星渦のエンコーダー

山森むむむ

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壊されたヒーロー

親友の想い人が後輩女子に告られているのを目撃した。

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 繁華街の本屋の片隅で、リリアは偶然にも柳の姿を見つけた。

 彼の後ろを、一年生の女子が楽しげでありながらも照れくさい笑顔でついていく。
 柳はその小さな親切を通じて女子生徒を案内しているだけのようだったが、彼女はそのほんの一瞬の交流に心を許してしまったらしい。リリアは好奇心のまま、彼らにこっそりとついていった。

「……あの」
 小柄な少女の声は周囲の雑踏に紛れ、ほとんど届かない。長身の柳は、若干顔を傾けながら尋ねる。
「……え?何?」

「東雲先輩…」
 彼女はもう一度口を開くが、その声は再び小さく消えそうになる。
「ごめん、よく聞こえないんだ……」
 柳は彼女のためにもう少し近づき、耳を傾ける。
「…先輩、わたし…先輩のことが…好きなんです!」
 最後には、その言葉ははっきりと柳に届いた。

 しかし、彼女の表情は告白することの緊張と、それが叶わないかもしれない恐れで揺れ動いていた。
 柳は、しばらく彼女を見つめた後、深く息を吸い込む。彼の答えは、その場にいる誰もが予想していたものだ。口から出た言葉は予想以上に温かく、配慮が感じられるものだった。

「その気持ち、すごく嬉しいし、本当にありがたく思う。だけどごめん、今は誰かと恋愛をする余裕がなくて……本当に心苦しいんだけど、君の思いには答えられないんだ」

 彼の声は静かで、彼女の感情を最大限に尊重するものだとリリアは思った。女子生徒は一瞬言葉を失うが、やがて小さく頷いた。
「わかりました……」
 リリアは本棚の影からその一部始終を見ていたが、柳のこのような優しさが、彼をさらに魅力的にする理由の一つだと改めて感じる。
 そして、数々の女子生徒の好意が深まるのも無理はないと思った。

 柳が踵を返してこちらへ歩み寄ってくるのを察知し、リリアは置いてあったファッション誌で顔を隠してみたが、彼には見抜かれていたらしい。
「……今の、クリスには内緒にしてね。リリア」

 追い抜きざまに頼まれた一言を、リリアは承諾するしかなかった。無駄な目隠しを外し、柳の顔を見上げる。

「……気付いてたのかよ」
 柳はいつもと同じ顔で、リリアを見つめていた。
「ううん。今気付いたんだ」
「ホントかよ」
「知りたい?」

「やっぱいいや。柳ってクリスのことになるとすげーから」
 うんざりです、といった顔で柳を一瞥する。柳はリリアのそんなリアクションには慣れっこだった。

「さすが、長年の付き合いはいい判断材料だよね」
 柳は意地悪そうな表情を作ってみせた。
 さすがに少し狼狽する程の凄味はあるが、リリアには逆にそれが不気味に思えてしまう。

「お前がモテるのがアタシは不思議だよ」
「ひどいな」
 彼が今度は美しく笑ってみせた。リリアはこの笑顔が、本当に苦手だ。

 クリスは彼の微細な感情表現を読み取って一喜一憂しているが、リリアにとって、彼の感情を知ることは不可能に近い。
 正確に言うなら、感情表現自体は行っている。しかしよくよく付き合ってみると、それら全ては計算された演出なのだ。
 東雲柳の甘いマスクは、その演出を補助する装飾に過ぎない。そして誰も、その事に気づきもしない。

「じゃーな。クリスによろしく」
「おつかれ、リリア」

 リリアは大きく伸びをしながら柳に背を向けて帰路につく。
 こうまで複雑な人間は見たことがない。彼の過去についてはクリスにも説明しにくい事情があるらしい。しかしクリスに関係する彼が、彼女に思われている彼が、分厚い仮面を被っていることがリリアは不可解だった。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 東雲家の見知ったフロアにて、リビングルームのカウチソファにクリスは横たわっていた。

「ねぇ、柳」
 その言葉が宙に溶けるように、クリスは柳の返事を待つ。

 お気に入りのクッションを抱きしめながら柳の気を引こうとしたが、彼は自分がいるにも関わらず、さっきからずっと手元のデバイスに何かを入力するのに夢中だ。また声だけで返事をしてくる。
 唇を尖らせ、柳のほうじ茶を横取りしてやった。それでも彼は気付かない。いや、気づいているのにあえて放置しているのかもしれない。

 最近の柳の忙しさが、クリスにとっては心の隙間風のようだった。
 彼がいることが、日常の一部になっている。だからこそ、「最近ずっと会えてなかったけど、やっぱりこれからも忙しい?」と尋ねた時、心のどこかで不安が渦を巻いていた。
 起き上がり、クッションを柳の体に押し付けることで意地悪してみる。柳は「ちょっと……」と少し眉を寄せたが、すぐにいつもの穏やかな表情に戻る。

「大丈夫だよ。春休みって、結構取材とか試合が入るんだ。あと、プロデビューしたばかりでスポンサー周りとの色々があって。だけどもう新年度が始まったから、大体のそういう面倒事は一旦落ち着くんじゃないかな。取材はリモートでもできるけど、忙しかったのはスポンサー企業の人の意向で、直接顔を見せるため。だけどもう学業優先にしてって言われてるし、学校にもリモートとかじゃなくて、毎日行けると思う。……って、マネージャーさんが言ってた」

「ほんと?!」
 クリスはソファのスプリングで小さく跳ねた。柳はおかしそうに笑う。

「ほんとほんと。プロって言っても、ネオトラバースは繭さえあればどこからでも試合に出られるからね。スポーツ施設とか会社以外だと、元々使われてた医療施設の他には、学校ならどこでも1台は置いてある。むしろ学校に通うことで、ほとんど移動しないで試合に出られるし、その分楽になるかもね」

 柔らかく細められた大好きな銀色に吸い込まれるように、クリスは柳の側まで降りる。

「そうなんだ! わあー、やったぁ!」
「クリス、もしかして僕がいないと暇なの?」
「あー! 超失礼! 柳以外にも友達いますから!」
「そう、じゃあ心配いらないね」
「嘘、ウソですウソですめっちゃ嬉しいから!」

 泣き真似をしながらクリスは柳にもたれかかり、柳は声を上げて笑った。
 クリスはふと、その体が自分の知る彼よりも幾分大きく、逞しくなっていることに気づく。なかなか筋肉が大きくならないと言っていたが、やはり彼も男の子なのだ。
「んー、柳、腕ちょっと太くなった?」
「ちょっとね。やっぱり僕、筋肉を大きくするの向いてないのかも」
「お父さん似だしね。アスリートとして鍛えても、やっぱ向き不向きはあるんだぁ」
「持てる物を使って努力するしかないね」

 長い間の交流で、柳とはもう家族のような距離感だった。彼の両親は、自分の両親とずっと交流を続けている。
 赤子だった頃の出会いによって親密に形成された関係は、今では逆にクリスの望みを阻む障壁となってしまっているのだった。
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