星渦のエンコーダー

山森むむむ

文字の大きさ
上 下
86 / 165
罪なき日々の終着

小さな星たちの戯れ 踵の痛みを感じる

しおりを挟む
 クリスはコート上でボールを操り、ゲームに全力を注ぐ日々を送っていた。今は自分が部内で一番背が高く、チームメイトからも頼りにされている。

「パス!パス回して!」
 しかしその姿勢の裏には、心の奥底に秘めた葛藤が渦巻いていた。
「走る走る走る! ボール追って!」

 バスケットボールへの情熱は本物だが、それは同時に柳への思いから逃れるための避難所でもあった。柳という存在は、心の中で重くのしかかっている。苦悩、過去、今に至るまでに受ける柳の痛みは、クリスにとっても切実な重みとなっていた。

 試合中、一時的にそれらを忘れることができる。コート上では、ただその瞬間に集中し、スコアを決めることだけを考えられる。
「ッしゃあ!次!」

「ありがとうございました!」
 だが、試合が終わり歓声が遠ざかると、再び柳の影が心を覆い始める。
 自問自答を繰り返す。私は柳から逃げているのだろうか? それともただ、彼の存在の重さに押しつぶされそうになるのを防いでいるだけなのか? クリスはバスケットボールに打ち込むことで、一時的にでも柳のことを考えることから逃れようとしていた。

「……ずるいなあ、私」
 しかし、真実は本当は、クリス自信がよく知っている。
 柳との深い結びつき、彼のために何ができるかを常に考えていること、そして彼が人生の一部であることからは逃れられない。その事実がバスケットボールへの没入を、ただの一時的な解放に過ぎないと感じさせる。

「おつかれー」
 クリスは深い溜息をつきながら、体育館の外の花壇に座ってまだ夕日混じりの星空を見上げる。空の広がりのように、心には柳への深い思いが広がっていった。
 花壇のある木の影から出ると、日が沈みかけた校庭に柳が待っているのを見つけた。彼はいつものように穏やかな笑顔でクリスを迎え、一日の疲れを感じさせない軽やかさで「お疲れ、クリス」と声をかける。

「……あ」
 柳のその笑顔を受け止めながら、心の奥深くで微かな良心の痛みを感じた。その痛みは柳への思いと、少しでも心の重荷を取り除こうとする自身の試みから生じる罪悪感。
 バスケットボールに打ち込むことで一時的にでも柳の苦しみから目を逸らし、自分自身を保つための壁を築いていた。
 だが、彼がこうして自分を待っている姿を見るたびに、その壁は崩れ落ちそうになる。

「柳?! こんなに遅くまで待っててくれたの?」
 クリスが問いかけると、柳はただ頷き、静かに答えた。
「クリスが安全に帰ることは、ヴィンセントさんたちやうちの父さん母さんも望んでいることだから。僕もね」
 言葉は優しさに満ちていたが、クリスにはそれが自分への罰のように感じられた。こんなにも自分のことを思ってくれているのに、自分は彼の深い傷に向き合うことから逃れようとしている。
 クリスは柳の隣に静かに立ち、二人の影が校庭に長く伸びるのを見つめた。深く息を吸い込み、彼に向かって声を絞り出す。
「本当にありがとう、柳。いつも支えてくれて」

 柳はクリスの手を優しく握る。
「僕たちはいつでも互いを支え合うんだよ、当たり前」
 その手の温もりは苦痛と愛情が混ざり合った複雑な感情を呼び起こす。しかし同時に、この関係がどれほど貴重なものであるかを改めて思い知らされるのだった。
「だから……だから大丈夫」
 クリスはそっと柳の顔を見つめ、銀灰色の瞳に目を奪われた。男子としては珍しくサイドの髪が少し長く伸ばされている彼の髪型が、神秘的な魅力を一層引き立てている。
 風が吹いて、柔らかい直毛をさらさらと揺らした。
 クリスはその髪が美しい瞳を隠してしまっていることに、少しもどかしさを感じる。何故柳が髪を長くしているのかその理由を知らず、ただそのスタイルが柳の何かを象徴しているように思えた。

「柳、髪を少し切ったらどう? きれいな瞳がもっと見えるのに」
 提案するかのように軽く言った。その言葉に柳は小さく笑い、照れ隠しをするように手で髪を摘む。
「うん、でもなんとなく……このままにしておきたいなって」
 クリスはその瞳に動揺を隠せない。柳の瞳には静かな力強さと深い悲しみが同居しており、それがクリスの心を揺さぶる。

「ねえ、柳」
 クリスは穏やかに言った。
「いつもそばにいてくれて、あの……本当に、ありがとう」
 柳はその言葉に少し驚きながらも、優しい微笑を浮かべた。しばらくその場に立ち尽くし、互いの存在を感じながら、共に過ごした時間の重みを改めて認識する。
 柳の瞳が隠れる髪が、複雑な過去と現在を隠す仮面のように感じられる。クリスにはしかし、その瞳が彼の真摯な心を映し出す窓のようにも思えた。

「行こうか」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

婚約者に消えろと言われたので湖に飛び込んだら、気づけば三年が経っていました。

束原ミヤコ
恋愛
公爵令嬢シャロンは、王太子オリバーの婚約者に選ばれてから、厳しい王妃教育に耐えていた。 だが、十六歳になり貴族学園に入学すると、オリバーはすでに子爵令嬢エミリアと浮気をしていた。 そしてある冬のこと。オリバーに「私の為に消えろ」というような意味のことを告げられる。 全てを諦めたシャロンは、精霊の湖と呼ばれている学園の裏庭にある湖に飛び込んだ。 気づくと、見知らぬ場所に寝かされていた。 そこにはかつて、病弱で体の小さかった辺境伯家の息子アダムがいた。 すっかり立派になったアダムは「あれから三年、君は目覚めなかった」と言った――。

膀胱を虐められる男の子の話

煬帝
BL
常におしがま膀胱プレイ 男に監禁されアブノーマルなプレイにどんどんハマっていってしまうノーマルゲイの男の子の話 膀胱責め.尿道責め.おしっこ我慢.調教.SM.拘束.お仕置き.主従.首輪.軟禁(監禁含む)

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

[完結済み]男女比1対99の貞操観念が逆転した世界での日常が狂いまくっている件

森 拓也
キャラ文芸
俺、緒方 悟(おがた さとる)は意識を取り戻したら男女比1対99の貞操観念が逆転した世界にいた。そこでは男が稀少であり、何よりも尊重されていて、俺も例外ではなかった。 学校の中も、男子生徒が数人しかいないからまるで雰囲気が違う。廊下を歩いてても、女子たちの声だけが聞こえてくる。まるで別の世界みたいに。 そんな中でも俺の周りには優しいな女子たちがたくさんいる。特に、幼馴染の美羽はずっと俺のことを気にかけてくれているみたいで……

私が愛する王子様は、幼馴染を側妃に迎えるそうです

こことっと
恋愛
それは奇跡のような告白でした。 まさか王子様が、社交会から逃げ出した私を探しだし妃に選んでくれたのです。 幸せな結婚生活を迎え3年、私は幸せなのに不安から逃れられずにいました。 「子供が欲しいの」 「ごめんね。 もう少しだけ待って。 今は仕事が凄く楽しいんだ」 それから間もなく……彼は、彼の幼馴染を側妃に迎えると告げたのです。

父が死んだのでようやく邪魔な女とその息子を処分できる

兎屋亀吉
恋愛
伯爵家の当主だった父が亡くなりました。これでようやく、父の愛妾として我が物顔で屋敷内をうろつくばい菌のような女とその息子を処分することができます。父が死ねば息子が当主になれるとでも思ったのかもしれませんが、父がいなくなった今となっては思う通りになることなど何一つありませんよ。今まで父の威を借りてさんざんいびってくれた仕返しといきましょうか。根に持つタイプの陰険女主人公。

心の声が聞こえる私は、婚約者から嫌われていることを知っている。

木山楽斗
恋愛
人の心の声が聞こえるカルミアは、婚約者が自分のことを嫌っていることを知っていた。 そんな婚約者といつまでも一緒にいるつもりはない。そう思っていたカルミアは、彼といつか婚約破棄すると決めていた。 ある時、カルミアは婚約者が浮気していることを心の声によって知った。 そこで、カルミアは、友人のロウィードに協力してもらい、浮気の証拠を集めて、婚約者に突きつけたのである。 こうして、カルミアは婚約破棄して、自分を嫌っている婚約者から解放されるのだった。

処理中です...