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暗がりを切り裂く試み
電脳感覚逸脱症候群
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柊、夕子、ヴィンセント、サファイア、弁護士の柏木が東雲家のリビングに集まり、重苦しい空気の中で話し合いが始まった。
柏木は錚々たる面々に緊張気味だった。しかし仕事ならば、きっちりと全てをこなすべきだ。尻込みしている場合ではない。
彼らの囲むテーブルには、プロネオトラバース選手兼高専生であり、ヴィジョンデジタルテックス代表取締役兼社長東雲柊の一人息子である東雲柳に関する書類のARモニターが、幾重にも広がって薄い光を放っている。
柊が切り出す。彼が今回の議長だ。
「まず今の状況を共有します。柳の件では、医師が不正行為を働いている可能性が極めて高い。しかしあれから調査チームと警察が調べた中でも、具体的な証拠はまだ掴めていません」
そして彼は、息子とよく似た優しい目元を細めた。
彼の性格を映したかのような清潔感溢れるビジネススーツを身にまとい、茶色の髪は丁寧にセットされている。
長身でスマートな姿はその場にいるだけで存在感を放ち、落ち着きと信頼感を漂わせる。ビジネスシーンにおいて、彼の威厳と尊敬を集める態度は明らかだ。
桐崎ヴィンセントが続ける。
彼は休日のラフな服装に身を包んでいるが、その大柄な体躯からは自然と威厳が漂う。鍛え上げられた体はカジュアルなシャツでも際立っており、力強い腕の筋肉が透けるように見える。
金髪で碧眼。その輝きはアングロサクソンの血筋を色濃く反映しており、柏木にとっての異国の風を感じさせる。
自宅のフロアから直接やって来たらしく、家族との時間を大切にする温かさも垣間見えるが、その眼差しには今は鋭さが宿っている。
「うちの法務部からも支援をしているが、現時点で法的に有効な証拠がないのが現実だ。医師の行動を録音したか柳くんに直接確認したが、残念ながら録音はできなかったようだ」
柏木は法的な視点から補足する。
「録音ができなかった以上、直接的な証拠は期待薄です。ただ、柳さんの証言や医療記録の詳細な分析から、医師の不正を示唆する間接証拠を集めることは可能です。これから柳さんがどのようにケアされていたかの全記録を調べ、異常があればそれを証拠として使えるかもしれません」
「柳のケアに関しては、私たち家族で支えるほかない。やはり家でのサポートが重要と考えています」
柊は柏木の言葉に対してそう語り、全員に対し軽く同意を求めた。ヴィンセントは頷きながら言った。
「それに、心理カウンセリングや適切な医療サポートを継続的に提供することも考えよう。彼の精神的な回復が何より優先されるべきだ。彼はあの事件のこともあり難しい患者だろう。私も様々な方法が取れないか、調査を続ける」
「ありがとうございます、ヴィンセントさん」
「だからもう呼び捨てでいいと言っている……」
「あ……すみません……」
ヴィンセントが呆れたように言う。柊は謝罪するが、彼らの間に親密な関係があることは柏木にもわかった。
柏木は次の段階へ話しを勧めてもらおうと、提案をする。
「それでは私たちは次のステップとして、さらに詳細な医療記録の入手を試み、それに基づいて法的措置を検討します。同時に、柳さんがこれ以上の被害に遭わないよう保護の方策を講じる必要がありますが」
「私は会社のリソースも使って、柳を支えます。そして、柳が再び自立できるように、家族でサポートを続けます……それしかない、とも言えるかもしれませんが」
柊の言葉に部屋にいる面々も重い頷きを返した。言葉の裏の意味は、見当がつく。そのまま柊は続けた。
「最新の情報によると、私達が調査していたその医師の名前自体が偽物だったようです。その医師はすでに……姿を消しています」
ヴィンセントが深いため息をついて言った。
「この事態が病院内部の関与なしに起こるとは考えにくい。しかし、手引きした可能性がある病院関係者の特定もできていない」
柏木はそれに対し眉をひそめながら加える。
そう。この事態は思ったよりも大きかったのだ。医師単独犯ならばその身柄を拘束すれば解決するかも知れない。しかし複数の存在がなければ、此度の東雲柳への加害は成し得ない。
「この医師の背後には何らかの組織が存在する可能性が高いです。しかし、その組織の正体や目的は一切不明です。これは単なる医療過誤以上の事態かもしれません」
柊は膝に軽く肘をつきながら前かがみになる。本当に頭を抱えたい程だろう。一人息子が複数に狙われているかも知れないなんて、柏木の家族がそうなったら、自身はこれほど冷静でいられる自信がない。
「……本当に組織的な意志が働いているのだとすれば、この組織がどのような目的で柳を標的にしたのか、その動機が見えないことが何よりも不安です。彼らが何を企んでいるのか、その一端を掴むことが急務です」
「確かに、彼らの意図が掴めない以上、柳くんの安全は完全には保証できない。しかし私たちには、彼を守るためにすべての手段を尽くす責任がある」
ヴィンセントは柊を励まそうとしているのかもしれない。その横でサファイアも東雲夫妻に対して同意するように声を掛けた。
夕子は今のところ、あまり発言していない。柊の表情を見ても、夫婦揃ってメンタルが落ち込んでいるようだった。
東雲と桐崎、両家庭の交流は活発と聞く。ビジネスの面でもパートナーだった。身近な存在として理解していることがあるのだろう。
「調査を継続し、更なる情報収集と同時にこの事件が外部に漏れないよう最善の注意を払う必要があります。また、法的戦略を練り直し、必要なら私たちの調査範囲を国際的に広げていきましょう」
柊がうなずいて言った。
「ええ……そして、柳の日常生活にセキュリティを強化し、心のケアも怠らないようにします。安心して生活できる環境を整えることが、現時点で最善の対策……」
力尽きたように言葉尻が萎んだ。前向きな発言ではあった。しかしそれしかできない、という無力感を感じる。
「我が社のリソースもフルに活用しよう。技術部門には、セキュリティシステムのチェックと強化を、人事部には関係者の背景調査を徹底させる。何かしらの手掛かりを見つける。エイジス・セキュリティは全面的に協力する」
「……ヴィジョンデジタルテックスの全てのコネクションを利用します。国内外のネットワークを駆使して、この事件に関連する情報を集めましょう」
彼の言葉は冷静であったが、その目元には曇りが浮かんでいた。しかしヴィンセントの発言に顔を上げる。それはひとえに、息子への愛故。
ヴィンセントが柊の肩に手を置き、力強く言った。
「私たちができることはすべてやる。柳くんだけでなく、彼のような犠牲者が二度と出ないようにするためにも、この闇を晴らす必要がある」
柊は深く頷き、決意を新たにした。
「はい、全ての手段を尽くしましょう。そしてこの問題を根本から解決するために、持ち得る全ての力を動員します」
リビングの空気は緊迫していたが、その中でようやく夕子が口を開いた。
「デジタルアートの視点からも何かできることがあるかもしれません。私が知る限り、アートとテクノロジーが交差する分野には、非常に高度なソフトウェアが存在しています。これらを使って何かしらの情報が隠されているコードやメッセージを解析できるかもしれません」
東雲夕子は節目がちな目をしており、その落ち着いた表情からは深い洞察力と安定感が感じられる。
静かに会話の流れを追いつつ、必要とあればしっかりと意見を述べることができる彼女の発言は、周囲を納得させる力を持っている。
「また、この種の技術はしばしば、デジタルシャドーを追跡するのにも使われます。私の知り合いには、この分野で専門的な技術を持つアーティストやエンジニアがいます。彼らと連携して、何か新たな手がかりを見つけることができるかもしれません」
話し方は穏やかで、それでいて説得力があり、聞く者を引き込む魅力を有している。
ヴィンセントはその提案に目を見開き、言った。
「素晴らしい。ぜひその連携を取ってください。この問題には多角的なアプローチが必要だ」
柊も感謝の意を表し、「夕子の独創的な視点は、この困難な状況を打破する鍵となるかもしれません」と肯定した。
彼女自身もこの愛する息子の危機に対処するための一翼を担うことに意欲を見せる。柊は眼前の資料を見つめた。
電脳感覚逸脱症候群に関する資料
定義と症状
電脳感覚逸脱症候群(Cybersensory Deviation Syndrome, CSDS)は、高度に発展した電脳技術の長時間使用によって引き起こされる、感覚認識の混乱を主な特徴とする症候群です。この症状には以下のような特徴があります。
感覚の錯乱:実際の感覚入力とバーチャルな感覚入力との区別が困難になる。
感覚過敏:通常の感覚刺激に対して過度に敏感になる。
仮想環境依存:現実世界よりも電脳世界に強く依存する心理状態に陥る。
原因
CSDSは、主に仮想現実技術の長時間利用が原因で発症することが示されています。精神没入型電脳領域での過剰な刺激と現実世界の感覚入力の間で脳が適切に処理できなくなることから、症状が生じます。
対策
使用時間の制限:精神没入型電脳技術の使用時間を厳格に制限し、定期的な休息を取ること。
感覚調整機能の開発:ユーザーの感覚負荷を自動調整するシステムの導入。
啓蒙活動:ユーザーに対する教育プログラムを通じて、安全な使用方法を普及させる。
経営者への提言
ビジネスリーダーとして、従業員の健康を守るためにも、精神没入型電脳技術の利用に際しては上記の安全管理対策を遵守し、特に長時間作業を避けるよう指導することが推奨されます。また、技術開発においては、ユーザーの健康を第一に考えた設計を心がけることが求められます。
この資料は、電脳感覚逸脱症候群についての理解を深め、適切な対策を講じるための基礎情報を提供することを目的としています。
「電脳感覚逸脱症候群……」
柊は眉間に深く皺を寄せた。
息子の競技への情熱を思い、全面的に協力してきた。しかし、その思いが息子の奇病の原因なのではないかという懸念が、彼の明晰な頭脳を鈍らせている。
ヴィンセントが背中を軽く叩いた。
「……大丈夫だ。必ず柳くんは復活する」
「ヴィンセントさん……」
「お前の息子だ。困難に立ち向かう強さを持っている。今はただ傷つき、休んでいるだけなんだ」
静かに話を聞いていたヴィンセントの妻、サファイアが意見する。
「医師の行為は、明らかに常軌を逸しています。これは間違いなく意図的なマインドコントロールよ」
金髪をセミロングにし、そこに華やかなパーマを加えることで、明るく社交的な性格がより一層強調されていた。
サファイアは堂々とした振る舞いで部屋にいる全員に安心感を与える。視線は特に息子が被害者となってしまった夕子に向けられ、慰めと支持のメッセージを送っていた。
「……クリスから聞いている。繰り返しの痛みの再現と9歳の頃の事件の追体験。意識を失わされる、基本的なケアが与えられない、病室で繰り返される問答、詳細を説明せず薬を飲ませるなどの不審な行動…………そうだな。この異常性は極めて特異だ」
ヴィンセントの隣に座りながら柊は歯噛みする。
「ただ偽の病名を告げたかっただけなら、ここまでする必要がない。記録はすべて消えており、名前も架空のもの……これでは立件も不可能。柳の生体識別チップのデータも、繭を使って取得されてしまった可能性が高い。マインドコントロールの影響を最小限に抑えることも急務です。ただでさえ柳は……一度殺されかけている。未だ心の中には葛藤があるのでしょう……できることなら……かわってやりたい……!」
幾度となく吐き出されてきた、親としての切なる願いだった。
「現在の状況において直接的な法的対応は取れないが、バーチャルリアリティコミュニティ内での情報共有と啓蒙活動を強化することで、柳のような被害者が出ないようにつとめよう」
ヴィンセントの更に踏み込んだ提案に、柏木は加わる。
「長期的には、バーチャルリアリティ技術の使用に関する法律やガイドラインの整備を政策立案者に働きかけることも、検討しましょう」
この話し合いを通じて、東雲家と桐崎家は難しい状況下でも息子たちを守るためにできることを模索し、行動に移す決意を固めていた。
「……本日の会合は以上です。新情報や進捗は適宜指定のクラウドに……柳のことも何があれば、場合によっては直接通話で共有します」
柏木は錚々たる面々に緊張気味だった。しかし仕事ならば、きっちりと全てをこなすべきだ。尻込みしている場合ではない。
彼らの囲むテーブルには、プロネオトラバース選手兼高専生であり、ヴィジョンデジタルテックス代表取締役兼社長東雲柊の一人息子である東雲柳に関する書類のARモニターが、幾重にも広がって薄い光を放っている。
柊が切り出す。彼が今回の議長だ。
「まず今の状況を共有します。柳の件では、医師が不正行為を働いている可能性が極めて高い。しかしあれから調査チームと警察が調べた中でも、具体的な証拠はまだ掴めていません」
そして彼は、息子とよく似た優しい目元を細めた。
彼の性格を映したかのような清潔感溢れるビジネススーツを身にまとい、茶色の髪は丁寧にセットされている。
長身でスマートな姿はその場にいるだけで存在感を放ち、落ち着きと信頼感を漂わせる。ビジネスシーンにおいて、彼の威厳と尊敬を集める態度は明らかだ。
桐崎ヴィンセントが続ける。
彼は休日のラフな服装に身を包んでいるが、その大柄な体躯からは自然と威厳が漂う。鍛え上げられた体はカジュアルなシャツでも際立っており、力強い腕の筋肉が透けるように見える。
金髪で碧眼。その輝きはアングロサクソンの血筋を色濃く反映しており、柏木にとっての異国の風を感じさせる。
自宅のフロアから直接やって来たらしく、家族との時間を大切にする温かさも垣間見えるが、その眼差しには今は鋭さが宿っている。
「うちの法務部からも支援をしているが、現時点で法的に有効な証拠がないのが現実だ。医師の行動を録音したか柳くんに直接確認したが、残念ながら録音はできなかったようだ」
柏木は法的な視点から補足する。
「録音ができなかった以上、直接的な証拠は期待薄です。ただ、柳さんの証言や医療記録の詳細な分析から、医師の不正を示唆する間接証拠を集めることは可能です。これから柳さんがどのようにケアされていたかの全記録を調べ、異常があればそれを証拠として使えるかもしれません」
「柳のケアに関しては、私たち家族で支えるほかない。やはり家でのサポートが重要と考えています」
柊は柏木の言葉に対してそう語り、全員に対し軽く同意を求めた。ヴィンセントは頷きながら言った。
「それに、心理カウンセリングや適切な医療サポートを継続的に提供することも考えよう。彼の精神的な回復が何より優先されるべきだ。彼はあの事件のこともあり難しい患者だろう。私も様々な方法が取れないか、調査を続ける」
「ありがとうございます、ヴィンセントさん」
「だからもう呼び捨てでいいと言っている……」
「あ……すみません……」
ヴィンセントが呆れたように言う。柊は謝罪するが、彼らの間に親密な関係があることは柏木にもわかった。
柏木は次の段階へ話しを勧めてもらおうと、提案をする。
「それでは私たちは次のステップとして、さらに詳細な医療記録の入手を試み、それに基づいて法的措置を検討します。同時に、柳さんがこれ以上の被害に遭わないよう保護の方策を講じる必要がありますが」
「私は会社のリソースも使って、柳を支えます。そして、柳が再び自立できるように、家族でサポートを続けます……それしかない、とも言えるかもしれませんが」
柊の言葉に部屋にいる面々も重い頷きを返した。言葉の裏の意味は、見当がつく。そのまま柊は続けた。
「最新の情報によると、私達が調査していたその医師の名前自体が偽物だったようです。その医師はすでに……姿を消しています」
ヴィンセントが深いため息をついて言った。
「この事態が病院内部の関与なしに起こるとは考えにくい。しかし、手引きした可能性がある病院関係者の特定もできていない」
柏木はそれに対し眉をひそめながら加える。
そう。この事態は思ったよりも大きかったのだ。医師単独犯ならばその身柄を拘束すれば解決するかも知れない。しかし複数の存在がなければ、此度の東雲柳への加害は成し得ない。
「この医師の背後には何らかの組織が存在する可能性が高いです。しかし、その組織の正体や目的は一切不明です。これは単なる医療過誤以上の事態かもしれません」
柊は膝に軽く肘をつきながら前かがみになる。本当に頭を抱えたい程だろう。一人息子が複数に狙われているかも知れないなんて、柏木の家族がそうなったら、自身はこれほど冷静でいられる自信がない。
「……本当に組織的な意志が働いているのだとすれば、この組織がどのような目的で柳を標的にしたのか、その動機が見えないことが何よりも不安です。彼らが何を企んでいるのか、その一端を掴むことが急務です」
「確かに、彼らの意図が掴めない以上、柳くんの安全は完全には保証できない。しかし私たちには、彼を守るためにすべての手段を尽くす責任がある」
ヴィンセントは柊を励まそうとしているのかもしれない。その横でサファイアも東雲夫妻に対して同意するように声を掛けた。
夕子は今のところ、あまり発言していない。柊の表情を見ても、夫婦揃ってメンタルが落ち込んでいるようだった。
東雲と桐崎、両家庭の交流は活発と聞く。ビジネスの面でもパートナーだった。身近な存在として理解していることがあるのだろう。
「調査を継続し、更なる情報収集と同時にこの事件が外部に漏れないよう最善の注意を払う必要があります。また、法的戦略を練り直し、必要なら私たちの調査範囲を国際的に広げていきましょう」
柊がうなずいて言った。
「ええ……そして、柳の日常生活にセキュリティを強化し、心のケアも怠らないようにします。安心して生活できる環境を整えることが、現時点で最善の対策……」
力尽きたように言葉尻が萎んだ。前向きな発言ではあった。しかしそれしかできない、という無力感を感じる。
「我が社のリソースもフルに活用しよう。技術部門には、セキュリティシステムのチェックと強化を、人事部には関係者の背景調査を徹底させる。何かしらの手掛かりを見つける。エイジス・セキュリティは全面的に協力する」
「……ヴィジョンデジタルテックスの全てのコネクションを利用します。国内外のネットワークを駆使して、この事件に関連する情報を集めましょう」
彼の言葉は冷静であったが、その目元には曇りが浮かんでいた。しかしヴィンセントの発言に顔を上げる。それはひとえに、息子への愛故。
ヴィンセントが柊の肩に手を置き、力強く言った。
「私たちができることはすべてやる。柳くんだけでなく、彼のような犠牲者が二度と出ないようにするためにも、この闇を晴らす必要がある」
柊は深く頷き、決意を新たにした。
「はい、全ての手段を尽くしましょう。そしてこの問題を根本から解決するために、持ち得る全ての力を動員します」
リビングの空気は緊迫していたが、その中でようやく夕子が口を開いた。
「デジタルアートの視点からも何かできることがあるかもしれません。私が知る限り、アートとテクノロジーが交差する分野には、非常に高度なソフトウェアが存在しています。これらを使って何かしらの情報が隠されているコードやメッセージを解析できるかもしれません」
東雲夕子は節目がちな目をしており、その落ち着いた表情からは深い洞察力と安定感が感じられる。
静かに会話の流れを追いつつ、必要とあればしっかりと意見を述べることができる彼女の発言は、周囲を納得させる力を持っている。
「また、この種の技術はしばしば、デジタルシャドーを追跡するのにも使われます。私の知り合いには、この分野で専門的な技術を持つアーティストやエンジニアがいます。彼らと連携して、何か新たな手がかりを見つけることができるかもしれません」
話し方は穏やかで、それでいて説得力があり、聞く者を引き込む魅力を有している。
ヴィンセントはその提案に目を見開き、言った。
「素晴らしい。ぜひその連携を取ってください。この問題には多角的なアプローチが必要だ」
柊も感謝の意を表し、「夕子の独創的な視点は、この困難な状況を打破する鍵となるかもしれません」と肯定した。
彼女自身もこの愛する息子の危機に対処するための一翼を担うことに意欲を見せる。柊は眼前の資料を見つめた。
電脳感覚逸脱症候群に関する資料
定義と症状
電脳感覚逸脱症候群(Cybersensory Deviation Syndrome, CSDS)は、高度に発展した電脳技術の長時間使用によって引き起こされる、感覚認識の混乱を主な特徴とする症候群です。この症状には以下のような特徴があります。
感覚の錯乱:実際の感覚入力とバーチャルな感覚入力との区別が困難になる。
感覚過敏:通常の感覚刺激に対して過度に敏感になる。
仮想環境依存:現実世界よりも電脳世界に強く依存する心理状態に陥る。
原因
CSDSは、主に仮想現実技術の長時間利用が原因で発症することが示されています。精神没入型電脳領域での過剰な刺激と現実世界の感覚入力の間で脳が適切に処理できなくなることから、症状が生じます。
対策
使用時間の制限:精神没入型電脳技術の使用時間を厳格に制限し、定期的な休息を取ること。
感覚調整機能の開発:ユーザーの感覚負荷を自動調整するシステムの導入。
啓蒙活動:ユーザーに対する教育プログラムを通じて、安全な使用方法を普及させる。
経営者への提言
ビジネスリーダーとして、従業員の健康を守るためにも、精神没入型電脳技術の利用に際しては上記の安全管理対策を遵守し、特に長時間作業を避けるよう指導することが推奨されます。また、技術開発においては、ユーザーの健康を第一に考えた設計を心がけることが求められます。
この資料は、電脳感覚逸脱症候群についての理解を深め、適切な対策を講じるための基礎情報を提供することを目的としています。
「電脳感覚逸脱症候群……」
柊は眉間に深く皺を寄せた。
息子の競技への情熱を思い、全面的に協力してきた。しかし、その思いが息子の奇病の原因なのではないかという懸念が、彼の明晰な頭脳を鈍らせている。
ヴィンセントが背中を軽く叩いた。
「……大丈夫だ。必ず柳くんは復活する」
「ヴィンセントさん……」
「お前の息子だ。困難に立ち向かう強さを持っている。今はただ傷つき、休んでいるだけなんだ」
静かに話を聞いていたヴィンセントの妻、サファイアが意見する。
「医師の行為は、明らかに常軌を逸しています。これは間違いなく意図的なマインドコントロールよ」
金髪をセミロングにし、そこに華やかなパーマを加えることで、明るく社交的な性格がより一層強調されていた。
サファイアは堂々とした振る舞いで部屋にいる全員に安心感を与える。視線は特に息子が被害者となってしまった夕子に向けられ、慰めと支持のメッセージを送っていた。
「……クリスから聞いている。繰り返しの痛みの再現と9歳の頃の事件の追体験。意識を失わされる、基本的なケアが与えられない、病室で繰り返される問答、詳細を説明せず薬を飲ませるなどの不審な行動…………そうだな。この異常性は極めて特異だ」
ヴィンセントの隣に座りながら柊は歯噛みする。
「ただ偽の病名を告げたかっただけなら、ここまでする必要がない。記録はすべて消えており、名前も架空のもの……これでは立件も不可能。柳の生体識別チップのデータも、繭を使って取得されてしまった可能性が高い。マインドコントロールの影響を最小限に抑えることも急務です。ただでさえ柳は……一度殺されかけている。未だ心の中には葛藤があるのでしょう……できることなら……かわってやりたい……!」
幾度となく吐き出されてきた、親としての切なる願いだった。
「現在の状況において直接的な法的対応は取れないが、バーチャルリアリティコミュニティ内での情報共有と啓蒙活動を強化することで、柳のような被害者が出ないようにつとめよう」
ヴィンセントの更に踏み込んだ提案に、柏木は加わる。
「長期的には、バーチャルリアリティ技術の使用に関する法律やガイドラインの整備を政策立案者に働きかけることも、検討しましょう」
この話し合いを通じて、東雲家と桐崎家は難しい状況下でも息子たちを守るためにできることを模索し、行動に移す決意を固めていた。
「……本日の会合は以上です。新情報や進捗は適宜指定のクラウドに……柳のことも何があれば、場合によっては直接通話で共有します」
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