろう。
銭[お金]の力で成功したと誤解され、人々から嫌われるかもしれん。
そうじゃ!
尾張中村おわりなかむら[現在の名古屋市中村区]の百姓の出身と偽るのはどうじゃ?
?』
とな」

「何と!?
『わざと』、百姓の出身と偽っておられるので?」

秀吉は大和やまと屋に対して声を荒げ始めた。
「すべて。
うぬらの『せい』で、わしは、尾張中村おわりなかむらの百姓の出身と偽る羽目に陥ったのじゃ!」

「我らのせいとは?
どういうことです?」

「『常に相手の立場になって考えること』
これはあきないにおいても大切なことであろう。
モノをよく知る玄人くろうと[プロ]として、モノの取引によって人を喜ばせ、幸せにすることが商いをする者の使命ではないか。
それが……
あろうことに!
相手が欲しがっていれば、相手にとって良くないモノでも平然と売って銭[お金]を儲けようとするクズども。
それどころか相手の無知に付け込み、巧妙にだましてモノを売る恥知らずなクズども。
加えて。
うぬらのように、わざわざみにくい身内争いを引き起こして兵糧や武器弾薬が必要な状況に追い込むクズどもがいるせいで!
常に買う側の立場になって考え、正直にあきないをしている者も大勢いるのに……
!」

「我ら上京かみぎょうの商人が……
自らの手で自らの地位をおとしめたとお考えで?」

「当たり前じゃ!
うぬらには、その自覚すらないのか!
うぬらの薄汚いやり方のせいで、わしは……
これからもずっと尾張中村おわりなかむらの百姓の子と出身を偽り続ける羽目に陥るだろう」

「……」
「うぬのような凡人ぼんじんでも、よく分かったか?
非凡ひぼんな御方と凡人との決定的な『違い』を」

「……」
凡人ぼんじんのくせに、必ず役に立つなど片腹痛い!
うぬには利用する価値もないわ。
加えて。
凡人のくせに、非凡ひぼんな御方の抹殺に見て見ぬ振りをした下衆ゲスめが!
そのせいで我があるじは……
おのれの使命よりも、己の復讐を果たすことを優先されてしまったではないか。


「……」
「『東』などは徳川殿や武田殿に任せ、『西』へと兵を進めて瀬戸せと内海うちうみ[瀬戸内海のこと]を押さえ、南蛮貿易なんばんぼうえきの拠点をことごとく我が物とするべきなのに!
うぬらのせいで武田が不俱戴天ふぐたいてんの敵[どちらかが滅ぶまで戦う相手という意味]となり、泥沼のいくさをする羽目に陥ってしまったのじゃ!
この無能な役立たずどもがっ!」

「そ、それは……」
「ところで。
うぬは『同族嫌悪』という言葉を知っているか?」

「同族嫌悪?
それは何です?」

「もういい。
もう死ね」

「お、お待ちを!」
「こやつらを一人残らず撃ち殺せ!」

鉄砲の発射音が次々ととどろく。
大和やまと屋とその一族の身体には無数の穴が開けられた。

 ◇

しばらく後のこと。
秀吉に内通していた加賀かが屋とその一族が、隠し通路を通ってやって来る。

「秀吉殿。
申し訳ござらん。
山城やましろ屋と丹波たんば屋に内通を疑われ……」

「で、ござるか」
勿論もちろん
筆頭の山城屋も、黒幕の丹波屋も、それがしが必ず探し出してご覧に入れましょう。
今後は、それがしが銭[お金]の力で秀吉殿のさらなる成り上がりに全面的に協力いたしますぞ!」

「それは頼もしい」
「約束通り……
皆の命は助けて頂けましょうな?」

「そうしたいところだが……
一つ、問いたださねばならないことがあってのう……」

「問いたださねばならないこと?」
「おぬしは……
抹殺した女子おなごの正体を知らなかったとのことだが?」

「それは何度も申し上げていることでござる。
黒幕は、丹波たんば屋であると」

「うむ、うむ。
それは分かっておる。
ただ、加賀かが屋殿。
どうしても気になることがござってな。
おぬしは……
?」

「そ、それは」
「要するに、おぬしは……
その娘が非凡ひぼんなのかどうかも調べず、凡人ぼんじんに過ぎないと勝手に決め付けて見て見ぬ振りをしたと?」

「えっ!?」
加賀かが屋殿。
おぬしも大和やまと屋と同様、相手の立場になって考えられない凡人ぼんじんに過ぎないようじゃ」

凡人ぼんじん
それは、どういう意味で?」

「言葉通りの意味でござるよ。
凡人ぼんじんでは、わしの役には立てないと思うが?
残念ながら……
生かしておくだけの価値がない」

「えっ!?」
「一族の者たちの命は助けてやろう。
ただ……
おぬしは、今ここで死ね。
すまんな。
安心しろ、先に地獄へ行った大和やまと屋が待っているぞ」

「なっ!?」
秀吉の最後の言葉よりも早く、後ろから突き出された刀が加賀かが屋の腹から前に飛び出していた。

「こ、これは……
一体?」
事態を飲み込めないまま加賀かが屋は絶命した。

「次は山城やましろ屋か。
包囲が未完成であるとの『嘘』を信じるとは、あやつも凡人ぼんじんに過ぎんようじゃ」

加賀かが屋の死体を前に、秀吉の独り言が周囲に響いていた。


【次節予告 第六十七節 天下人を激怒させた書き込み】
何十年か後。
天下人となった豊臣秀吉は、とある『書き込み』を見付け……
周囲が凍り付くほどの怒りを顕にします。
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