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2章 我が家

オレをおっさんと呼ぶな

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「クラージュ、貴方は子どもの前でなんてことを言うの!」

 オレの直感はやはり当たっていた。それも、母はオレの予想をはるかに上回る憤怒っぷりだ。
 そして現在の状況は、二十五歳の大男が今ではすっかり小さく見える母に叱られる、という何とも滑稽な光景である。
 更に目の前には、オレの子かどうかは別にして、小さな少女がいるのだ。少し恥ずかしくなってしまったのは、仕方のないことだろう。

 だがしかし、今はオレの羞恥心がどうこうなどどうでもよい。オレが何も考えずに、小さな少女の前で『子どもが生まれるような行為』などと、軽はずみなことを言ってしまったのだ。母はそんな言葉を口にしたことに対して怒っている。それは当然のことだろう。

 性教育というのだろうか、オレも初めて夢精したときに、母から色々と教わった記憶がある。
 こういったことは、子がそれなりの年令になると、親がしっかり教育するものなのだろう。少し恥ずかしい話でもあるが、必要な教育だ。
 それを初対面の男性が、いきなりそんなことを口にしたのだから、少女もきっと驚いたに違いない。

「キャンディごめんなさいね。お婆ちゃんは少しだけお父さん・・・・と二人きりでお話しするから、部屋に戻っていてくれる」

「……ん、分かった」

 少女はゆっくりとソファーを降りると、まだ冷めやらぬカップを両手でしっかり持ち、慎重に歩いて居間を出ていく。
 わざわざ少女を部屋に戻らせ、二人っきりになってから説教をするということは、母のご立腹度は相当なものだろう。

 十五年ぶりの帰郷、しかもオレはもう二十五歳だと言うのに、これから説教されるのか。まぁ、子どもの前でないことだけが、せめてもの救いだな。と、オレはひっそり肩を落としつつも、ほんの僅かだが安堵もした。
 しかし、これから叱られることに変わりはない。ならば――

「あー、母さんごめん。軽はずみな発言をしてしまって」

 落胆していても説教は軽くならない。それならばオレは先手を打ち、先に謝ることで少しでも母の怒りを鎮め、お説教を軽くしてもらう作戦に出たのだ。

「本当に軽はずみよ。全くクラージュは!」

「いや、本当にごめんって」

「あのね、キャンディッドはクラージュを本当の父親だと思っているの。――確かに、貴方のことは名前しか知らないけれど、自分の父親はクラージュ・サジェスという人物だと、あの子は信じているの。それなのに、『子どもが生まれるような行為をしたことない』と聞かされて、あの子がどう思ったか……」

 オレは絶句した。
 てっきり、性教育云々のことで怒られると思っていたからだ。
 だがそんなことではなく、あの少女――キャンディッドの心を傷付けてしまったことに対して、母は憤りを感じていたのだった。
 そうであるならば話は別で、軽く済ませて良いことではない。

「ごめん、本当に軽率だったよ」

 オレは真剣に頭を下げた。

「……まぁ、クラージュは自分に子どもがいること自体知らなかったのだから、私の方が先に説明すべきだったのよね。ごめんなさいクラージュ」

 その後暫く、自分が悪かったと互いに頭の下げあいになったが、よくよく考えてみると、説明をしなかった母が悪かったように思えてくる。
 しかし、母は穏やかで明るい女性だが、昔からどこか抜けたところのある人だったことを思い出してしまう。そうなると、まぁ仕方ないか、と思えてしまった。
 母はなんとも不思議な人だ。そして良い意味でズルいひとでもある。

「取り敢えず、詳しい説明してもらえないかな?」

 だがしかし、母の纏う雰囲気に惑わされてはいけない。どう考えても母の説明が無かったことが問題なのだ。であれば、これ以上ややこしくならないよう、説明を求めておくのは必須であった。オレが再び叱られないためにも。

「そうね。キャンディッドを部屋に戻したことだし、あの子に聞かせられない部分も含めて説明するわ」

 どうやら母は説明してくれるようだ。『あの子に聞かせられない部分も』という、少々気になる言葉もあったが、それも説明してくれると言うのだから、素直に聞こうではないか。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「お、おい、キャンディッド。てて、て、手を繋ぐぞ」

「……おっさん・・・・

「おっさんじゃない! お、おお、お父さん・・・・と言いなさい」

「どっちも、似たような、もの」

「全然似てない!」

「……今は、魔術の先生」

「そ、そうだった。今のオレは『謎の魔術士ラジュ』だった」

「そう。だから、おっさん先生」

「だからオレをおっさんと呼ぶな……って、今はまぁいいか」

 オレは今、生まれ育ったルグレ村の外れにいる。我が子・・・と一緒に。

 母に聞かされた事情は何とも複雑で、その後の話し合いの結果、愛娘・・のキャンディッドを冒険者に育て上げることになったのだ。……いや、そうなるよう母に誘導されたというのが正しいだろう。

 兎にも角にもキャンディッドだ。
 この子は類稀な魔力を保有しているが、魔力制御ができないため、自発的に魔術を使うことができない。
 魔力は大量にあるが魔術が使えないという、少々扱いの難しいキャンディッドを、いきなり冒険者ギルドに連れていくのも面倒だと思い、一先ずある程度の基本を教えることにした。
 つまり、オレが師匠でキャンディッドが弟子という関係になり、暫くはここで鍛錬を行なうということだ。

 それともう一点、オレは女性不信と言うわけではないが、女性と接することがとにかく苦手だ。
 それが子どもであろうと、選別が『女』の時点で、オレの体は触れるのを拒んでしまう。
 なのでこの鍛錬には、そんなオレの弱点克服の意味も込められている。
 母が意気揚々と、『キャンディッドの鍛錬とクラージュの弱点克服の一挙両得の策があるわ』と言ってきたのが、この二人だけでの鍛錬というわけだ。

 それはないでしょ、と思っても、母が嬉しそうににこやかに言ってきた言葉に対し、オレが否を唱えることは不可能であった。

「……ん、おっさん、手」

 オレが苦々しい気持ちでいると、娘は無表情かつ抑揚のない声で手を差し出してくる。

「ちょっ、ちょっと待ってくれ」

「…………」

 考え込むオレを、小柄な少女であるキャンディッドがジトッとした目で見つめてくるのだが、心の準備をさせてほしいところだ。

 何故キャンディッドの魔術の鍛錬でオレと手を繋ぐのかと言うと、この娘が以前、無意識に起こした件に起因している。

 そもそも魔術は制御が非常に難しいのだが、制御の前段階で集中力が必要である。
 しかし、人間とは喜怒哀楽といった感情があり、感情が乱れると集中力が低下し、結果的に魔術の制御も上手くいかない。更に、安定しない制御の許で魔術を使うと、意図しない挙動で事故を起こす可能性もあるのだ。

 そしてこのキャンディッドは、精神が不安定な状態で大魔力を暴発させた過去がある。それを危惧したオレの母と姉は、この子の感情を抑えつけるような教育をし、見事に無感情な子に育った。
 無感情になった以降は、結果的に暴発事故は無くなったものの、可能であれば感情を押し殺して抑えつけるのではなく、感情を制御できるようにしたいという思いは、オレも母も同じだ。

 しかしながら、無感情なキャンディッドが、唯一ひっそり見せる感情があると言う。
 それが、オレの使っていた毛布などの私物を抱きしめているときなのだとか。であれば、キャンディッドの精神安定剤そのものであるオレが、キャンディッドと触れ合うことで彼女の精神が落ち着くはず、とは母の談だ。
 尤もらしい言い方をする母に上手く丸め込まれたオレは、結果的にそれを受け入れることになってしまい、現状に至っている。

「おっさん、ん……」

 覚悟のできぬオレはアレコレ考え、ある意味現実逃避をしていると、やはりジトッとした半眼で見つめてくるキャンディッド。
 娘は別段、早起きをしてまだ眠いわけでも、オレを蔑んでいるのでもない。この子は無感情に育った所為で、表情が乏しく、いつも半眼でジトッとした目をしているだけだ。
 その娘がオレをおっさんと呼び、伸ばした手を上下に動かす。その行動は、早く早くとせがんでいるように思える。

 こうなっては、オレも覚悟を決めるしかない。『手を握ったり、抱き締めただけでは子どもは生まれない』と、母に教わったことを思い出し、大丈夫だと自分に言い聞かせながら、オレはゆっくりと手を伸ばす。

「ほれ」

 気合らしい気合の言葉を口にするわけにもいかず、オレは気を許したことを醸し出す感じで、「ほれ」という言葉に気合を乗せた。

「ん」

「あぅ」

 何のてらいもなく、キャンディッドは小さな手でオレの手を握る。
 握られた方のオレは、口からは情けない声が漏れて舞う始末。

 これは拙い。オレの体はやはり相手の年齢に関係なく、女性に対する抵抗力が低いっぽいぞ。

 恥ずかしさを誤魔化すように、オレは真面目に現状を分析してみたが、いっそう自分の弱点に気付く結果となってしまい、その危機感からか、体が強張るのを感じるのであった。
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