氷の魔女は嫌われ者の侯爵令嬢として恋愛結婚を望む

雨露霜雪

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第二話 キャラが違う?

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 途方に暮れるウルドの許に、食事の用意ができるまで少々時間がかかる、と侍女のナンナが報告にきてくれた。

「差し出がましいですが、お食事のご用意ができるまで、湯浴みをなさっては如何でしょう?」
「湯浴みとは、お風呂のことよね?」
「入浴する程のお湯はすぐにご用意できません。申し訳ございませんが、軽く身を清める程度の行水になりますが……」

 それなりの魔術士であれば、浴槽に湯を張り巡らせることは容易い。一方で、それができない者は沸かした湯を桶で運ぶ必要があるため、入浴など面倒くさがってなかなかしていなかった。
 ここでは魔術がないため、やはり湯を桶で運ぶ必要があるのだろう。ウルドはすぐに理解した。

 その後、侍女ナンナに手伝われながら湯浴みをしていて、ウルドはふと思う。
 ナンナの言葉どおりであれば、ヴェルダンディは十五歳で、十六歳であるナンナの方がお姉さんだ。しかし、どう見てもヴェルダンディの方が妖艶であり、お姉さんに見える。一方のナンナは、小柄な少女なのだが素朴で愛嬌もあり、とても幼い容姿だと言えよう。
 そうなると、幼女と呼ばれていた過去のウルドに近いのはナンナの姿である。
 結果として、十五歳にして妖艶な大人の魅力を放ってるヴェルダンディの外見は、ウルド的にはしっくりせず、ナンナに対して愛着のようなものを感じてしまった。

 湯上がりのウルドがナンナに甲斐甲斐しく世話をされていると、部屋のドアをノックする音が聞こえる。
 さっとナンナがドアの方に行くと、食事の用意ができたとの報告であったようだ。

 何とも贅沢なドレスに身を包んだウルドは、自身を食堂へ案内すべく先を歩くナンナに何気なく質問した。

「朝食のためだけに、こんなに立派なドレスを着るの?」
「わたしからするととても立派なドレスですが、お嬢様にはただの部屋着です」
「え、そうなの?」
「はい」

 ウルドは衝撃を受けた。
 平民の出でありながら魔術士として伯爵位を賜ったウルドであったが、現在身に纏っているドレスや装飾品など、数少ない夜会でもそうそうお目にかかれない代物だったからだ。
 それでいて、ドレスは上質そうでありながらゴテゴテと飾り付けられていないシンプルなデザインゆえに、夜会用のドレスとは違うのだろう。だからといって、部屋着と言うにはやはり豪著すぎると思わざるを得なかった。

 感性、感覚、価値観の異なる世界に、不必要な精神的疲労を感じたウルドは、ナンナが足を止めたのに合わせて自分も立ち止まり、「ここが食堂?」と彼女に問うた。
 質問に対し、「はい」と頭を下げるナンナの前を通り、食堂の入り口に立ったウルド。その目に映ったのは、テーブルの上を片付ける侍女達の姿であった。
 引かれたイスの数とテーブルの上のものを見た限り、ここで四人が食事をしていたのだろう。
 四人とは、ナンナの教え通りであれば両親と妹、弟だ。

 寝込んでいたヴェルダンディの食事が用意されておらず、急遽用意したので遅くなった可能性もあるが、きっとそうでなくともヴェルダンディは一人で食事をしていたのだろう、とウルドは他人事のように思う。
 そんな憶測を頭の隅に追いやり、ウルドは努めて優しく侍女たちに「おはよう」と笑顔で挨拶し、ナンナの引いてくれたイスに腰を落ち着ける。

 病み上がりのお嬢様には軽いものを、とのことで、きっと侯爵家の者が口にするには質素だと思われる食事を口に運び、それでも美味しかったので、ウルドは終始ニコニコ顔であった。
 しかし、そんなヴェルダンディウルドを見つめる侍女達は、物珍しいものを見るような、正に好奇の視線を向けていたのだ。

 食後、お腹が膨れて満足げなウルドが、ナンナに屋敷内を案内させていると――

「お姉様、やっとお元気になられたのですね」

 そんな声が、今しがた通り過ぎた背後から聞こえた。
 ゆっくり振り返ったウルドは、「ようやく元気になったわ」と満面の笑みで答える。
 ウルドを姉と呼ぶ少女は、一瞬だけ呆けたような表情を見せたが、すぐさま笑顔を浮かべた。

「お姉さまは、まだ体調が十分でないのでしょうから、夜会には暫くご参加なさらないのですか?」
「……そうね」

 小柄で儚げな雰囲気を纏った妹の言葉に、ウルドは言い淀んでしまう。

(夜会にあたしが参加するの? あれって、そんなに頻繁にやるものではない……はず。あとでナンナに確認しないといけないわ)

「それにしても、お姉様の雰囲気が柔らかくなって、まるで人が変わったようですわ」
「以前のあたしは些か刺々しかったものね。なので少し反省したのよ。でも、さっそくフリーンにそう言ってもらえて嬉しいわ」

 侍女ナンナからの情報で、ヴェルダンディが妹のフリーンに辛辣な言葉を投げかけ、散々虐めていたと聞いている。
 情報をもたらしたナンナは、ヴェルダンディが倒れる数日前から屋敷に勤め始めたので、実際にその光景を目の当たりにしていないが、他の侍従からそう聞かされている、と言っていた。

(まずは妹から手懐けねば! 魔術の使えないあたしなんて戦闘力がないにも等しいものね。寝首を掻かれる前に、しっかりと姉妹としての絆を結んでおかないと、怖くてゆっくり休めないもの)

 ウルドが侍女に対して努めて優しく声をかけているのも、こうして妹に笑顔で接するのも、以前のヴェルダンディが失墜させた自身の評判を、少しでも回復させるために意図して行なっていたのだ。

 前世で大魔術士だったウルドは、常に周囲の索敵・警戒を行なっており、危害を加えられるような状況になることは一度もなかった。しかし、ヴェルダンディは自身を守るすべもないのに、周囲を敵だらけにしていたのだ。
 これでは実家であっても……いや、むしろ敵だらけの実家だからこそ、心安らげる場所がない。ならば、居場所を作るしかないのである。

「うふふ、お姉様ったら心にもないことを」

 フリーンは目尻が僅かに下がった愛嬌を感じさせる目をしているが、今はその目を細め、言葉とは裏腹に全く笑っていないエメラルドグリーンの瞳で、ヴェルダンディウルドを見据えていた。

 情報どおりであれば、以前はヴェルダンディに虐められていたはずのフリーンが、姉に対して些か強気なことにウルドは違和感を覚える。だが、特に言及せずやんわりとやり過ごし、その後は屋敷の探索を切り上げて部屋に戻った。

「ナンナ、今夜はたまたま夜会があるの?」
「わたしは今シーズンが初めてなのですが、シーズンに突入すると、夜会はほぼ毎日のように何処かで開かれているようです」
「え?」

 ナンナの言葉に、ウルドは絶句した。
 夜会が毎日のように開かれているなど予想だにしていなかったウルドからすると、それはぞっとしない話だ。
 というのも、身内からこれだけ疎まれているヴェルダンディだけに、外では殊更嫌悪されている可能性が高いだろう。外面だけは良かった可能性もあるが、どうにもその可能性は低いと思わざるを得ない。ウルドはそう推察している。
 そんな状況で夜会に参加するのは、ウルドからすると恐怖でしかなかったのだ。

「どぉ~しよぉ~ナンナぁ~、あたし夜会とか良く分からないよぉ~」
「……お、お嬢様、何だかわたしの知っているお嬢様とキャラが違うのですが」

(キャラとか分からないわよ! どうすればいいの? ちょっと傲慢で高飛車な感じにすればいいの? 髪型もフリーンみたいに縦ロールにすればいいの? でもそれだと、敵が更に増えてしまうわ……多分)

「あたしは心を入れ替えたの。だから以前のあたしとは違うのよ」
「そうなのですか?」
「そうなのですよ」

(キャラが違う? いいじゃない。だってあたしは本当に生まれ変わっているんだもの。違って見えるのは好都合だわ)

「そんなことより、夜会が毎日開かれているのであれば、あたしが参加する予定とか組まれてたりしないの?」
「わたしにはちょっと……。お嬢様専属執事であるバルドルさんであれば知っていると思いますが、生憎と本日はお休みしているので……」

(もう! どうしてそんな重要人物が今日はいないのよ!)

「でも、たまたま目覚めたのが今日だったわけで、いつ目覚めるか分かっていなかったのだから、暫くは夜会に出る予定はないでしょう」
「……! そうですね! そうかしれません」

 明るい栗色のおさげを揺らし、くりっとした茶色の瞳を収める目を細めた侍女のナンナ。素朴な彼女がにこやかに同意してくれたので、ウルドはホッと胸を撫で下ろす。
 だが――

 侯爵家の執事から受け取った父の伝言で、ウルドの平穏な気持ちも吹き飛んでしまった。

「ねえナンナ、ふた月も意識を失っていた娘が目覚めたと言うのに、その日の夜会に絶対参加しろと言う父親ってどう思う? しかも、目覚めてからまだ顔も合わせていないのよ」
「え? いや、わたしには……」

 おたおたするナンナに愚痴っても埒が明かないので、夜会に備えて準備を開始した。
 そしてウルドは気付く。

 ――ナンナ以外の侍女が誰も手伝ってくれないくらい、この屋敷で自分が嫌われている……と。

 ウルドは沈みそうになる気持ちを堪え、着慣れない豪著なドレスに身を包み、メイク等も施される。が、侍女歴の短いナンナは、あまりテキパキと作業ができない。それでも手先は器用なようで、ウルドが軽くアドバイスをするとそれなりに整えてくれたのだ。
 そもそもヴェルダンディの素材が良いので、下手な手を加えるより素材を活かす方が良い。ウルドがそう判断した結果、鏡の先にいるのは、軽めのメイクでもやはり絶世の美女であった。

「ナンナぁ~、あたし大丈夫かなぁ~?」
「えっと、わたしには良く分かりませんが、お嬢様は”キリッ”としていれば近寄り難い雰囲気があります。なので、大人しくしていればよろしいかと」

(それだと、情報収集とかできないわね。でも、訳も分からず無闇に動くより、今はその方が良いかもね)

「ありがとうナンナ。少し気が楽になったわ」
「勿体無いお言葉です」

 親しみ易い容姿のナンナと軽く会話をし、少し心が落ち着いてきたところで出発するとの連絡があり、ウルドは馬車に乗り込んだ。
 そこにいたのは、銀髪にくすんだ白髪の混じった四十絡みの強面中年であった。
 その人物は、十中八九ヴェルダンディの父であるイスベルグ侯爵であろう。

「ごきげんようお父様」

 ウルドは父とどう接すれば良いのか分からなかったが、無難な感じの挨拶をチョイスしてみたのだ。

「なかなか起きんで困っておったが、ギリギリとはいえ間に合ったのは僥倖だ」
「間に合う?」
「お前のような性悪女でも、第二王子殿下の婚約者だ。それが王宮主催の夜会に参加せんともなれば、我が侯爵家に不利益となる噂をまた・・されてしまう」
「また?」
「白々しい。お前が『氷の魔女』などと呼ばれ、あちこちで悪評を広められている所為で、我がイスベルグ侯爵家がどれだけの不利益を……クッ!」

(えっ、何? あたし、ここでも『氷の魔女』と呼ばれてるの?! でも何だろう、侯爵の言い方から察するに、あまり良い意味じゃないっぽいわね)

「とにかく、お前は殿下の不興を買わないようにして、必ず婚姻を成し遂げろ! お前が王太子妃となれば、これまでの我慢が報われる」

(あたし、第二王子殿下とやらの婚約者だったのね。……う~ん、確かに結婚してみたいけれど、できれば恋愛結婚がしたいのよねぇ~。――ん? 第二王子の妻になっても、王太子妃にはならないと思うのだけれど……。良く分からないわ)

 目の前で顔を赤くして小言を言う侯爵を他所に、何処か他人事のように自身のことを考えるウルドを乗せた馬車は、確実に王宮へと近付いていた。

 これから自分の身に何が起こるかなど、呑気なウルドは何も知らずに――
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