星渦のエンコーダー

山森むむむ

文字の大きさ
上 下
139 / 165
巨星落つ闇の中

崖の上にいるのか、海の底にいるのか

しおりを挟む
 知覚が曖昧になっていくのを感じ取っていた。海の底に、行ったことはまだない。きっと、これからもない。

 そこには過去がある。日向貴将がいる。何世代も前から構想され、ついに打ち立てられた人類の、未来への希望。その象徴となった島に生まれ、生きてきた。
 大切な人々に囲まれ、そして彼らは柳を大切にしてくれた。しかしある日突然その中の一人が、鉄の柵から追い出すように柳を地に打ち落とし、消えない傷を残した。
 地上で目を覚ますと音は聞こえて来ず虚無のうちに天を見上げていると、自分を突き落としたはずの相手が、まるで英雄のように自分を看護しようとするのがわかった。何が起きたか、全て理解するには長い時間をかける必要があった。そこで、はたと気づく。

「……しん……だ」
 そうだった。忘れていたが、日向貴将は死んだのだった。自分の目の前で。きっとそれも仕組まれたこと。日向は自分の役に立ちたかったなどと言っていたが、もうその言葉の意味を考える気力もない。
「…………ああ、苦しいな……」
 早く消えたいと願っていたのに、なかなか虚響音と呼ばれる触媒は柳のデータを吸い上げることができないようだった。技術的なハードルが高いことは知っていたが、放っておかれれば余計なことを考えてしまう。自分が死にたくないなどと思い始めたらどうするつもりなのだろう。もう考えても仕方のないことだが。

 世界に蔓延したネットワーク障害という病、いわば柳はそのワクチンとして機能することを目的として、彼らの取引に応じたと見せかけ、内部にエラーとして残るよう自らを使うつもりだった。その時、たしかに自分の生体データを全て奪われ体は衰弱死するだろうが、それで隠蔽者の企みを全て無に帰すことができる。
 長期に渡って虚響音は機能不全に陥るだろう。その間に各企業や国、自治体は対策を打つことができる。彼らによってプログラム自体が停止・消失するなら、それが最も望ましい。再び電脳世界は、美しく便利で明るいもうひとつの世界になる。

 ただ、今は心の中を探られるような感覚から逃れたい。腕にまとわりつく黒い影が、鼓動のように揺れながら吸い付いてくる。
「……きもち、わるい…………」
 暫くのあいだ、思考を手放してみた。こうすると心が休まる。何かを問われ、口から言葉が出ていった。ただ機械的に言葉を発する。何かが触れてくる。
「……あ……」
 目の前に柱。なぜだか、それはガラスのように多層的な光と彩りを纏い、目の前で見知った形をとり始めた。
「柳!」
「シノ!」
「……シノ」
 ああ、思い出してしまう。きっと揺らいでしまうから、どうか遠ざかってほしいと願ったのに。

「……大丈夫? ねえ……」
 鮮烈な感覚をもたらすのは、昔から最も近くにいてくれたまばゆい光。
「帰ってきて……」

 言葉が染み込んでくる。眼の前にいたのは、かつていつまでも隣にいてほしいと願った人。
 他者とのコミュニケーションに必要なものは、言葉による意思の伝達、そして感覚を与え合うことだ。それが実感という形を作ってしまう。戻りたくなってしまう、だからもう、やめてほしい。彼女の背後には長年の親友と、新しい仲間が立っていた。
 認めたくなかった。それなのに知覚してしまえば、彼らの存在は無常にも現実を突きつける。3人は今、柳を取り戻すためにここまで来てしまった。様々な手段でその行動を妨害するよう、プログラムや環境を整えたはずだ。きっと現実世界ではかなりの時間がかかるはずである。外部から協力者が? となれば、きっと学校、おそらく会社や公的機関までが絡んでいる。
 そこまでして連れ戻すような価値は、自分にはない。
「僕なんて…………どうなっても、構わないって、言った……」
 精一杯の心情の言語化がそれだった。深い眠りから引き上げられたかのような、ぼんやりとした発声しかできない。それよりも気がかりなのは、彼らをどうやって現実世界に帰らせるか。
 3人が帰らなければ、柳は自分の情報を隠蔽者のプログラムデータベースに結合させる処理を行えない。それは情報の健全性を保持するためだ。東雲柳というひとつの存在は隠蔽者自身のロジックとなって残り、隠蔽者の目的を遂行させる。柳は、隠蔽者のもたらす悪逆の妨害を最終目標に据え、その一部となって人の命を摘み取る行為を止めることに、全存在を使い尽くすと決めたのだ。それが彼らを守ることに繋がるのに。
「……俺たちはシノを連れ戻しに来たんだ」
 不鮮明な、ノイズまみれの音声が届く。聞こえているよ、流磨。だけど帰るわけにはいかない。君たちのために命を使えることを、誇りに思いさえする。しかし、口から言葉が出ていかない。
「シノ、おれはお前と分かり合えるかもしれないと思ったんだ」
 ユエン、君とはもっと深い話がしたいと思っていた。残念だけど、仕方がない。
「隠蔽者への対応を話し合った夜、お前は本当におれたちのことを思っていた」
 その日のことは、すまなかったと思う。その殆どの内容は、自分がこうすることを決めていなければと仮定すれば、本当のことだ。しかし知ってしまっていた。結果、君には嘘をつくことになってしまったんだ。
「駄目だ、消えたら駄目だ……」
 知覚できる音声がクリアになっていく。不純物が取り除かれ、力強い声が悲しみに揺らぐように、不規則になっていくのがわかった。流磨、君のその声が何度、僕の励みになったことか。
「お前はやらなきゃならないことが山ほどあるだろ!」
 何が……? 僕は君たちの幸せを願っていた。その手伝いをしたかった。様々な努力をしてきた。それでも君たちの邪魔をするだけの存在だった。
 だからもう何もすることなんてない。ないんだよ、ユエン。
「お前はネオトラバースで上を目指すんだろ!」
 あったね、流磨、そんなことを語り合った。だけど、もうそれは無しだよ。そんなものは僕の、ただの欲望に過ぎない。価値のない人間の価値のない目標。そんなものは、忘れ去られることが相応しい。
「……は、………が……」
 突然、音声が途切れる。
「お前はクリスタルを愛してるんだろうが!」
 再度届いてきた言葉に戸惑う。
「……なぎ、」
 眩い光を孕む暖かな体が、接触してきた。
「帰ろうよ……」
 目の前が開けたように、鮮明に広がった。光と闇の狭間、水のように流れる様々なデータと白い枝。硝子と水が混じり合ったような奇妙な空間。その真ん中に自分は、まるで硝子に溶け合ったかのように手足を覆われ、囚われていた。
「柳……起き、た…………?」
 頬を撫でられた。指は細く、この腕が自由に動くなら、今すぐに握ってやりたかった。水と硝子が混じって砕けるような音が続き、耳障りだ。大切な人の言葉を取りこぼしてしまう。
「痛くない? ……腕のやつ、なんか動いてない?」
 彼女の背後に立つ流磨とユエンも、こちらを心配そうに見ていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

君の浮気にはエロいお仕置きで済ませてあげるよ

サドラ
恋愛
浮気された主人公。主人公の彼女は学校の先輩と浮気したのだ。許せない主人公は、彼女にお仕置きすることを思いつく。

お嬢様、お仕置の時間です。

moa
恋愛
私は御門 凛(みかど りん)、御門財閥の長女として産まれた。 両親は跡継ぎの息子が欲しかったようで女として産まれた私のことをよく思っていなかった。 私の世話は執事とメイド達がしてくれていた。 私が2歳になったとき、弟の御門 新(みかど あらた)が産まれた。 両親は念願の息子が産まれたことで私を執事とメイド達に渡し、新を連れて家を出ていってしまった。 新しい屋敷を建ててそこで暮らしているそうだが、必要な費用を送ってくれている以外は何も教えてくれてくれなかった。 私が小さい頃から執事としてずっと一緒にいる氷川 海(ひかわ かい)が身の回りの世話や勉強など色々してくれていた。 海は普段は優しくなんでもこなしてしまう完璧な執事。 しかし厳しいときは厳しくて怒らせるとすごく怖い。 海は執事としてずっと一緒にいると思っていたのにある日、私の中で何か特別な感情がある事に気付く。 しかし、愛を知らずに育ってきた私が愛と知るのは、まだ先の話。

翠碧色の虹

T.MONDEN
ライト文芸
虹は七色だと思っていた・・・不思議な少女に出逢うまでは・・・  ---あらすじ--- 虹の撮影に興味を持った主人公は、不思議な虹がよく現れる街の事を知り、撮影旅行に出かける。その街で、今までに見た事も無い不思議な「ふたつの虹」を持つ少女と出逢い、旅行の目的が大きく変わってゆく事に・・・。 虹は、どんな色に見えますか? 今までに無い特徴を持つ少女と、心揺られるほのぼの恋物語。 ---------- ↓「翠碧色の虹」登場人物紹介動画です☆ https://youtu.be/GYsJxMBn36w ↓小説本編紹介動画です♪ https://youtu.be/0WKqkkbhVN4 ↓原作者のWebサイト WebSite : ななついろひととき http://nanatsuiro.my.coocan.jp/ ご注意/ご留意事項 この物語は、フィクション(作り話)となります。 世界、舞台、登場する人物(キャラクター)、組織、団体、地域は全て架空となります。 実在するものとは一切関係ございません。 本小説に、実在する商標や物と同名の商標や物が登場した場合、そのオリジナルの商標は、各社、各権利者様の商標、または登録商標となります。作中内の商標や物とは、一切関係ございません。 本小説で登場する人物(キャラクター)の台詞に関しては、それぞれの人物(キャラクター)の個人的な心境を表しているに過ぎず、実在する事柄に対して宛てたものではございません。また、洒落や冗談へのご理解を頂けますよう、お願いいたします。 本小説の著作権は当方「T.MONDEN」にあります。事前に権利者の許可無く、複製、転載、放送、配信を行わないよう、お願い申し上げます。 本小説は、下記小説投稿サイト様にて重複投稿(マルチ投稿)を行っております。 pixiv 様 小説投稿サイト「カクヨム」 様 小説家になろう 様 星空文庫 様 エブリスタ 様 暁~小説投稿サイト~ 様 その他、サイト様(下記URLに記載) http://nanatsuiro.my.coocan.jp/nnt_frma_a.htm 十分ご注意/ご留意願います。

時のコカリナ

遊馬友仁
ライト文芸
高校二年生の坂井夏生は、十七歳の誕生日に、亡くなった祖父からの贈り物だという不思議な木製のオカリナを譲り受ける。試しに自室で息を吹き込むと、周囲のヒトやモノがすべて動きを止めてしまった!木製細工の能力に不安を感じながらも、夏生は、その能力の使い途を思いつく……。 「そうだ!教室の前の席に座っている、いつも、マスクを外さない小嶋夏海の素顔を見てやろう」 そうして、自身のアイデアを実行に映した夏生であったがーーーーーー。

佰肆拾字のお話

紀之介
ライト文芸
「アルファポリス」への投稿は、945話で停止します。もし続きに興味がある方は、お手数ですが「ノベルアップ+」で御覧ください。m(_ _)m ---------- 140文字以内なお話。(主に会話劇) Twitterコンテンツ用に作ったお話です。 せっかく作ったのに、Twitterだと短期間で誰の目にも触れなくなってしまい 何か勿体ないので、ここに投稿しています。(^_^; 全て 独立した個別のお話なので、何処から読んで頂いても大丈夫!(笑)

渋谷少女A続編・山倉タクシー

多谷昇太
ライト文芸
これは既発表の「渋谷少女Aーイントロダクション」の続編です。霊界の東京から現実の東京に舞台を移しての新たな展開…田中茂平は69才になっていますが現世に復帰したA子とB子は果してあのまま…つまり高校生のままなのでしょうか?以降ざっと筋を述べたいのですがしかし叶いません。なぜか。前作でもそうですが実は私自身が楽しみながら創作をしているので都度の閃きに任せるしかないのです。唯今回も見た夢から物語は始まりました。シャンソン歌手の故・中原美佐緒嬢の歌「河は呼んでいる」、♬〜デュランス河の 流れのように 小鹿のような その足で 駈けろよ 駈けろ かわいいオルタンスよ 小鳥のように いつも自由に〜♬ この歌に感応したような夢を見たのです。そしてこの歌詞内の「オルタンス」を「A子」として構想はみるみる内に広がって行きました…。

【本編完結】繚乱ロンド

由宇ノ木
ライト文芸
本編は完結。番外編を不定期で更新。 番外編更新 10/12 *『いつもあなたの幸せを。』 番外編更新 9/14 *『伝統行事』 番外編更新 8/24 *『ひとりがたり~人生を振り返る~』 お盆期間限定番外編 8月11日~8月16日まで *『日常のひとこま』は公開終了しました。 番外編更新 7月31日   *『恋心』・・・本編の171、180、188話にチラッと出てきた京司朗の自室に礼夏が現れたときの話です。 番外編更新 6/18 *『ある時代の出来事』 番外編更新 6/8   *女の子は『かわいい』を見せびらかしたい。全1頁。 *光と影 全1頁。 -本編大まかなあらすじ- *青木みふゆは23歳。両親も妹も失ってしまったみふゆは一人暮らしで、花屋の堀内花壇の支店と本店に勤めている。花の仕事は好きで楽しいが、本店勤務時は事務を任されている二つ年上の林香苗に妬まれ嫌がらせを受けている。嫌がらせは徐々に増え、辟易しているみふゆは転職も思案中。 林香苗は堀内花壇社長の愛人でありながら、店のお得意様の、裏社会組織も持つといわれる惣領家の当主・惣領貴之がみふゆを気に入ってかわいがっているのを妬んでいるのだ。 そして、惣領貴之の懐刀とされる若頭・仙道京司朗も海外から帰国。みふゆが貴之に取り入ろうとしているのではないかと、京司朗から疑いをかけられる。 みふゆは自分の微妙な立場に悩みつつも、惣領貴之との親交を深め養女となるが、ある日予知をきっかけに高熱を出し年齢を退行させてゆくことになる。みふゆの心は子供に戻っていってしまう。 令和5年11/11更新内容(最終回) *199. (2) *200. ロンド~踊る命~ -17- (1)~(6) *エピローグ ロンド~廻る命~ 本編最終回です。200話の一部を199.(2)にしたため、199.(2)から最終話シリーズになりました。  以降は思いついた時にぽちぽちと番外編を載せていこうと考えています。 ※この物語はフィクションです。実在する団体・企業・人物とはなんら関係ありません。架空の町が舞台であり、現在日本国内には存在しない形の建物等が出てきます。 現在の関連作品 『邪眼の娘』更新 令和6年1/7 『月光に咲く花』(ショートショート) 以上2作品はみふゆの母親・水無瀬礼夏(青木礼夏)の物語。 『恋人はメリーさん』(主人公は京司朗の後輩・東雲結) 『繚乱ロンド』の元になった2作品 『花物語』に入っている『カサブランカ・ダディ(全五話)』『花冠はタンポポで(ショートショート)』

処理中です...