星渦のエンコーダー

山森むむむ

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壊されたヒーロー

リリアと鞠也の定例恋愛応援作戦会議・清宮兄妹と柳と犬

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 カフェテリアでの夕暮れ時、リリアと鞠也は隅のテーブルで、親友クリスの恋愛事情について話し込んでいた。
 彼女たちはクリスが柳に対して抱く、あまりにも明らかな好意を数年に渡り見守ってきた。
 しかし、最近の柳のモテぶりは彼女たちの間でも一層の危機感を煽るものがあった。

「なあ、鞠也……アタシ思うんだけど、柳って中学のときよりモテてる……よな?」

 リリアが心配そうに言い、シュガーナッツを手にしながらもその表情は曇っていた。鞠也も頷き、ゆるくウェーブした髪に手をやりながら深刻な面持ちで答えた。
「本当に……中学の頃から見てるけど、柳くんっていつも優しいから、それが余計にクリスを苦しめてる」
「同級生、下級生も。あ、この間は、他校の子も見たな……」
 リリアが続けた。

「ええっ?! 他校の?!」
 鞠也は喉を引き絞るような声で驚愕をあらわにした。リリアが頷くと、鞠也は続けて「私、この間……柳くんが上級生に露骨に誘われてるの見ちゃった……」と暴露してきた。

 鞠也は深刻そうに、目撃した場面についてを報告する。

「私、係の仕事で少し遅れて教室を出た時、そこで次の授業の特別教室に一人で向かってる柳くんを見たの」

 東雲柳は午後の休み時間に校舎の廊下を歩いていた。彼の穏やかで見目麗しい姿は、校内でもひときわ目立つ存在だ。
 アスリートとしての活躍は誰もが知っており、それを自慢することもなく謙虚に振る舞う彼には、多くの生徒が好意を寄せていた。

 そのとき、彼の前に上級生の女性が現れた。彼女は大きなバストを強調するように制服のボタンをいくつか外し、色っぽい笑みを浮かべていた。
「柳くん、ちょっといいかしら?」
 彼女は甘い声で話しかけた。
「こんにちは。何かご用でしょうか?」
 柳は丁寧に応じた。

 彼女は柳の腕を軽く引っ張り、廊下の隅へと誘導した。近くには、同じように興味津々な目つきで柳を見ている数人の女子生徒たちがいた。

「君って本当に素敵よね。アスリートとしても有名で、しかもとっても優しい。付き合ってる子、いないって聞いたよぉ」
 彼女はさらに身を寄せ、柳の肩に手を置いた。柳は突然の接触に一瞬戸惑ったが、身を離して冷静に答えた。
「恐縮です。でも、今は競技に集中したいので……そういったことは、考えていません」

 彼女は柳の言葉を無視して、手を彼の胸に滑らせた。
「そんなに真面目にならなくてもいいじゃない。私で試してみない……?」
 柳は困惑しながらも、距離を取ろうとした。
「……本当に申し訳ありませんが、そういったことには興味がありません」

 彼女はさらに接近し、囁くように言った。
「そんなこと言わないで、ちょっとだけでいいから。君がどんな感じなのか、試してみたいのよ」
 柳は深呼吸をし、毅然とした態度で言った。
「申し訳ありませんが、本当にそういったことには興味がありません……ご理解いただけると幸いです」

 彼女はしばらく柳を見つめ、その後、ふっと笑みを浮かべて手を引いた。
「そう……残念ね。でも、もし気が変わったら、いつでも声をかけてね」


「上級生までとは。奴もここまできたか……」
 リリアはナッツを噛み砕いた。さして味わわれることなく、苛立ちの発散とともにその存在を終えたかわいそうな欠片たちは、あっという間に喉の奥へと消えていった。

「それに、柳くんって断り方がまた優しいの。誰に対しても丁寧で、傷つけないようにしてる。今回の上級生に対してもそう。結構あからさまな感じだったのに、相手のことを貶めることも絶対にしない…………慣れてるんだよね」

 鞠也がため息をついた。少しいつもより広がった薄い色の髪が、吐息でわずかに揺れる。
「うん……だから余計にクリスがかわいそうなんだよなぁ~」
 リリアの言葉に、二人の間に沈黙が流れる。

 しばらくして、リリアはまた口を開いた。
「なー、鞠也……クリスが柳に自分の気持ちをちゃんと伝えたら、とか今までもアタシら思ってたけど、すでにこの状態が三年以上じゃん。そろそろ強引な手を使ってでも……っていうのも、許されるよな?!」
 鞠也はそれを聞いて、考え込むように頷いた。
「でも、それができるかどうかが問題ね。クリス、勇気を出す必要があるわ」
 リリアは豊かな黒髪を腕に巻き込んで、それを右肩に乗せながら、褐色に輝く健康的な足を組み直した。

 彼女も露出が多いが、それをあの上級生のように男を誘う手段として使ってはいない。自己表現の一貫として制服を着崩していることも、鞠也は知っていた。自分とは違う個性が眩しい。

 どうにかして、かわいそうなあの子を陥れる方法を探さなくては。
 良いのか悪いのかわからない企みを一通り考えても、やはり答えは見つからず、鞠也は冷めてしまったレモンティーを喉に流し込んだのだった。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 夕暮れ時、日がゆっくりと地平線へ沈む時刻。街の灯りがひとつずつ点灯し始める中、流磨は妹の玲緒奈のリクエストに応え、近くのコンビニへと向かっていた。

 玄関にあった突っ掛けをバタバタと揺らしながら、周囲を警戒するように歩く。妹は数歩先を歩き、無防備にもミニスカート姿だった。
 二歳しか違わないのに、小柄な彼女のことは守らねばと思ってしまう。それは兄としてこの世に二年早く存在した流磨の、いわば使命のようなものだった。
 世の中、妹は兄に辛く当たることが常のようだが、玲緒菜は特異な存在だ。

「お兄ちゃん、ジャージ以外も持ってるんだから着ればいいのに!」
 丸いポシェットを揺らしながら振り返る。
 すれ違ったカップルが、かわいいカップルだね、などと言っているのが聞こえた。カップルじゃない、妹だ。心の中だけで返事をする。
「いーんだよ、コンビニなんかこれで」

 ミニスカートにカジュアルなフリルつきチュニックなどと、このようにかわいらしい格好で。
 暗くなってしまったらどうやって家に帰るつもりなのだろうか?不逞の輩の餌食になってしまうかもしれない。ナンパ野郎に声をかけられ、怖い思いをするかもしれない。無理だ。放っておけない。

「私はこれ着て外出たくて。これ、この間買ったの! フリルが大きくて、かわいいでしょ?」

 くるくるとサンダルのつま先を軸にして回りながらはしゃぐが、通行人の男子学生がその様子を見ているのを察知すると、流磨は鋭く彼らを睨んだ。その視線を受けた彼らは、気まずそうに退散する。

「あー、かわいかわい」
 全く、人の気も知らないで。俺がどれだけ苦労して、お前の身を守ろうとしているか。

「ちゃんと見てるの?!」
 自分のものと同じ色だが、似ても似つかない大きな瞳が夕日を受けて輝く。拳を握って怒っているつもりのようだが、そんなことをされてもかわいいだけだ。

「見てる見てる。かわいいって。えーと、そのサンダル」
「話聞いてた?」
 玲緒奈はそう言いながら、周囲を好奇心旺盛に見渡しながら歩いていた。

 彼女の黒髪は鎖骨まで伸びている。艶やかな毛先がくるんと内側を向き、小動物のような愛らしさを放っていた。しかし、その見た目とは裏腹に、玲緒奈の行動一つ一つには自分らしさが表れており、確固たる自我が垣間見える。二人の間には、日常の軽やかな会話が交わされていた。

 学生の多い居住エリアに、そんな兄妹のほのぼのとした光景が広がっている。ゆっくりと歩きながら、見慣れた景色を流磨は見上げた。
 彼らはこの近辺にある、島外からの転入者が多く住まうマンションが連なる区画に住んでいた。人工島であるここには、建設当初から予定されていたマンション郡と、後に追加されたエリアとで少し距離があった。

 つまり、クリスや柳の住む高層マンションは離れており、間には公園や小さな商店、これから行こうとしているコンビニ、遊歩道などがあった。

 その時、柳が愛犬のパグを連れて散歩しているのが目に入る。彼はいつものように落ち着いた足取りで、パグを優しくリードしていた。

 柳は兄妹に気づくと、温かな笑顔で挨拶を投げかける。 
「こんにちは。ああ、そろそろこんばんはだね。二人で散歩?」
「あ、シノくん! こんにちは!」
 挨拶を交わした後、玲緒奈の目はすぐさま柳の連れているパグに釘付けになる。

「わー! おもちくん! 久しぶり~!」
 彼女はその小さな体に目を輝かせ、興奮を隠せずにしゃがみ込んでモチと遊び始めた。モチは玲緒奈のことを覚えていて、その手の匂いを嗅ぎながら挨拶をするように舐め始める。

 その傍らで、柳がやや驚いたように問いかけた。
「何をしてるの?」
 流磨は柳に向かって苦笑いを浮かべながら、「俺は……こいつの見張りかな」と返す。

 その言葉には、妹への深い愛情が込められていた。柳は流磨のその姿を見て、まだ日も落ち切っていないし、彼が心配しすぎなのではないかと内心思いながらも、その責任感の強さに曖昧な笑みをこぼす。
「……そう。おつかれさま」

 柳は、流磨が妹をどれほど大切に思っているかを知っている。その気持ちが、時に周りを和ませることもある。玲緒奈も鬱陶しくは思っていないし、むしろ頼りにしているらしい。Win-Winだろう。

 夕暮れが深まる中、彼らはその場でしばしの時間を過ごし、小さな友達とのふれあいを通じて、日常の小さな幸せを共有していた。
「こら、モチ。あんまり舐め回さない。ごめんね、れおちゃん」
「ううん。お手拭き持ってるし、大丈夫! ありがとうシノくん」
 玲緒菜は満足したのか立ち上がり、別れを告げるとまた流磨を伴って歩き出した。

 柳は彼らの背中を見ながら、いつか玲緒菜に彼氏などができたら流磨がどのような反応を見せるのかを想像しようとしたが、あまり深く考えても憂鬱になるだけかもしれないと連想し、あえて想像を打ち切った。

 精神的に強く、メンタルコーチとしてのスキルを有する彼も、妹への対応には気をもむようなところがある。
「ほら、行くよ。モチ」
 モチはこちらを見上げ、言葉を理解したように鼻息を鳴らし歩き出した。
 柳自身との親密なやり取りとも違う、兄と妹の独特な絆を思いながら、足元のモチをリードして再び歩き出した。
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