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幕間 参
これまでの大罪人の娘 第参章 武田軍侵攻、策略の章
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『策略』
必要なモノの補給を断って相手を弱体化させ、じわりじわりと相手が戦争せざるを得ない状況に追い込んだ上で、止むを得ず戦争を始めた相手を激しく非難するやり方のことを言う。
「奴らは侵略者だ!
奴らこそが平和を脅かす悪人なのだ!
正義は我らにこそある!
平和を愛する者たちよ、わたしたちと一緒に悪人を退治しようではないか!」
と。
人々を欺いて味方を増やす卑劣極まりないやり方ではあるが、このやり方を用いて戦争に敗北した指揮官をわたしは見たことがない。
これこそ最も確実で、最も犠牲の少ない、最良の戦略であるからだ!
優れた指揮官ほど戦う前から最良の戦略を練るものだが……
一方で愚かな指揮官ほど下の者に天才的な戦術、あるいは不屈の精神を求める傾向があり、最後は無惨な敗北を喫するのをよく目にする。
要するに無能で、他人任せ、他力本願なのだろう。
何の目的もなく、何の戦略もなく、何もかもが行き当たりばったりで、陣頭に立つどころか安全な後方に居座って偉そうに指図し、人の上に立つ資格も、人を率いる資格もない愚かな指揮官の下で戦う兵士こそ哀れな存在はない。
これは国家でも、会社でも、家族でも、ありとあらゆる組織に言えることかもしれない。
◇
もう一つ。
当たり前のことだが……
人類の歴史上で、絶対的な正義と絶対的な悪の戦争などただの一回も起こったことはない。
起こったのは、『自分こそが正義だ!』と主張する側と、『いや、自分こそが正義だ!』と主張する側の戦争である。
一方的な侵略に見える戦争ですら、侵略する側は自分こそが正義だと信じているのだから。
すべての人間が自分こそが正しいという独りよがりな考えを捨て、常に『相手の立場』になって考えることをしない限り……
争いのない平和な世など決してやって来ない。
世界で最も読まれている本に、こういう一文がある。
「『あなたの目の中にある藁[非常に細かい欠点のこと]を抜き取らせて欲しい』
と言うのを止めよ。
相手を批判するあなたの目の中には、垂木[相手よりもずっと大きな欠点のこと]があるではないか」
と。
わたしは、凡人[普通の人のこと]が相手を批判するシーンをよく目にする一方で……
非凡な人物[優れた人のこと]が相手に感謝するシーンをよく目にする。
◇
さて。
織田信長には、手元に置いて大切に育てた子供が一人いた。
信長の妹が嫁いだ先、岩村城[現在の岐阜県恵那市]の城主である遠山直廉の娘。
要するに『姪』である。
その娘は、信長と初めて会ったときにこう言った。
「わたくしには……
うつけ者のようには全く見えません。
なぜ、うつけ者[馬鹿者という意味]の芝居[演技のこと]をされているのです?」
と。
たった一瞬で、うつけ者の芝居を見抜いた少女に信長は衝撃を受けた。
咄嗟にこう考えた。
「わしの考えを理解できる者は数少ない、が……
この娘なら!
わしの考えをすべて理解してくれるに違いない!」
そして、衝動的にこう言う。
「付いて来て欲しい」
「勿論です」
満面の笑顔で応えた娘は、常に『相手の立場』になって考えることができる非凡な人物であったのだろうか。
信長はいつしか……
その娘に、実の子供よりも深い愛情を注ぐようになった。
人々は彼女を『織田信長の愛娘』と呼んだ。
◇
凛が嫁ぐ4年ほど前の、あの日。
衝撃の事実が明らかとなっていた。
嫁ぎ先の武田家から病死と聞かされていた織田信長の愛娘が……
実際は、用意周到な罠に掛かって貴重な命を散らしていたのだ!
咄嗟に明智光秀は考えを巡らす。
「あの御方を……
天下人を目前にされている信長様の愛娘を傷付けるなど、普通なら絶対にしない。
尋常ではない報復を食らうのだからな。
信長様のご気性ならば、銭[お金]に糸目を付けず犯人を探し出し、その一族もろとも根絶やしにするはずだ。
しかも普通の殺し方ではない。
両目をえぐり、両耳と鼻を切り落とし、両手両足を切断した上で、激痛の中でじわりじわりと体中を切り刻んでいくだろう」
続けてこう考えた。
「尋常ではない報復を食らう可能性があるとしても、あの御方を殺す『罠』を仕掛けたということは……
己の生死に関わるほどの窮地に追い込まれていたということか」
更に、こう考えた。
「『戦国乱世に終止符を打ち、平和な世を達成したいとの志を貫くために……
武田家を、信長様と同じ志を持つ盟友へと変えること』
これがあの御方の使命であった。
夫で、武田信玄の後継者でもある四郎勝頼と固い絆を結んで息子まで授かった。
加えて清廉潔白[心が清くて私欲がない人のことを指す]で実力にも秀でた武田四天王からも一目置かれるようになった。
あの御方は……
与えられた使命を、まさに全うしつつあったのだ」
続けて更に、こう考えた。
「織田家と武田家が同じ志を持つ盟友となることで……
『誰』が己の生死に関わるほどの窮地に追い込まれるのだろうか?
分からん!
これだけでは見当も付かない!
ん……
いや、待てよ。
信長様が……
あの御方に己と同じ匂いを感じ……
衝動的に、手元に置いて大切に育てるべき子供だと思ったということは……
わしが煕子と出会ったときに感じた以上の並外れた……
いや!
それ以上の『桁外れの純粋』さを持つ人物だと確信したからか!」
そして、一つの道筋を見出す。
「あの御方が桁外れの純粋さを持つ人物だとすれば……
戦の後に必ず起こる『光景』を見たときに、心の奥底から湧き上がって来る激情を抑えることなどできないはずだ。
大勢の女子と子供が奴隷として売られていく光景をな。
兵糧や武器弾薬を扱うだけでなく、戦の後の略奪にまで手を染めて人を売り買いしている……
武器商人どもへ、あの御方は激しい憎悪を燃やしたに違いない!」
ついに結論へと辿り着いた。
「武田信玄は重い病に冒されているとか。
後継者の勝頼は恐らく……
妻であり、一途に惚れ込んだ女子でもある、あの御方の強い影響を受け……
こう決意したのだろう。
『わしが当主となったら……
信長殿と共に、武器商人の屑どもを全て始末してやる』
と。
勝頼の決意を知った武器商人たちは、強い危機感を抱いたはずだ。
『信玄が死んで、勝頼の代となればどうなる?
我らは真っ先に始末されるのではないか?
生き残りたければ、もはや一刻の猶予もない!』
こうして奴らは……
武田家の失態によって信長様の愛娘が死ぬ企てを練り上げ、織田家と武田家が敵となるよう仕向けたのか!」
そもそも武器商人は、戦争に必要なモノを売って金儲けする連中だ。
天下人を目前にした織田家と、東日本最強の大名である武田家との間で戦争を勃発させれば……
戦争に必要なモノの『値段』は瀑上がりし、武器商人には巨万の利益が転がって来る。
◇
信長ほど聡明な人間でも……
『真の敵』を間違えてしまうことがあるのだろうか?
「お待ちください。
信長様に一目置いている武田信玄が、信長様の愛娘を傷付けるはずがありません。
それに。
織田家と武田家が戦を始めれば、どうなります?
ようやく掴みかけた平和が見るも無惨に崩れ去り、世は戦国乱世へと逆戻りしてしまうではありませんか」
最も信頼している側近がこう助言しても……
信長は一切耳を貸さない。
「この激情を抑えることはできそうにない。
直ちに明智光秀を呼べ。
光秀に、我が愛娘を傷付けた奴らを滅ぼす『策略』を練ってもらわねばならんからのう」
こうして光秀は……
武田家を滅ぼす策略を練り上げる羽目に陥ったのである。
◇
武田家を滅ぼす『策略』へと辿り着いた光秀は、信長に一つの提案を行った。
「一刻も早く……
国を、一つ手にお入れください」
「国?
どこの国ぞ?」
「摂津国を、手に入れるのです」
「摂津国だと!?」
摂津国。
現在の大阪府大阪市、吹田市、摂津市、茨木市、高槻市、豊中市、池田市、兵庫県神戸市、尼崎市、西宮市、芦屋市、明石市、伊丹市、宝塚市などを含んでいる。
ほぼ全ての都市が……
大阪湾、あるいは大阪湾へとつながる淀川、武庫川、猪名川、神崎川などの河川に接している。
そして大阪湾は、西へ進んで瀬戸内海から関門海峡を抜ければ日本海へとつながり、南へ進んで友ヶ島水道を抜ければ太平洋へとつながる。
船さえあれば、国内、海外問わず『何処』へだって行けるのだ。
この特別な立地から、ありとあらゆる場所に津[港のこと]があった。
別名で津国とも呼ばれた。
◇
信長は、光秀の提案を十分に理解できないようだ。
「摂津国だと?
なぜ、その国が必要なのじゃ?」
「孫子の兵法に、こう書かれています。
『実を避けて虚を撃つ』
実、つまり長所を避け……
虚、つまり弱点を突く。
それは」
「光秀、待て。
そちは……
『鉄砲』を揃えるために摂津国が必要だと考えているのか?」
「……」
「それは大きな間違いぞ。
かつては摂津国など、堺[現在の大阪府堺市]に近い場所でしか鉄砲を揃えることができなかったが……
鉄砲は今や日ノ本各地で作られている。
大勢の商人が売り捌き、競争によって値段も下がっているのじゃ。
あの武田家も十分な鉄砲の数を揃えたと聞く」
「信長様。
鉄砲の数だけ揃えても全く意味がありません」
「全く意味がない?
なぜ?」
「鉄砲を撃つには『弾丸と火薬』が不可欠だからです。
弾丸と火薬が10発しかない鉄砲100丁と、弾丸と火薬が100発ある鉄砲10丁。
どちらが強いでしょうか?」
「そういうことか!
鉄砲よりも、弾丸と火薬の数を揃える方がはるかに重要だと!」
「その通りです。
弾丸と火薬を作る原料は、南蛮人[スペイン人とポルトガル人のこと]から買うしかありません。
その貿易船は堺のある和泉国、安濃津のある伊勢国[現在の三重県]、そして摂津国に着いています。
信長様は既に和泉国と伊勢国を手に入れ、残るは摂津国のみ……」
「一刻も早く摂津国を手に入れ、弾丸と火薬を『独占』しろと申すのだな?
光秀よ」
「御意。
弾丸と火薬を我らで独占し、武田家がそれを入手する手段をすべて無くしてしまえば……」
「奴らは自然と『弱体化』するわけか。
見事な策じゃ」
◇
摂津国の掌握を急ぐため……
光秀は、ある男を利用するよう勧める。
「信長様。
荒木村重を利用なされませ」
「荒木村重!?
主の池田勝正を追放してその城を我が物とした『大罪人』のことか?」
「はい」
「奴のことを下剋上の手本と褒め称える馬鹿も多いらしいが……
わしが秩序を乱す者をどれだけ忌み嫌うか、そちはよく存じておろう?」
「信長様。
あの男を、摂津国の『大名』に抜擢されては如何」
信長は激しい苛立ちを見せた。
「何だと!?
このわしが、村重を大名に?」
「御意」
「馬鹿げたことを申すなっ!
村重は主を追放した不義不忠の大罪人であろうが。
そちの正義は、一体どこへ消え失せたのじゃ!」
「信長様。
正しさに拘っていては、戦に勝利できませんぞ」
信長は短気であったが、計算高い男でもあった。
「『正しさに拘ってはならない』
か……
そちの口癖であったな」
「ここは、忍耐のときかと」
「分かった。
そちの申す通りにしよう」
「お聞き届け頂き、有り難く存じます」
「光秀よ。
ただし、このわがままだけは通させてもらうぞ」
「どのような?」
「あんな大罪人と親戚になるなど絶対に嫌じゃ!」
「……」
「考えるだけでも虫酸が走る!
荒木の家に、織田の姫は絶対に嫁がせたくない!」
「承知致しました。
荒木家には、それがしの長女である凛を嫁がせましょう」
しばらく後。
織田信長は荒木村重を摂津国の国主に抜擢し、織田軍の将帥の一人に任命した。
村重は感激のあまり涙を流して信長に忠誠を誓ったという。
これが『策略』の一環だとは、夢にも思っていなかった。
◇
1572年10月。
鉄砲の弾丸と火薬を入手する手段をすべて無くしてしまった武田信玄は、武田軍の将兵を前に演説を始める。
「皆の者!
よく聞け!
京の都におわす足利将軍家より、一つの命が下った。
『奸賊の織田信長を討伐せよ』
と。
ここに、その命令書がある!
正義は我らにこそあるのじゃ!
全軍、出撃!」
3万人もの大軍が甲斐国[現在の山梨県]を出発する。
明智光秀の策略は、結果として『武田軍侵攻』を招くこととなった。
必要なモノの補給を断って相手を弱体化させ、じわりじわりと相手が戦争せざるを得ない状況に追い込んだ上で、止むを得ず戦争を始めた相手を激しく非難するやり方のことを言う。
「奴らは侵略者だ!
奴らこそが平和を脅かす悪人なのだ!
正義は我らにこそある!
平和を愛する者たちよ、わたしたちと一緒に悪人を退治しようではないか!」
と。
人々を欺いて味方を増やす卑劣極まりないやり方ではあるが、このやり方を用いて戦争に敗北した指揮官をわたしは見たことがない。
これこそ最も確実で、最も犠牲の少ない、最良の戦略であるからだ!
優れた指揮官ほど戦う前から最良の戦略を練るものだが……
一方で愚かな指揮官ほど下の者に天才的な戦術、あるいは不屈の精神を求める傾向があり、最後は無惨な敗北を喫するのをよく目にする。
要するに無能で、他人任せ、他力本願なのだろう。
何の目的もなく、何の戦略もなく、何もかもが行き当たりばったりで、陣頭に立つどころか安全な後方に居座って偉そうに指図し、人の上に立つ資格も、人を率いる資格もない愚かな指揮官の下で戦う兵士こそ哀れな存在はない。
これは国家でも、会社でも、家族でも、ありとあらゆる組織に言えることかもしれない。
◇
もう一つ。
当たり前のことだが……
人類の歴史上で、絶対的な正義と絶対的な悪の戦争などただの一回も起こったことはない。
起こったのは、『自分こそが正義だ!』と主張する側と、『いや、自分こそが正義だ!』と主張する側の戦争である。
一方的な侵略に見える戦争ですら、侵略する側は自分こそが正義だと信じているのだから。
すべての人間が自分こそが正しいという独りよがりな考えを捨て、常に『相手の立場』になって考えることをしない限り……
争いのない平和な世など決してやって来ない。
世界で最も読まれている本に、こういう一文がある。
「『あなたの目の中にある藁[非常に細かい欠点のこと]を抜き取らせて欲しい』
と言うのを止めよ。
相手を批判するあなたの目の中には、垂木[相手よりもずっと大きな欠点のこと]があるではないか」
と。
わたしは、凡人[普通の人のこと]が相手を批判するシーンをよく目にする一方で……
非凡な人物[優れた人のこと]が相手に感謝するシーンをよく目にする。
◇
さて。
織田信長には、手元に置いて大切に育てた子供が一人いた。
信長の妹が嫁いだ先、岩村城[現在の岐阜県恵那市]の城主である遠山直廉の娘。
要するに『姪』である。
その娘は、信長と初めて会ったときにこう言った。
「わたくしには……
うつけ者のようには全く見えません。
なぜ、うつけ者[馬鹿者という意味]の芝居[演技のこと]をされているのです?」
と。
たった一瞬で、うつけ者の芝居を見抜いた少女に信長は衝撃を受けた。
咄嗟にこう考えた。
「わしの考えを理解できる者は数少ない、が……
この娘なら!
わしの考えをすべて理解してくれるに違いない!」
そして、衝動的にこう言う。
「付いて来て欲しい」
「勿論です」
満面の笑顔で応えた娘は、常に『相手の立場』になって考えることができる非凡な人物であったのだろうか。
信長はいつしか……
その娘に、実の子供よりも深い愛情を注ぐようになった。
人々は彼女を『織田信長の愛娘』と呼んだ。
◇
凛が嫁ぐ4年ほど前の、あの日。
衝撃の事実が明らかとなっていた。
嫁ぎ先の武田家から病死と聞かされていた織田信長の愛娘が……
実際は、用意周到な罠に掛かって貴重な命を散らしていたのだ!
咄嗟に明智光秀は考えを巡らす。
「あの御方を……
天下人を目前にされている信長様の愛娘を傷付けるなど、普通なら絶対にしない。
尋常ではない報復を食らうのだからな。
信長様のご気性ならば、銭[お金]に糸目を付けず犯人を探し出し、その一族もろとも根絶やしにするはずだ。
しかも普通の殺し方ではない。
両目をえぐり、両耳と鼻を切り落とし、両手両足を切断した上で、激痛の中でじわりじわりと体中を切り刻んでいくだろう」
続けてこう考えた。
「尋常ではない報復を食らう可能性があるとしても、あの御方を殺す『罠』を仕掛けたということは……
己の生死に関わるほどの窮地に追い込まれていたということか」
更に、こう考えた。
「『戦国乱世に終止符を打ち、平和な世を達成したいとの志を貫くために……
武田家を、信長様と同じ志を持つ盟友へと変えること』
これがあの御方の使命であった。
夫で、武田信玄の後継者でもある四郎勝頼と固い絆を結んで息子まで授かった。
加えて清廉潔白[心が清くて私欲がない人のことを指す]で実力にも秀でた武田四天王からも一目置かれるようになった。
あの御方は……
与えられた使命を、まさに全うしつつあったのだ」
続けて更に、こう考えた。
「織田家と武田家が同じ志を持つ盟友となることで……
『誰』が己の生死に関わるほどの窮地に追い込まれるのだろうか?
分からん!
これだけでは見当も付かない!
ん……
いや、待てよ。
信長様が……
あの御方に己と同じ匂いを感じ……
衝動的に、手元に置いて大切に育てるべき子供だと思ったということは……
わしが煕子と出会ったときに感じた以上の並外れた……
いや!
それ以上の『桁外れの純粋』さを持つ人物だと確信したからか!」
そして、一つの道筋を見出す。
「あの御方が桁外れの純粋さを持つ人物だとすれば……
戦の後に必ず起こる『光景』を見たときに、心の奥底から湧き上がって来る激情を抑えることなどできないはずだ。
大勢の女子と子供が奴隷として売られていく光景をな。
兵糧や武器弾薬を扱うだけでなく、戦の後の略奪にまで手を染めて人を売り買いしている……
武器商人どもへ、あの御方は激しい憎悪を燃やしたに違いない!」
ついに結論へと辿り着いた。
「武田信玄は重い病に冒されているとか。
後継者の勝頼は恐らく……
妻であり、一途に惚れ込んだ女子でもある、あの御方の強い影響を受け……
こう決意したのだろう。
『わしが当主となったら……
信長殿と共に、武器商人の屑どもを全て始末してやる』
と。
勝頼の決意を知った武器商人たちは、強い危機感を抱いたはずだ。
『信玄が死んで、勝頼の代となればどうなる?
我らは真っ先に始末されるのではないか?
生き残りたければ、もはや一刻の猶予もない!』
こうして奴らは……
武田家の失態によって信長様の愛娘が死ぬ企てを練り上げ、織田家と武田家が敵となるよう仕向けたのか!」
そもそも武器商人は、戦争に必要なモノを売って金儲けする連中だ。
天下人を目前にした織田家と、東日本最強の大名である武田家との間で戦争を勃発させれば……
戦争に必要なモノの『値段』は瀑上がりし、武器商人には巨万の利益が転がって来る。
◇
信長ほど聡明な人間でも……
『真の敵』を間違えてしまうことがあるのだろうか?
「お待ちください。
信長様に一目置いている武田信玄が、信長様の愛娘を傷付けるはずがありません。
それに。
織田家と武田家が戦を始めれば、どうなります?
ようやく掴みかけた平和が見るも無惨に崩れ去り、世は戦国乱世へと逆戻りしてしまうではありませんか」
最も信頼している側近がこう助言しても……
信長は一切耳を貸さない。
「この激情を抑えることはできそうにない。
直ちに明智光秀を呼べ。
光秀に、我が愛娘を傷付けた奴らを滅ぼす『策略』を練ってもらわねばならんからのう」
こうして光秀は……
武田家を滅ぼす策略を練り上げる羽目に陥ったのである。
◇
武田家を滅ぼす『策略』へと辿り着いた光秀は、信長に一つの提案を行った。
「一刻も早く……
国を、一つ手にお入れください」
「国?
どこの国ぞ?」
「摂津国を、手に入れるのです」
「摂津国だと!?」
摂津国。
現在の大阪府大阪市、吹田市、摂津市、茨木市、高槻市、豊中市、池田市、兵庫県神戸市、尼崎市、西宮市、芦屋市、明石市、伊丹市、宝塚市などを含んでいる。
ほぼ全ての都市が……
大阪湾、あるいは大阪湾へとつながる淀川、武庫川、猪名川、神崎川などの河川に接している。
そして大阪湾は、西へ進んで瀬戸内海から関門海峡を抜ければ日本海へとつながり、南へ進んで友ヶ島水道を抜ければ太平洋へとつながる。
船さえあれば、国内、海外問わず『何処』へだって行けるのだ。
この特別な立地から、ありとあらゆる場所に津[港のこと]があった。
別名で津国とも呼ばれた。
◇
信長は、光秀の提案を十分に理解できないようだ。
「摂津国だと?
なぜ、その国が必要なのじゃ?」
「孫子の兵法に、こう書かれています。
『実を避けて虚を撃つ』
実、つまり長所を避け……
虚、つまり弱点を突く。
それは」
「光秀、待て。
そちは……
『鉄砲』を揃えるために摂津国が必要だと考えているのか?」
「……」
「それは大きな間違いぞ。
かつては摂津国など、堺[現在の大阪府堺市]に近い場所でしか鉄砲を揃えることができなかったが……
鉄砲は今や日ノ本各地で作られている。
大勢の商人が売り捌き、競争によって値段も下がっているのじゃ。
あの武田家も十分な鉄砲の数を揃えたと聞く」
「信長様。
鉄砲の数だけ揃えても全く意味がありません」
「全く意味がない?
なぜ?」
「鉄砲を撃つには『弾丸と火薬』が不可欠だからです。
弾丸と火薬が10発しかない鉄砲100丁と、弾丸と火薬が100発ある鉄砲10丁。
どちらが強いでしょうか?」
「そういうことか!
鉄砲よりも、弾丸と火薬の数を揃える方がはるかに重要だと!」
「その通りです。
弾丸と火薬を作る原料は、南蛮人[スペイン人とポルトガル人のこと]から買うしかありません。
その貿易船は堺のある和泉国、安濃津のある伊勢国[現在の三重県]、そして摂津国に着いています。
信長様は既に和泉国と伊勢国を手に入れ、残るは摂津国のみ……」
「一刻も早く摂津国を手に入れ、弾丸と火薬を『独占』しろと申すのだな?
光秀よ」
「御意。
弾丸と火薬を我らで独占し、武田家がそれを入手する手段をすべて無くしてしまえば……」
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見事な策じゃ」
◇
摂津国の掌握を急ぐため……
光秀は、ある男を利用するよう勧める。
「信長様。
荒木村重を利用なされませ」
「荒木村重!?
主の池田勝正を追放してその城を我が物とした『大罪人』のことか?」
「はい」
「奴のことを下剋上の手本と褒め称える馬鹿も多いらしいが……
わしが秩序を乱す者をどれだけ忌み嫌うか、そちはよく存じておろう?」
「信長様。
あの男を、摂津国の『大名』に抜擢されては如何」
信長は激しい苛立ちを見せた。
「何だと!?
このわしが、村重を大名に?」
「御意」
「馬鹿げたことを申すなっ!
村重は主を追放した不義不忠の大罪人であろうが。
そちの正義は、一体どこへ消え失せたのじゃ!」
「信長様。
正しさに拘っていては、戦に勝利できませんぞ」
信長は短気であったが、計算高い男でもあった。
「『正しさに拘ってはならない』
か……
そちの口癖であったな」
「ここは、忍耐のときかと」
「分かった。
そちの申す通りにしよう」
「お聞き届け頂き、有り難く存じます」
「光秀よ。
ただし、このわがままだけは通させてもらうぞ」
「どのような?」
「あんな大罪人と親戚になるなど絶対に嫌じゃ!」
「……」
「考えるだけでも虫酸が走る!
荒木の家に、織田の姫は絶対に嫁がせたくない!」
「承知致しました。
荒木家には、それがしの長女である凛を嫁がせましょう」
しばらく後。
織田信長は荒木村重を摂津国の国主に抜擢し、織田軍の将帥の一人に任命した。
村重は感激のあまり涙を流して信長に忠誠を誓ったという。
これが『策略』の一環だとは、夢にも思っていなかった。
◇
1572年10月。
鉄砲の弾丸と火薬を入手する手段をすべて無くしてしまった武田信玄は、武田軍の将兵を前に演説を始める。
「皆の者!
よく聞け!
京の都におわす足利将軍家より、一つの命が下った。
『奸賊の織田信長を討伐せよ』
と。
ここに、その命令書がある!
正義は我らにこそあるのじゃ!
全軍、出撃!」
3万人もの大軍が甲斐国[現在の山梨県]を出発する。
明智光秀の策略は、結果として『武田軍侵攻』を招くこととなった。
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また、本作の原話「大陰の人因の事」などは、けっこう長い話で、「名奉行」の根岸鎮衛さんがノリノリで書いていたと思うと、ちょっと微笑ましい気がします。
起承転結もしっかりしていて読み応えがあり、まさに「奇談」という言葉がふさわしいお話だと思いました。
二部構成、計六千字程度の気軽に読める短編です。
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