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泡沫夢幻
幽霊としての訪問者
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柳は、部室で静かに他の部員を見守っていた。
その時、内ポケットの中で手帳型デバイスが震えた。
かつてのライバルからのメッセージだ。
現在も活動中のこのライバルは柳への敬意を表し、柳のプレイが自身のキャリアにどれほど影響を与えたかを語る。必ず戻ってこい、とも。
柳は未開封のメッセージが数件溜まっていることに気づいた。そういえば、最近はメッセージの確認を怠っていた。
気が緩んでいるな、と自嘲しながら、メッセージを展開する。
中学校時代の友人からのビデオメッセージだった。今はコーチになりたいと勉強しているこの友人は、柳の存在が自分の考え方にどう反映されているかを教えていた。
柳はこれらのメッセージを静かに受け止め、返信は後で纏めてすることにしてデバイスを内ポケットに仕舞う。
部室の窓の外を眺める。
自分の過去を振り返れば、ネオトラバースに対する情熱だけが真実だと感じる。そしてその感情が、何を支えに息づいているのかも。
柳は部室で一人静かに立ち上がり、ネオトラバース用の新しい設備を眺めた。
サポート要員としての新たな役割に思いを馳せ、未来に対する新しい計画を練り始め、暫し瞼を閉じた。風に遊ぶ葉が一枚、柳のいる窓辺に降り立つ。
この頃は、まだ夏が終わったばかりだった。
柳はすべての思い出と区切りを付ける。幼馴染にも親友にも背を向けて、ただ一つの願いだけを叶えるために、すべてを、全てを掛けるつもりだ。それが恩人たちへできるせめてものことだ。
柳は、昼休みのバスケットボールのコートを遠くから眺めている。
その目は空虚で、何かを深く見つめるようでありながら、実は何も見ていないかのように感じていた。
部活動においても日常の変化は顕著である。指導者としての指示は必要最低限に留め、かつての熱意や生徒たちへの丁寧なフォローは影を潜めていた。そのように調整した。
部員たちは彼の指示を黙って受け入れるが、その指示の背後にあるものを理解できずにいる。クリスに対する彼の態度は、特に異常性を帯びている。
かつて彼女は柳の最も大切な人であり、彼女の存在は彼の日常に欠かせないものであった。しかし今、柳はクリスを明確に遠ざけ、時には冷たくあしらうようにさえ見える。
言葉は切実でありながら、それを伝える声には感情が籠もっていない。
「……クリス、君には関係ない」
彼のこの言葉に、クリスの心は深く傷ついたらしい。彼女は柳の変わり果てた様子に、ただただ戸惑いを隠せないでいる。これでよかった。
校内では柳の変化について囁かれる声が日に日に高まり、柳はかつてないほどの孤立を深めていった。
この選択は柳自身にとっても苦痛であり、心を痛めるものであったが、他に選択肢がなかった。真相は内面に秘め、外部には明かさない。
校内のざわめきや囁き声に柳の心は揺らぐことはなく、ただ静かに、しかし確固たる決意を持って、孤独な戦いを続ける。
◇
柳の周囲に漂う異変は、次第にクラスメートたちにも感じられるようになったようだ。
静かに自分の世界に閉じこもる様子に、リリアと鞠也は放課後、クリスが向かうので柳のもとへと近づいてきた。
「……柳? 今日は一緒に帰るよね?」
その問いかけに、柳はゆっくりと首を横に振る。
「……一人で帰って」
クリスの眉間にしわが寄り、彼女の声には不安が滲む。
「……柳……」
「用事がある」
出した声は断固としていて、視線は意図的に遠くを見つめていた。クリスは少し間を置いてから、再び言葉を続ける。
「……今日も図書館なの? じゃあ私も……」
「帰れ」
柳は彼女に背を向けて冷たく言い放った。その一言にクリスの顔が強張り、その目からは涙がこぼれ落ちる。
柳の心の中では、クリスを遠ざけることが彼女を守る唯一の方法だという思いが強まる一方だった。
彼女に対する情が、この過酷な決断を下す原動力となる。その一心で柳は自らの感情を押し殺し、戦いを続ける決意を新たにする。
自分の名前を呼び、泣き崩れる声が響いていた。心臓は冷たく縮み、動く手足がぎこちなく感じられる。
悲しまないでほしい。どうか、幸せな人生を送って欲しい。
そのためには、情熱に蓋をする。二度と笑顔を見られなくてもいい。
それで構わなかった。この先、自分のことを忘れてくれたら。
苦悩の末、暗闇に見出した結論だ。誰にも邪魔はさせない。破滅に陥ったとしても、永久の苦しみを味わうことになっても。
デバイスが通話を要求する相手を知らせる。渋川レンだった。
「───はい」
ハンズフリーのまま応じる。渋川も音声のみで、姿は映し出されなかった。
『何する気だ、お前』
軽妙な声音は影を潜め、鎮痛な低さで問われる。
「渋川さんには、隠し事はできないんですね」
口元だけは笑顔で返答した。顔は見られていないはずだ。
『ああ、わかるよ。お前が今、どんなひでえツラしてんのかも』
考えていたことをずばりと当てられたことに気づき、取り繕うことさえできなくなっている自分がおかしかった。
「いいんです、渋川さん」
『よくねえ』
「……これでも、色々と調べて、考え抜いて出した結論なんですよ。渋川さんが相手でも、譲る気はありません」
デバイスを通じて、渋川が息を呑む声が聞こえる。
『……桐崎クリスタルは』
その名前は、今は聞きたくなかった。
『あの娘は、きっとお前を追いかけるぞ。どれだけ突っぱねても、どこまでもずっと』
一番の懸念は彼女だ。意味がない。彼女のために行動を起こすのに、彼女を危険に晒すような真似はできなかった。
そのために今、数々の考えを検討しているところなのだ。
「……どうにかします。いくらクリスでも、僕に愛想をつかすように」
なにかを言いかけた渋川の声を遮断し、デバイスをオフにして図書館へと向かった。
結論はもうすぐだ。急がなくては。一分一秒すら惜しい。
帰宅すると仮眠のためベッドに潜った。身体は悲鳴をあげているが、休む訳にはいかない。
命がかかっているのだ。大切な人のため。そのためになら。
泥のように眠る。
こんな眠り方は生まれてからこれまでしたことがなかった。寝不足と過眠を繰り返し、それが原因で精神がすり減っていくのが自分でもわかる。
今更プレッシャーを感じているのか?
できることはすべてやったつもりだったが、もう何もできないのかもしれないという恐怖も同時に生じていた。放課後になるとすぐに図書館へ向かう。
最後の計画書を電子ノートに構築し終えると、それらを全て頭に入れまた今日も自宅へと向かった。
もうブレザーのジャケットだけでは寒い。暗くなった校舎内には、熱を奪うための風だけが走っている。
ぐらぐらと覚束ない精神を縛り付けて前を向く。
すべて終わるまでは倒れるな。お前はここで脱落する人間ではない。
そんな資格すら、東雲柳にはない。
あの日死んだはずの命を、今こそ使い果たせ。価値ある人間たちのため、髪の毛一本も無駄にしてはいけない。
そうすることで初めて、今まで積み重ねてきたすべての努力が価値を持つのだから。
その時、内ポケットの中で手帳型デバイスが震えた。
かつてのライバルからのメッセージだ。
現在も活動中のこのライバルは柳への敬意を表し、柳のプレイが自身のキャリアにどれほど影響を与えたかを語る。必ず戻ってこい、とも。
柳は未開封のメッセージが数件溜まっていることに気づいた。そういえば、最近はメッセージの確認を怠っていた。
気が緩んでいるな、と自嘲しながら、メッセージを展開する。
中学校時代の友人からのビデオメッセージだった。今はコーチになりたいと勉強しているこの友人は、柳の存在が自分の考え方にどう反映されているかを教えていた。
柳はこれらのメッセージを静かに受け止め、返信は後で纏めてすることにしてデバイスを内ポケットに仕舞う。
部室の窓の外を眺める。
自分の過去を振り返れば、ネオトラバースに対する情熱だけが真実だと感じる。そしてその感情が、何を支えに息づいているのかも。
柳は部室で一人静かに立ち上がり、ネオトラバース用の新しい設備を眺めた。
サポート要員としての新たな役割に思いを馳せ、未来に対する新しい計画を練り始め、暫し瞼を閉じた。風に遊ぶ葉が一枚、柳のいる窓辺に降り立つ。
この頃は、まだ夏が終わったばかりだった。
柳はすべての思い出と区切りを付ける。幼馴染にも親友にも背を向けて、ただ一つの願いだけを叶えるために、すべてを、全てを掛けるつもりだ。それが恩人たちへできるせめてものことだ。
柳は、昼休みのバスケットボールのコートを遠くから眺めている。
その目は空虚で、何かを深く見つめるようでありながら、実は何も見ていないかのように感じていた。
部活動においても日常の変化は顕著である。指導者としての指示は必要最低限に留め、かつての熱意や生徒たちへの丁寧なフォローは影を潜めていた。そのように調整した。
部員たちは彼の指示を黙って受け入れるが、その指示の背後にあるものを理解できずにいる。クリスに対する彼の態度は、特に異常性を帯びている。
かつて彼女は柳の最も大切な人であり、彼女の存在は彼の日常に欠かせないものであった。しかし今、柳はクリスを明確に遠ざけ、時には冷たくあしらうようにさえ見える。
言葉は切実でありながら、それを伝える声には感情が籠もっていない。
「……クリス、君には関係ない」
彼のこの言葉に、クリスの心は深く傷ついたらしい。彼女は柳の変わり果てた様子に、ただただ戸惑いを隠せないでいる。これでよかった。
校内では柳の変化について囁かれる声が日に日に高まり、柳はかつてないほどの孤立を深めていった。
この選択は柳自身にとっても苦痛であり、心を痛めるものであったが、他に選択肢がなかった。真相は内面に秘め、外部には明かさない。
校内のざわめきや囁き声に柳の心は揺らぐことはなく、ただ静かに、しかし確固たる決意を持って、孤独な戦いを続ける。
◇
柳の周囲に漂う異変は、次第にクラスメートたちにも感じられるようになったようだ。
静かに自分の世界に閉じこもる様子に、リリアと鞠也は放課後、クリスが向かうので柳のもとへと近づいてきた。
「……柳? 今日は一緒に帰るよね?」
その問いかけに、柳はゆっくりと首を横に振る。
「……一人で帰って」
クリスの眉間にしわが寄り、彼女の声には不安が滲む。
「……柳……」
「用事がある」
出した声は断固としていて、視線は意図的に遠くを見つめていた。クリスは少し間を置いてから、再び言葉を続ける。
「……今日も図書館なの? じゃあ私も……」
「帰れ」
柳は彼女に背を向けて冷たく言い放った。その一言にクリスの顔が強張り、その目からは涙がこぼれ落ちる。
柳の心の中では、クリスを遠ざけることが彼女を守る唯一の方法だという思いが強まる一方だった。
彼女に対する情が、この過酷な決断を下す原動力となる。その一心で柳は自らの感情を押し殺し、戦いを続ける決意を新たにする。
自分の名前を呼び、泣き崩れる声が響いていた。心臓は冷たく縮み、動く手足がぎこちなく感じられる。
悲しまないでほしい。どうか、幸せな人生を送って欲しい。
そのためには、情熱に蓋をする。二度と笑顔を見られなくてもいい。
それで構わなかった。この先、自分のことを忘れてくれたら。
苦悩の末、暗闇に見出した結論だ。誰にも邪魔はさせない。破滅に陥ったとしても、永久の苦しみを味わうことになっても。
デバイスが通話を要求する相手を知らせる。渋川レンだった。
「───はい」
ハンズフリーのまま応じる。渋川も音声のみで、姿は映し出されなかった。
『何する気だ、お前』
軽妙な声音は影を潜め、鎮痛な低さで問われる。
「渋川さんには、隠し事はできないんですね」
口元だけは笑顔で返答した。顔は見られていないはずだ。
『ああ、わかるよ。お前が今、どんなひでえツラしてんのかも』
考えていたことをずばりと当てられたことに気づき、取り繕うことさえできなくなっている自分がおかしかった。
「いいんです、渋川さん」
『よくねえ』
「……これでも、色々と調べて、考え抜いて出した結論なんですよ。渋川さんが相手でも、譲る気はありません」
デバイスを通じて、渋川が息を呑む声が聞こえる。
『……桐崎クリスタルは』
その名前は、今は聞きたくなかった。
『あの娘は、きっとお前を追いかけるぞ。どれだけ突っぱねても、どこまでもずっと』
一番の懸念は彼女だ。意味がない。彼女のために行動を起こすのに、彼女を危険に晒すような真似はできなかった。
そのために今、数々の考えを検討しているところなのだ。
「……どうにかします。いくらクリスでも、僕に愛想をつかすように」
なにかを言いかけた渋川の声を遮断し、デバイスをオフにして図書館へと向かった。
結論はもうすぐだ。急がなくては。一分一秒すら惜しい。
帰宅すると仮眠のためベッドに潜った。身体は悲鳴をあげているが、休む訳にはいかない。
命がかかっているのだ。大切な人のため。そのためになら。
泥のように眠る。
こんな眠り方は生まれてからこれまでしたことがなかった。寝不足と過眠を繰り返し、それが原因で精神がすり減っていくのが自分でもわかる。
今更プレッシャーを感じているのか?
できることはすべてやったつもりだったが、もう何もできないのかもしれないという恐怖も同時に生じていた。放課後になるとすぐに図書館へ向かう。
最後の計画書を電子ノートに構築し終えると、それらを全て頭に入れまた今日も自宅へと向かった。
もうブレザーのジャケットだけでは寒い。暗くなった校舎内には、熱を奪うための風だけが走っている。
ぐらぐらと覚束ない精神を縛り付けて前を向く。
すべて終わるまでは倒れるな。お前はここで脱落する人間ではない。
そんな資格すら、東雲柳にはない。
あの日死んだはずの命を、今こそ使い果たせ。価値ある人間たちのため、髪の毛一本も無駄にしてはいけない。
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