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第5話 難しい

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「お、お目覚めになられましたか若様」

 チリリンっとベルを鳴らすと、今回も慌てた様子の従者が飛び込んできた。
 昨日の壮年従者より年を食った中年男性だ。しかし、彼から年齢相応の落ち着きが感じられないのは、ルドルフに植え付けられた恐怖心のせいだろう。

 ちなみに、俺には専属の従者がいないらしい。
 昨夜、ガクガク震える壮年従者から聞き出したのだが、どうにも俺と四六時中一緒にいると従者の精神が崩壊してしまうようで、現状は複数の上級使用人が交代で回しているのだと言う。

 確かに、昨日の壮年従者や眼前の中年従者は、かわいそうなくらいやつれている。これで専属などになっていたら、心身共にズタボロで到底使い物にならないだろう。
 一方の俺はというと、見苦しいくらいに太っている。

 俺が日本人時代に読んでいた小説では、太った貴族はだいたい悪いヤツだ。
 それを基準にすると、俺は悪いヤツということになる。

 まあ実際、ルドルフは悪いヤツだったし……。

 ボッチ気質で他者を気にしない俺からすると、自分が太っていることはなんとも思わない。
 だがしかし、太った貴族=悪という認識があっては、『ルドルフイメージアップ作戦』に支障が出る。
 面倒だが痩せる必要がありそうだ。――心の奥底にでもメモしておこう。

 ちなみに、昨日情報を提供してくれた壮年従者には、少し多めの特別給金と数日間の特別休暇を与えた。
 これで少しでも、俺が善人だと思ってくれたらありがたい、そんな打算的な気持ちを込めて。

 それはさておき、俺は目の前にいる中年従者に聞きたいことがあるのだ。

 俺は極力従者に世話をかけず、自活してみようと思っていた。
 面倒ではあるが、これは俺が変わるための第一歩であり、従者の心象を良くする手段でもある。
 だがルドルフの記憶が中途半端でもはや記憶喪失レベルだったため、邸の間取りがほとんどわからない。それでは自活など到底無理だ。

「今日は邸の中を見て回る……よ」

 腹が減っていたので、とりあえず自室で食事をとりながら、中年従者に今日の予定を伝えた。当然、優しい言葉遣いに笑顔を添えて。
 だが中年従者は困ったような表情を浮かべ、何か言いたげだが言い出せない様子。

「俺が邸の中を見て回るのは何か困るのか……な?」

 たぶん、俺から聞かないと喋ってくれない気がしたため、より一層の笑顔を添えて問うてみた。

「ひぃっ……! そ、そうではございません」
「怒らないから理由を言ってくれ……るかい?」

 柔らかい印象を与える言葉遣いは、まだまだ俺には難しい。

ヴォルフスシャンツェオオカミの砦は広く、細かく見て回るにはお時間がとてもかかります」
「ヴォルフスシャンツェ? それはなんだ……い?」

 ヴォルフガング辺境伯家に由来する名称のようだが、初耳な気がする。

「え? あ、はい、領都ガングの中心である、この城塞全体の名でございます」

 中年従者が一瞬だけ、『お前そんなことも知らないの?』みたいな顔をしていたが、細かいことは気にしない。
 それより、ヴォルフスシャンツェというこの邸は、蜂蜜色の石で造られた戦闘要塞的建造物であり、城塞と呼ぶに相応しい威容を誇っている。窓の外を眺めただけだが、それだけでもわかるほど立派だ。
 オオカミの砦という異名もしっくりくる、ヴォルフガング家の本丸らしい如何にも”戦うお城”な邸……否、城館であった。

「安心しろ……して。俺が自活するのに必要な場所だけ把握するだけだ……から」

 あー、会話はこうやって気を遣わなくちゃいけないから嫌なんだよ。
 そろそろ疲れてきたぞ。やっぱボッチが一番だよな。

「ですが……」

 この中年従者、なんか煮えきらないな。こっちはかなり頑張って、優しい雰囲気を作ってるっていうのに。
 俺はまだ我慢に慣れてないから、そろそろ閾値に達しそうなんだけど。

「なんなの? 言いたいことがあるならハッキリ言って。それでいきなり罰したりしないから」

 怒りを噴出しないように喋ったら、ちょっとオネエみたいな言葉遣いになってしまった。

「お、恐れながら申し上げます。先日、10歳のお披露目を終えられましたモーリッツ様と、お披露目に同行されていたグレータ様がこちらの城館に滞在されております。そのお二方から、若様に面会の申し込みがございました。ですがお二方は、明日には離れた別館に戻りますゆえ、可能であれば本日この後に、お茶会といった形でお顔を合わせていただければと……」

 中年従者は手持ちのハンカチをひっきりなしに額に当て、滝の如く流れ出ている汗を拭きながら、物凄く申し訳無さそうに伝えてきた。
 俺が面会などという面倒事が嫌いなのを知っていて、なかなか言い出せなかったのだろう。
 それはいいとして、もし俺が目覚めなかったらどうしていたのだろうか?

 だがそれより――

「……誰それ?」

 俺は面会がどうこう以前に、そのモーリッツとグレータというやからを知らない。

 ん、モーリッツ? なんか聞き覚えがあるような……。

「え?」

 素っ頓狂な顔をした中年従者だが、そのまま何も言わずに固まってしまった。
 だが知らないのだから教えろとやんわり言うと、やはりアセアセしながら教えてくれた。
 それによると、父には側室がいて、長子で長女なのがグレータで、次子で長男がモーリッツなのだとか。――所謂異母兄弟だ。

 なんでも俺が意識不明状態のとき、ヴォルフガング辺境伯領の領都であるここガングの城館で、10歳を迎えたモーリッツのお披露目が行われ、そのまま本館に滞在しているらしい。
 嫡子が意識不明だというのに、よくもそんな会を開けたともんだと呆れてしまうが、もしかすると遠方から足を運んだ人がいる可能性もある。ならば予定通り行うのは当然なのだろう。――なんか気に入らないが。

 そんな他人の事情はどうでもよい。
 問題なのは、俺を殺そうとした・・・・・・・・姉弟が面会を申し込んできたことだ。
 声を大にして叫びたい。

 面倒くせー!

 だが今の俺は、『ルドルフイメージアップ作戦』を地道に行なっていく必要がある。
 たとえ面倒であっても、そんなことをおくびにも出さず、淡々粛々とこなしていかなければならないのだ。

 それはそうと、前世侯爵家嫡子時代、俺の父は王国の宰相というかなりの地位にいながらも、側室を娶っていなかった。
 しかし現世の父は、側室を娶って子をもうけている。
 それがこの世界の常識であれば、俺もいずれは複数の妻を娶らねばならないのか、そう考えるとかなりゲンナリしてきた。

「その面会を受けるよ」

 えてる場合ではないし、逃げてよい局面ではない。
 グレータとモーリッツは俺を殺そうとした危険人物だ。
 だが姉弟である以上、これから先も関わることもあるだろう。
 ならば、ここで俺のイメージを良くしておき、少しでも心の距離を縮めておく必要がある。――たぶんだけど。

「ありがとうございます!」

 中年従者は物凄く感謝してくれた。
 板挟みになって大変だったのだろう。
 彼にも特別給金と休暇を与えないとだな。そんな善人みたいなことを考えているが、結局は俺のイメージを良くするためだ。

 これこそ小説でよく目にする『情けは人の為ならず』ってヤツだ。
 まさか俺がこれを実践する日がこようとは、実に感慨深い。

 俺を殺そうとした姉弟との面会から意識を逸したい俺は、必死に他のことを考える。腹をくくったつもりでいたが、やはり自分を殺そうとした人間と会うのは恐ろしいのだろうか、自然と自己防衛をしていた。

 でも実は、あの姉弟は常識人で、昨日のは何かの間違いだった……ってことはないかな?

 現実逃避気味な考えで、俺は恐怖心を拭い去ろうとする。

 今まで意識していなかった死への恐怖心。
 俺の中に芽生えたその感情は、思いの外厄介なものであった。
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