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第23話 帰還
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「今日もお疲れ様」
いつの間にか恒例になっている、就寝前のベルの来訪の時間が今日も訪れた。
手ずからお茶を淹れたベルは、指定席である俺の正面のソファに座ると、講師のときとは違う柔らかな笑みを浮かべて俺を労ってくれる。
「座学ばかりで体を動かしてないですから、そんなに疲れてないですよ」
「でも、ミルヒちゃんがホルシュタイン領へ戻ってしまったわ。明日からはまた、今までどおりの生活に戻るのだから、午後から目一杯体を動かすことになるわね」
気づけばミルヒを『ミルヒ様』ではなく、『ミルヒちゃん』と呼ぶようになっていたベルが、少しだけ寂しそうな表情を見せた。が、それも一瞬。
気を取り直したように笑みを浮かべたベルは、また今までどおりの生活が戻ってくるのだと言ってきた。
「むしろ体を動かしたいです」
若干体が鈍っているような気がしていたので、俺は体を動かしたくなっていた。
過去の俺からすると、わざわざ運動するなどありえない感情だが、少しずつ怠惰から脱却している俺は、考えるでもなくそう思えていたのだ。
「あらあら、強がらなくてもいいのよ?」
そうい言いながら席を立ったベルが俺の隣に腰掛けると、おもむろに俺を抱きしめた。
「ぬぁんれぇふぅ?」
慌てた俺が『何です?』と声を出したのだが、柔らかいモノに包まれたことでまともに喋れておらず、舌っ足らずな子どものような口調になってしまった。
「いいのよ。ルドルフはまだ子どもなのだから、強がらずにもっと甘えなさい。今の貴方には記憶が残ってないのかもしれないけれど、記憶を失う前のルドルフは姉様――お母様と離れ離れになって、寂しさからおかしな行動をとってしまっていたのでしょう。だから変に強がって、ルドルフがまた悪い子にならないように、私が姉様の代わりに貴方の甘えを受け止めるわ」
ベルなりに解釈した結果、俺が悪童と呼ばれるような行動をとったのは、寂しさの裏返しという答えが出たのだろう。
実際はそんな可愛い感情ではないのだが、こうしてベルに包まれていると落ち着くのも事実。
だがこれだけは言っておきたい。
「別に甘えたいわけじゃないですから」
柔らかなぬくもりから顔を引っこ抜いた俺は、上を向いてベルに言ってやった。
どうやって甘えればいいのか知らないし、そもそも甘えたいとかマジで思ってないから!
俺の言葉に一瞬だけキョトンとした表情を見せたベルだが、講師時のキリッとした表情ではなく、叔母モードの柔らかな微笑みを浮かべ、再び俺の頭を抱いて胸元に抱え込んだ。
「可愛そうに、甘え方すら忘れてしまったのね」
「いや、違う……もごぉっ」
「大丈夫、ふたりっきりの時間は叔母と甥の時間なのだから、何も気にせずいつでも甘えていいからね」
あ、ダメだ。なんかベルの中で、俺の甘えたがり設定が出来上がってるっぽい。
これは無理に否定しても無駄なヤツだ。
でもなんだ、こうして包まれていると、やっぱり落ち着くんだよな。
よし! 無駄に反発しても良いことなさそうだし、俺も落ち着くんだから、甘んじてこの状況を受け入れよう。
よくわからないけど、ベルは一生独身発言をしていたから、自分の子どもを甘やかすことができない代わりに、こうして俺を甘やかしてるんだ。
だからこれは、俺が甘えているんじゃない。寂しい独身女性のために、俺が甘えたフリをしてやってるだけだ。
うん、大丈夫!
俺は心の中で折り合いをつけ、仕方なく状況を受け入れることにした。
そうすると、気持ちが楽になって更に心が落ち着いていく。
あぁ~、柔らかくて温かいなぁ~。
――コンコンコンッ
トロリと心が蕩け始めたところで、慌ただしくドアがノックされると、間髪入れずにドアが開かれた。
「ご領主がご帰還なされました。また、ご領主から若様を呼ぶようにとの連絡があり、失礼かと思いましたが急ぎお伝えにまいりました」
入室の許可なくドアを開けたカールが、珍しく慌てた様子でその訳を語った。
すると俺の頭を抱えていたベルの腕がほどかれ、彼女はスッと立ち上がる。
「参りましょう若様」
ベルの顔は先程までの優しい叔母のものではなく、いつものキリッとしたものに戻っていた。
「……あ、はい」
ワンテンポ遅れて返事をした俺は、すでに歩き出しているベルを慌てて追う。
寝るにはまだ少し早い時間だが、逆を返せばもう間もなく就寝時間になる。
それでも、辺境伯の言葉が何より優先されるのだろう。
俺自身として初めて対面する父がどんな人物なのか思案しながら、眠たい目をこすりつつ必死に正気を保った。
「相変わらず弱っちいな」
大の字で倒れている俺に、失笑混じりの低い声で侮辱的な声が浴びせられた。
声の主は、艶のある鈍色の髪が無造作に伸ばされたワイルド感あふれる大男。
ソイツは高身長だが筋肉だるまではなく、いわゆる細マッチョだ。
大きく見開かれた目には、鳶色の瞳が失望の色を浮かべている。
ほんの少し前まで、『獲物は逃さん』とばかりにギラついた目をしていたというのに。
「こんなよえーヤツに、ヴォルフガングの次代は任せられんな」
身動きの取れない俺に、大男は我関せずの態度で言葉を続けた。
”ヴォルフガングの次代は任せられん”
そう口にしたのは、現ヴォルフガング辺境伯のイゴール・フォン・ヴォルフガング、俺の父親だ。
なぜ俺がこんな状況下にいるのかと言えば、突如帰還した父から呼び出されたからに他ならない。
そしていざ顔を合わせれば挨拶もそこそこに、篝火の焚かれた訓練場に連行されてしまい、あっと言う間に父に打ちのめされた俺は大の字になっていた、という訳だ。
「お前は落馬ごときで一週間も寝込んでいたらしーな。いや、『悪魔落としの儀式』だったか? ベルが考えそうなことだ。――まあ何にしろ、ルドルフが剣の稽古やらを始めたと聞いて、わざわざ戻ってきて手合わせをしたらこの体たらくだ。本当に情けねーな」
父は一方的に俺を詰る。
記憶にも残っていない父は、辺境伯とは思えない軽い言葉遣いをしていた。
だがそんなことはどうでもいい。問題は内容だ。
俺がルドルフとして覚醒してから、まだ4ヶ月そこらしか経っていない。
剣の稽古といっても、軍人のようにそればかりしているわけではないうえに、ここ半月はミルヒがいたことで座学一辺倒だった。
そんな俺が”狂狼”と言われるような武人と手合わせし、納得させられる成果を見せられるわけがない。
これだから、頭ん中まで筋肉でできてるヤツは嫌なんだ。
それに、このくそ親父の鳶色の瞳が気に入らねー!
グレータとモーリッツが同じ色合いの瞳だったけど、そのせいか?
俺は母ちゃん似の色味で良かったわ!
そんなことを思うも、俺は表立って父に文句を言えなかった。
「グレータとモーリッツもまだまだだが、お前よりマシだぞ」
父は俺の心が読めるのか?
そう思ってしまうようなタイミングで、グレータとモーリッツの名前が出てきた。
しかも、”俺よりマシ”という程度の低評価ではあるが、俺より上に見ていることを断言したのだ。
俺はそれが気に入らなかった。
だから俺は食って掛かる。
「父上が俺を継嗣に任命しないのは、俺が弱いからですか?!」
「なんだやぶから棒に」
「それとも、俺の素行が悪いからですか?!」
俺が汚名返上しようと頑張っているのに、モーリッツは俺の悪評を言いふらしている。
そんなヤツより下だと思われるのが、単純にムカついたのだ。
「俺はな、自分が好き勝手に生きてることを自覚してる。だからルドルフが、自分のやりたいようにやってるのを、どうこうしようなんてこれっぽっちも思わねー。悪評で自分の首を絞めていよーが、それがお前の生き方なら、俺はそれでいーと思ってる」
大の字になって寝転がったままの俺を見下ろしていた父は、先程までより少しだけ緩んだ雰囲気でそう言い、俺の左隣にドカッと座ると胡座をかいた。
「でもな、ヴォルフガングに弱い当主は要らねーんだ」
俺が左に顔を向けると、苦笑いのような微妙な表情の父に”弱い当主は要らない”と言われてしまった。
その言葉は、俺にとってはキツい一言だったが、それよりこちらに向けられていた父の表情が気になる。
「何でそんな顔で言うんですか?」
気になったことを、俺はそのまま質問していた。
すると父は、俺に向けていた顔を正面に向けると、ふっとひと息ついて口を開く。
俺は父が口を開くのを黙って待った。
いつの間にか恒例になっている、就寝前のベルの来訪の時間が今日も訪れた。
手ずからお茶を淹れたベルは、指定席である俺の正面のソファに座ると、講師のときとは違う柔らかな笑みを浮かべて俺を労ってくれる。
「座学ばかりで体を動かしてないですから、そんなに疲れてないですよ」
「でも、ミルヒちゃんがホルシュタイン領へ戻ってしまったわ。明日からはまた、今までどおりの生活に戻るのだから、午後から目一杯体を動かすことになるわね」
気づけばミルヒを『ミルヒ様』ではなく、『ミルヒちゃん』と呼ぶようになっていたベルが、少しだけ寂しそうな表情を見せた。が、それも一瞬。
気を取り直したように笑みを浮かべたベルは、また今までどおりの生活が戻ってくるのだと言ってきた。
「むしろ体を動かしたいです」
若干体が鈍っているような気がしていたので、俺は体を動かしたくなっていた。
過去の俺からすると、わざわざ運動するなどありえない感情だが、少しずつ怠惰から脱却している俺は、考えるでもなくそう思えていたのだ。
「あらあら、強がらなくてもいいのよ?」
そうい言いながら席を立ったベルが俺の隣に腰掛けると、おもむろに俺を抱きしめた。
「ぬぁんれぇふぅ?」
慌てた俺が『何です?』と声を出したのだが、柔らかいモノに包まれたことでまともに喋れておらず、舌っ足らずな子どものような口調になってしまった。
「いいのよ。ルドルフはまだ子どもなのだから、強がらずにもっと甘えなさい。今の貴方には記憶が残ってないのかもしれないけれど、記憶を失う前のルドルフは姉様――お母様と離れ離れになって、寂しさからおかしな行動をとってしまっていたのでしょう。だから変に強がって、ルドルフがまた悪い子にならないように、私が姉様の代わりに貴方の甘えを受け止めるわ」
ベルなりに解釈した結果、俺が悪童と呼ばれるような行動をとったのは、寂しさの裏返しという答えが出たのだろう。
実際はそんな可愛い感情ではないのだが、こうしてベルに包まれていると落ち着くのも事実。
だがこれだけは言っておきたい。
「別に甘えたいわけじゃないですから」
柔らかなぬくもりから顔を引っこ抜いた俺は、上を向いてベルに言ってやった。
どうやって甘えればいいのか知らないし、そもそも甘えたいとかマジで思ってないから!
俺の言葉に一瞬だけキョトンとした表情を見せたベルだが、講師時のキリッとした表情ではなく、叔母モードの柔らかな微笑みを浮かべ、再び俺の頭を抱いて胸元に抱え込んだ。
「可愛そうに、甘え方すら忘れてしまったのね」
「いや、違う……もごぉっ」
「大丈夫、ふたりっきりの時間は叔母と甥の時間なのだから、何も気にせずいつでも甘えていいからね」
あ、ダメだ。なんかベルの中で、俺の甘えたがり設定が出来上がってるっぽい。
これは無理に否定しても無駄なヤツだ。
でもなんだ、こうして包まれていると、やっぱり落ち着くんだよな。
よし! 無駄に反発しても良いことなさそうだし、俺も落ち着くんだから、甘んじてこの状況を受け入れよう。
よくわからないけど、ベルは一生独身発言をしていたから、自分の子どもを甘やかすことができない代わりに、こうして俺を甘やかしてるんだ。
だからこれは、俺が甘えているんじゃない。寂しい独身女性のために、俺が甘えたフリをしてやってるだけだ。
うん、大丈夫!
俺は心の中で折り合いをつけ、仕方なく状況を受け入れることにした。
そうすると、気持ちが楽になって更に心が落ち着いていく。
あぁ~、柔らかくて温かいなぁ~。
――コンコンコンッ
トロリと心が蕩け始めたところで、慌ただしくドアがノックされると、間髪入れずにドアが開かれた。
「ご領主がご帰還なされました。また、ご領主から若様を呼ぶようにとの連絡があり、失礼かと思いましたが急ぎお伝えにまいりました」
入室の許可なくドアを開けたカールが、珍しく慌てた様子でその訳を語った。
すると俺の頭を抱えていたベルの腕がほどかれ、彼女はスッと立ち上がる。
「参りましょう若様」
ベルの顔は先程までの優しい叔母のものではなく、いつものキリッとしたものに戻っていた。
「……あ、はい」
ワンテンポ遅れて返事をした俺は、すでに歩き出しているベルを慌てて追う。
寝るにはまだ少し早い時間だが、逆を返せばもう間もなく就寝時間になる。
それでも、辺境伯の言葉が何より優先されるのだろう。
俺自身として初めて対面する父がどんな人物なのか思案しながら、眠たい目をこすりつつ必死に正気を保った。
「相変わらず弱っちいな」
大の字で倒れている俺に、失笑混じりの低い声で侮辱的な声が浴びせられた。
声の主は、艶のある鈍色の髪が無造作に伸ばされたワイルド感あふれる大男。
ソイツは高身長だが筋肉だるまではなく、いわゆる細マッチョだ。
大きく見開かれた目には、鳶色の瞳が失望の色を浮かべている。
ほんの少し前まで、『獲物は逃さん』とばかりにギラついた目をしていたというのに。
「こんなよえーヤツに、ヴォルフガングの次代は任せられんな」
身動きの取れない俺に、大男は我関せずの態度で言葉を続けた。
”ヴォルフガングの次代は任せられん”
そう口にしたのは、現ヴォルフガング辺境伯のイゴール・フォン・ヴォルフガング、俺の父親だ。
なぜ俺がこんな状況下にいるのかと言えば、突如帰還した父から呼び出されたからに他ならない。
そしていざ顔を合わせれば挨拶もそこそこに、篝火の焚かれた訓練場に連行されてしまい、あっと言う間に父に打ちのめされた俺は大の字になっていた、という訳だ。
「お前は落馬ごときで一週間も寝込んでいたらしーな。いや、『悪魔落としの儀式』だったか? ベルが考えそうなことだ。――まあ何にしろ、ルドルフが剣の稽古やらを始めたと聞いて、わざわざ戻ってきて手合わせをしたらこの体たらくだ。本当に情けねーな」
父は一方的に俺を詰る。
記憶にも残っていない父は、辺境伯とは思えない軽い言葉遣いをしていた。
だがそんなことはどうでもいい。問題は内容だ。
俺がルドルフとして覚醒してから、まだ4ヶ月そこらしか経っていない。
剣の稽古といっても、軍人のようにそればかりしているわけではないうえに、ここ半月はミルヒがいたことで座学一辺倒だった。
そんな俺が”狂狼”と言われるような武人と手合わせし、納得させられる成果を見せられるわけがない。
これだから、頭ん中まで筋肉でできてるヤツは嫌なんだ。
それに、このくそ親父の鳶色の瞳が気に入らねー!
グレータとモーリッツが同じ色合いの瞳だったけど、そのせいか?
俺は母ちゃん似の色味で良かったわ!
そんなことを思うも、俺は表立って父に文句を言えなかった。
「グレータとモーリッツもまだまだだが、お前よりマシだぞ」
父は俺の心が読めるのか?
そう思ってしまうようなタイミングで、グレータとモーリッツの名前が出てきた。
しかも、”俺よりマシ”という程度の低評価ではあるが、俺より上に見ていることを断言したのだ。
俺はそれが気に入らなかった。
だから俺は食って掛かる。
「父上が俺を継嗣に任命しないのは、俺が弱いからですか?!」
「なんだやぶから棒に」
「それとも、俺の素行が悪いからですか?!」
俺が汚名返上しようと頑張っているのに、モーリッツは俺の悪評を言いふらしている。
そんなヤツより下だと思われるのが、単純にムカついたのだ。
「俺はな、自分が好き勝手に生きてることを自覚してる。だからルドルフが、自分のやりたいようにやってるのを、どうこうしようなんてこれっぽっちも思わねー。悪評で自分の首を絞めていよーが、それがお前の生き方なら、俺はそれでいーと思ってる」
大の字になって寝転がったままの俺を見下ろしていた父は、先程までより少しだけ緩んだ雰囲気でそう言い、俺の左隣にドカッと座ると胡座をかいた。
「でもな、ヴォルフガングに弱い当主は要らねーんだ」
俺が左に顔を向けると、苦笑いのような微妙な表情の父に”弱い当主は要らない”と言われてしまった。
その言葉は、俺にとってはキツい一言だったが、それよりこちらに向けられていた父の表情が気になる。
「何でそんな顔で言うんですか?」
気になったことを、俺はそのまま質問していた。
すると父は、俺に向けていた顔を正面に向けると、ふっとひと息ついて口を開く。
俺は父が口を開くのを黙って待った。
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