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受難曲(パッション)
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ゆっくりと進む普通電車で、いくつかの駅を乗り過ごす。向かう海の最寄駅は、春歌の家の近くでもある。
到着した駅に降りると、先に改札を出た優希の後をついていく。平日の日中ということもあり、普段から人通りが少ない駅前は、さらに閑散としていた。
コンビニを横切り、コンクリートの道を歩く後ろ姿を眺める。早く海を見たいのか、ローファーを履いた足が、心なしか弾んで見えた。
海までは少し時間がかかる。昔ながらの瓦屋根や、真新しい西洋風の戸建てが入り混じった細い道。なだらかな坂を下っていくと、やがて石造りの地面が見えてくる。
男女を区別するマークが入った公衆便所に、広くはない駐輪場、設置された銀色の手すりは、その奥へと続いている。
子供の頃から、見慣れた海の玄関。グレーの地面を抜けると、一気に開ける視界に、大海原が広がっている。
待ってましたと言わんばかりに、高い声を上げながら駆け出す優希。若さと元気が弾けている。十五歳ってこういうもんか。
乾いた砂にほどよく沈むスニーカー。サクサクした踏み心地のよさに、しばらく雨を見てへんことに気づく。
砂浜の端には、石碑に似た横長の置き物がある。「林崎松江海岸」と書かれたそのそばには、タコや鯛などのオブジェが飾られている。明石が誇る海産物、知ってはいるけど、相変わらずやなと思う。
七月から海開きをして、土日なんかは人でいっぱいになるらしい。だけど今日は思った通り、人を見つけるんが難しいくらい空いている。
駅前もガランとしていたし、出入り口にも自転車が一台もなかった。夏休みに突入すれば、平日も学生たちで賑わうんやろう。それを考えれば、今日は確かに穴場の日……かもしれん。
石板のそばにカバンを置いて、久しぶりに来た海岸を見渡していると、優希のはしゃぐ声に視線を引っ張られた。
いつの間にかローファーに靴下まで脱いだ優希が、寄せては返す波打ち際で遊んでいる。
ここは遠浅のロングビーチ、波も穏やかで溺れる心配もない。透明度の高い海面が、太陽光を浴びて眩しいくらい輝いている。
この海を背景に、グランドピアノを置けばどうやろう。白っぽい砂の上に、漆黒の楽器はさぞ映えると思う。
しなやかな指、踊る音、まるで本当に動物が歌っているような。春歌の「子犬のワルツ」が勝手に頭に流れてきた。十年も前に聴いたきりやのに、なんでこんなに鮮明に蘇るんやろう。「冷たーい」とか「キャー」とか、幼い言語が遠くに響く。この時ばかりは、もっとうるさくしてくれと思った。
雑音でもなんでもええから、俺の五感から、この景色を消してほしいと願った。だけどそんな時に限って、プツリと騒がしさが途切れてまう。春歌の影を引きずったまま、近づいてくる気配に焦点を合わせた。
到着した駅に降りると、先に改札を出た優希の後をついていく。平日の日中ということもあり、普段から人通りが少ない駅前は、さらに閑散としていた。
コンビニを横切り、コンクリートの道を歩く後ろ姿を眺める。早く海を見たいのか、ローファーを履いた足が、心なしか弾んで見えた。
海までは少し時間がかかる。昔ながらの瓦屋根や、真新しい西洋風の戸建てが入り混じった細い道。なだらかな坂を下っていくと、やがて石造りの地面が見えてくる。
男女を区別するマークが入った公衆便所に、広くはない駐輪場、設置された銀色の手すりは、その奥へと続いている。
子供の頃から、見慣れた海の玄関。グレーの地面を抜けると、一気に開ける視界に、大海原が広がっている。
待ってましたと言わんばかりに、高い声を上げながら駆け出す優希。若さと元気が弾けている。十五歳ってこういうもんか。
乾いた砂にほどよく沈むスニーカー。サクサクした踏み心地のよさに、しばらく雨を見てへんことに気づく。
砂浜の端には、石碑に似た横長の置き物がある。「林崎松江海岸」と書かれたそのそばには、タコや鯛などのオブジェが飾られている。明石が誇る海産物、知ってはいるけど、相変わらずやなと思う。
七月から海開きをして、土日なんかは人でいっぱいになるらしい。だけど今日は思った通り、人を見つけるんが難しいくらい空いている。
駅前もガランとしていたし、出入り口にも自転車が一台もなかった。夏休みに突入すれば、平日も学生たちで賑わうんやろう。それを考えれば、今日は確かに穴場の日……かもしれん。
石板のそばにカバンを置いて、久しぶりに来た海岸を見渡していると、優希のはしゃぐ声に視線を引っ張られた。
いつの間にかローファーに靴下まで脱いだ優希が、寄せては返す波打ち際で遊んでいる。
ここは遠浅のロングビーチ、波も穏やかで溺れる心配もない。透明度の高い海面が、太陽光を浴びて眩しいくらい輝いている。
この海を背景に、グランドピアノを置けばどうやろう。白っぽい砂の上に、漆黒の楽器はさぞ映えると思う。
しなやかな指、踊る音、まるで本当に動物が歌っているような。春歌の「子犬のワルツ」が勝手に頭に流れてきた。十年も前に聴いたきりやのに、なんでこんなに鮮明に蘇るんやろう。「冷たーい」とか「キャー」とか、幼い言語が遠くに響く。この時ばかりは、もっとうるさくしてくれと思った。
雑音でもなんでもええから、俺の五感から、この景色を消してほしいと願った。だけどそんな時に限って、プツリと騒がしさが途切れてまう。春歌の影を引きずったまま、近づいてくる気配に焦点を合わせた。
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