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第3章 山崎決戦

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第3章 山崎決戦
 
第1節 対峙
 
朝靄(あさもや)が晴れていく。
おびただしい数の桔梗(ききょう)の旗が、桂川から吹く風に揺れている。
桔梗は、明智家の本家である土岐家の家紋である。
土岐家は美濃源氏ともいい、最盛期は美濃(岐阜県)だけでなく尾張(愛知県西部)や伊勢(三重県)の守護も務めた武家貴族であり、先祖はあの鎌倉幕府を開いた源頼朝と同じ清和天皇(清和源氏)である。
基本的に武家貴族はほぼ全て天皇の子孫と思っていい。
光秀も土岐家分家として桔梗を家紋としていた。
つまり、光秀は天皇の子孫、かつ天皇より与えられた源姓を使用し源光秀と名乗る資格を持っていたのである。ただし、光秀が本当に明智家の人間であったかは諸説あることにはご留意頂きたい。
利三はその美濃源氏明智軍の中央に陣を張っていた。
利三の隊は明智軍の中でも最強と名高いだけあって、物音ひとつ立てず整然と隊列を保っている。
 
天王山方向を見ると瓢箪(ひょうたん)の旗が立っていた。
瓢箪は、家紋ではない。そもそも羽柴という姓自体が織田家の2人の家老である柴田勝家と丹羽長秀の姓を一字ずつ取ったに過ぎない。秀吉の元の姓は木下であり、武家でないため家紋がないのである。そのため、秀吉は自軍であることを示す旗に瓢箪を愛用していた。
なぜ瓢箪としたかは諸説あるが、当時の瓢箪は今でいう水筒であり、水分補給に欠かせない物だったことから、周りから見た自分が瓢箪のように映りたかったのではないかと思う。
 
さて、天王山にいる羽柴軍の数は、瓢箪の旗の数から察するに数千ほど。他に藤の花を象った旗が千人分ほどであろうか。藤の花の旗はあの有名な黒田官兵衛のいる黒田家である。
余談だが、藤の花の家紋は藤原氏が由来であり、藤原氏といえば有名な大化の改新で曽我氏を倒して貴族筆頭となって政治を牛耳った中臣鎌足(後の藤原鎌足)を先祖とする貴族の中の貴族である。
日本で非常に多い姓の、佐藤、加藤、藤田、藤井など藤の字がつく姓は藤原氏から出ているのは有名な話である。
黒田家は藤原氏の子孫を自称し藤の花を家紋としていた。
天王山にいるのは、瓢箪の旗印と藤の旗印を合わせたとしても羽柴軍全体の一部に過ぎず、やはり秀吉は主力を天王山に置かなかったようである。
 
 
第2節 高山右近と中川清秀
 
隘路方向より、羽柴軍前衛が姿を現す。先頭は高槻城主(大阪府高槻市)の高山右近隊、次は茨木城主(大阪府茨木市)の中川清秀隊のようである。どちらも元々は光秀の与力大名であった。
与力大名とは、光秀と直接の主従関係はないものの戦においては光秀を総大将としてその指示に従う立場であることを意味する。つまり、戦時だけ上司と部下の関係になるということである。
当然、光秀は右近と清秀に自分に付くよう要請するのであるが、この2人は要請を拒否し秀吉側に付いた。
高山右近と言えば、有名なキリシタン大名である。所属するイエズス会からは「明智軍に加担するな」と指示されていたようだ。
イエズス会は総合的に見て秀吉の勝ちと見ていたのであろう。
中川清秀は右近のいとこでもあり、右近に説得されたかどうかは分からないが、結果として右近と同じ決定を下した。
 
右近も清秀も、元々光秀の与力大名で信用されてなかったからか最前線に送られたらしい。その後ろにも一隊が続いているが、ここからは高山隊と中川隊が邪魔で誰か見ることはできない。羽柴軍前衛は全部で3隊のようだ。
 
高山隊が隘路を抜け、隊列を整え始める。明智軍に隙を突かれることがないよう慎重を期しているようだ。だが利三隊も含め明智軍全体は不気味な程静かである。
続いて中川隊が隘路を抜け、高山隊の後ろで隊列を整えている。整え終わると移動を始めた。恐らく高山隊の左隣に陣を敷くつもりだろう。
だがここで異変が起こる。高山隊が少し広がり過ぎていたため、中川隊が十分に収まる広さがない。中川隊は縦長にならざるを得なくなってしまった。中川隊から伝令らしき騎馬武者が高山隊に行き、なにやらやり取りを始めると、高山隊は隊列の幅の調整を始めた。
 
 
第3節 開戦
 
ちょうどそのときである。利三の右手から喚声と地鳴りが起こった。利三の右隣にいた伊勢貞興隊が中川隊に突撃を始めたのである。
前夜の軍議では、伊勢隊と御牧隊は利三隊の援護の役目であり、先に攻撃するのは作戦通りの動きではない。
だが、相手の隙を突くという意味では間違っていない。利三はあえて動かずしばらく戦況を見ることにした。
伊勢隊の突撃に中川隊は慌てて隊列を整えるが、間に合わない。
怒涛のごとく殺到した伊勢隊に前列が崩され傷口を広げていく。
続いてその側面を突くべく御牧兼顕隊が突撃を開始すると、高山隊も浮足立ち始めた。左隣の中川隊が完全に崩れてしまうと自分の側面ががら空きになってしまうからである。
 
高山隊を攻撃する機会ではあったが、利三は中川隊がもう少し崩れるのを待った。
高山隊は中川隊に比べると隙がない。中川隊が後退し高山隊が突出した状態になるのを待ったほうが良いと判断したのである。
この判断は、想定通りではなかったが結果的には良かった。中川隊は伊勢隊と御牧隊の猛攻に後退を始め、これを見た高山隊も突出を嫌い徐々に下がり始めたものの、列が乱れ隙が生まれたのである。
この好機を見逃す利三ではない。利三隊は猛然と高山隊へ打ち掛かっていった。
 
 
第4節 天王山と黒田官兵衛
 
天王山に上がると、山崎周辺がとてもよく見える。
そこには羽柴秀長と黒田官兵衛がいる。
秀吉は最も信頼する弟の秀長と、最も頭の回る官兵衛を天王山に置いていた。
彼らの役割は、天王山という高所から戦場を俯瞰し秀吉へ状況を報告するとともに、必要に応じて適切な助言をすることである。
くれぐれもだが、天王山から駆け下って敵を討つことはどうしても必要な場合のみである。
ここにいる兵は天王山を登り、木を伐り陣営を作る作業で疲れている。そもそも山登りはそれ程高くなくても疲れるものである。ましてや重い甲冑や武器を持ってとなると疲労は大きい。
更には前夜から急いで陣営を作ったためにほとんど寝ていない。有利な高所から駆け下ればいいじゃないか、と言うのは簡単だが、やる方はたまったものではない。
 
秀長は眼下の戦いを見て、呆気に囚われていた。
前夜の報告では、天王山を占拠していた明智軍約3,000人は攻撃を仕掛けると一目散に逃げていったと聞いている。すばらしい逃げっぷりであったと、攻めた兵は明智軍を物笑いしていた。
そのため、羽柴軍全体には楽勝の雰囲気さえあったのである。
実際、天王山を占拠した明智軍は300人しかいなかったが、光秀が闇夜に紛れて旗の数を増やし、あたかも3,000人いるかのように偽装したため兵数を見誤ったのであるが。
 
「敵は及び腰と思っていたが、あの勢いはなんじゃ。高山殿も中川殿も押されているではないか。いずれ崩れるぞ。もしや、敵はあえてここを空けて待ち構えていたのではあるまいな?」
秀長は心配そうに問いかけた。
「そうかもしれませぬ。そもそも、ここを占拠した敵は3,000人もおったのでありましょうや。士気を低く見せるために嵌められたのかもしれませぬ。」
応えたのは黒田官兵衛である。
官兵衛は少し考え秀長へ提案した。
「兵はまだ疲れておりますが、いくらか駆け下らせますか?」
「だが、見よ。敵の右翼、あれは丹波兵か。不気味に静かだぞ。我らが動くのを待っているのではあるまいな?」
官兵衛は秀長の心配を見越していたようである。
「ご心配はご尤(もっと)もなれど、前衛の壊滅を黙って見過ごすこともできますまい。それに敵の右翼がどう動くか見極める必要もあります。ここはあえて1,000人ほど駆け下らせ敵を誘いましょう。他はここをしっかり守っていればこの山を奪われることはないかと存じます。」
「官兵衛の申す通りじゃ。それでいこう。」
 
中川隊、高山隊が苦戦しているのを見て、天王山にいる羽柴軍の一部が山を駆け下り始めた。御牧隊がこれに立ち向かうと、官兵衛の読み通り明智軍右翼にいる並河隊、松田隊がその側面を突くべく動き出した。
結果として、ここ戦いは駆け下りた兵が疲れたままであったために効果が全くなかったのである。
並河隊、松田隊の勢いすさまじく、駆け下りた兵を蹴散らすとその勢いで天王山を駆け上がる。
秀長と官兵衛は防戦一方となった。
 
 
第5節 石田三成と大谷吉継
 
利三から見て、隘路の向こう側に羽柴軍の本陣がある。
もちろん利三からは見えない。
羽柴軍本陣では、予想に反した明智軍の善戦に戸惑いを隠せない。
信長の敵討(かたきう)ちのため、備中高松(岡山県西部)から駆けに駆けてきた。
兵の疲労は激しいが、その速さにより明智軍に体制を整える時間を与えなかった。明智軍は細川や筒井が参戦しないのもあって羽柴軍の半数程度しかいない。しかも、山崎の有利な地形を生かされる前に敵を追い出し、強固な防御陣を作らせていない。
羽柴軍は数においても地形においても圧倒的優位にいるはずであった。
 
羽柴軍本陣には、総大将の羽柴秀吉がいる。
秀吉の脇には2人の若者がいた。
一人は石田佐吉と言い、もう一人は大谷紀之介と言う。後の石田三成と大谷吉継である。
秀吉はこの2人を特にかわいがっていたと言われている。
佐吉も紀之介も、秀吉の苛立ちを肌で感じていた。
「高山と中川は何をしておるのだ。敵に隙を突かれおって。」
秀吉は悪態を付いたが、2人の若者へ目を向けると、
「佐吉、紀之介、ここはどうすべきと見る?」
と問いかけた。
先に答えたのは佐吉である。
「山崎において、最も有利な地形は天王山にございます。天王山に増援を送り敵を撃退するのが良策と考えます。その後、山を駆け下れば敵を一網打尽にできましょう。」
次に答えたのは紀之介である。
「桂川の川沿いは湿地帯でありますが、進むことはできます。ここを進み敵の右翼を襲うのはいかがでしょう。見ると右翼は2,000人程、大勢で掛かればひとたまりもありますまい。」
2人とも返答が早い。秀吉に聞かれるまでもなく考えていたのだろう。
秀吉は満足気に頷いた。彼にとって、質問されてから考えるようでは遅いのだ。
秀吉は紀之介に顔を向けた。
「紀之介、我が軍は備中からここまで強行軍で疲れておる。湿地帯とはつまり泥だらけであろう。足も取られ進むのに難渋する。兵が嫌がるのではないか?」
「おっしゃる通りにございます。川沿いを進むのは丹羽様と池田様に任せるのがよろしいかと存じます。」
 
丹羽とは織田家家老の丹羽長秀、池田とは信長の乳母兄弟の池田恒興である。
丹羽長秀は四国討伐軍の副将として大坂におり、池田恒興は摂津花隈城(兵庫県神戸市)にいた。
単独で光秀に戦いを挑めず秀吉軍に加わったのである。長秀も恒興も秀吉の部下ではない。秀吉は最大の兵数を率いていたため総大将になったに過ぎない。
丹羽隊も池田隊も元々近くにいたため、兵が疲れておらず攻撃役に適しているが、いかんせん部下でないため頭ごなしに命令できないのである。
 
秀吉は紀之介を試すことにした。
「そちの申す通りじゃ。だが進むのに難渋するということは敵の鉄砲の餌食になるということでもあろう?前を進む者達は撃たれかなり死ぬであろう。丹羽殿と池田殿に死地へ行けと言うのか?」
「いえ。秀吉様は、自分が先頭になって攻めるゆえ丹羽殿と池田殿は後に続かれよ、と申されれば良いと存じます。」
佐吉が驚いた目で紀之介を見ている。
「紀之介、秀吉様が先頭に?それはならぬぞ。秀吉様にもしものことがあったらどうするのじゃ!」
「佐吉、秀吉様は名目上とはいえ総大将じゃ。総大将が先頭を行くと言うのを止めない将がおろうか?丹羽様も池田様も、当然自分が前に出ると言うはずじゃ。総大将を危険に晒したとなれば後で非難されよう。実際に秀吉様が行くことにはならぬ。それに、自分を安全な場所に置き、他人ばかりを死地に行かようとする将に誰が付いていく?秀吉様の器量を見せる良い機会ではないか。」
秀吉は相当機嫌を良くしたのか、紀之介の頭に優しく手を置いた。
「ははははは!さすがは紀之介、器量者じゃの。しかも丹羽殿と池田殿を手玉に取るとはなかなか。このわしを囮に?良い度胸じゃ。そちにはいずれ大軍を指揮させてやろうぞ。」
その後は紀之介の想定通りに進んだ。
池田隊、丹羽隊に続き本隊の一部が川沿いの湿地帯へ入っていく。
 
 
第6節 齟齬
 
利三隊、伊勢隊、御牧隊は敵を押しに押していた。
ついに高山隊と中川隊は明智軍の猛攻に耐えられず総崩れとなる。
この両隊の後ろには三隊目の部隊があった。この隊は特に何の動きもしていない。
利三隊から見て高山隊は左に、中川隊は右に逃げ始めた。一部の兵は後ろの隊へ逃げ込もうとしている。
背を向け逃げる敵を後ろから斬る程に簡単なことはない。一気に敵を殲滅する好機である。
直ちに利三隊は高山隊を、御牧隊は中川隊を追撃し始めた。
そして伊勢隊は勝った勢いそのままに左右に分かれた高山隊と中川隊の間を通り後ろにいる三隊目の部隊に襲いかかろうとしたまさにその瞬間である。
 
耳をつんざく程の轟音が鳴り響いた。
火縄銃の一斉射撃である。
三隊目の部隊からと思われるが、鉄砲の数が多い。
しかも、この射撃で発生した煙で全く見えなくなった。
伊勢隊の最前列が次々と倒れたが、左右に行かず後ろに下がった高山隊や中川隊の者達も多数巻き添えに撃たれていた。倒れた者の数はむしろ味方の方が多いようである。
味方も巻き添えにしての容赦ない射撃に敵味方の足が止まった。
伊勢隊は一瞬、どうすべきか迷い立ち止まった。一斉射撃である以上、次の弾込めには時間がかかる。このまま進めば敵の鉄砲隊を蹴散らすことができるのだが、いかんせん煙で前が見えないのである。
その刹那、煙の中から、頭上から、伊勢隊の前列へ槍が降り下ろされてきた!
伊勢隊の2列目が次々と倒された。もちろん、左右への移動が遅れ鉄砲に当たらなかった味方も巻き添えにしての一撃である。
続いて槍の二撃目、三撃目が立て続けに襲う。
伊勢隊の三列目、四列目がたちまち倒された。
 
当時の織田軍の長槍は、長さが6メートル以上あったと言われている。これだけ長いとしなってしまい、突き刺すのは難しい。
ではどうするか?相手の頭上に振り下ろすのである。槍の重さは数十キロ程あったらしく、頭に当たれば脳震盪(のうしんとう)は避けられない。
だが、これだけ長い槍であれば振り下ろすのに一定時間がかかり、かわされる可能性もある。また、重たく持つだけでも大変で、これを振り回し続けるにはかなりの体力を消耗する。
相手を的確にとらえ、振り下ろさねばならない。
もちろんだが、突くための短い槍も存在する。騎馬隊などの突撃時は速さを保つために長く重い槍よりも小回りの短く軽い槍が良い。時と場合により使い分けていたと思われる。

敵は、煙でこちらが見えないはずが、なぜ正確に当ててくるのか?
想定外の反撃に戸惑い、伊勢隊は敵と距離を開くために慌てて後退した。
煙が晴れると、敵の槍隊は消えている。恐らく鉄砲隊の後ろに下がったのであろう。伊勢隊の勢いは削がれた。
 
利三隊も御牧隊もだが、足を止めたために追撃が鈍り、高山隊と中川隊にかろうじて隊列を立て直す時間を与えてしまったのである。
明智軍優勢は一瞬で消え、戦線は膠着状態となった。
 
 
第7節 秀吉が抜擢した一人の若き将
 
「あの隊で采配をふるっているのは何者だ?」
利三は周囲の者達に尋ねると、その中の1人が、
「いくつかの旗差物があり確実ではありませんが、中央にある旗印から見て、堀久太郎秀政(ほりきゅうたろうひでまさ)かと思われます。」
「堀?」
利三はすぐに誰かが分からない。つい今しがた話した者が補足する。
「信長様の直属部隊の将にございます。信長様が生前に目を掛けていた若者であるとか。」
「信長様が…」
信長様が目を掛けた若者なら、相当な才能があったのだろう。
その若者の采配も尋常ではないが、まだ若く実績もない若者を勝敗を左右する重要な場所に抜擢する秀吉の人事もまた尋常ではない。
利三は、この戦いの勝敗の行方に一抹の不安を感じた。
 
時間を少し前に戻す。
舞台は、羽柴軍前衛の三隊目、堀秀政隊である。
秀政は、高山隊と中川隊が押しに押されるのを黙って見ていた。
ここまで秀政は全く動いていない。
高山隊や中川隊から矢継ぎ早に救援要請は来ていたが無視していた。
さすがに秀吉より秀政の補佐に付けられた者達が騒ぎだす。
「秀政殿、なぜ救援されぬ。これで負ければ秀吉様からどのような罰を与えられるか分かりませぬぞ。」
中にはひそひそと、
「秀吉様もこんな実績もない若造になぜ指揮など任せたのじゃ?」
「あの若造、信長様のお気に入りだったとか。おおかた、信長様の伽(とぎ)でもしていたのであろうが。」
伽とは、性行為のことである。権力者が若い美男子を愛人のように囲うことは当時よくあったことではあるが、いかにもひどい悪口である。
 
秀政にどこまで聞こえていたかは分からないが、
「今、救援に兵を繰り出せば余計に乱れるであろう。しばし、待たれよ。」
周りが何度聞いても、秀政の答えはそれだけであった。
高山隊と中川隊が崩れるのも時間の問題に見えたとき、脇にいる男が秀政に声を掛けた。
「そろそろかの?」
この男は堀直政と言う。秀政の無二の親友である。
秀政はうなずくと使番(伝令役)を呼んだ。
「使番!」
慌てて数人の使番が秀政の元へ駆け寄る。
「これより我が隊は救援に動く。よって中川殿に天王山方向に下がり、高山殿に桂川方向に下がるよう申し伝えよ。移動が遅れる者あらば軍令違反をしている者として敵ともども討つ。これも伝えよ。」
続けて前線を指揮する隊長達を呼んだ。
「そちたちはこれより直政の指示に従ってもらいたい。直政の合図で火縄銃で一斉射撃し、槍隊を繰り出す。敵は一斉射撃に驚き、必ず足を止めるであろう。敵は射撃の直前の位置にいると思って槍を振り下ろすのじゃ。これを繰り返して敵を叩け。」
隊長達はお互い顔を合わせてぶつぶつとつぶやいている。
「まだ味方がいても撃つのか?」
「敵が動いていれば槍を振り下ろしても当たらないではないか。」
秀政が若いからか、隊長達は甘く見ているのもあるかもしれない。
秀政は一喝した。
「移動の遅い味方など構うことはない。命令に従わぬ愚か者は味方ではない、敵じゃ。敵ともども撃ち殺せ!ここで反撃せねば高山殿や中川殿ともども我らは総崩れぞ。後ろは隘路、逃げ道はない。背水の陣と思い覚悟を決めよ!」
この一喝は隊長達を黙らせるのに十分であった。
直政と隊長達は前線へ駆けていく。
 
秀政隊から使番が高山隊、中川隊へ向かった。
高山隊、中川隊が指示通りに動くと、利三隊、伊勢隊、御牧隊は即座に追撃へと移る。高山隊、中川隊ともに崩れかけており、総崩れとなって逃げているように見えたからである。
秀政の巧妙な罠にかかってしまった。
そして秀政隊は味方を巻き添えにしての一斉射撃、的確な長槍攻撃により伊勢隊を押し返し、味方の不利を挽回したのである。
 
 
第8節 明智軍本隊
 
明智軍本陣に、光秀はいる。
使番が次々とやってきて戦況を報告している。
追撃した伊勢隊が反撃を受け、明智軍中央の優勢が消えたことも聞いていた。羽柴軍は秀政隊の活躍により、本陣から前衛に援軍を送る必要がなくなった。その数は数千人に相当する。これはつまり本陣の兵が想定より数千人多いということでもある。恐らく奇襲する明智軍本隊よりも羽柴軍本陣の方が兵の数が多いであろう。光秀の奇襲成功の可能性は大いに下がってしまった。
だが、天王山では敵を釘付けにできている。今更作戦の変更はできない。あとは秀吉が川沿いに大軍を差し向けてくるのを待つばかりであった。
左翼の津田隊より使番が来た。
「申し上げます。敵が川沿いをつたって我が隊に迫っております。敵の隊列は延々と続いており、その数は一万では済まない程の大軍でございます。急ぎ後詰を。」
後詰とは援軍のことである。
光秀は床几(しょうぎ)を立つと、
「馬ひけ!」
光秀は馬上の人となった。
 
利三隊は後方から砂塵が上がるのが見えた。
ついに光秀本隊が動き出したのである。
その砂塵は津田隊と反対方向に向かって走っている。
「光秀様、ご武運を。」
利三は心の中で祈った。
 
 
第9節 奇襲
 
天王山では激戦が続いている。
数では羽柴軍が多いが、疲れていることもあって明智軍がやや押し気味である。
秀長と官兵衛は打って出ることをせず、防戦に専念していた。
ここは主戦場ではない。勝敗が決まるまで守り切ればいいだけである。
秀長は、明智軍本陣のあたりから砂塵が上がるのを見た。
「官兵衛、敵本隊が動くぞ。津田殿への加勢か?」
ところが、その砂塵は秀長の予想とは反対方向に走っていく。
「逆にございますな。一体どこに向かうのでありましょうや。」
官兵衛は明智軍本隊の意図がすぐに分からない。
やがてその砂塵は天王山に向かうわけでもなく、秀長と官兵衛の視界から消えていく。
「あ、もしや。」
官兵衛は即座に地元の者を呼んだ。
「この山の裏手に道はあるか?」
「浄土谷という谷の道がござります。」
「なに。それはどんな道か?」
「狭い道でございますが、人は通れまする。」
秀長と官兵衛は光秀の意図に気付くと、すぐに狼煙で秀吉本陣に迫る危険を伝えた。
 
(第3章 山崎決戦 終わり)
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