星渦のエンコーダー

山森むむむ

文字の大きさ
上 下
96 / 165
泡沫夢幻

離別

しおりを挟む
 数日後、柳は再び部活を休んだ。
 これが続く異常事態に、流磨は驚きの声を上げた。
「シノのやつ、また休み?!」

 玲緒奈も声を添える。
「シノ先輩……」
 流磨は、何かがおかしいと感じていた。
 長年の親友としての直感と、彼に対する持続的な関心が、その異変を敏感に察知させた。部活の他のメンバーたちも、普段の柳の活動的な様子とは明らかに違う現状に気付き始めている。
 しかし彼らとの間に感じられる温度差が、柳が抱える問題の深刻さをより際立たせているようだった。

「最近のシノ先輩、何かおかしいよね。こんなことって……」
 玲緒奈が小声で流磨に話す。彼女の声には心配の色が強く、柳のことを深く案じている様子が伺える。妹の心配に同意しうなずきながら、何とかして柳の真意を探ろうと決意を固めた。
「今度、直接聞いてみるか……」

◇ ◇

 学校の図書館の静謐な空間に身を置いた柳は、目的明確に書物を手に取り、没頭していた。
 彼の行動は一見するとただの学習者のそれと変わらないかもしれないが、表情と振る舞いは通常の学生とは一線を画していた。
 集中力に満ち、一点の迷いもなく目の前の情報を精査している。

 手際よくAR資料を展開し、デジタル画面上に浮かび上がる膨大な情報から必要なデータをピックアップしている。

 その資料は一般的な学術書から最新の研究論文に至るまで多岐にわたり、柳はそれらを迅速に解析し、自身の電子ノートにメモを書き連ねていった。
 彼のメモは、見る者がいればその密度と速度に圧倒されることだろう。手早くページをめくる指の動きには緊迫感が漂っており、その場に居合わせた人々でさえ、彼の周りに近づきがたい程のオーラがあった。

 明らかに普通の授業の課題研究を超えたものであり、彼が自室でどれほどの時間を費やしてきたかが想像された。
 普通の科学研究の範疇を逸脱し、もっと深い、もしかすると禁忌とも言える領域に踏み込んでいるようにも感じられた。
 ただの学生が知識を求める姿というよりは、何か大きな謎を解き明かそうとする探求者のそれであった。

 クリスが柳のもとに近づき、彼の集中している様子を崩さないように静かに声をかけた。
「いた。柳」
 柳は一瞬手を止め、クリスに向き直りながら応えた。
「……ああ、クリス。どうしたの?」
 彼の声は少し驚きを含んでいたが、その手はすぐにまたページをスクロールする動作を再開した。両手は止まることなく、次々と資料を操作し続けていく。

 クリスは柳の隣にそっと立ち、彼が何をしているのかを覗き込んだ。
「こんなに一生懸命に、何を調べてるの?」

 柳はしばらく黙ってから、研究の内容について話し始めた。
「いや、ちょっとね……」
 クリスは柳にさらに尋ねた。
「……まだ続けるの?」
 柳は短く答えた。
「見た通りだよ」
 彼女は少し立ち止まり、考え込むように言った。
「帰るまで待ってもいい?」
「部活は?」
 柳が反問する。

 クリスは軽く首を振りながら、答える。
「休みだよ。柳がいなくて、チームの方針もまだ決まらないから」

「そう」
 柳が返すと、二人は一瞬の沈黙を共有した。やはり、彼はおかしい。その間も柳の手は止まることなく、調査は続いていた。
 クリスはその光景を静かに見守りながら、何か支えになれることを模索していた。

 クリスはそっと椅子を引いて柳の隣に座り、彼がどのようにして情報を集めているのかをじっくりと観察し始める。
 この存在が柳にとって少しでも心の支えになればと願いながら、彼の研究活動に静かに同席することにした。柳が完全に孤立しないように、そっと寄り添う形で支えることを選んだ。

 周りは電子デバイスと書籍で溢れ、時折、彼の手が迅速にデータをスクロールする様子が見える。
 クリスはその異様な静けさの中で、不安定な心境に何かしらの手がかりを見つけたいと願っていた。

 柳は深刻な表情でクリスに話し始めた。
「……流磨に連絡する。れおちゃんにも。一緒に帰って」
 クリスは心配して尋ねた。
「……それって?」
「ごめん。どうしてもこれは僕がやらなくちゃならないんだ」
 柳の声は固く、彼の目には決意が宿っていた。クリスは少し考えた後、柳の決断を尊重することにした。
「…わ、かった」

「ありがとう」
 柳は軽く頷き、感謝の意を表した。クリスは彼に最後に声をかけた。
「帰るね……」
 柳は静かに「うん。お疲れ様」と返し、クリスの姿が図書館の扉を通って消えるのを見送っていた。

◇  ◇

 翌日またも柳が再び部活を休むという事態に、流磨は行動を起こす。問いたださなければならないことは他にもあった。教室へと向かう廊下をずんずんと歩いていく。
 目的は、柳の状況について何か情報を得ることだった。

 しかし、柳らの教室へと近づく途中で、予期せず柳本人とバッタリ行き合った。柳の姿を目にした瞬間、流磨は驚きのあまり目を見開いた。
 柳の顔は以前にも増して疲れ切って見え、何か重大な問題を抱えていることが外見からも明らかだった。

「シノ……! お前、大丈夫か?」
 流磨は即座に声をかけ、柳の様子を観察した。
 柳は流磨の視線を避けながら、静かにうなずき、疲れた声で答えた。
「ああ、なんとかね……ただ、ちょっと休みたい」
「……そんだけ疲れ切ってりゃ、そうだろうがよ……」

 流磨は柳の言葉を信じきれず、彼が何を隠しているのか、または何に悩んでいるのかを突き止めたいという衝動に駆られた。
 しかし、柳がそれ以上何も語ろうとしないため、しばらく彼をじっと見つめただけだった。

「わかった……でも、何かあったら俺に言えよ。助けるからな」
 流磨は力強く言い、柳に対する友情と支援の意志を改めて示した。
「シノ、お前俺のアドレスブロックしてねーか? ミスなら……」
 柳は流磨の言葉を遮るようにして冷たく答えた。

「ミスじゃない。明確な意図を持ってブロックした」

 流磨の顔は瞬時に固まり、その場の空気が張り詰めた。柳の目をじっと見つめ、答えを求めた。
「…は…なんでだよ。なんでそんなことするんだ?」
 柳は一瞬、目を伏せるがすぐに視線を戻し、更に冷たい声で言葉を続けた。
「……あのことを……知られている人間を、一人でも近くに置いておきたくない」
 流磨はその言葉に動揺を隠せず、声を荒げた。
「……んだよ、それ……! 俺たち何年もの友達だぞ?! お前が何を隠してるか知ってるつもりだったけど、そんなこと言うとは思わなかった!」
 柳は深くため息をつきながら、更に付け加えた。
「そこに怒るのか、流磨。だけど変わらないよ」

 流磨は柳の言葉を受け入れられずにいたが、彼の目の深い憂いを見て、真実を感じ取った。
 しかし、それでも納得いくわけではなかった。
「そんなのお前が決めることじゃねぇ! 俺たちは一緒に乗り越えるって誓っただろうが!」

 柳はその場で静かに目を閉じ、何も言わずに立ち去ろうとした。
 流磨は彼の肩を掴み、引き止める。しっかりとその目を合わせ、力を込めて言う。
「……シノ、逃げるな。俺たちを信じろ」

 しかし柳は流磨の手を振り解き、目の前から静かに消えようとする。
 流磨はその場に立ち尽くし、友として、そして何よりも一人の苦悩する青年としての柳を理解し、彼の決断を尊重するしかなかった。

 柳はもう一度振り返り「……クリスのことだけ、頼むよ」とだけ言い残し、その後姿を校舎の角が隠すようにして、消えた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

やりチンシリーズ

田中葵
ライト文芸
貧富の差に関わりなくアホは生息している。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

カフェの住人あるいは代弁者

大西啓太
ライト文芸
大仰なあらすじやストーリーは全く必要ない。ただ詩を書いていくだけ。

銀河英雄戦艦アトランテスノヴァ

マサノブ
SF
日本が地球の盟主となった世界に 宇宙から強力な侵略者が攻めてきた、 此は一隻の宇宙戦艦がやがて銀河の英雄戦艦と 呼ばれる迄の奇跡の物語である。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

壁乳

リリーブルー
BL
俺は後輩に「壁乳」に行こうと誘われた。 (作者の挿絵付きです。)

処理中です...