眠りの巫女と野良狐

碧野葉菜

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愛のために戦いましょう。

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 次に影雪が踏みしめたのは、真っ白な地面だった。
 先ほどとは真逆とも言える、白飛びの世界。
 平衡感覚がなくなるほど眩い無の空間で、氷天丸を鞘に収めた影雪は、あるものを見つけた。
 横たわる人型。
 次元の狭間が破壊された今、その内に連れ込まれていた人物は一人しかいない。
 影雪は言葉にならない思いで、少女の元に駆けつけた。
 白一色の和装に身を包んだ夢穂を、抱き起こそうと背中を持つ。
 つもりだった。
 しかし、そこに感触が生まれない。
 混乱した影雪は、何度も何度も夢穂を持ち上げようと、その身体に手を伸ばした。
 掬い上げようとする側から、温もりがこぼれてゆく。
 夢穂は半透明になっていた。
 白い光に同化し、消えていきそうだった。

「夢穂……頼む、戻って来てくれっ……」

 呼びかけても返事はなく、固く閉ざされた瞼はぴくりとも動かない。
 ――間に合わなかったのか?
 影雪は恐怖に支配された。
 現実という名の残酷に、心臓が押し潰される。
 夢穂の形をした空気を支えるように、手を添えるしかできなかった。

「……俺は、すごいあやかしなどではない。お前がいないと、おにぎりも作れないアホウだ」

 走馬灯のように駆け巡る記憶は、思い出と呼ぶにはあまりに少ない。
 
「夢穂が好きだ……他にどうすればよかった……!」

 涼しげな目元から、湧き出す悲嘆の泉。
 強く瞑った瞼から、静かにこぼれ落ちる雫は、夢穂の頬を幾度となく濡らした。

「えい、せつ」

 たどたどしくも甘い声が、影雪の鼓膜を刺激する。
 誰かに頬を触られているような、柔らかな温もり。
 二人を繋いだ証の模様を、確かめるようにたどる指先。
 影雪は信じられない気持ちで、ゆっくりと震える視界を開いた。
 そこには弱々しくも、真っ直ぐな眼差しがあった。

「……ありがとう、お願い、聞いて、くれて」

 影雪の腕に、軽くも確かな重みが起こる。
 清涼で素朴な匂い、穏やかな鼓動。
 影雪は子供のように顔をくしゃくしゃにして、ようやく夢穂を抱きしめた。

 「おかえり」と影雪が言えば「ただいま」と夢穂が返す。
 当たり前のやり取りが、どれほど幸せなことだろう。
 抱擁から感じる体温が、互いの歓喜を伝えてくれる。
 それ以上、言葉はいらなかった。
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