アオハルのタクト

碧野葉菜

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受難曲(パッション)

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「そういうわけで。すんません先生」

 柳瀬は春歌の胸部に回していた腕を、肩に移動させ抱き寄せる。
 さっき春歌はなんて言った。
 嫌がる素振りを見せん春歌に、さっきの台詞が舞い戻ってくる。冒頭を再生すれば、引っかかりの正体が明らかになる。「私」やなく「私たち」――確かに、春歌はそう言った。
 春歌の肩を抱いた柳瀬が、こちらに向かってくる。出入り口付近に立っていた俺は、ドアを跨ぐ柳瀬とぶつかった。
 いや、わざとや。俺の体を押しのけるように、肩を当ててきた。柳瀬は鋭い眼光に舌打ちまですると、体育館の方に向かって廊下を歩く。
 他の生徒はとっくに先を行ってもうた。ガランと空いた廊下で、二人の後ろ姿を見送る。大人しく長い腕に収まる春歌に、楽しそうに話しかける柳瀬の横顔が映る。
 小中学校での、春歌を知らん。男の話なんて、春歌の口から聞いたことはなかったし、幼稚園の時に浮いてたから、親しいんは俺だけやと思い込んでいた。
 ストレートすぎる性格と、重い境遇。人を寄せつけん雰囲気を纏う春歌を、受け止められるんは自分だけやと。勘違いの思い上がり。そんな文字が頭をよぎる。
 高校生になってようやく、春歌とまた毎日会える。同じクラスになった時、どれだけ喜んだか。それやのに、春歌は柳瀬とばかりおる。入学して最初のホームルーム、春歌が自己紹介をした時、柳瀬はこう言った。

「青木春歌? アオハルやん」

 たまたま隣の席におった、初対面の相手にそんなことを言われた春歌は、着席しながら鼻で笑った。頬杖をつきながら「つまんな」って言う春歌を、離れた席で見ていて焦った。その顔が、少し面白そうやったから。「笑えば可愛いんちゃう」って言う柳瀬に「笑わなくても可愛いから」って答え。それに柳瀬は吹き出して「自分で言うとかサイコー」って、しばらく肩を揺らしていた。 

「――ちゃん、たっちゃん!」

 耳元で響く呼び名に、現実に引き戻される。気づけば春歌たちの姿もなく、俺と優希の二人きりになっていた。

「先生も行ってもたし、早よ」

 優希にシャツの袖をクイッと引かれ、ぎこちなく頷いて歩き出す。
 自分のクラスを通り過ぎる時、開きっぱなしのドアから一瞬だけ中が見えた。
 春歌の机に置かれた水色の紙袋。シャツを一枚入れるのに、ちょうどええくらいの。
 あるやん、紙袋。なのになんでって聞いても、春歌は教えてくれんのやろうな。
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