星渦のエンコーダー

山森むむむ

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透明な夢のスタートライン

静寂の中 狩人への変貌

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────半年以上前

 柳がコクーンに入るとき、その心理過程は冷静さと集中力を顕著に示す。そのように訓練したからだ。コクーンの内側からゆっくりと目を閉じ、深い呼吸を繰り返しながら、外界の雑音を一切遮断していく。

 自らを静かなる狩人として位置付け、相手の弱点を見極めるための情報を冷静に整理するよう努めた。身につけた冷徹さは、順調に思考を導いていく。
 一点の乱れもなく、まるで鋭利な刃が研ぎ澄まされていくように。この感覚が柳は好きだった。さあ、試合に向けての準備を整えよう。

───感情を排し、全ては勝利のために。
 内なる声が繰り返し囁く。容赦はしない。それが決闘における礼儀というものだ。
 試合の様々なシナリオを反復し、可能性、あらゆる展開を予測する。戦略を磨き上げ、一挙手一投足を読み解く能力を高めていく。

──忘れるんだ。全てを。
 全ての意識は完全に試合へと向けられた。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

『そして、試合が始まりましたァ! 東雲柳選手はプロデビュー戦ですが、その目はすでに冷静さを宿しています!』

 試合は始まったばかりだった。
 相手選手は自信に満ちていた。新人の東雲など、経験豊富な自分にとっては問題外だと考えていた。しかし試合が進むにつれ、その考えは徐々に、しかし確実に崩れ去っていく。

 電脳空間のコースを駆け抜ける様子は、無音の世界を疾走する風そのものだった。極めて一切の無駄がない。障害物と妨害を避けるたびに輪郭は更に鮮明になり、速度は増していく。彼の軌跡は、光が闇を切り裂くようにコースを支配下に置いていく。

 動きは計算され尽くしていた。
 装備は霧影のように視界を掠め、閃光足駆ブリッツステップで繰り出される進路妨害はまるで閃光のように速く、幻影外套シャドウクロークで相手を惑わす。影縫いの手甲エクリプスクラッチを使い、こちらからの妨害をいとも簡単に封じ込めていった。
 自らの妨害スキルを発揮することはほとんどなかったが、直接的攻撃を行わずとも相手の心理を巧みに操り、不安を煽るものだった。
 試合運びは水の流れのように滑らかでありながら、裏に計算しつくされた戦略が隠されている。術中に嵌っている……自分が、プロデビュー戦の新人選手に?
「なんつー奴だよ……オイ!」

『東雲選手、早速戦略的にフィールドを支配し始めています! 綿密に練られたシナリオ……勝利への強い意志が感じられますね!』
 フィールド内で彼が仕掛ける罠には美しささえ感じられた。
 狡猾さと無慈悲な戦術、勝利への貪欲さ。そして真剣さ。全て選手としての礼儀である。全存在を勝利のために傾ける。アスリートとして、全くの完全なる、一番の尊ばれるべき正しさ。
 彼は公式試合フィールドを文字通り自らの領域として支配し、対戦相手を思うがままに操る恐ろしい少年だった。

「……嘘、だろ」
 次第に追い詰められ、どのようにしても圧倒的な支配から逃れることはできなかった。
『相手選手が妨害を仕掛けてきましたが、東雲選手、それを見事に回避! そしてカウンターで一気にゴールゲートへの距離を詰めます!』
 死神が舞台に立ち、その刃を振るうかのように感じられた。
 放たれる圧力は見えないが確かに存在し、意志を折り、完全に思うがままにしていく。優美さと恐ろしさの混在する姿に魅了されつつも、深い恐怖を感じずにはいられない。

『見てください、この流れるような動き! 東雲選手はまるで水のように相手の隙をついていきます』
 東雲柳のアバターの目が、自分を見据えていることに気づいた。
 その銀灰色の瞳は、事前告知のプロフィールや試合前の挨拶で見た優しげなものとは別人のようで、まるで運命を予告するかのように冷ややかだ。
「くそぉっ!」

『試合も終盤に差し掛かり、東雲選手のリードが明らかになってきました! 彼の冷静かつ緻密な戦略が光ります! これは凄すぎる! 新人であるという事実が信じられないほどです!』

 ゴールゲートが見えた瞬間、動きはさらに加速する。
 まるで時間そのものを操るかのようにコース上の障害物を瞬時に判断し、最適なルートを選択して進んでいく。
 ほとんど光の速さに近いものがあると感じられる。そんなはずはないのにだ。まるで、この電脳世界の仮想物理法則をも超越したかのような圧倒的な存在感。東雲柳は見る者すべてを、息を呑むほどの戦慄で包み込んでいた。

 試合の終わりには、ただただ敗北を受け入れる他なかった。
『試合終了! 東雲柳選手、見事なデビュー戦を飾りました! その強さ、冷静さ、そして圧倒的な戦略性は、今後の電脳スポーツ界に新たな風を吹き込むことでしょう』

 彼の前に跪くような心境に陥っていた。冷酷な戦略と美しさの中に隠された残酷さに、完膚なきまでに打ちのめされる。東雲がただの新人選手ではなく、真の支配者であることを認めざるを得なかった。

 東雲柳はこちらへ歩み寄り、礼儀と気遣いさえ見せてきた。
 試合中とは異なる穏やかさに怯み、その言葉に対してろくに返事も返せない。そのプレイには畏怖と尊敬の念を抱かせる何かがあり、その日以来、相手選手の中で東雲柳は特別な存在として刻まれた。

 試合終了後、電脳世界の掲示板は東雲柳に関する議論で急速に盛り上がっていた。
 試合の映像を背景に、仮想空間のスポーツカフェに集まるサポーターたちの間で交わされる言葉は、畏敬と恐怖に満ちる。

『あの動き、仮想物理上だとしても本当に人間のものとは思えない。完全に電脳空間に感覚を合わせている。技術と戦略で相手を追い詰めていく様は、まるで死神が相手を狩るよう……』

『恐ろしいほど計算された動きで、相手を完全に追い込んでいく……あれはもう、死神以外の何物でもないよ。ていうか、本当に年齢高校生相当?』

『見ているこちらが息をのむような試合だった。手数も技も戦略も、新人のものとは思えない。彼の冷徹さに、どんな相手も逃れられないんじゃないか?』

『彼の前では、どんな相手も無力……白き死神、シノノメ・ヤナギの名前は今日から伝説になるだろう』

 恐怖と畏敬の念を込めた会話が交わされ、東雲柳の圧倒的な強さと彼に纏わる死神のイメージは、電脳世界の各所で急速に広がっていった。
 彼の存在は競技界に新たな伝説を刻むこととなり、その名前はファンたちの心に強く印象付けられた。
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