アオハルのタクト

碧野葉菜

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追奏曲(カノン)

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「もう、疲れたわ、親の顔色窺うんも、周りに合わせるんも、才能があるふりするんも、もうやめたい、全部やめて、終わりにしたい」

 そう言って項垂れていると、そっと右手のひらを包まれる。それでもまだ、優希を見ることはできんかった。

「手、痣になってるん、なにか理由があるんかなって思ってたけど」

 ピアノを弾き続ける腕を止めたくて、何度も壁に打ちつけた。その時にできた青い痕に、今初めて触れられた。

「気づいてたん」
「たっちゃんこと、ずっと見てるからわかるよ。言うたらアカン気がして黙ってたけど」

 優希はええ子やと思い知らされる。その分、自分の醜さが浮き彫りになって、情けなくて恥ずかしくてさらに俯いた。

「俺のどこがええん、俺なら絶対にこんな男嫌や。もしも優希と春歌の命を交換できたなら、大して迷わず頷いてたと思う。卑怯で卑屈で、救いようがないやんか」
「ずるいならあたしも同じ」

 いっそ罵倒してくれと願うのに、耳を疑う優希の言葉に、思わず釣られて顔を上げた。
 砕け散ったガラス片と、転がったトロフィーの中で、優希の顔は愛と悲しみに染まっていた。

「春歌ちゃんが亡くなったって聞いた時、あたし、喜んだんよ。一瞬やけど、驚きと悲しみの間で喜んだ。これでたっちゃん、やっとあたしのこと見てくれるんちゃうかって。最低やろ」

 仮面を脱ぎ捨てたんは、俺だけやなかった。やけにスッキリした面持ちで、俺の手を握りしめる両手が小さく震えていた。
 なんや、優希、そんな顔もできるんや。
 胸の内に、ふと爽やかな風が吹き抜ける。バラバラになった心と体が、静かに修復されようとしていた。

「春歌とおるとしんどかった。ハラハラしてドキドキして、いっつも俺ばっかり夢中で、俺がどれだけ求めても手に入らんもの、あっさり明け渡して、目の前で消えた、気分屋で自分勝手なあいつが、憎くて辛くて」

 思い出のページがパラパラとめくれる。分厚い記憶の日記帳。大半を占めたあいつの顔が、ちっとも色褪せんで悔しい。

「それでも俺、春歌が好きや」

 口に出して、初めて気づく。出会った時からずっと、わかっていたのに。十歳まで生きられん。そう言われていた春歌は、奇跡の一日を積み重ねていた。俺が好きって言うたら困らせる。拒絶されたら辛い。だけど、万が一恋人になったら、もっと苦しむかもしれん。そんなくだらんことゴチャゴチャ考える前に、行動すればよかったのに。

「好きで好きでたまらんくて、なんであいつやねん、もっと他に死んでええ奴いくらでもおるやろって、考えてもどうしようもないことずっとずっと……!」

 握った拳に汗が滲む。一緒に目から溢れたものが頬を伝う。
 あの時、春歌が一番好きな奴を聞いていたら。もしも、春歌にピアノの才能がなければ。なにか違ったんやろうか。好きな女の子より優れていたい男のプライド、醜い嫉妬、親の反対、明日への不安、そんなもの全部投げ捨てて、春歌が好きやって、春歌のピアノがもっと聴きたいって、素直に褒めて、情熱を伝えていたら、残り少ない時間を穏やかに過ごし、大事な人たちに見守られながら、暖かいベッドで眠りについてくれたやろうか。
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