星渦のエンコーダー

山森むむむ

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清濁併せ呑む

姉であり、妹である。親友であり、姉妹でもある。

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 静まり返った校舎内は、今の心境に反したように何もない。
 柳は、まだあの隔絶した空間に一人きり。ユエンらの解読によって生体反応のみが辛うじて確認できたが、他の情報を与えてくれない。
 クリスは、生きることを拒絶するかのような計画の数々に絶望しそうになる。非常用ベッドの上、薄い寝具を体に巻き付けても、眠れそうになかった。

「クリスちゃん、寝た?」
 親友が話しかけてくる。返事をしようとするが、酷い気分の落ち込みから声が出にくい。気力もない。夜は嫌だ。余計なことまで考えてしまう。

「私、シノくんのこと、お兄ちゃんみたいだとおもってたよ。シノくんも私のこと、妹みたいに面倒見てくれたし……」
 構わずに玲緒奈は話を続けるつもりのようだった。目を閉じて、耳を傾ける。後ろで彼女がこちらに向き直った気配がした。空調の音、衣擦れの音。眠気はやってこない。

「シノくんは私のヒーロー。お兄ちゃんと一緒に、私を助けてくれる。私、クリスちゃんの彼氏さんになるのを待ってるって言ったけど、やっぱりシノくんはクリスちゃんが大好きだよ。それは絶対だから」
 幾度となく繰り返し送られてきた励ましの言葉。しかし、今夜は少し違った。続けて玲緒奈は、彼らをずっと見ていた、弱い小さな女の子の頃から思っていたことを告げる。

「ねえクリスちゃん、クリスちゃんが告白しないのって、本当は勇気がないからじゃないんでしょ?本当は……本当はシノくん、あの九歳のときの事件でおかしくなっちゃって、クリスちゃんのことを好きな自分が受け止められなくなっちゃってるんだよね?」
 柳は、浮いた存在だった。なんでもできるのに泣き虫で、よくからかわれては泣いていたが、それは感情を表すことを躊躇しないことの裏返しだ。

 あの事件は、柳の器を粉々にした。
 感情を消し去ろうとしていたが、それは叶わない。生きているから。
 代わりに彼は、全ての内心を悟られぬよう、偽りの人物を演じるようになった。
 自分に向けられる好意には、形式以上のものを返さない。社会通念上問題ないラインでしかやりとりをしない。聡いくせに、人の心に深く立ち入ろうとしない。自分の心にも立ち入らせない。その姿さえ見せようとはしなかった。
 クリスは、その奇妙なパーソナリティを解読するため、時間をかけてトライアンドエラーを試み続けた。今、彼はその全てを無にし、消え去ろうとしている。

「だからそのことを考えたり、クリスちゃんの好意が恋愛だって気づこうとするとき、考えが曲がっちゃう……ってことだよね?」
 それが答えだ。
 気づいてたの?言おうとして、口を噤む。柳は単なる恋愛音痴。病的に鈍いだけ。周囲の評価は大抵そうだった。

「クリスちゃんはずっと戦ってた。シノくんが倉庫で殴られたときに好きなんだって気づいて、強くなろうとして色々頑張ったり遠回りしたり、逃げちゃってた時もあったけど、だけどそれも全部全部シノくんのことを、元々のシノくんに戻してあげたいからだったんだよね?」
 ああ、れおちゃんはすごいな。全部お見通しだったんだ。隠そうとしていたことがばかみたい。侮ってたよ。こういうところ、お姉ちゃんみたいだよね。

「自分を責めちゃうのは、クリスちゃんだから。」
 自分を、責める?そうか、私は自分を責めていたのか。

「クリスちゃんは一生懸命にシノくんを愛してる。私はまだ好きな人ができないけど、クリスちゃんみたいに大好きな人に一生懸命になれたら素敵だなって思うんだ」

「クリスちゃんは親友だって言ってくれるけど、私はそれプラスで、憧れのお姉ちゃんみたいにも感じるよ。いつもありがとう」
「明日、がんばろうね。私はここで待ってるから。ねえ、今日だけこうしていてもいい?……クリスちゃん、すごくあったかいよ。シノくんのことが大好きだね。悲しいね……」


◆ ◆ ◆ ◆ ◆


「え?! こんなちゃんとした食事……いいんですか?」
「色んな大人が校内にいて、なんか私たちのことを色々やってくれてる……」
 リリアと鞠也、それに長岡が来てくれた。様々な事態に対応するため、彼らはジャージ着用だ。ネオトラバース部のメンバーたちは技術面での対応、各種連絡、外部からの協力者の補佐、また能力の高いものは第一線に投入される。
 三人は中心メンバーに近い友人として、技術面以外の細かなサポートを担当することになっていた。

「お前たち高専生の専門性は高い。しかもここは多数のネオトラバースプレイヤー・サポーターを排出する世界七大名門校のひとつだ。この事態では本土から人を集めるより、今ここにいるお前たちを大人がしっかりとサポートするほうが、効率も成功率も高いと判断した。まあよくない顔をする奴もいるだろーが……そんな時のために大人のコネというものはあるっつーことだ」
 渋川は各リーダーのために作られた指示担当者ブースからはみ出して、椅子をリクライニングさせて遊びながら説明する。
 この人がその大人のコネとやらを使って何をしたかは知らないが、協力者の一覧に新たに加わった顔ぶれを見るに、何やらとんでもない知り合いが多数いることはわかった。
 ユエンは背後にいたヴィンセントからデジタル書類を弾かれ、デバイスに受けた。その書類には、数々の企業の名が連なっている。長岡たちは目をむいた。
「……今回のことって、ただの学生が繭に閉じこもったっていう話なんじゃないんですか?」
「すごい、なんだこれ……? これって、東雲のスポンサー企業一覧じゃないですよね?」

 ヴィンセントがその場で彼らに話し始める。
「君たち学生にはあまり気持ちよくない話かもしれないが、東雲柳は既にこの島の経済の一部ともいえる。広告もCMも、繁華街にある立体広告も、毎日のように見ているだろう?彼が使われているのを。あの大きな存在は我々の生活に影響を及ぼす。そうだな……観光業は痛いんじゃないか。この島は東雲柳の聖地だから」
「なるほどぉ……勉強になります!」
「そんなこと言ってる場合じゃない」
 リリアの敬礼に長岡がツッコミを入れた。
 鞠也は事態の深刻さを最初から理解していたようで、彼らの会話を黙って聞いていた。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 予定時刻まであと一時間と迫っていた。
 クリスと流磨、また彼らのモニタリングも担当するユエンは生徒たちでごった返す部室内から離れ、心と体の準備をする。
 ネオトラバース部はほぼ全員が協力者として集合していた。別室にクラスメイトを中心としたメンバーが別方面からの助けを提供している。六十人以上の生徒が登校したことになる。

 実戦投入メンバー、補佐メンバー、食事やハード面でのサポート、連絡などを受け持つ専門外や一年生のメンバーと大きく三つにグループを分け、今は高崎が部室からモニターで指導している。

 柊は技術者が着用する自社制服のジャケットを着ていた。やはりスーツでは長時間の指揮に適さなかったのだろう。
「セキュリティチェックの進捗は」
「あと三十分程です」
 技術者と大学教授が連携し、セキュリティ面での補強を試みていた。サファイアとの連絡も密にとられ、ヴィンセントは柊と彼らの間を行き来している。
「島のネットワーク接続済み。優先して処理されますので、ある程度のサイバー攻撃には対処できます。今処理を一部変更して効率を上げる作業が佳境に入っています。定刻には間に合わせます!」
「アバタープログラムは?」
 情報学の教師たちが柊の部下たちと共に、情報集中処理用バイザーを使用して次々とアバターに手を施している。

 姿形は変わらないが、ユエンの特定した隠蔽者が柳を誘き出す電脳上の座標は、通常のネオトラバース用スポーツアバターで立ち入ることが安全にどう影響するか懸念される。
 動きを阻害せず、様々な攻撃を断つための高度な技術が必要だ。

「タイプKは元々堅牢なセキュリティ対策が施されていましたので、昨日から最新のサイバー攻撃に対応できるよう書き加えています。間に合います」
「よし」

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 部室やクラスメイトたちが待機する教室とは少し離れた空き教室。
 流磨はネオトラバース部ジャージに着替えていた。隣室ではリリアらに伴われたクリスが着替えている。
 何が起きても対応できるように。その言葉の裏には、危険が伴うという意味が含まれている。
 もしかすると、あまりの恐怖や精神的衝撃で、心臓や脳波に影響があるかもしれない。
 緊急対応のため繭から排出された現実の体が纏う衣服は、簡素なもののほうが良い。そのまま心肺蘇生法や人工呼吸に入る可能性だってある。

 繭に入るのも数年振り。
 その点もあり、流磨はやや緊張していた。ユエンは共にジャージに着替えていたが、部室から流れる指示系統者向けの音声に耳を傾けていた。
 流磨はその音声を自分にも聞かせて欲しいと願い出る。更に緊張してしまい良くないのではないかと返されたが、今は逆に状況を知りたいと押し切った。
 その時、自らとクリスのアバターの現状について、セキュリティ面での進捗が共有された。
『タイプKは元々堅牢なセキュリティが……』

「そのタイプKって、俺のアバターのこと?」
「そうだけど……」
 ユエンは当然のことのように返答する。なんだこの風習は。コードネーム?恥ずかしい。
「普通に清宮でいいじゃん……」
「いや、こんだけ人数いるし、大規模だし、シンプルにしたほうがいいだろ。クリスもタイプCって呼んでる」
 渋々ため息で承諾した。

「なんか、すげーことになったな……ほんとに」
 隣室のクリスを思う。彼女こそが最も緊張しているのだろうが、きっとあえて明るく振る舞うことで不安を消し飛ばそうとしているのだろう。
 リリアの大きな声が聞こえてくる。

「俺……クリスを支えて、シノを連れて帰る」
 そうだ。自分と玲緒奈に、柳とクリスが加わった。四人で笑い合ったあの小さな頃のように、また当たり前に隣にいる幸福を味わいたい。
「羨ましいよ」
 ユエンはぽつりと言った。あ、とつい声に出してしまい、慌てる。
「悪い、お前の友達……その」
 ユエンは笑った。
「いや、死んじゃいないんだ。死んだようになってるってだけ。おれこそ悪い。お前の方が大変な時に」
「……俺の方がとか、そんなん関係ないだろ。じゃあ終わったら聞かせろよ、そのお前の友達のことをさ」
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