金に紫、茶に翡翠。〜癒しが世界を変えていく〜

かなえ

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第四章

第八話 知りたいリオン①〜リオン、『絶望』のお顔を知る

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 ルゼルから厨房での出来事を聞いたリオンは想像できないことが多すぎて困っていた。
 レタスが丸いとかジャガイモは土が付いていて皮は手品のように剥けるとかその皮を剥く武器はお食事で使うナイフくらいの長さだけど剣に近いとかとかいうバケツのような器で調理するとかハンバーグはパンッパンッてするとかそれをでジュージューってするとか…
 「全然わからないです」
 つい声に出して言っていた。
 「何がわからないの?」
 一緒に朝食をとっていたユリアンが聞いた。
 「あ、すみません。あのあの…ルゼがお食事を作るの場所の事を教えてくれたのだけど…全然わからないの」
 「あら、わからないってどういうこと?」
 これは母上のリリィラだ。
 「ルゼが、レタスは丸いって。レタスってこの葉っぱでしょう?これを集めると一枚の葉っぱになって、それを集めると丸になるって言ったの。葉っぱが丸になるのですか?
 あとあと、ジャガイモは手品でバケツはでハンバーグはパンッパンッて」
 「んー…わからないな…」
 困った顔をしたのはユリアン。
 「あらあら」
 笑ったのはリリィラ。
 「ルゼはお食事作るの場所見たって。私も見たいです。父上、お食事作るの場所見て良いですか?」
 今日は休日なのでアーネストも朝食は一緒だ。
 「厨房か…」
 アーネストはそう呟くとしばし黙り込んだ。
 大貴族は普通厨房に行かない。というより使用人の働く場所には行かない。コーク公爵家やクイン侯爵家のような古くからある大貴族の邸宅には家人が使う廊下とは別に使用人用通路があり、そもそも使用人と邸宅の中で出くわすことがない。
 大貴族となると執事たちや従者、給仕の者など身の回りの世話をする者たちは家人の見える場所で働くので顔も知られるが、掃除をしたり洗い物をしたりその他細々した仕事をする使用人たちは貴族の目に入らないように仕事をする。だからリオンは自分の家に何人の使用人がいるのか知らない。
 使用人にしてもそれが普通だし、コーク公爵家で働いていること自体が誇りなので家人に認識してもらおうなど考えたこともない人たちだ。
 「あのね父上。ルゼはルゼのおうちで働く人たちの場所、全部見た言ってました。とっても狭いの廊下とかも行ったって」
 「そうか(使用人通路だな)」
 「あとあと、人間のお食事作るの場所じゃないお食事作るの場所も見たって」
 「そうか(飼育動物用の餌置き場だな)」
 「だから父上、私も人間のお食事作るの場所が見たいです」
 どうしたものか。知ることは大事だが、裏方の一発目が厨房でいいのか?
 迷っているとリリィラが言った。
 「ふふ。侯爵家の厨房…懐かしいわ」
 「…母上はお食事作るの場所行ったことあるですか?ちゆー…ぼー?」
 リオンが聞き、ユリアンと共に意外そうに見た。ついでにリオンはにはという名前があるらしいことを察した。さっき父上も言っていたし多分間違いない。
 「ええ、私もクイン侯爵家の人間でしたもの。あの侯爵家は少し感覚がおおらかなのよ。
 お料理を作りたくて厨房に入る許可をもらって入ったことがあるの」
 「え、母上がお料理を?」
 「まだこちらに輿入れする前に旦那様…あなたたちの父上よ…とお出かけすることになったときに、料理長の作るサンドイッチが美味しいから教えてもらって作りたかったのよ。危ないから作らせてはもらえなかったのだけど」
 と言ってリリィラはアーネストを見ながら懐かしそうに微笑んだ。するとアーネストが
 「いつの時のサンドイッチだ?」
 と目を丸くして聞く。父上と母上はそんなに何回もサンドイッチを持ってお出かけしていたのか!息子たちの目もまん丸だ。
 「あら、毎回よ。結局一度も一人では作らせてもらえなかったけれど。
 最初は潰した卵を渡されてマヨネーズを混ぜる係。少しずつ許される分担が増えて、最後はレタスを切ることも許してもらえたわ」
 「何っ!それはもう君の手料理じゃないか!なぜ言ってくれなかったんだ」
 なんだか父上は見たことないような顔をしている。目が先程よりまん丸だし、眉間に皺が寄ってるし、泣きそうとビックリの間くらいの顔だ。
 「兄上、父上のお顔は何というお顔ですか?」
 「ううーん…かな」
 ユリアンは苦笑いだ。
 「父上、なんでですか?」
 頭を抱えたい衝動をグッと堪えたアーネストが眉間に皺を寄せ目をつぶって答える。
 「リオン…父上は母上の作ったサンドイッチだと知らずにいただいてしまったからだよ。わかっていたらもっと味わったし、お礼ももっと言ったのに。つまり取り返しのつかないことに後悔しているから絶望だ」
 「いやだわ旦那様。作ったのは料理長だもの」
 「そういう問題ではないんだよ。君が…、君の…、リリィラが…」
 なんだか父上がおかしい。ユリアンは初めて見る父の姿に安心感を覚えた。外ではクールでテキパキ仕事をこなす宰相閣下の父上が母上が少しだけ手伝ったサンドイッチをそうと知らずに食べた事実を知っただけでを漂わせている。父上の家庭で見せるそんな人間らしい姿に父上にとっての家庭が、すなわち自分たちの存在が役に立っているんだと思えたからだ。
 さらにユリアンは思う。父上は本当に母上がお好きだよな…。バークレイはいまだに「貴族の夫婦なんて仲良くないのが普通だ。うちみたいに」と言うけどやっぱりバークレイのご両親の方が珍しいのでは?
 ユリアンがそんなことを考えているとリオンがパッと笑って言った。花の咲くような笑顔だ。
 「あ、父上、良いこと思いつきました。母上にまたサンドイッチ作ってもらうのです。それでそれで、みんなでお庭で食べるといいの。それでそれで、私はお食事作るの場所…えと…ちゅ…ちゅーぼー…を見に行くの」
 「…名案だな。正しい休日の過ごし方だ、リオン」

 今からリオン様が厨房にいらっしゃる!さらに奥様もいらっしゃる!あまつさえ奥様はサンドイッチをお作りになる⁉︎え?
 コーク公爵家使用人たちがにわかに騒がしくなった。
 食堂での会話を聞いていたバトラーが素早く察して従者の一人に「厨房に連絡を。リオン様が訪問されると」と言ったのが第一弾。その後の流れを見てさらにバトラーが別の従者に「厨房に連絡を。奥様もご訪問されると。サンドイッチの食材も用意するようにと」と追加したのが第二弾。その後も従者が来て何が言っていった。「あまり普段と違う様子にはするな。リオン様のご関心に忠実に」とか「奥様用にエプロンご用意」とか、なんだどうした?とにかくリオン様にお怪我がないように、危ない物はしまって!滑らないように床のチェック!段差もチェック!
 それにしても厨房に家人が入るのはいつぶり?確か公爵様が少年時代にお腹を空かせてこっそり来た時以来だから…えーと…十何年?あの頃はまだ自分も下っぱだったな…などと料理長が思い出に浸りかけていると「しつれします」と愛らしい声が聞こえた。
 『リオン様だ!』
 厨房にいる全員の心の声が聞こえた気がした。一瞬、いつも誰かしらの動く音が聞こえている厨房がシンと静かになった。 
 「あ、えっと…リオン様、本日はむさ苦しい厨房にお運びいただき恐縮です」
 料理長が頭を下げ、頭を上げ…上げ切る前に「う?」と言って動きが一瞬止まった。
 リオン様の美しさが増している!
 料理長は一瞬ひるんでしまった。
 今までも特別な食事の席で料理長が食堂に出向き挨拶をすることはあったし、パーティーなどでは物陰から会場の様子を見るなどして家人のことは見ていた。だから当然リオンの愛らしさも美しさも知っていた。が、久しぶりに見る間近なリオンは紫の瞳に利発さがより一層加わって表現できない美幼児に成長していた。真っ直ぐに見つめられるとその瞳は紫の矢のように目から魂に突き刺さる。「うぐ…」耐えた。
 当主様もかなりな美少年だったが、この方は…。
 固まっている料理長にリオンが聞いた。
 「料理長様?ご迷惑?」
 眉を下げて小首を傾げるリオンの愛らしさは凶器に近い。射抜かれる。毎日見ている従者のヤーべの心臓はどうなっているんだ。
 「いえ。大変な栄誉でございます。リオン様のご成長ぶりに感動していたのです。失礼いたしました」
 「ううん。急に来る言った私がごめんなさいなの。でもでも見たかったの」
 言い方が見た目を裏切らない愛らしさ。そこここで「はうっ」と言っているのがわかる。
 リオンの後ろからリリィラが言う。
 「急にお邪魔して申し訳ないわね。だけどリオンの後学のために協力してくださいね」
 ああリオン様の笑顔は奥様の微笑みに似てらっしゃる。厨房全体がホンワカとした空気に満たされた。
 「リオン様、まず何からご案内いたしましょう?」
 料理長の問いにリオンが素早く答える。
 「沢山知りたいがあります。まずって何ですか?それからジャガイモは土がついてるって本当ですか?それからそれからレタスが丸いって本当ですか?あとあとって何ですか?」
 「リオン、一つずつね」
 リリィラが笑ってさとし、料理長に「ごめんなさいね。ルゼルに感化されて知りたいことが沢山出てきたみたいなのよ」と言った。
 知ってます、クイン侯爵家のルゼル様。うちのリオン様と従兄弟で大の仲良しでリオン様と同じくらいの美幼児様。ユリアン様のお誕生日会でお見かけして驚きました。ああ、そういえばクイン侯爵家のパーティーでは世界各国の郷土料理が出されるとか…気になっているんですよね…とくに東の国の箸を使って食べる料理…一度クイン侯爵家の厨房見学したいなぁ…。などと料理長が内心で思いつつ、
 「では、一つ一つお答えいたしますね」
 と冷静に返した。流石料理長。厨房で働く者たちが謎のキュンを味わった。
 そこで新たな伝令を持って従者がやってきた。
 「公爵様もいらっしゃるとのことです」
 「はあぁっ⁉︎」
 声を出したのは料理長だが、厨房で働く全員が目を丸くし、眉を寄せていた。
 「…母上、これはのお顔です!私、今日覚えました。絶望のお顔です!」
 リオンだけが喜んでいた。
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