アオハルのタクト

碧野葉菜

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夢想曲(トロイメライ)

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 十年越しの事実に打ちひしがれていると、春歌が俺の顔を覗き込んで「どうしたの?」と不思議そうに尋ねる。
 ショックを受けて黙り込んでいる理由を、絶対、春歌に言わん。口が裂けても、言うもんかって誓うんや。
 
「……や、なんもない、曲、なににする」
「拓人が選んでよ。私よくわかんないし」
「それはアカン。平等やないから」

 俺が決めれば、自然と得意な曲を選んでまうかもしれん。あえて平等を主張するんは、俺のプライド。ローマは一日にしてならずっていうやろう。ピアノやって同じや。
 冷静になってみれば、俺が負けるはずがない。十年以上続けている俺と、ズブの素人である春歌。聴く人が聴けば、その違いは明確やろう。
 なにかええ案はないかと室内を見回すと、ピアノの横につけた黒い楽譜入れが目に止まる。そこで閃いた俺は、椅子と同じくらいの高さをした、長四角の入れ物を指差した。

「この中で好きなファイル選んで、パラパラめくって、ストップしたところの曲でどう?」

 聞くと春歌も納得した様子で、二度小さく頷いた。そして楽譜入れの前でしゃがんだかと思うと、大して考えもせずにさっとファイルを手に取る。
 立ち上がった春歌は「ルーレットスタート」なんてふざけた声をかけた後、俺の前でファイルをめくり始めた。
 ト音記号が描かれた白黒の表紙、パラパラと大気に靡く透明の袋。春歌の「ストップ」を合図に、ピタリと風がやむ。
 しんと静まり返った室内で、春歌はそっと大きく開いたファイルを、向きを変えて俺に提示してみせた。
 何回練習し、指が攣りそうになったことか。それほど親しんできたからわかる、埋め尽くされた音符の楽譜を、一目見ただけで。
 ――ショパンの「別れの曲」。ショパンの生涯を描いた映画に使われた、誰もが知らんうちに耳にしているであろう、文句なしの名曲や。

「残念やな。めちゃくちゃ難しい曲や」

 不安を煽ろうとしているのに、春歌は「ふーん」だけ言って、まったく興味を示さん。挑発をあきらめて、春歌から受け取った楽譜を譜面台に置くと、ポケットに入ったスマホを出す。
 いつも動画を撮る時に、活用しているスマホ立て。ベッドボードの上に置くと、ちょうどええ高さになる。銀色のスタンドにスマホをのせて、ピアノがよう見える角度に調節しながら、あることを考えていた。
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