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転機
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ドキリ、心臓が跳ねる。
歓喜でも恐怖でもない。咄嗟に感じた驚きは、徐々に戸惑いと淡い期待へと変わり始める。
キッチン台の前で立ち往生し、エプロンのポケットを片手で押さえた。
「出たらどうだ」
隠れた機器の揺れを布越しに感じていると、不意に隣から聞こえた声に顔を上げた。
閻火は落ち着いた様子で私が作ったジュースをトレーに載せる。
その間も一回、二回と、呼び出し音は鳴り続ける。
「……でも、今忙しいし」
「俺と蒼牙がいればなんとかなる。少しくらいは鬼を頼れ。話したい相手なのだろう?」
閻火に家庭の事情を話したことはない。
知りたいなら獄門帳を見れば済む話だ。
けれど閻火はおそらくそこまでしていない。私の過去を隅々まで詮索し、容易く聖域を犯すことはしないのだ。
私の生活に土足で踏み入れながらも、本当に触れられたくない繊細な一線は守っている。
透明で柔らかな膜。そんな目には見えないあたたかなもので、包まれているような気がする。
きっと今、このタイミングを逃したら、二度と素直になれないかもしれない。
後悔したくない決心とともに、ようやく発信源を握りしめた。
「ありがとう閻火、私行ってくるね」
「安心しろ、もしもうまくいかなければ俺がたっぷり慰めてやる」
鼓膜に響く甘い重低音。
意図せず追った閻火の口元から鬼特有の牙が覗いた。
「……よろしくお願いします」
とても私の口から出たとは思えない言葉に、仰天していたのは閻火の方かもしれない。
急いで走り去る視界の端に映ったのは、初めて見る間の抜けた表情だった。
今ならなんだって言える気がする。
勝手に作り上げた「らしさ」なんて、正解なんてなくても、どんな私でも認めてくれる一人がいるって自信が持てるから。
歓喜でも恐怖でもない。咄嗟に感じた驚きは、徐々に戸惑いと淡い期待へと変わり始める。
キッチン台の前で立ち往生し、エプロンのポケットを片手で押さえた。
「出たらどうだ」
隠れた機器の揺れを布越しに感じていると、不意に隣から聞こえた声に顔を上げた。
閻火は落ち着いた様子で私が作ったジュースをトレーに載せる。
その間も一回、二回と、呼び出し音は鳴り続ける。
「……でも、今忙しいし」
「俺と蒼牙がいればなんとかなる。少しくらいは鬼を頼れ。話したい相手なのだろう?」
閻火に家庭の事情を話したことはない。
知りたいなら獄門帳を見れば済む話だ。
けれど閻火はおそらくそこまでしていない。私の過去を隅々まで詮索し、容易く聖域を犯すことはしないのだ。
私の生活に土足で踏み入れながらも、本当に触れられたくない繊細な一線は守っている。
透明で柔らかな膜。そんな目には見えないあたたかなもので、包まれているような気がする。
きっと今、このタイミングを逃したら、二度と素直になれないかもしれない。
後悔したくない決心とともに、ようやく発信源を握りしめた。
「ありがとう閻火、私行ってくるね」
「安心しろ、もしもうまくいかなければ俺がたっぷり慰めてやる」
鼓膜に響く甘い重低音。
意図せず追った閻火の口元から鬼特有の牙が覗いた。
「……よろしくお願いします」
とても私の口から出たとは思えない言葉に、仰天していたのは閻火の方かもしれない。
急いで走り去る視界の端に映ったのは、初めて見る間の抜けた表情だった。
今ならなんだって言える気がする。
勝手に作り上げた「らしさ」なんて、正解なんてなくても、どんな私でも認めてくれる一人がいるって自信が持てるから。
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