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第16話 ボーナスステージ

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「これはお祭りじゃなくてね、ガングの日常なんだよお兄さま」

 ボソリと零した俺の独り言を、どうやらミルヒが拾っていたようだ。
 それはどうでもいいが、ミルヒの言葉遣いと俺に接する態度がかなり変わっている。
 俺の腹をむにむにと触ることで、かなり距離感が縮まったとは思うが、それにしても変わり過ぎだ。
 いや、俺の腹を触れるほどの距離感になったのは、ミルヒ的には無理に淑女を演じる必要がない、そう思える重大な出来事だったのかもしれない。
 さらに俺がほぼ記憶喪失だということも、ミルヒには追い風だったのだろう。
 であれば、俺に怯えながら淑女を演じるより、自然体で新たな俺との関係を築いた方が良いとミルヒの本能が感じ取り、素の彼女が前面に押し出されたと考えるのが自然か。

 なんといっても、ミルヒは俺の婚約者として逃げられない定めなのだから。

 ミルヒの本心などわからないが、変におどおどされるより飾らない態度でいてくれた方が気楽なため、俺としてもありがたかった。

「市はね、店舗を構えられない人たちがお店を出しているんだって」

 人間観察などしたことのない俺が、柄にもなくミルヒの変化を分析していると、少女は年齢相応の言動を見せている。
 俺は頭を切り替え、ミルヒの言葉に耳を傾けた。

「それに市はね、御用商人が持ってくるちょっと高価な品とは違って、普通の民が使う品が売ってるの」

 これは貴族あるあるなのだろう。
 わざわざ街まで買い物に行かなくても、邸まで御用商人の方が商品を持ってくるため、平民が手に取るような品は逆に貴族には珍しい。
 ミルヒはそんな品々に興味があるようだ。

「だからミルヒはガングにくるとね、いつも市を回るの。……あっ」

 ミルヒが”しまった”という顔をした。

 彼女がガングにくるのは、ある意味俺のご機嫌伺いだ。
 だが俺は外出しない。にもかかわらず、自分だけ市を回っていると自白してしまったのだ。
 そんな失言に気づいたのだろう。――気にしなくてもいいのに。

「そうか。それならミルヒに案内を任せれば、問題なく市を回れるな」
「え?! うん、任せてお兄さま」

 一瞬だけ驚いた表情を見せたミルヒだが、瞬時に笑顔を咲かせて自信満々に胸を張ったので、俺は適当な笑顔を返しておいた。
 細かいことは気にしないのが一番だ。

 そんなわけで俺は、ミルヒに引っ張られてあっちへフラフラこっちへフラフラしている。
 それなりの人出ではあるが、誰も俺のことに気づいていない様子だ。
 今回はお忍びのため、俺もミルヒもちょっと裕福な商家の子、といった感じの装いだったのだが、それが功を奏しているのだろう。

 それにしても、ミルヒはかなりご満悦の様子だが、俺からすると何が楽しいのかわからない。
 そもそも買い物というのは、必要に応じて仕方なく行うものだと思うのだが、ウィンドウショッピングなどという言葉があるくらいなのだから、ただ見て回るだけでも楽しいのだろう。特に女性は。

 だがこれで、ミルヒの中で俺の株が上がるのであれば、無駄な労力を使った甲斐もある。
 ホルシュタイン領に戻ったら、是非とも『ルドルフ様は善人です』と言いふらしてほしい。
 そんな打算的なことを考えながら更にフラフラしていると、市の喧騒とは違う怒声が聞こえてきた。

「――――!!」

 俺はぴぴぴっと閃いた。

 これはあれだ、物語の主人公が騒動を解決して、住人たちから称賛を浴びる定番イベント的な奴だ!

 俺は主人公ではないが、転生をしている。であれば、そのような出来事があっても不思議ではない。
 いや、むしろこれは、神から与えられたボーナスステージの可能性が高い。

 定番は、孤児が悪漢に襲われているところを助け、その孤児に懐かれるパターンだが、今の俺は『ルドルフ様は善人です』と喧伝する人員がほしいため、このイベントはぜひとも利用したいところだ。

 もはや神の存在を肯定している俺は、せっかく与えられた――と思っている――チャンスをものにすべく、意気揚々と騒がしい方へと足を向けた。

「若様、どちらへいかれるのですか?」

 導かれるように騒がしい方へ向かおうとする俺に対し、慌てた様子でカールが声をかけてきた。

「ボーナスステージ……じゃなくて、何やら騒がしいから、ちょっと確認してくる」
「勝手な行動をされては困るのですが」
「だったらカールはそこにいろ」
「僕は一応若様の専属なのですから、そういうわけにはいきません」

 ミルヒの専属になったのかと錯覚するほど、ずっとミルヒの後を付けていたカールだが、俺の専属だということを一応・・覚えているようだ。
 そのロリコン野郎は、渋々ながら俺の後についてきた。

 少し歩くと、先程までは聞き取りづらかった声が、段々意味を持つ言葉として聞こえるようになっている。
 俺は足を進めながらも、耳に神経を集中させた。

「何度も言っているが、僕は善意で心配しているのであってだな――」
「本当にやめてください。善意であろうが何であろうが、本当に結構ですから」

 ようやくまともに聞こえるようになったが、どうにも様子がおかしい。
 俺が期待していたのは、如何にもな輩が『おいこらクソガキ、弁償しろ!』みたいなこと言いながら、ガリガリの浮浪児みたいな子に絡んでる場面だ。
 しかし実際は、武装した身なりの良い男性が、これまた身なりの良い女性に絡んでいる。
 この状況は想定外だった。

 絡まれている女性はこちらに背を向けた格好だ。
 俺にはよくわからないが、ゴスロリと言われてる服だろうか。彼女は黒ベースに白いフリフリの何かで装飾されたドレスを纏っている。
 そしてドレスと同系色の、この世界では珍しい艷やかなな黒髪……いや、僅かに青みを帯びた宵闇色の髪が、真っ直ぐ腰まで伸びていた。

 ん? あの黒とは違う宵闇色の髪色は、どこかで見たような気がするな。
 はてさて、どこで見たのか思い出せんぞ。

 そんなことを考えていると、女性の奥に立つ男性の姿というか、髪型をハッキリ視界に捉えた。
 天に向かってそびえ立つ独特な髪型を認識したことで、嫌な予感が俺の不安を掻き立て、胸の奥がざわついてくる。

 あの髪型は、きっと今の流行りに違いない。金髪だって珍しい髪色じゃないし。

 想定外の状況で、できれば関わり合いたくない人物を視認してしまった俺は、そそくさと現実逃避を図ろうとする。が――

「む、ルドルフか? なぜお前がここにいる」

 目敏く俺を見つけた男は、大きな声で『ルドルフ』と言ってきやがった。

 俺がわざわざ貴族らしからぬ服を着てお忍びで街にきているのは、『ルドルフ・フォン・ヴォルフガング』が庶民にも恐れられているからだ。
 とはいえあくまで噂が独り歩きしているだけで、俺の姿を見たことのある者など街にはいないため、堂々と歩いていても俺がルドルフだと気づく者はいなかった。

 なのにあのクソ野郎は余計なことを!

 余計なことを言った忌々しい男に対し腹を立てていると、そこかしこからざわめきが起こっていた。
 その声に耳を傾けると――

「ルドルフってまさか……」
「気に食わないとすぐに従者を殺すと言うあの……」
「醜く太っていると聞いていたが、まさか……」
「ご、極悪非道な暴君……」
「身内である姉や兄にも、容赦なく殺すと宣戦布告したあの悪童……」
「あの恐ろしい目は、視線だけで人を射殺すという……」
「ま、間違いない、ヴォルフガングの殺戮王だっ!」

 俺の悪評が民にも広がっていると聞いていたが、想像以上に酷い伝わり方をしていることに、流石に俺も傷ついてしまう。
 しかし、今は気落ちしている場合ではない。

「僕はただの商人の息子だよ。ルドルフ様という高貴で立派でお優しいお貴族様とは別人だよ」

 恐れおののく民の視線を受けた俺は、咄嗟に別人を装った。
 少し棒読み気味だが、これで俺がルドルフではないと思ってもらえたはず。
 更にダメ押しで、満面の笑みを周囲に振りまいたのだが――

「い、いやぁー」
「逃げろ―!」
「こ、殺されるー!」
「うわあああぁぁぁ」

 怪獣映画で逃げ惑う市民の如く、俺の周囲にいた民たちが物凄い勢いで逃げて行くではないか。

「おい、ちょっと待て!」

 俺の声は誰にも届かず、蜘蛛の子を散らすように民たちは逃げていき、あっという間に周囲から人がいなくなっていた。

「どうしてこうなった……」

 ボーナスステージだったはずが、予想の斜め上展開になったことで、俺はガックリと項垂れてしまった。
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