星渦のエンコーダー

山森むむむ

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巨星落つ闇の中

友情と愛情の選択 役割と欲求の交差

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 迷宮のように複雑に絡み合ったデータの流れを操りながら進む。

 眼前に広がるのは、隠蔽者によって歪められた果てしない仮想空間。電脳世界上はすべてが現実とは異なる規則に従い、幻想と現実が曖昧に混在する。
 クリスは先頭を切って進む。彼女の目はいつものような明るい光を失い、重大な決意を胸に秘めているようだった。足元で硝子が砕けるような音が生成される。一歩進むごとに、奇妙な浮遊感と感触が足裏から背骨を貫いていくようだった。
 これは、なかなかに気持ちが悪い。

「クリス……大丈夫? 流磨も」
 ユエンが心配そうにこちらを見ていた。
 彼はこの中で一番、電脳世界の危険性をわかっている。今ここでの身の振り方や動き方の正解は誰も知らない。隠蔽者によって全ての環境設定を書き換えることが可能な今、電脳世界上に精神を置いている事自体が危険な行為だ。おそらく、学園がこの有事の発生につき、警察組織や各企業との連携が叶ったからこそ許されている、というのが本当のところだろう。
 ユエンも海を超えてやってきたFBIのエージェント。はっきりとは明かさないが、昨夜は流磨の前で色々と表沙汰にならなそうな処理を行っていた。それを問いただしている場合ではないことを、わかっていてのことだろうが。

「なあ、クリス……平気か」
「大丈夫だよ」
 流磨に答えるクリスのその声はどこか硬い。ここで最も大切な人間の生死が別れるというのだから、心境を考えれば無理もない。また彼女は電脳空間へのダイブについても、この三人の中で最も経験が少ない。
「悪いな、ユエン。お前に全部任せちまうような形になって」
「いや、これが最善だろ……未来ノ島で頼りになるものを全て、最小の犠牲で最大限活用するための人選がこれなんだ」
 ユエンは、人には気軽に打ち明けられないような場所や、常識の外にある世界のことも知っているだろう。もし今この場で隠蔽者が全てを打ち壊そうと動いたなら、最後に頼りになるのは、ユエンの経験という積み重ねてきたデータだ。
 それにしても、全てが出鱈目に動いている。触れただけで割れる硝子の壁、足元でうるさい破片が波紋のように溶け、乱反射したゆるやかな明かりの視覚情報に変換される。
 人が動くことを前提としていない。道という道もない。得体の知れない場に降り立って歩くことの恐怖が、精神を少しずつ摩耗させてゆく。

「おれがしっかりやるよ…」
 ユエンが殿を務めるというのは納得のポジショニングだった。しかし競技用領域の外を歩いている今、このアバターの性能がどこまで通用するかもわからない。
「……ユエン、クリスのほうを集中してみてやってくれ」
「わかった」
 歩いていると、流磨は自分がかなり間抜けな気すらしてくる。こんな甲冑のような、大層なアバターで。柳とこれを作った時、もう少しやりようはあったのではないかと少しの後悔をした。
 ふと、ユエンのアバターのデザインに目が行く。彼のアバターグラフィックも個性的なものだ。例えるなら戦国武将か、三国志のなにかのキャラクターにこういうのがいた気がする。

「そういや、そのアバターなんか……すげーな」
「これか、ベースは自動生成だけど……ほとんど作ったんだ、友達が」
 立ち止まって、ユエンはこんな時にも関わらず笑顔を見せた。友達。その言い方はきっと、あのロケットに入っていた彼だろう。
「それって、あの」
「あー、今はなしにしよう。シノに集中すべきだ」
 電脳世界の彼方、まだ人間の精神を電脳世界に自由に出入りするための技術が確立していない時代から、この場所は存在している。色硝子でできた迷宮。方角もわからなくなるような変化を常時続けられ、およそ方位というものが見えないこの空間では、勘も失ってしまう。

「俺らはどうすりゃいいんだ? ユエン」
「そのままで大丈夫だ。この空間の主導権を今握っているのは、おそらくシノの方だろう……おれたちにまだ何もしてこないのがその証拠だ」
 クリスと流磨は頷き、薄い硝子を砕きながら進む。どこへ向かうのかはユエンが分析した座標に定めているが、数値的には目の前に広がる滝のような何かを超えた場所にある。
 地球が球状であることを人間が把握するはるか前、皿のような海の上に地面が広がっているという図が作られていたが、それによく似ていると思った。
「クリス、足場は大丈夫だ。その壁を砕いたら降りて」
 ユエンは波紋の動きを見て安全を判断したようだ。この空間の支配者がこちらを攻撃する意図を持てば、現実世界で物理的な怪我が避けられない体験をさせることによって、恐怖を植え付け、精神的に人を傷つけることも可能だろう。

「……抜けた」
 流磨に続いてクリスが、皿の周囲で開かれた場所に降り立つ。気がかりなのは、皿の下から広がってくる鼓動のようなさざなみ。柳の心境と繋がっているのだとしたら、これはきっとよくないことが起こっている。確証はない。しかし島に引っ越してきて以来、流磨にとっても海は身近な存在だ。島の人間は海を見れば、少しだけ先の未来がわかる。
「このでかい円盤みたいなのの下の…真ん中にシノがいる」
 波紋のように広がる群青の揺らぎは、まるで柳の現在の様子を表しているようだ。
「……ほんと? ユエン」
「ああ、隠す気はないみたいだ。だけど多分あまり状態はよくない……自分のことなんてどうなってもいいとか言ったらしいけど、シノはもう自分がこれから生存することを考えていないのかも知れない」
 クリスは唇を噛んで俯いたが、なにかに耐えるように前を向いた。
 心配でたまらないだろう。奇妙なのはクリスをはじめ、自分たちの存在が浮き上がるようにほのかに光っていることであった。これは、わずかながら自分たちに対して柳が希望を見ている、という意味だろうか。

「なんだろ、あれ」
「……人間が電脳空間を生成する役割を代替する場合、ある程度現実世界の物理法則を守っているのが大概だ。シノも地球育ちだし、あれはまあ、下に落ちたものが壊れてるってことだろうな」
 ユエンは左腕に展開された情報分析用ギミックを使って、遠くに落ち滝のようなデータの流れを観察していた。
 色硝子が音を立てて割れ続けている。枝葉がそれとぶつかり合い、相互に壊れ、果て、腐敗するかのように海に溶けていた。破壊の跡はその枝の流れに沿って遮られている。
 彼の意志を反映して白い枝が動いているのだとすれば、まだ彼の意思を現実に戻すことも可能なように思える。柳は、破壊を望まないだろうから。
 ユエンは危険は無いと判断したらしい。またゆっくりと歩き始める。

「行こう……」
 ユエンに倣い、流磨とクリスも再度踏み出した。
 可視化されたセキュリティファイヤーウォールは、しかし侵入者からの破壊行為を事前に見知っていたかのように崩れる。まるでこの先に待つ絶望へと誘いながら、こちらの力を試しているかのようだ。まだ彼の姿は見えない。
「柳……大丈夫かな……」
「さっき状態良くないとは言ったけど、この空間のグラフィックはかなり具体的だ。意志がしっかりしているから形を保っていられる」
「つまり……少なくともまだ生きてる、やりたいことがはっきりしてるってこと?」
「そういうことになるね……案外、居眠りしてるだけとかかもしれないな」
「……なあに、それ」
 クリスがようやく笑った。

 柳は起きているだろうか。それとも、眠りについているのだろうか。そうであったら、まずは揺さぶりでもして起こしてやらねばなるまい。柳は一見柔いようでいながら、実は転んでもただでは起きないような奴だ。
 遠くに広がる翼の骨格が見えた。島外のネットワークは白く塗りつぶされ、前に進むにも進めない闇を形成していた。
 この災害はホワイトホールと呼ばれ、あらゆるメディアの配信映像、画面全体を白く覆って視界を奪っていくさまから、その放出し続ける存在に例えられていた。
 作為的なものを感じた。柳の異名と共通点を持たせ、まるでこの大災害の犯人その人であるかのような演出。そうとしか、流磨には考えられない。そして、これが東雲柳の自由意志によって行われていることとは、絶対に思えない。

「……白き死神」
 流磨が口にした名に、クリスは足を止めた。
「……どうしたの? 流磨」
 怒られるかと思った。または、泣かれるかと。クリスはただ、幼き日のようにこちらを振り返っている。
「いや……」
 口元だけで薄く笑う。泣きたいくせに。
「柳は、死神だと思う……?」
 何と答えても良い、そんなことを言っている気がするのだが、彼女はそれを音にはしない。
「いや、全然」

「よかった、同じだ」
「ユエンは?」
「うん、俺もなんか……うん、やっぱり違うよな」
「あはは!」
「一度この名前考えた奴に、シノのやつを会わせてやりてーな」
「いいね! 特定できない?」
「うーん、ちょっとそれはかわいそうじゃない?」
「あー、黒歴史確定だな」
「いえてる」
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