上 下
10 / 48

第10話 婚約者

しおりを挟む
 俺がルドルフの体で覚醒してから、早いものですでに3ヶ月が経過している。
 覚醒当時は、就寝時にまだ若干の肌寒さを感じたものだが、今では肌掛け一枚で事足りるようになった。

 ふぁ~あ、と軽くあくびをしつつ、すっかり馴染んだベッドの上で、俺はいつものようにむくりと体を起こす。

「おはようございます若様」

 すでに控えていたカールが慣れた様子で挨拶してくると、さっさと顔を拭けと言わんばかりに、湿らせたハンドタオル的なものをよこす。
 今ではすっかりお馴染みとなったやり取りだ。
 俺は無言で受け取ると、ガシガシを顔を拭いて無言のままカールに渡す。俺からハンドタオルを受け取ったカールもまた、何も言わずに俺の着替えを用意しはじめた。

 辺境伯家唯一の嫡子である、ルドルフ・フォン・ヴォルフガングの専属執事見習いとして相応しい装いのカールは、3ヶ月前までただの馬丁だったとは思えないほど、よどみなくテキパキと動いている。
 出会った日のカールは、アルプスで羊を追い回しているような服装であったが、そのうちその姿を思い起こせなくなりそうだ。

「おはようカール。今日もいつもどおりかい?」

 着替えをするためにベッドから降りると、そこではじめて俺が挨拶を返す。
 いつもどおりとは、午前中に講師からこの世界の知識などを学ぶ座学で、午後は剣術や乗馬など体を動かす訓練、という日程のことだ。
 わかりきっているやり取りなので、わざわざ聞く必要もないのだが、何故かこのやり取りが朝のルーティーンワークとなっている。実に不思議だ。

 ちなみに執事見習いのカールは、執事長という立場であった老齢執事のローレイに師事し、俺の世話は基本的に任せられるようになっている。
 ただの馬丁だった少年のスペックは元々高かったのだろう、俺以上のペースで様々な知識を吸収し、僅か3ヶ月で随分と執事らしくなった。
 ローレイに言わせるとまだまだらしいが、俺としては十分に思える。

 カールは”馬の世話が焼けても俺の世話は焼けない”、そう高を括っていて自活を覚悟していたが、今ではすっかり世話になりっぱなしだ。
 俺の専属になると発症するという精神崩壊もしてないし、本当にありがたい。

「本日は、ホルシュタイン伯爵家のお嬢様がお越しになります。お昼前には到着する予定です」
「え?」

 当然ように、『いつもどおりです』というカールの言葉が返ってくると思いきや、予期せぬ言葉が返ってきたため、俺は間抜けな反応をしてしまった。
 だが俺は、すぐに頭を切り替える。

「ホルシュタイン家のお嬢様? ……ああ、俺の婚約者というお嬢様か」

 他人に興味を抱かない俺がベースになっていたルドルフは、自身の婚約者にも無関心であったらしく、”そんな存在がいる”と軽く認識している程度だった。そのため、婚約者について詳しいことはわかっていない。
 とはいえ、俺とて他者と関わりを持つなど面倒極まりないと思っている。だからこそ、過去の俺の気持ちもわからなくもなかった。

 それはそうと、婚約者といえば面倒な人種の代表格だ。
 なにせ婚約者というのは、いずれ結婚して妻となる。
 妻というのは、生涯付きまとって夫の自由を奪い続ける極悪人だ。できれば関わりたくない、というのが本音である。
 しかし、貴族家の者としてそうも言っていられない。なんとなくであるが、それは俺も理解している。
 そして、今生の目的を果たすためには、我慢が必要なのも理解しているつもりだ。

 そんなわけで、婚約者であるお嬢様が到着するまで暇になった俺は、読書をすることにした。ちょっとした現実逃避……というわけでもない。
 日本人時代から読書好きな俺は、住む世界が変わった前世でも読書が好きで、それは今世でも変わらない。文字を追っていると、不思議と心が落ち着くのだ。

 意外なことに、この世界でも本が一般的に流通している。
 近世だか近代のようだった前世では、活版印刷も普及していて普通に読み物があった。だがいかにも中世ヨーロッパ的なこの世界で、本が流通しているとは思っていなかったのだ。これは嬉しい誤算であった。



「若様、お嬢様が到着されました」

 すっかり読書に没頭していると、カールから婚約者の到着を告げられた。

 ついに面倒な時間が訪れてしまったわけだが、逃げ出すわけにもいかない。
 俺は重い腰を上げて、婚約者の待つ応接室に向かった。

 カールの手により、応接室の扉が開かれる。
 自室と同様に派手さはないが、質の良さそうな調度品が程よく置かれた広々とした応接室は、床に少しだけ豪華さを感じさせるペルシャ絨毯っぽい赤系統の絨毯が敷かれている。
 そんな部屋の中心にあるソファーに、侍女を控えさせた少女が入り口に背を向けて座っているのが見えた。

 俺は慣れた足取りで、毛足の長い絨毯を踏みしめる。
 すると、俺の入室に気づいたのであろう侍女が、少女に耳打ちしていた。
 少女はおもむろに立ち上がり、くるりと体を反転させてこちらを向く。
 真っ白なかんばせにパッチリとした大きな目。その目に鎮座する漆黒の瞳がとても印象的だ。――が、少女はその大きな目を弱々しく細めて俯いてしまう。

 まああれだ、俺ってば嫌われ者だからな。この娘も嫌々会いに来てるんだろーし、この態度も納得だわな。

 少女の態度に、俺が機嫌を損ねることはなかった。むしろ、俺と対峙しても震えていないことを評価したくらいだ。

 ルドルフとして生活を始めて3ヶ月。俺と接する者の一部を除き、ほとんどの従者が一切俺と目を合わさないことには気づいていた。
 今までは俺自身が目を合わせることをしなかったが、今は意識して相手を見ていることで気づけたわけだ。
 とはいえ、俺に畏れを抱いているからこそ、俺の目を見られないのだろうと察しが付く。
 まだまだたったの3ヶ月。俺に対する負のイメージが、そう簡単に拭われないと理解している。だから我慢だ。
 『ルドルフイメージアップ作戦』は、まだ始まったばかりなのだから。

 そんなことを考えつつも俺は足を進め、少女の向かい側のソファーに腰を下ろした。だが、まだ挨拶もしていないのに座ってしまったことに気づく。
 やってしまったと思うも、ここで立ち上がるのもおかしい。はてさてどうしよう、そう考えていると――

「お、お久ぶりです、お兄さま」

 少女の方から、恐る恐るといった感じで挨拶をしてきてくれた。が――

 ――お兄さまってどー言うこと?

 俺の頭に疑問符が浮かぶ。
 目の前にいるのは、妹ではなく婚約者のはずだ。
 であれば、俺を呼ぶのに”お兄さま”という呼称は相応しくない。
 しかし、『なんで俺をお兄さまと呼ぶんだ?』と質問するのもおかしいだろう。

「やあ、久しぶり」

 だから俺は、とりあえず無難な返事を返してみた。
 コミュニケーション能力の低い俺だが少しは学んでいるのだ、挨拶を返すくらいお手の物である。
 一応、笑顔を作って軽く右手を上げてみたが、なかなかフレンドリーな感じを演出できたのではないだろうか。

 俺が自己満足していると、対面の少女は驚いたような表情をしていた。
 どこかおかしかっただろうか?

「ま、まあ座ってよ」

 俺は焦りつつも、淡い色合いのピンクのドレスを身にまとった少女に、着席するよう勧めた。
 あっけにとられた感じの少女だったが、後ろに控えていた侍女になにやら耳打ちされている。
 すると少女は、慌てた様子を見せながらも、ゆっくりとソファーに腰を下ろした。

 行儀よく着席した少女を、俺は改めて観察する。
 前髪はパッツンで、後ろ髪は肩にかろうじて届いている感じだ。
 おかっぱというと野暮ったい田舎娘のイメージなので、この少女の髪型はボブというのが正しいのだろうか? 野暮ったさは感じない。
 貴族子女が短めの髪型なのは珍しいらしいが、牛乳を連想させるような乳白色の髪色も、これまた珍しいと思う。
 整った顔立ちをしているので、一般的にはカワイイとかキレイと言われる部類と推測する。
 年の頃は俺と変わらない……いや、彼女の方が年下だろうか。

 他者に無関心であった俺に、的確な判断などできるわけもない。
 あとでカールに、俺の観察眼が正しいか確認してみよう。

 少女の観察が終わると同時に、カールがこなれた感じでお茶を淹れ終え、俺の後方に控えた。
 執事見習いとして働き出して間もないというのに、長年執事を努めてきたような動きをするカール。
 彼は『ルドルフイメージアップ作戦』の駒として執事にしたのだが、想定外の成長は望外の行幸だったと思う。

 それはさておき、これから少女と話さなければいけない。
 はてさて、会話というのはどのように切り出すべきか。
 会話初心者の俺は、またもや考え込んでしまった。
しおりを挟む
感想 11

あなたにおすすめの小説

辺境領主は大貴族に成り上がる! チート知識でのびのび領地経営します

潮ノ海月@書籍発売中
ファンタジー
旧題:転生貴族の領地経営~チート知識を活用して、辺境領主は成り上がる! トールデント帝国と国境を接していたフレンハイム子爵領の領主バルトハイドは、突如、侵攻を開始した帝国軍から領地を守るためにルッセン砦で迎撃に向かうが、守り切れず戦死してしまう。 領主バルトハイドが戦争で死亡した事で、唯一の後継者であったアクスが跡目を継ぐことになってしまう。 アクスの前世は日本人であり、争いごとが極端に苦手であったが、領民を守るために立ち上がることを決意する。 だが、兵士の証言からしてラッセル砦を陥落させた帝国軍の数は10倍以上であることが明らかになってしまう 完全に手詰まりの中で、アクスは日本人として暮らしてきた知識を活用し、さらには領都から避難してきた獣人や亜人を仲間に引き入れ秘策を練る。 果たしてアクスは帝国軍に勝利できるのか!? これは転生貴族アクスが領地経営に奮闘し、大貴族へ成りあがる物語。

異世界複利! 【1000万PV突破感謝致します】 ~日利1%で始める追放生活~

蒼き流星ボトムズ
ファンタジー
クラス転移で異世界に飛ばされた遠市厘(といち りん)が入手したスキルは【複利(日利1%)】だった。 中世レベルの文明度しかない異世界ナーロッパ人からはこのスキルの価値が理解されず、また県内屈指の低偏差値校からの転移であることも幸いして級友にもスキルの正体がバレずに済んでしまう。 役立たずとして追放された厘は、この最強スキルを駆使して異世界無双を開始する。

異世界に来ちゃったよ!?

いがむり
ファンタジー
235番……それが彼女の名前。記憶喪失の17歳で沢山の子どもたちと共にファクトリーと呼ばれるところで楽しく暮らしていた。 しかし、現在森の中。 「とにきゃく、こころこぉ?」 から始まる異世界ストーリー 。 主人公は可愛いです! もふもふだってあります!! 語彙力は………………無いかもしれない…。 とにかく、異世界ファンタジー開幕です! ※不定期投稿です…本当に。 ※誤字・脱字があればお知らせ下さい (※印は鬱表現ありです)

ぐ~たら第三王子、牧場でスローライフ始めるってよ

雑木林
ファンタジー
 現代日本で草臥れたサラリーマンをやっていた俺は、過労死した後に何の脈絡もなく異世界転生を果たした。  第二の人生で新たに得た俺の身分は、とある王国の第三王子だ。  この世界では神様が人々に天職を授けると言われており、俺の父親である国王は【軍神】で、長男の第一王子が【剣聖】、それから次男の第二王子が【賢者】という天職を授かっている。  そんなエリートな王族の末席に加わった俺は、当然のように周囲から期待されていたが……しかし、俺が授かった天職は、なんと【牧場主】だった。  畜産業は人類の食文化を支える素晴らしいものだが、王族が従事する仕事としては相応しくない。  斯くして、父親に失望された俺は王城から追放され、辺境の片隅でひっそりとスローライフを始めることになる。

底辺から始まった俺の異世界冒険物語!

ちかっぱ雪比呂
ファンタジー
 40歳の真島光流(ましまみつる)は、ある日突然、他数人とともに異世界に召喚された。  しかし、彼自身は勇者召喚に巻き込まれた一般人にすぎず、ステータスも低かったため、利用価値がないと判断され、追放されてしまう。  おまけに、道を歩いているとチンピラに身ぐるみを剥がされる始末。いきなり異世界で路頭に迷う彼だったが、路上生活をしているらしき男、シオンと出会ったことで、少しだけ道が開けた。  漁れる残飯、眠れる舗道、そして裏ギルドで受けられる雑用仕事など――生きていく方法を、教えてくれたのだ。  この世界では『ミーツ』と名乗ることにし、安い賃金ながらも洗濯などの雑用をこなしていくうちに、金が貯まり余裕も生まれてきた。その頃、ミーツは気付く。自分の使っている魔法が、非常識なほどチートなことに――

チート薬学で成り上がり! 伯爵家から放逐されたけど優しい子爵家の養子になりました!

芽狐@書籍発売中
ファンタジー
⭐️チート薬学3巻発売中⭐️ ブラック企業勤めの37歳の高橋 渉(わたる)は、過労で倒れ会社をクビになる。  嫌なことを忘れようと、異世界のアニメを見ていて、ふと「異世界に行きたい」と口に出したことが、始まりで女神によって死にかけている体に転生させられる! 転生先は、スキルないも魔法も使えないアレクを家族は他人のように扱い、使用人すらも見下した態度で接する伯爵家だった。 新しく生まれ変わったアレク(渉)は、この最悪な現状をどう打破して幸せになっていくのか?? 更新予定:なるべく毎日19時にアップします! アップされなければ、多忙とお考え下さい!

辺境伯家ののんびり発明家 ~異世界でマイペースに魔道具開発を楽しむ日々~

雪月 夜狐
ファンタジー
壮年まで生きた前世の記憶を持ちながら、気がつくと辺境伯家の三男坊として5歳の姿で異世界に転生していたエルヴィン。彼はもともと物作りが大好きな性格で、前世の知識とこの世界の魔道具技術を組み合わせて、次々とユニークな発明を生み出していく。 辺境の地で、家族や使用人たちに役立つ便利な道具や、妹のための可愛いおもちゃ、さらには人々の生活を豊かにする新しい魔道具を作り上げていくエルヴィン。やがてその才能は周囲の人々にも認められ、彼は王都や商会での取引を通じて新しい人々と出会い、仲間とともに成長していく。 しかし、彼の心にはただの「発明家」以上の夢があった。この世界で、誰も見たことがないような道具を作り、貴族としての責任を果たしながら、人々に笑顔と便利さを届けたい——そんな野望が、彼を新たな冒険へと誘う。 他作品の詳細はこちら: 『転生特典:錬金術師スキルを習得しました!』 【https://www.alphapolis.co.jp/novel/297545791/906915890】 『テイマーのんびり生活!スライムと始めるVRMMOスローライフ』 【https://www.alphapolis.co.jp/novel/297545791/515916186】 『ゆるり冒険VR日和 ~のんびり異世界と現実のあいだで~』 【https://www.alphapolis.co.jp/novel/297545791/166917524】

第5皇子に転生した俺は前世の医学と知識や魔法を使い世界を変える。

黒ハット
ファンタジー
 前世は予防医学の専門の医者が飛行機事故で結婚したばかりの妻と亡くなり異世界の帝国の皇帝の5番目の子供に転生する。子供の生存率50%という文明の遅れた世界に転生した主人公が前世の知識と魔法を使い乱世の世界を戦いながら前世の奥さんと巡り合い世界を変えて行く。  

処理中です...