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第8話 従者

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 ――チリンチリンっ

 軽快な鈴の音が室内に響き渡ると、ガチャッと扉が開く。

「お目覚めですか若様」

 慌てた様子もない老齢の従者が、ゆっくり俺に近づいてくるとそう声をかけてきた。
 初日の壮年従者、昨日の中年従者に見られた恐怖で膝を震わせる、といった俺の気を揉ませる動きもなく、実に落ち着いたたたずまいだ。

「随分と落ち着いている様子だが、俺を恐れてないのか?」

 優しそうな言葉遣いに笑顔で柔らかい雰囲気を心がけていた俺が、思わずの素の言葉と表情で問いかけてしまった。

「若様は老人虐待の趣味はない、そう仰られておりましたので、私めが若様から折檻せっかんを受けたことはございません。そして私は、この世に未練がありませんゆえ、恐れ多くも若様に恐怖を感じないのでございます。――もしや若様は、恐れおののかれることをお望みでしょうか? 命令とあらば、そのようにいたしますが」

 老齢従者の言わんとすることは、なんとなくわかる。
 俺は未来ある若者や家族を抱えた責任ある者が、苦しがる様を見るのが好きだった。ただ死を待つ年寄りを折檻したところで、何の感情も沸かなかったのだ。――今思えば、昔の俺が随分と歪んでいたとわかる。
 俺が覚醒する前のルドルフが、歪んだ俺と同じ行動原理で動いていたのであれば、この老齢の従者に手を出さなかったのは、当然とも言える結果だろう。

「そのようなことは望んでいない」
「左様ででございますか」

 長く垂れ下がった白い眉毛のせいで、老齢従者の表情はよくわからない。
 だが、ある種の達観したような雰囲気を感じさせられた。
 なんとなくだが、俺の苦手なタイプな気がする。

「そういえば、身の回りの世話は数人が交代でやっていると聞いたが、昨日一昨日の従者とお前さん、それ以外に何人いるんだ?」

 侯爵家嫡男時代の俺は、自分に従う者は誰であれただの従者。姿形など関係ないと思っていたため、いちいち顔や名前を覚えなかった。
 常に誰かしら傍にいるのだ、わずらわしく思っても覚えようなどと思うはずもない。

 いや、それは違う気がする。

 俺という人間は、とことん他者に興味がなかっただけだ。
 日本人時代も侯爵家嫡男時代も、家族の顔ですらあやふやにしか覚えてなかったくらいに。――唯一、あの人物を除いて。

 だがそれではダメだと気づいた。
 今までのように独りよがりを続けていては、無残な死が待ち構えている現状は変わらない。変えるためには、一番身近にいる俺の世話係のことから知る必要がある。そう思ったからこその質問だった。

「現在は、ソーネン、チューネン、そして私ローレイの三人でお世話をさせていただいております」

 驚くべきことに、従者の名前は見た目と合致していた。――なんと都合の良い偶然。ビバご都合主義。

「ですが、若様がソーネンとチューネンに特別休暇をお与えになられたとのことで、暫くは私が単独でお世話をすることになります」
「それは、すまない……」

 言葉に少々棘が含まれているように思えたが、気にしすぎだろうか。
 それはさておき、俺の専属は精神が崩壊してしまうと聞いている。にも拘らず、この老齢の従者だけに任せねばならないことを、自然と申し訳なく感じたのだ。
 だがこの老齢従者は、謝ることではないと言う。

 そもそも老齢従者――ローレイは、すでに隠居していた身だとのこと。
 しかし、俺の傍若無人っぷりで従者が減り、若い従者の教育をわれて復帰したそうな。
 だがようやく育った若手を俺に潰され、とうとうローレイ自身が俺の世話に回るようになったらしい。
 そしてローレイ自身は、俺の専属でも問題ないようだったが、俺の方がストレスが溜まってしまうようで、他の従者がとばっちりを食らうそうな。
 なので、俺の爆発を抑える意味もあって、担当を交代制にしていたと言う。

「ですが若様の雰囲気が変わられました。今の若様であれば、他の者に当たり散らすことはないと思えますが」

 ロマンスグレーの髪をピシッと撫で付け、一方で無造作に伸びているような長い眉毛と髭という、一見アンバランスな容貌ながらも、老獪さを体現した紳士な執事。そんなローレイが、俺の中身を察したような言葉を投げかけてきた。

 きっとこの言葉は、俺から何か感じた以外にも、他の従者に被害が及ばないよう自分だけで食い止める、そういった気持ちも含まれているように思う。
 根が善人で、人生が終わることを恐れていないからこそ言える言葉だ。
 俺の読んできた物語では、こういった善人が度々現れる。たぶん間違いない。

「落馬をしたことで記憶があやふやになり、自分の生き方にも疑問を感じた。だから俺はこれを機に、領主一族として民に愛される者になろうと考えた。まあ簡単ではなさそうだがな」

 俺はこの善人そうな老人を味方に引き込むべく、それっぽい言葉を吐いてみた。

「よろしいのではないかと。――ところで若様、改心のきっかけとも言うべき落馬ですが、その馬の担当をしていた馬丁が若様に謝罪をしたいと申しております」

 まったく感情の見えない顔で、ローレイがそんなことを言う。
 今までの俺あれば、馬丁ごときを自室に呼び入れることはない。
 だが俺のマイナス評価を覆すには地道な草の根運動が必要なため、ローレにその馬丁を呼ぶように指示した。



「若様、大変申し訳ございませんでした。しかしあの馬は、とても賢いのです。むしろハミ受けの良い馬で、それが災いしてあのようなことに……」

 ローレイに連れてこられた馬丁の少年は、入室するやいなやクワッと目を見開き、膝に額が付きそうなくらい腰を折って謝罪の言葉を口にした。
 そしてそのまま、馬の擁護を始める。
 馬丁は専門用語らしき言葉を口にし、なんやかんやと長々と説明していたが、はっきり言って意味がわからない。
 なので、少々苛ついてしまった俺は「あー、わかった」と、彼の言葉を遮った。

 きっと、根気よく最後まで聞いてあげるべきなのだろう。
 だが堪え性のない性格が、そう簡単に改善できるわけもないのだ。

「ところで、お前……君の名前は?」
「はい、カールハインツです。カールとお呼びください」

 かっこいい名前だな。それに、なんとなくサッカーが上手そうな響きだ。

 どうでもいいことを考えていた俺だが、その裏でこのカールという少年を評価していた。
 薄っすらとしか残っていない記憶の中で、ルドルフに接していた者たち誰もが、いかに自分へ被害が及ばないようにするか必死だったからだ。――ローレイのような人間が、他にもいる可能性もあるけど。
 しかしカールは、自分はどうなってもいいから、あの馬を処分しないでほしいと懇願してきたのだ。

 なかなか見どころのある若者じゃないか。

 人を見る目などこれっぽっちもない俺だが、こういった自己犠牲精神を持った奴は良い奴であることが多い、と小説を通じて知っている。

「そういえばさっき、馬を処分しないなら”なんでもする”って言ったよな?」
「はい!」

 少しニヤけてしまいそうになったが、俺は冷静を装って問いかけた。
 するとカールは、馬が助かると思ったのだろう、目を細めて嬉しそうな表情でよい返事を返してきたのだ。

「ならば、あの馬は処分しないでやろう」
「ありがとうございます!」
「だがカールは……」
「は、はい」

 俺は勿体つけるように間を置き、やがて僅かに口角を上げて見せる。物語などで、悪巧みをする悪いヤツが見せるような表情をしてるだろう。
 すると、笑顔だったカールの表情が瞬時にこわばった。
 馬は処分されないが自分が危機的状況に追い込まれている、と思い出した様子。
 俺とほとんど接点のない馬丁といえど、辺境伯家の馬丁の世話をしているのだ、悪童ルドルフの良からぬ噂を耳にしているに違いない。

 しかし――
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