星渦のエンコーダー

山森むむむ

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壊されたヒーロー

春の嘘。庭園に咲くのは、約束の花。 4

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 柳はクリスの親友であるリリアと鞠也に事前に声をかけ、資料制作の設備が整った特別教室に呼び出していた。

 先に職員室へ出向いて、柳自身が教師に了承を得ることもふたりに言い添えてある。大型モニターやデバイスを既に展開された教室の扉を開けて入室すると、まさに二人は先に椅子に腰掛け、柳からの知らせを待っていた。

「リリア、鞠也、先に話してあった通りだけど、お願いがあるんだ」
 リリアは即座に応じる。
「おう、クリスのためなら何だってするぜ。アタシらはどんな風に手伝えばいいんだ?」

 鞠也も穏やかに頷く。
「私たちにできることがあるなら、喜んで協力するわ。その授業って、どんな内容になるの?」
 柳は感謝の気持ちを込めたように言う。
「ふたりともありがとう。デジタル・フォレンジックの単元を利用して、この問題を絡めることにした」
「デジタル・フォレンジック?」
 まだ授業では入っていない単元だ。教科書で見覚えはあるし、ふたりとも一般的な知識はあるが、具体的な内容までは知らないらしい。これは仕方ない。柳もネオトラバース関連の技術を身に付ける過程で知ったものだ。選手ではない一般の生徒が知らなくても、普通のことである。

「クリスにも了承済みだし、クリスは当日自宅で別授業を取った。資料も先生にもらってきたよ」
 デジタルフォレンジックとは、字面を一見すると少々難解に思える。しかし実際には彼女たちの日常生活にも密接に関わっている。
 日頃から使用している通信デバイスや各種コンピュータ、大型情報処理機構には、様々な情報が蓄積されている。これらの情報を解析することで、何が起きたのかを明らかにすることが可能だ。

 たとえば、ある日友人からの連絡が突如として途絶えた場合、その友人のデバイスを検査し、最後にどのアプリケーションを利用していたか、どのウェブサイトを閲覧していたかを調査することで、事態の解明に近づくことができる。
 これがデジタルフォレンジックの基礎である。

 デジタルフォレンジックは情報を収集するだけではなく、その情報の真偽も検証する。
 インターネット上には数え切れないほどの情報が溢れており、その中には虚偽の情報も含まれているため、真実を見極める能力が非常に重要となる。
 まるで探偵技術のようなものだ。電子機器に残された痕跡を追いながら、事件の真相に迫る。ある種のスリルが伴い極めて面白いという点を、柳たちは授業という場で利用することができる。

「まず特別授業では偽情報がどのように作られるか、そしてそれをどう見分けるかについて話すつもりだ。既に噂の写真は大勢が見ている。前提情報として十分に機能するだろう。共通認識はこの授業への集中力を助ける」
 鞠也が顎に手を当てながら問う。
「クリスちゃんには?」
「もう話してある。ぜひやってって。でも流石にこの授業に本人が出るのは酷だから、別授業かスケジュール調整で、自宅にいてもらうことになってるよ」
 柳は所持していた小型ARディスプレイをデスクに置き、二人が自分と同時に資料を閲覧できるようミラーリング表示モードにした。

「リリアには、ディスカッションの進行を手伝ってもらいたいんだ。みんなが積極的に参加できるようにしてほしい」
 リリアはガッツポーズをしながら自信満々に答える。
「任せな! アタシそういうの得意だよ」
 柳はさらに鞠也に向けて言う。
「鞠也は、資料作成の方を手伝ってほしい。 君の分かりやすい説明は、この授業でとても役立つと思う」
 鞠也は嬉しそうに頷いた。その動きに、ふわふわとした髪がやる気を表すように広がる。
「私にできることなら、全力でやるわ」

 柳は資料を分配し、彼女らの準備がスピーディーに進むよう、各種の調整役をすることにした。
 二人の支持と助力があれば、生徒たちに対する教育という形で誤解を解く情報を知らせ、クリスに対する誤解を解きほぐす大きな一歩となるだろう。

 あとは授業内容をより良きものにすることである。これからのクリスの学校生活に、このような不安要素はあってはならなかった。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 高層マンションの自室で、クリスは大きなクッションを抱きしめながら柔らかなベッドの上に横たわり、空を見つめていた。

 窓の外に広がる都市の景色が、夕暮れ時に染まり始めている。
 静寂が満ち、ただ心の内だけがざわめいている。学校に顔を出さないことにした今日、自分が孤立してしまったのではないかという不安に苛まれていた。

 柳からの連絡を心待ちにしていた。
 彼はクリスに例の写真を授業で利用する案を提案し、クリスには家で休むよう勧めてくれた。その心遣いに、この胸は僅かに鼓動を強くする。
 柳は優しい。ずっと、小さな頃から。
 その優しさが彼の身につけてきた知識によって広がり、日々力となって柳自身や周囲を守るために使われていることを、クリスはわかっていた。

 ぼんやりしているとデバイスが震え、柳からのメッセージが表示される。
『特別授業、終わったよ。みんな真剣に聞いてくれた。授業後に僕に話しかけてきた人たちの反応から見て、問題は解決したと思う。心配しないで』
 クリスの心はその言葉を読むと同時に、ふわりと軽くなるのを感じた。渦巻いていた不安や孤独感が、少しずつ解けていく。
 柳という存在がどれほど大きな支えであるか、その事実が改めて心に響いた。その感覚に浸りながらも、まだ学校の授業中であることを思い出した。夕日が部屋に優しい光を投げかける中、今後のことを考え始める。

 クリスはベッドから起き上がり、窓辺に近づいて外を眺めた。
 空はオレンジ色に染まり、街の光が一つ一つ灯り始めている。深く息を吸い込み、そしてゆっくりと息を吐き出した。

「柳……本当にありがとう」
 静かな部屋の中でそっと呟く。柳や親友たちの協力がなければ、この問題を乗り越えることはできなかった。
 彼らの努力によって、クリスは再び学校へと戻る勇気を得たのだ。再びベッドに戻り、クッションを抱きしめた。今度は心に安堵を感じながら。問題が解決したこと、そして自分が孤立していないという確信。

 それらすべてが、柳からの短いメッセージに込められていた。

 その時、デバイスが再び震えた。今度はリリアと鞠也からのメッセージだ。
『授業、うまくできたよ! みんなアタシらの説明を真剣に聞いてた。クリス、もう心配いらねーからな!』
 リリアの言葉には、いつもの明るさと元気が詰まっている。

 鞠也からも、メッセージが届く。
『柳くんのおかげで、みんなが真剣に問題を考えてくれたわ。また不安になるようなことが起きたら、私たちも一緒に頑張らせて』
 鞠也の言葉からは、優しさとクリスへの深い思いやりが伝わってきた。

 街の灯りが一つずつ点灯していく様子は、新しい始まりを予感させる。クリスは音声を自動変換し、テキストで返信した。
「ありがとう」
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