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第二十六話 止めても止まらない

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「急いで救出に向かいましょう!」

 アストの言葉を聞いたツェツィは、聴き慣れた心地よい澄んだ声とは違う、普段より数段低い凄みのある声を発した。

「落ち着けツェツィ」

「し、しかし……」

 気が急いている様子のツェツィを落ち着かせた俺は、アストがもたらした情報を頭の中で整理する。
 まずは、ガルゲン刑務所に魔物が出没した、というのが基本情報だ。

 ガルゲン刑務所は、そもそも周囲に魔物が出没するのが当たり前の立地にある。
 それは覆りようのない事実だが、今は時期が悪かった。
 魔王が降臨する十年くらい前からアウスガングの西に広がるガルゲン地方は、肉体を持った通常の魔物が減り、シュレッケン大森林でゴースト系を中心にアンデッドが大量発生するようになる。
 しかし魔王が討伐されると、徐々に肉体を持ったまた魔物が増え始めるのだ。
 裏を返すと、魔王降臨中やその前後の数年間は、魔物の間引きや襲撃に備える必要が低くなり、それこそ魔王降臨中など魔物の警戒がほぼ不要になる。
 それはつまり、防衛や討伐戦力が少なくてよい事を意味し、現在のガルゲン刑務所は平時に比べると、周辺を警戒する兵士が圧倒的に少ないようだ。

 そして問題なのが、今回は本来警戒すべき刑務所外ではなく、刑務所内の鉱山から魔物が出現した事だと言う。
 その魔物は、出現するのは決まって鉱山からという珍しい魔物で、滅多に現れない事からの油断なのか全く警戒されておらず、坑道からいとも簡単に刑務所内に出てきたらしい。

 これらは時期という不運もあるが、職務怠慢が招いた状況である。
 しかも最悪なのが、刑務所の所長をはじめとした看守などの管理側の者が、あろうことか全員逃げ出してしまったのだとか。
 そして何が最悪かと言えば、俺とツェツィがはめられた魔導具のオリジナル版である、犯罪奴隷にはめる首輪が囚人にはめられていることだ。
 もし逃げ出した所長がマスター側の魔導具――便宜上マスターキーと呼ぶ――を持ち出していれば、囚人たちも刑務所から逃げ出せただろう。
 しかし現状は、囚人が刑務所から出られていない。
 つまり、マスターキーが刑務所内に残されたままである事が予想される。

 その情報を聞いたツェツィは、罪人であろうと王国の民である者たちを助け出したい、そう思ったようだ。

「アスト、冒険者ギルドは緊急で冒険者を招集してるんだよな?」

「休日出勤中のカーヤお姉さんは、そう言ってました。ですが……」

 これまた時期が悪いのだ。
 魔王降臨前後の期間、ガルゲン地方は魔物がほとんどいなくなる。
 つまり、魔物を狩って生計を立てている冒険者で、都市間の移動が許されているような高ランクの者ほど、現在は他の都市へ行ってしまっているという。
 したがって、現在アウスガングにいるのは、移動を制限されている低ランクやアストのような駆け出し冒険者か、いち早く魔王討伐の知らせを受けて帰還した耳の早い一部の冒険者のみ。
 ハッキリ言って、圧倒的に戦力が足らないのだ。

「で、カーヤさんは俺に向かってほしいと?」

「はい……」

 カーヤは俺が『槍聖』でないどころか、『先導者』の強力なバフ能力持ちである事を知っている。
 一方で、悪人など誰彼構わず強化するのを嫌い、裏切らない信用できる者だけを取り入れたい事も知っているのだ。
 それにも拘わらず、俺を囚人救出に向かわせるのは、『この状況なのだから、使える者は囚人でも使え』……ということではないはず。
 憶測になるが、カーヤは俺のバフがかかったツェツィの殲滅力を期待している、というのが正解だろう。

「なぁツェツィ、出現した珍しい魔物……モグノハシってのは、硬い岩盤を簡単に叩き割れる攻撃力があるって話だぞ。そんなのを相手にできるのか?」

 モグラ型の魔物であるモグノハシは、前足の先がツルハシのようになっているらしく、その一振りは一般人にとって一撃必殺の威力なのだとか。
 しかも今回は、そんなのが群れで現れたと言う。

「攻撃を受けなければよいだけの事です。――アストくん、モグノハシは明るい場所だと動きが遅いのですよね?」

「カーヤお姉さんはそう言ってました」

 ツェツィはアストに確認すると、キリッとした表情を見せる。
 普段から彼女が魔杖鈍器を振り回しているのを容認している俺だが、本心としては、後衛職である姫巫女のツェツィが前衛として戦うのは、本来あってはならない事だと思っており、正直不安な気持ちはある。
 それどころか、元であってもツェツィは王女であり、凛としていても小柄でか弱そうな見た目の少女なのだ、できれば戦闘自体させたくない。
 だがしかし、アストとヴェラは戦闘力が雑魚な俺より弱いのも事実。
 そうなると、我々の最大戦力はどうしてもツェツィになってしまい、その力に頼らざるを得ない訳で……。

「ワルター様のバフがあれば、私の魔杖鈍器でどんな魔物も挽き肉にして差し上げます。ホーンラビット狩りと整地で鍛え上げた本気の魔杖術、とくとご覧あれでございます!」

 殴打武器の戦棍メイス戦鎚ウォーハンマーを使うのって、どう考えても魔杖術じゃないよな?

 ツェツィの発言を聞き、俺は何度も疑問に思った事に意識が向き、先程までの不安な気持ちがすっかり霧散してしまう。
 が――

 いかんいかん、ツェツィに流されてはダメだ。
 とはいえ、元王女としての責任感に燃えてるツェツィは、止めても止まらないだろうな……。
 本当にヤバければ、最悪他の連中は見捨ててでも逃げよう。

 決して臆病なのではない、俺は慎重なのだ。
 そして俺に勇者としての矜持などあるはずもなく、『命大事に!』の精神で向かう事を決意した。

「アストとヴェラにもバフをかけるけど、無理に戦おうとせず、自分の身を第一に行動してくれ」

「わかりました」

「うん」

 こうして俺たちは、『ヌッツロース』として初めて大規模な戦闘を行う事になったのであった。
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