星渦のエンコーダー

山森むむむ

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壊されたヒーロー

春の嘘。庭園に咲くのは、約束の花。 3

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 風は春の温度を運んでいたが、その穏やかさとは裏腹に、花壇の前のベンチに座って読書をする柳の周りの空気は、緊張で張り詰めた。

 現在、中庭には人はほとんどいない。
 にぎやかな昼休みの光景とは異なり、黙ったまま立って柳の方を見る生徒たちが、一斉に顔を見合わせた。影山とその仲間たちが、文字を追ってうつむいたままの柳の前に立ちはだかる。
 影山は同級生だ。中学の頃はおとなしい普通の生徒だったが、彼はここ数年で随分と様変わりしている。
 制服の着方はある程度自由な学園内でも、彼のアイコンのようになっているのはシャツの前を開け、インナーを見せるスタイル。
 柳は、彼の姿を見て気が合わなそうだ、とだけ思った。
 だが、規格外というほどでもない。ロジックに組み込み、全ての問題を解決してみせる。

「東雲くん、ちょっと聞きました?」
 影山が挑発的に口を開いた。
「……あなたは、先日の」
 柳は静かに、しかし確固たる態度で問い返す。

「桐崎さん、結構他の男とも仲良くしてるらしいじゃん?」
 影山の言葉に、仲間たちもニヤニヤと笑いながらうなずく。
 柳は本を閉じ、ゆっくりと立ち上がった。
 かかった。ここで読書をしていたのは、柳の戦略を円滑に運ぶための一手だ。ここは人目につく。図書館や庭園、屋内ではなくわざわざここで一人になって本を読んでいれば、放課後彼らの目につき、挑発に来るだろうと予測していたのだった。

「……噂を広めるのは簡単かもしれない。だけど、真偽の判断は重要で難しいことですね」
「……は?」
 影山が嘲るように返した。
 周囲の生徒たちが彼らの会話を聞き、近くにいる友人らと小声で話していた。
 事態を察した別の生徒が録音を始める。録画を開始したことを示すデバイスの電子音も聞こえてきた。

「やんのか?」
 別の仲間が挑発的に言葉を投げかける。
 全て、柳がクリスに直接話を聞いたあとに考えたいくつもの計画の中の、その一つのシナリオに沿ってことが運んでいる。
 こうまでうまくいくとは。
 話を先へ進めるため、柳はあえて笑みを浮かべる。思い通り影山はそれを、クリスの関心は自分にあるという確信の籠った、挑発的な意味と受け取った。
「そんなに自信あんのか、お前。写真だって出回ってるんだぜ」

 柳は彼らの目を一つ一つ見つめながら、静かに、しかし確かな語気で応える。
「写真が本物かどうかは、確かに見ただけではわからない。でも僕は彼女を信じます」
 影山は、この答えが気に食わないらしい。聞き遂げると一層強く柳を睨みつけてきた。こちらのペースで会話を終えたい。だから構わず続ける。
「そして、これはあなた方に言っておかなければならないと思いますが……」
 短い沈黙の後、柳は息を吸い込む。
「クリスに手を出そうとする人がいれば、僕はそれを許すつもりはない」
 語気を強め、怒りの感情を瞳に意図的に映し出した。全員に伝わるようにだ。
 影山の目を真っ直ぐに見つめた後、後ろの取り巻きたちの顔を一つ一つ眺め、全員を記憶する。

 影山たちは一瞬言葉を失うが、すぐに冷笑を浮かべる。
「見てろよ」
 そして、彼らは去っていった。

 柳は彼らが去った後もしばらく静かに立っていた。クリスを守るという強い決意と、影山たちの挑発に対する静かなる反骨心。その二つは同時に共存する。
 適切に利用するため、今柳はあえて反骨心をを鎮めようとはしなかった。
 鈍化した感情は時として便利だ。感情を選び取り、柳は簡単にコントロールできる。

 仮面を外そう。あくまで部分的に、だが。

◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 数日後、放課後の高専はいつものように生徒たちの活気で満ちていた。クリスは教室で友人たちと談笑していたが、その平穏は突如として乱された。
 影山と彼のグループが再びクリスの前に現れ、今度はより強硬な態度でデートに誘うおうとする。

「桐崎さん、今度の週末、空いてるよね?」
 影山がにっこりと笑いながら切り出す。クリスは戸惑いを隠せないまま、身を守るように胸に手を置いた。

「えっと……この間、断りましたよね?」
 しかしリリアが勢い余って、影山に食って掛かる。
「テメェ、この間も来ただろ! クリスはテメーに用なんかねえっつの! 帰れ!」
 襲いかかってきそうなリリアの剣幕にたじろぐ取り巻きもいたが、一人が進み出て、彼女と横にいた鞠也を無理やり教室から追い出した。
「どーどー、元気だねぇ君」
「ずいぶん小さいね。本当に二年生?」
「や、やめてください!」
「かぁわいー! やめてくださいーだって!」

 楽しい談笑の時間が一変した。クリスらのいた一角に、もう影山と二人きりになってしまう。
「遊びに行かない?」
 影山の言葉に、彼の仲間たちがクリスに視線を送る。遠くで先生を呼んでと言う声が聞こえた。

「ごめんなさい、この間も断った通り、私は……」
 クリスが断ろうとすると、影山は彼女の言葉を遮る。
「大丈夫大丈夫、桐崎さんが忙しいのは知ってる。でも、ちょっとの時間でいいんだ。みんなで楽しみたいんだよね?」
 影山は周りを見回しながら、クリスに圧力をかける。
「いや、でも……」
 クリスの言葉は、影山の強引さによってかき消されそうになる。

 影山は、なぜこれほどまでにクリスを手中に収めようとするのか。

「……か、影山くんはなんで私を?」
「キレーな子だな、と思ってたよ。でも、最近の噂を聞いて心配になって。言えない悩みなんじゃない? 東雲柳くんには」
 柳の名前を出しながら、決定的な返答を迫られる。
「桐崎さん、みんなで行くんだから、何も心配いらないよ」
 影山が更に結論を焦らせようと一歩進み、二の腕を掴もうとしたその時。出入り口付近で取り巻きが妨害するのを巧みな動きで避けながら、柳が教室に現れた。
「クリス!!」
 彼は声を珍しく張り上げ、クリスの心に救いをもたらした。
 影山たちへの明確な対抗意識が込められている。クリスは柳の姿を見て、ほっと息をつくことができた。

「……柳、ありがと……実は私、その日はもう予定があるの。ごめんなさい、影山くん」
 柳の存在がクリスに安心感を与え、影山たちの誘いをついに断ることができた。

 柳はクリスに微笑みかけ、次に影山たちに向けて視線を送った。節目がちな目が睫毛の影を作り、激しい怒りの感情を孕む。
「クリスは忙しいんだ。……無理に誘わないでほしい」

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 柳は、特別授業の計画を実現するために、まずは担任教師に相談を持ちかけることにした。職員室を訪れ、この問題について話す。

 あくまで、授業の一環として。そこが柳の押し通したいポイントであった。そしてクリスを傷つけない。
「先生、少しお時間をいただけますか? 最近、インターネット上のうわさや偽情報がどのようにして拡散されるか、という問題が起きているのをご存知だと思います。実はその問題が今、私たちの友人のあいだで実際に起きていて、とても身近な問題として感じています」
 教師は相槌を打つ。柳は一息ついてから続けた。
「デジタル・フォレンジックに関する特別授業を、手伝わせて欲しいんです。今の授業の単元に、情報リテラシーやメディアの影響力について学ぶ部分があるんですよね。この機会に実際の事例を使って、ネットで拡散される情報の真偽を見分ける方法や、情報がどのように操作されるかを理解してもらえると良いと思うんですが」

 担任教師は柳の提案に興味を持ち、続きを促した。
「なるほどな、実際の事例を通じて学ぶのは生徒たちにとっても非常に有意義だ。詳しく聞こう。具体的にはどんな形で進めたいのかね?」

 息を吸い込み、準備していたプランを説明する。
「クリスの親友であるリリアと鞠也も、僕の話に協力してくれることになっています。勿論、実際に渦中にあるクリスと、その相手生徒の了承を直接得ています。情報の見分け方、画像や動画がどのように操作されるかについての簡単な資料を準備し、それを使ってクラスで話し合いを行いたいんです。実際に偽情報を見抜くためのクイズなどを通し、自身で見分けることができる技術を身に着けやすい内容にしたいと考えています」
 教師は柳の熱意と計画に応じた。
「素晴らしい提案だよ。遊びを通じての学習は効果的だろう。しかも身近な事例。よく本人たちに許可を得てくれたね。そちらの問題の解決にもなれば一石二鳥だな。さあ、先生も手伝うから準備を始めようか?」

 教師の了承は得ることができた。授業であるからには、ほとんどの生徒は真剣に話を聞くだろう。
 誤解は解けるはずだ。この授業を通じて、情報の見極め方を知る機会を作り出すことさえできる。
 教師に一礼し職員室を出た柳は、ポケットからデバイスを取り出してクリスへメッセージを送った。

『クリス、落ち着いた? 今日はゆっくり休んでね。先生に了承はもらったから、僕たちで準備を始める。このために図書館に行ってたんだけど、ごめんね。そのせいでまた彼らに迫られることになったみたいで。でも、リリアたちと一緒に頑張るから。必ず君を守るよ』
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