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君に逢いたかった、ありがとうを言いたかった
打ち明ける決意、その理由は君の存在
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重い結論は簡単には出ない。考える時間がほしい、今はそこまでしかわからないと、彼はそう言っているらしかった。
「その末にたどり着いたのが、柳の仮面の形成で……」
仮面、その言葉を心情の説明に使ったことはない。
装っていたのだ。柳は自分以外の誰かを。今、東雲柳はどんな顔をしているのだろうかと、そんなことさえも彼自身は知らなかった。生きていくために用意した仮面を付け替え、そしてひたすらに、ただただ、僅かな執着の対象を追っていた。
自身が有名になろうと、それはネオトラバースを懸命にプレイしてきた結果に付随したものであって、自尊心にはなんの影響も与えてくれなかった。周囲の人間が喜ぶ、将来のキャリアにつながる、そんな打算と日常に得られる幸せだけが、柳の生きていく理由だった。
「私は寂しいと思ったけど、柳が一生懸命出した結論なら否定できない……それは柳の苦しみも否定することになるから」
クリスは知ろうとしてくれていた、優しくありたいと願うのに、彼女の中の苦悩に気づくことができなかった。それは、柳が弱いからかもしれない。答え合わせをする。
「強すぎる記憶は、棘になって残る……」
暗く、冷たく、痛い記憶だった。打ち明ける瞬間に、相手を傷つけるのではないかと錯覚するほどに。同情の涙などを流されれば、柳自身が耐えられないかもしれない。そうして長い間、荷物を渡し損ねてしまった。
「いいんだよ……」
非常階段は、記憶の中から劣化し始めている。
「君たちにどう説明したらいいのか、そもそもどこまで説明したらいいのかがわからなかった」
クリスタルの両手が柳のそれを包もうとする。体格と性別の違いから、彼女は柳のすべてを包むことはできない。それでも、柔らかい指からは体温が通じた。
「痛くて、苦しくても良かったよ。それで柳が少しでも楽になれたら……私たちには何も起きてない。でも起きちゃった柳のこと、支えて、元気に……なって欲しくて」
柳は弱くない。クリスタルの空はそう言っていた。事件の被害者になるなど、普通には経験しない出来事だった。だから仕方ないのだと、クリスは柳の苦しみによって起きた不都合を、全て肯定しようとしていた。
「そう……君たちはずっと、そう言ってくれていたのにね」
クリスも、あの兄妹もそうだった。彼らは、事件後に知り合った友人。親友と自負し、理由に名前をつけて、安心させてくれようとしたのだ。特に流磨は。
「ショックでも、悲しくても……」
「うん」
覚悟を告げる。逃げ出すほど、中途半端な気持ちでいない。強く大きく、しっかりとした両目が柳を貫いた。海が晴れていく。
「もうそれは柳の一部だから」
「うん……」
「柳と、一緒にいたいから。それは流磨だって同じなの」
汚いもの、冷たいものが全て柳から出ていく。クリスは皆で支えると言った。酸素が形を成して二人を包み込むように、視界に流れていった。
「そうだね、今はわかるんだ。君たちが話してくれって、ずっと言ってくれた意味が……だから君にこれを見せることができた。流磨にも、もう話すことにしてる」
そうか、皆でなら、柳の重荷を持ち上げられるかもしれない。流磨は重すぎるから寄越せと言っていた。クリスは昔から態度で示している。
「そっか……実は、れおちゃんにも散々相談してきたから、れおちゃんも……」
「ああ、なんとなくわかってたんだけどね……それは」
玲緒奈は、クリスと流磨を通したようで、少しだけ距離があった。彼女ももう、親友の妹ではない。親しい友人として接したい。
ありがとう、一緒にここに来てくれて」
薄れていく重機の重み、覆いかぶさる大人の影。揺らぎは仄かに光を受け、白亜は海底の隆起した砂漠になっていく。
「帰れるかもね、この調子なら」
遠くに、電脳世界の端が再生されていた。安全な場所であることを示す領域だ。一部には光が降り注いでいる。
「僕が今、隠蔽者と制御権を争う処理にリソースを使わないで済んでいる……ということは、きっと現実世界での対応がうまくいきつつあるんだね」
「時間稼ぎをしただけでも、柳が頑張った甲斐はあったってことじゃない?」
柳は、虚響音の痕跡が残る腕を上げた。これはデータ上どう処理されるのか、まだ未知数だ。もしかしたら生涯残るデジタルタトゥーとなるかもしれない。
「そうかも。怒られる準備もしなくちゃ」
「誰も怒らないよ!」
クリスは跳ねた。髪が逆立つように、怒りを持って広がる。
「……人の生死に関わるインシデント発生は阻止した。それでもきっと、僕が問題を完全に止められなかったことを責める動きはあるでしょ」
「なにそれ! 絶対許さない!」
「あはは、クリスが怒るの?」
クリスは繋いだ手を解いて、肩をつかんで揺さぶろうとした。
「当たり前でしょ! きっと流磨も怒るよ、そんなこと言われたら! 島のみんな、あんたを庇ってくれる!」
「ありがと……」
「その末にたどり着いたのが、柳の仮面の形成で……」
仮面、その言葉を心情の説明に使ったことはない。
装っていたのだ。柳は自分以外の誰かを。今、東雲柳はどんな顔をしているのだろうかと、そんなことさえも彼自身は知らなかった。生きていくために用意した仮面を付け替え、そしてひたすらに、ただただ、僅かな執着の対象を追っていた。
自身が有名になろうと、それはネオトラバースを懸命にプレイしてきた結果に付随したものであって、自尊心にはなんの影響も与えてくれなかった。周囲の人間が喜ぶ、将来のキャリアにつながる、そんな打算と日常に得られる幸せだけが、柳の生きていく理由だった。
「私は寂しいと思ったけど、柳が一生懸命出した結論なら否定できない……それは柳の苦しみも否定することになるから」
クリスは知ろうとしてくれていた、優しくありたいと願うのに、彼女の中の苦悩に気づくことができなかった。それは、柳が弱いからかもしれない。答え合わせをする。
「強すぎる記憶は、棘になって残る……」
暗く、冷たく、痛い記憶だった。打ち明ける瞬間に、相手を傷つけるのではないかと錯覚するほどに。同情の涙などを流されれば、柳自身が耐えられないかもしれない。そうして長い間、荷物を渡し損ねてしまった。
「いいんだよ……」
非常階段は、記憶の中から劣化し始めている。
「君たちにどう説明したらいいのか、そもそもどこまで説明したらいいのかがわからなかった」
クリスタルの両手が柳のそれを包もうとする。体格と性別の違いから、彼女は柳のすべてを包むことはできない。それでも、柔らかい指からは体温が通じた。
「痛くて、苦しくても良かったよ。それで柳が少しでも楽になれたら……私たちには何も起きてない。でも起きちゃった柳のこと、支えて、元気に……なって欲しくて」
柳は弱くない。クリスタルの空はそう言っていた。事件の被害者になるなど、普通には経験しない出来事だった。だから仕方ないのだと、クリスは柳の苦しみによって起きた不都合を、全て肯定しようとしていた。
「そう……君たちはずっと、そう言ってくれていたのにね」
クリスも、あの兄妹もそうだった。彼らは、事件後に知り合った友人。親友と自負し、理由に名前をつけて、安心させてくれようとしたのだ。特に流磨は。
「ショックでも、悲しくても……」
「うん」
覚悟を告げる。逃げ出すほど、中途半端な気持ちでいない。強く大きく、しっかりとした両目が柳を貫いた。海が晴れていく。
「もうそれは柳の一部だから」
「うん……」
「柳と、一緒にいたいから。それは流磨だって同じなの」
汚いもの、冷たいものが全て柳から出ていく。クリスは皆で支えると言った。酸素が形を成して二人を包み込むように、視界に流れていった。
「そうだね、今はわかるんだ。君たちが話してくれって、ずっと言ってくれた意味が……だから君にこれを見せることができた。流磨にも、もう話すことにしてる」
そうか、皆でなら、柳の重荷を持ち上げられるかもしれない。流磨は重すぎるから寄越せと言っていた。クリスは昔から態度で示している。
「そっか……実は、れおちゃんにも散々相談してきたから、れおちゃんも……」
「ああ、なんとなくわかってたんだけどね……それは」
玲緒奈は、クリスと流磨を通したようで、少しだけ距離があった。彼女ももう、親友の妹ではない。親しい友人として接したい。
ありがとう、一緒にここに来てくれて」
薄れていく重機の重み、覆いかぶさる大人の影。揺らぎは仄かに光を受け、白亜は海底の隆起した砂漠になっていく。
「帰れるかもね、この調子なら」
遠くに、電脳世界の端が再生されていた。安全な場所であることを示す領域だ。一部には光が降り注いでいる。
「僕が今、隠蔽者と制御権を争う処理にリソースを使わないで済んでいる……ということは、きっと現実世界での対応がうまくいきつつあるんだね」
「時間稼ぎをしただけでも、柳が頑張った甲斐はあったってことじゃない?」
柳は、虚響音の痕跡が残る腕を上げた。これはデータ上どう処理されるのか、まだ未知数だ。もしかしたら生涯残るデジタルタトゥーとなるかもしれない。
「そうかも。怒られる準備もしなくちゃ」
「誰も怒らないよ!」
クリスは跳ねた。髪が逆立つように、怒りを持って広がる。
「……人の生死に関わるインシデント発生は阻止した。それでもきっと、僕が問題を完全に止められなかったことを責める動きはあるでしょ」
「なにそれ! 絶対許さない!」
「あはは、クリスが怒るの?」
クリスは繋いだ手を解いて、肩をつかんで揺さぶろうとした。
「当たり前でしょ! きっと流磨も怒るよ、そんなこと言われたら! 島のみんな、あんたを庇ってくれる!」
「ありがと……」
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