眠りの巫女と野良狐

碧野葉菜

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愛のために戦いましょう。

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「影雪、降ろして」

 夢穂の頼みに影雪は小さく頷くと、そっとぬくもりを離した。
 岩の地面から柔らかな草へ、夢穂の素足が移動する。
 もう夜だというのに、洞穴を抜けた先は明るい。
 それは太陽ではなく、天から絶え間なく降り注ぐ雪のせいだ。
 純白に煌めく結晶が、静かに舞い落ち、大地に染み込む。
 これで眠りは未来永劫、自然現象として根づくだろう。
 銀色に輝く青闇の空は、まるで広大な天の川だ。
 真夏の雪は神々しいほど幻想的で、夢穂たちの奮励を讃えるようだった。
 夢穂は神の御胸みむねに相応しい天空を仰ぐと、音もなく両手を合わせた。

「夢穂? もうご祈祷をする必要はないのですよ」

 業華が不思議そうに尋ねると、夢穂は無言で首を横に振った。

「眠りの神はきっと、寂しかったんじゃないかな」

 三人は夢穂に目を奪われた。
 赦しの心を得た少女は、魂の解放とも言える清廉な空気を纏っていた。

「本当は、この世界を分断したのも争いを収めるためとか、そんな綺麗な理由じゃなくて……当時はいがみ合っていても、いつか仲良くなれるような、そんな気がする人間やあやかしに嫉妬したんじゃないかな……だって神様は、一人ぼっちだから」

 神の懐にいる間、夢穂が感じたのは大きな孤独だった。
 言い伝えは、美化される。
 結局死にきれなかった神の嘆きが憎しみとなり、次元の狭間という化け物を生み出したのではないか。
 どれだけがんばっても認識すらされない悲しみ。
 眠りの巫女は、そんな神の分身のような存在だったのかもしれない。

「だから私、今までと変わらず祈り続ける、姿は見えなくても、どこかにいるはずの神様に届くように……だって私は、眠りの巫女だもの」

 夢穂はそう言ってとびきりの笑顔を見せると、目を閉じて祈りを捧げた。
 
 そんな夢穂に共鳴するように、業華が、そして影雪が、順に手のひらを合わせ、瞼を伏せる。
 それを見た残月は少し不服そうにそっぽを向きながらも、拝む形を取った。
 
 哀悼の意が澄み渡る光をなぞり、高みへ舞う。
 寂しがりの涙を拾い上げ、昇華させるように。

 眠りの神に、極上の眠りを――。
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