星渦のエンコーダー

山森むむむ

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君に逢いたかった、ありがとうを言いたかった

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「話して……柳、見せて欲しいの。あんたの中を」

 柳は、いつもと同じ。今は状況を把握するのに忙しいのか、きょとんとした顔でクリスの抱擁を受けていた。

 ずっとこうしたかった。本当に強くなった時に告白すると誓っていた。今、その理由を柳に開示したことは、クリスが自身を許したことの他ならぬ表れだった。
 きっと、あの時には器が小さかったのだ。そう思えるようになるまでが長かった。今回のことがなければ、まだ時間をかけなければならなかっただろう。
 柳自身に起きた、体の大きな先輩からのリンチじみたトラブル。同じく当時はまだ小さな女子生徒であるクリスが、幼馴染であることから、動揺し、冷静さを欠いて動けなくなってしまうことは、仕方ないと。柳が許してくれたその言い分を、開示することで初めて受け入れられた。
 柳は、もうとうの昔に鉄の扉の話を許していたのに。弱さとは、このことだったのだ。強くなることばかりに夢中だった。弱い部分を認めて許すこと。それが、ずっと心に引っかかっていた、クリスが納得できなかった部分だったのだ。

「ここ……を」
 柳の心臓部を示す。クリスはそこが欲しかった。隠蔽者ヒドゥンハンズに手渡してしまったなら、その隠蔽者のもとに共に行きたいと思っていた。
「あんたの、ここを」
 全て、見せてほしい。願いを込めて視線を、柳に合わせる。
「……クリス、でも……」

 桐崎クリスタルは、東雲柳が好きなのだ。
 これは過去、現在、未来に渡って決して変化しない事実。心の根深い部分、そこに網の目のように彼の存在がある。いずれ対峙しなければならない感情だった。
「ねえ、私は許したよ。自分のこと……」
「クリス、いいの……?」
「……何が……?」
 長い間、二人は互いの瞳を映していた。まるで、その瞳の奥にある心の色を確かめ合うように。息がふれあうほど近くにありながら、二人は別種の人間だと確信している。その一つ一つを確かめる。握った指先の、その骨、筋肉、爪の形に至るまで、どうしようもなく、違う。
「何を見せてしまうか、わからないよ……」
 見せるのが怖いもの。柳にとってのそれがなんなのか、クリスにはわからない。
 誰も経験したことのない出来事。両親が世界的に有名であり、裕福である生まれ。類まれなる美しい容姿。努力と才能によって獲得した、優秀な学力・高い運動能力。

 同じものになれないから、同じように感じることもできない。でも、クリスは思う。
「いいの、柳の中にあるものなら……私はどんな景色でもいいよ……もしさ……」
 何と例えたら良いのか。クリスは指先から視線を移し、また柳の瞳を覗き込んだ。
「……なに……?」
「うん、もしもの話……」
 両手を握り直した。男の子の手。でも、この手はクリスを優しく導いてくれる手だった。ときには、クリスがこの手を引いたこともある。怖くなんて無い。何も。
「柳がもし、本当は極悪人だったとしても……これから一緒に正しくなればいいでしょ?」
 偽りはない。しかし、この男の子が、本当は極悪人だなんて露ほども思っていない。
 内面の優しさは強さになった。涙は、他者を気遣う判断力になった。だから、全てを受け入れられる。知っている。ずっと隣で見てきた。共に歩き、苦しんでいるのを見てきた。その体温を知っている。涙の在り処を察しようとしてきた。私の努力は無駄にならないだろう。

「本当に……?」
「私、柳に嘘つかないもん」
 心から湧き出る言葉が、静かな空間に響く。いつか柳がしてくれたように、子供をあやすように指先を持ち上げて、ゆらゆらと揺らした。やがて柳もそれに応じて、指先に力を込めてくれた。
 クリスは、できるだけの笑顔を向けて柳に言う。
「柳、苦しかったこと、悲しかったこととか辛かったことを、私に見せて。ゆっくりでいいから……」
 柳は幼い頃のような、ふにゃりと柔らかく解けたような笑顔を見せた。銀の瞳に薄く張られた涙の膜が弾け、その瞬間に景色は大きく波立った。
「ありがと……」


◆◆

 電子的な処理によるものか、それとも生体反応として気を失っていたのかはわからない。ふたりはまるで深い眠りから突然覚めたときのように、瞼を開けた。集中すべき事項の深刻さに反するように頭はすっきりとしている。ふかふかのマットレススプリングに受け止められているかのように、体は軽かった。

「……ん……」
 すぐ隣に柳がいる。身じろぎし、クリスのほうを見た。当たり前の出来事がうれしい。
「……柳、気分はどーお?」
 ごろん。体を柳に近づけて、繋いだ手を空いた手でまた覆う。柳は、目覚めた瞬間と同じ姿勢のままでクリスを映していた。
「全部吐き出したみたいな、すごく身軽な感覚だよ……ちょっとふわふわして、おかしいかな」
 ずっと手を繋いだままだった。まるで小さな頃に幼稚園を散歩したときのような自然さで、二人は身を起こしてふわふわと歩き出す。辺りは海底のような、ゆっくりと漂う暗い何かが満たしている。それでも光源は見られ、それが蛍なのか、太陽なのかクリスは例えられなかった。
「道、わかるの?」
 道などというものはなさそうだ。海底がどうなっているのかは知らないが、ここはまるで地上で言う広すぎる砂漠のような場所。ここが、柳の心の中?本当に?
「……道、というより……うん、おおよその方角は多分、僕が知っている」
 アルカイク・スマイルというのだったか。彼の笑顔は控えめで、最近の彼の落ち着きがそこにあるように見えた。高専に入学してから、柳はより一層魅力的になったと思う。思春期のゆらぎを通り越したような落ち着きは、クリスのみならず流磨や玲緒奈にとっても指標となっているほどなのだ。心の開示という重大な行為に、彼は今、緊張しているようには見えなかった。
 砂漠のようだと思っていた足元だったが、砂に足を取られて体力を消耗することはない。どれくらい歩いたかわからないが、やがて丘の上のように小高い場所に立ち入り、そこから遠くを見渡せることに気づく。

 眼前には荘厳な絵画のような、果てしない幻影風景が広がっていた。
「……海?」
 見知ったものに当てはめるとしたら、やはり、そうだった。
「かもね……」
 それなら、これは海底散歩だ。小さな頃には、絶対に到達できなかった散歩道。いまの二人は特別だった。
 潮の流れが変わったように、黒い何かが背中から遠ざかっていった。クリスと柳は、それぞれ別の色の絵の具を溶かし出したかのように、色とりどりの何かが体に絡みついていた。不思議とその何かが邪魔だとは思わない。
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