星渦のエンコーダー

山森むむむ

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罪なき日々の終着

東雲柳 プロデビュー第4戦 VSセドリック・アルヴィン 森林領域

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フォレスト・領域エリア

 この領域エリアは濃密な樹木と複雑な地形が特徴で、自然のパターンを利用して迷彩と混乱をもたらすセドリックの技術が最大限に活かされる環境だ。人気パターンの一種で、今回はより深い森と厳しい環境が事前告知され、両者共に装備を整えていた。

 実況が試合の見どころを説明する。
『この領域は電脳空間内に光と影を数多く生み出し、他タイプよりも複雑な罠と妨害の応酬が起こります。ベテランであるアルヴィン選手は走るだけでなく罠を設置することに長けた選手です。対する東雲選手は新人ながら、今まで戦略とスピードでプロデビューから三人の選手に勝利しています! 今回がデビュー4戦目!』


『よお、ヤナギくん。新人のくせに連勝らしいじゃないか。やるね』
 東雲柳はその言葉が、嫌味のないセドリックなりの冗談だということを読み取ったようだ。微笑みながら応じる。
「ありがとうございます」
『今日はよろしく頼むぜ』
 セドリックは堂々と、直接近づいてきて握手を求めた。
「アルヴィンさん。よろしくおねがいします。私も今日を楽しみにしていました」
 東雲柳。ネオトラバース界で話題の新人選手。もちろんセドリックも彼の評判を聞き、研究している。

 スターライトチェイス時代から頭角を現し、冗談のような戦績が並ぶ彼のデータ・アーカイブを広げた時の感覚が記憶に新しい。その眼差しは年齢よりも大人びているように見える。セドリックはやはり、と納得した。天才と呼ばれる人間は、こういった目つきをしていることが多い。
 しかし、こちらにはプロ試合による経験という、彼が持たないアドバンテージがあるのだ。このフォレスト・領域エリアという最も自分に有利な場所も、セドリックのプライドを刺激する。
 そう。プライドにかけて、負けてやる気はなかった。

 試合開始の音を聞く。
 直後、東雲柳は素早く領域エリアの特性を反映し、高速で地形を駆け抜ける。
 加速機構を操り、または物理法則を塗り替えていく感覚は、選手にとって開放感のある一瞬だ。精密に調整された重力と摩擦の受け流し。
 空中を跳ねるように障害物を避け、複雑な地形も、岩のような可動ギミックも、瞬く間に無意味なものにしてゆく。
 なるほど、スピードと技、両方をフルに使える選手。そしてそれを戦略に全て組み込むことができる。これは厄介だ。

 セドリックは身長190センチを超える。体格に恵まれた軍人のようなアバターを与えられていた。
 装備は特別な迷彩パターンが施された戦闘スーツで、そのテクスチャは周囲の樹木や草木に完璧に溶け込む設計になっている。服や目の色は変えることができ、環境に合わせて色を変えることで、視認されにくくなる技術が備わっている。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 事前告知による選手データを脳裏に巡らせながら、柳は今日の戦略を今一度練り直す。
 やがて戦略と情報の齟齬がないことを確認すると、一つの瞬きの後、セドリックを見据えた。しかし、セドリック選手が走っていたはずの場所には、既にその姿がない。
「……始まった」

 セドリックは樹木と一体化する技術で、一見するとただの木の一部のように見える迷彩を利用し、柳を待ち伏せていた。
 柳が急カーブの多い小径を選択して進むと、セドリックは隠れた位置から樹木を操作し、突如として道を塞ぐ障害物を生み出してゆく。
 装甲を翻し、柳は走行ラインを調整して進み続けた。すべてを回避でき、逆にセドリックの位置を特定する手がかりとして利用する。自分の座標が視界として捉えられる位置をAIの助けを借りて計算し、特定して目星をつけた。
 障壁を生成すると座標は当たりだったようだが、セドリックは柳の妨害障壁の出現を予想して数歩動いていた後だった。失敗だ。即座にその場を離れてゴールゲート方向へ跳ぶ。
『すげーな。鹿……いやトナカイか?』

 実況は倒木を模したグラフィックが生み出す迫力と、彼らの対決に盛り上がる観客席に向けて、更に言葉を駆使して要素を追加する。
『本日の見どころはなんと言っても、この二人の対決です! セドリック・アルヴィン、彼のスタイルは完璧なカモフラージュと環境の完全な支配。そして対するは、デビュー間もないにも関わらずその冷静さと分析力で注目を集める東雲柳! どちらがこの森林領域を制するのか、見逃せません!』

 柳は状況を把握し、セドリックが姿を消した方向を確認しながら、地形を利用した最適なルートをAIで計算した。
『見てください! 東雲選手、彼の進む道はまるで計算されたパズルのように組み替えられていきます! 一方、セドリック選手はすでに姿を消し、どこからともなく攻撃を仕掛ける可能性があります!この透明な戦い、まさに心理戦が繰り広げられていまァす!』

 観客は息を呑んでその展開を見守っていた。
 セドリックは妨害の達人であり、柳は今から彼の技を見るために、一石を投じる必要があると考えた。迷彩能力によって設定された罠が至る所に仕掛けられているだろう。しかしそれを全て把握することは、たとえAIを使用し全ての演算プログラムを走らせたとしても、柳一人では不可能に近い。

「……そうだ」
 柳は走り出し、故意にセドリックの罠の一つに引っかかるかのように行動してみせた。高速で移動中に突如として地面から突き出た枝によって足を取られ、見る見るうちにバランスを失い空中へと放り投げられる。
 しかし空中で身体をひねりながら、瞬間的に高速で反転。逆方向から進行方向に戻る複雑なエアリアルマニューバを展開した。着地点を正確に計算し無事に着地すると、一人思案する。
「……うん……」
 頷き、納得した直後、そのまま再び加速しレースを続けようとする。
『……あいつ、やるな!』
 セドリックは一瞬、柳が罠にかかったことに満足の表情を見せたようだった。すぐに柳が再び立ち上がりスピードを取り戻すのを見て、驚愕している。
 彼は焦りを覚え始め、さらに複雑で隠密性の高い罠を仕掛けることに集中しようとした。

『なんという回復力! 東雲選手、見事なバランス感覚で立て直しました! セドリック選手の罠を一瞬で乗り越え、これまでにも増してスピードを上げています。競技のこの段階でこうした冷静さを見せることができるのは、彼の強さの証! しかしセドリックも負けられない! 東雲にはない場を支配する王者としての能力、その全てを駆使して勝利を阻もうと、今牙を剥くーッ!』
 観客は柳の動きに歓声を上げてくれた。一方で、セドリックが仕掛ける次なる罠に対する期待感も高まっている。セドリックには長年ついている熱心なサポーターが多い。
『ああ、おもしれーな……こうでなくちゃ……』
 セドリックは再び木々を動かして柳の進路を阻もうとするも、柳はすでに対策を講じていた。木の間を縫うようにして機敏に動き、妨害を掻い潜り続ける。
「…………こんな感覚、現実では絶対に味わえませんよね!」

『セドリック選手の森林掌握は完璧ですが、東雲選手のこの反応速度と環境適応力はまさにこのゲームの理想形! 彼のような新星が登場すると、ゲームのあり方が変わるかもしれない!』

 セドリック・アルヴィンは最後の賭けに出ることにしたらしい。セドリックは数々の罠を操りながら走り続け、柳よりもゴールゲートには近い位置にいた。しかし、柳はこの後ゴール前の逆転を狙うこともできる。何かをするなら今しかなかった。
『……止まれぇ!』
 セドリックのコントロール下にある森林のギミック全体が一斉に動き出し、巨大な植物の壁を形成して、柳の進路を完全に封じ込めようと迫る。
 この壁は密度が高く、どこから見ても突破不可能に見えるほどの堅牢な障壁だった。音と振動が電子の空気を震わせ、柳の感覚を刺激し威嚇せんとする。
「……すごい……!」
 実際に目の前で見ると、あまりの迫力に心が震えた。しかし、柳はこの戦術を既に予想している。
 瞳に映し出されたギミックをトリガーとして認識したプログラムは、自動的に壁全体を分析し、その中で最も脆弱なポイントを見つけ出す。
 刹那、グローブ型の装甲からエネルギーを蓄積し、自身の装備から強烈なエネルギーパルスを発生させた。影響を与える構造物に比べて不似合いなほどこのグローブで反映できる指の動きは緻密で、まるで指揮者がオーケストラを操るように、エネルギーの流れを壁の弱点へと導いてゆくことができる。

『なんだ、そりゃあ!』
 そのエネルギーパルスが壁に突き刺さる瞬間、植物の壁は内部から音を立てて崩壊を始める。壁の弱点が爆発的に反応し、脆弱な部分が一気に広がり、壁全体が崩れ落ちていった。
 これにより、一瞬のうちに作り上げられた障害物が消滅し、再び柳の前にはクリアな進路が開かれた。破壊された壁の瓦礫を跳ね飛ばしながら、一気に加速する。
 スピードは一層増し、残されたトラックを疾走してゴールに向かってゆく。

 実況者は興奮を隠せずに叫ぶ。
『驚異的な逆転! 東雲選手が見せたのは状況を読み解く卓越した理解力と、ピンポイントで瞬時に判断を下す能力です! ネオトラバースの醍醐味!』

 フィニッシュラインが目前に迫る中、セドリック・アルヴィンは全てのエネルギーを注ぎ込んで柳を追い抜こうと躍起になる。
 セドリックの装備からは限界まで出力が高められたエネルギー波が放出され、前進を加速させる一方で、疲労の色も隠せないほど顕著になっていた。
『負けられねえんだよ! 俺は!』

 しかし、柳はセドリックの激しい追い上げを観察し、自分の体力と装備のバランスを微調整する。
 最後の直線コースに突入すると、スピードを一気に上げる。装備からエネルギーが放出され、それが前進を大きくサポートし、柳は瞬く間にゴールに近づいていった。

 そしてゴールゲートを最初に駆け抜けることができた。観客席からは今日一番の歓声が上がった。実況者も声を張り上げる。
『そして、東雲選手が見事な加速でフィニッシュ! これが彼の真骨頂、計算された冷静さと見事なタイミングのスピードアップです! セドリック選手の追い上げを華麗にかわし、見事な勝利を飾りました!』

 この圧倒的なパフォーマンスにより、柳は一層の注目を浴びることとなった。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

────クリスは自室で、柳の勝利の瞬間を繰り返し見ていた。

 彼の洗練された動きと競技場での堂々たる様子は、いつ見ても息をのむほど。しかし、今日はいつもと違った。心には、喜びよりも葛藤が渦巻いている。

 薄暗い照明の下、スクリーンの前でぼんやりと映像を眺めながら、ベッドに身を沈めていく。やがて、重い決意とも取れる深い息を吐き出し、上半身をベッドに埋めた。頭の中では、柳の将来と自分の役割が交錯していた。

「……どう考えても、柳の選手生命の方が……重い……」

 クリスは心の中で繰り返し呟く。
 柳が病院での検査を決め柊からの連絡を待つ中、彼の選手としての復帰を願いつつも、自分自身が選手として感じた興奮と楽しさを捨てきれずにいた。

 画面に映る柳の姿はあまりにもプロフェッショナルで、彼が自らの役割を完璧に果たしている様子が明確に映し出されている。その姿を見るたびに、クリスの心は更に揺れ動く。
 彼が再び繭の中に入り、選手としての地位を取り戻すことが彼にとって最善なのではないかという思いが、クリスの心をを苛んでいる。
「私にしか……決められない……でも……」

 クリス自身もネオトラバースの世界で新たな自分を発見していた。競技を通じて得た喜びと達成感はクリスにとってかけがえのないものとなり、それを手放すことの重さを深く感じていた。

 柳のために始まったばかりの自分のキャリアを犠牲にするべきか、自分のために競技を続けるべきか、クリスの心は揺れ動き続ける。部屋に響くのは、静かな息遣いと、スクリーンから流れる柳の勝利の瞬間の歓声だけだった。

「検査結果がどうでも、私がどっちを選んでも……柳は、きっと受け止めてくれるだろうけど……」
 重い決断に向き合いながら、クリスは何度も自問自答を繰り返す。柳の幸せとは何か、そして自分の幸せとは何か。
 この問いに対する答えを見つけるために、さらなる思索を深めていく必要があると感じていた。
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