鬼の閻火とおんぼろ喫茶

碧野葉菜

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究極の選択

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 たったそれだけのことを、私は忘れていた。
 おばあちゃんが言い残した「大切なこと」
 命の恵みに感謝すること。
 まずは自分が楽しむこと。
 そして一番必要なことは――。

「自らが作ったもので大切な相手を笑顔にできる。それが最大の幸せではないか」

 諭すような閻火の言葉は、全身に染み渡るように広がった。
 一生懸命作ったものを、喜んで口にしてくれる人がいる。
 そんな単純で、当たり前のこと。
 誰かを想いながらキッチンに立つ時、それは最高のご馳走になる。
 最初から人の真似をする必要なんてなかった。
 面影を追わなくても、おばあちゃんの存在は私の中に息づいている、ずっと一緒にいる。
 自分を信じてさえいれば、なにも悩むことはなかったのだ。
 閻火は立ち上がると、左手の甲を顔の横に提示した。
 
「これにより契約を破棄する。……俺の負けだ、萌香」

 小指のつけ根を包む赤い輪がじわじわと幅を縮め、やがて消滅する。
 同時に私の左手小指からもぬくもりが消えた。
 急いで確認してみても、もうそれはどこにもなかった。
 二人を繋ぐ証の指輪は、二度と届かない遥か彼方へと旅立った。
 閻火の「うまい」が響き続ける。
 あんなに望んでいたはずのその言葉を、今すぐ取り消しができないか、なにかの間違いではないかと矛盾した祈りが駆け巡る。
 閻火は最初からすべてわかっていたのだろうか。
 私が想えば想うほど、二人の未来から離れてしまうことを。
 
「安心しろ、俺は見た目の通りモテる。お前のことなど三日で忘れる」

 こんな時でも胸を張った閻火は、灼熱の粒を纏った鳳凰の姿へと変わる。
 神々しいまでに美しく威厳を誇る一角獣。
 眩しい光はあたたかく、閻火との記憶を走馬灯のように呼び起こした。

「さらばだ萌香、楽しかったぞ……元気でな」

 小さく開いた口が、空気を食むように開閉を繰り返す。
 伝えたいことは山ほどあるはずなのに、微かな声すら発せなかった。
 紅色の身体が大きく翼を広げる。
 虹色の裾をはためかせた時、ぶわっと強い風が起こり視界を遮った。
 再び静寂が訪れた時、目の前には誰もいなかった。
 閻火が立っていた床に、淡い光を帯びた一枚の羽だけが残されていた。
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