星渦のエンコーダー

山森むむむ

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泡沫夢幻

おれが進むべき道を誰かに決めてほしい。そう思うくらいに痛かった。お前は仲間だと思っていた。だからこの判断は、

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 柳の周りの空気が変わっていた。
 校内での彼の孤立は、日に日に明らかになっていった。
 誰もが感じる彼の変化に対して、ユエンだけが異なる様子を見せていた。柳が他人を遠ざけることに内心でどれほど苦しんでいるかを想像している。

 デバイスが会話を求め点滅した。ユエンは即座に展開させ、名前を確認するとすぐに応じる。
「シノ」
 ARで表示された柳は、以前の彼と変わらないように映った。
『ユエン、ちょっといい?』

 ユエンは柳を見、少し驚いた表情を浮かべたが、すぐに微笑みに変えた。
「もちろんだ。どうした?」
 柳は誘いの言葉を続けた。
『今日この後、少し話がしたいんだ。お互いの今後のことについて』
 ユエンはすぐに頷いた。
「分かった、行こう。シノから話があるなら聞きたい」
 その時、ユエンのデバイスが再び震えた。一言断り、ユエンは音声だけをオフにして応じる。
「はい」

 相手は長岡だ。しかし影のある表情が、これからもたらされる言葉への不安を煽る。
『ユエン、清宮。クリスが大変なんだ。俺じゃ無理だから、第三校舎北のベンチに来てほしい』
 流磨との同時通話であることを知る。緊急性を感じ、すぐさま了承した。画面上の柳の顔が僅かにそらされたように見える。

『どうしたの?』
 何事もなかったかのように問われるが、ユエンもそのように返答した。
「ああ、ちょっとね。ごめん、今すぐ行かないといけない用事があって、それを忘れてた。明日でいいか?」
 柳は承諾する。ユエンはデバイスを一旦閉じ、教えられた場所へと向かった。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 図書館で得た事実を、ユエンは反芻する。

 柳が彼らと一緒にいる場所に危険が頻繁に発生するというログがアーカイブに追加されていた。
 そして彼がそれらの瞬間に常に関与していると錯覚させる内容。これらの偽情報は、柳が自分の行動を見直し、親しい人々から距離を置くという決断を下すためのトリガーとなったのだろう。
 映像、写真、文書、断片的な情報、全てが作られたもの。

 彼が孤立することが、組織の計画にとって最も効果的な戦略であると考えられる。

 知らぬ間に周囲の人々を危険に晒しているという偽りのストーリーは柳にとって混乱をもたらし、自らが愛する人々を危険に晒していると誤解させることで、自主的に孤立を選ぶよう仕向けるものに違いなかった。
 この情報操作は心理的負担を増大させるだけでなく、行動を予測可能にし、組織が追い詰めるための策略だ。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 冷たく澄んだ空から、星たちが島を見下ろしていた。

 夜が更けた未来ノ島の公園。
 近くには単身の学生向けに、集合住宅が立ち並ぶ一角がある。この近くでユエンは一人暮らしをしていた。
 柳とユエンは、ひっそりとしたベンチに腰掛け、静寂に包まれた空気の中にいた。

 ユエンは重い話を始める準備をしていた。視線は一点を見つめ、その表情は決意に満ちている。やがて彼は、大きく白い息を吐き出した。

「シノ、おれは……アメリカで両親を失った」
 思いがけない言葉に、柳はユエンの顔を思わず見つめる。
「……え?」
「仲は良かったし、なぜなのかはわからない。突然、失踪した」
 声には、かすかな震えが含まれてしまう。
 柳は、言葉を失いながらもユエンに寄り添うように身を乗り出した。小さく頷く。柳自身の聞く意思を示されたのだと気づいたユエンは深呼吸を一つし、話を続ける。

「おれを育ててくれたのは、おれのじいさんとばあさんなんだ」
「そうだったんだ……」
「そして、去年の出来事だが……おれは、奴らによって親友も失った」
 ユエンの言葉は、夕焼けに切り取られた影をさらに鋭くしていた。両親の失踪に、さらに動く動機を加えたのが、この親友に起きた出来事だった。

「……いや、正確には、そいつは死んではいない。けど、人格を変えられた。殺されたようなもんだ。そしてその犯人はおそらく、おれの両親が失踪したことと……」
 言葉を切る。ユエンの心には、未だに信じられないという絶望が宿る。

 柳は沈黙の中、じっとユエンを見つめ続けていた。
「──お前のことを付け狙う奴と同じだよ」
 驚愕に息を呑んだ柳にしっかりと向き直り、ユエンは更に重ねる。
「その『奴ら』とは──」

 告げなければなるまい。
 この友人は、奴らによって幾度も傷つけられてきた。そしてこれからも────そんなことは、ユエンは絶対に嫌だった。

 春、ユエンは柳を知った。
 最初は、自分の目的さえ果たせればいいという考えがあったことは事実だ。しかし、何気ない日常、彼の周囲の温かい人達。
 人々を一様にして虜にする柳の人格に、ユエンは言いようのない親しみを感じていた。
 もう、眼の前の少年を餌に奴らを暴こうだなんて、考えることはできないのだ。
 ならば彼の身を案じ共に戦う道を選ぶよう、知り得た情報をすべて渡しフルに使うことが、ユエンのできるせめてもの贖罪だった。

「────隠蔽ヒドゥンハンズ。何らかの理由でお前の存在を欲している、世界的な犯罪シンジケートだ」

 ユエンの声は静かだが、その中には怒りと、戦う決意が明確に感じられた。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 光が未来ノ島の高専校舎を柔らかく照らしていた。ユエンはいつものように校門をくぐったが、深い思いに沈む。そんなユエンに柳が声をかける。
 周囲に人影はない。

「おはよう、ユエン」
 ユエンは柳の顔を見て、軽く頷く。
「シノ……おはよ」
「どうして僕より暗い顔してるの?」
 柳の声には心配が滲んでいた。ユエンは少し躊躇いながら、本音を吐露する。
「……お前なあ、怒らないのか?」

「何を?」
 柳は真っ直ぐにユエンの目を見つめていた。その色が痛い。
「……おれはここに来た頃、最初はお前を……利用するつもりでいた」
 ユエンの言葉に、柳は静かに耳を傾けている。
「………そう」
 柳の反応は意外にも穏やかだった。ユエンは続ける。
「……アメリカでお前の存在に気づいて、しかもおれと同い年だと聞いた時……おれの頭の中は、奴らへの憎しみでいっぱいになった……!」

 柳はただ、「うん」と応えるだけだった。
「……お前に近づいて、奴らの餌にする。そして奴らの目的を探り当てて、親友を取り戻す。そればっかりだった」
「……無理もないよ」
 柳の声には、理解の姿勢が感じられた。
 そんなはずはない。そんなことは、自分が許せない。ユエンは思わず顔を上げ、声を荒らげた。

「……だから、少しは怒ったらどうだ?! おれはお前を裏切ろうとしてたんだ! 復讐心だけで、お前という人間が苦しむ結果になることも構わず、一年近くも知っていたことを教えずに……近くを彷徨き回ってただけだ! 自分の都合を押し通して、隠蔽ヒドゥンハンズの餌になりそうな、ちょうどいいヤツがいるって……!」
「ユエン……」
「……ごめん。言葉にしたら思い知った。やっぱりおれは最低だ。全米チャンピオンとか、ネオトラバース選手とか、そんなのは実際のところ、何の役にも立たない。おれは自分の憎しみを飼い慣らすことのできない、本当に酷い野郎だったんだ……」
「大丈夫。僕は怒ってない」

「……は?」
 驚き、柳を見返す。
「だってユエンは昨日、教えてくれただろ?」
 柳の声には暖かさがあふれていた。その温度に呆れる。子供の頃には誰もが持ち合わせる、人間の本来持つ善性を思い出した。
 ユエンは親友を失った危機感、義務感、怒りから、鎧に覆われたまま彼に対峙していたことに気づく。しかし東雲柳に対して、きっと鎧は必要ない。
「お前……」
「いいんだ。僕は今日、無事に君の目の前にいる。それ以上に望めることなんてなかった。そうだろ?」
 ダレルとはまるで違う人間に、彼と同じ目つきで見つめられている。ユエンにとってこの瞬間は慰めとなった。
 海を越えて異国に渡り、自分と同じような色をした人間たちに囲まれていながら、誰にも心を開けなかった。全てが報われた気がした。
「……どこまで、お人よしなんだよ……」
 ユエンの声には、敬意が混ざり合う。

「いいよ、それでも……でも、悪いと思ってるなら……ユエン。一緒に戦う方法を考えよう」
 ユエンの目には、絶望の中に見えた希望の光が再び宿る。
 流れる空気は重く、しかし同時に何か新しい絆で結ばれているようだった。ユエンは深く息を吸い込み、柳に向かって頷いてみせる。
「ありがとう、シノ。本当に……ありがとう」
 発した言葉は、これまでの重荷を下ろした後の解放感に満ちた。
 柳は微笑みを返し、力強く言う。
「一緒に、隠蔽ヒドゥンハンズを見つけよう。お互いのためにも、これからのためにも」
 その瞬間、二人の間には新たな誓いが交わされたように感じられた。

 校舎のガラスが朝日に輝き、周りには日常のざわめきが戻り始めている。
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