眠りの巫女と野良狐

碧野葉菜

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愛のために戦いましょう。

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 その思考が巡った時、影雪は目を見開き、息を止めた。
 突然雲が吹き飛ぶような、もつれていた糸がぴんと一本に張るような感覚。
 もしかしたら、これはそんなに難しい話ではなく、至極単純な問題ではないか。
 苦しみには原因がある。悩みならばその種を、病ならばその根本を取り除けばいいだけなのだ。
 危機に瀕した影雪の頭脳は、かつてないほど澄み透った。

 ちょうどその時だった。
 影雪の変化に応えるかのように、夢穂が涙を流したのは。
 もの言わぬ抜け殻になってもなお、溢れ出すその雫は、あれほど欲していた眠りへの拒絶、そして、戦いの証明に見えた。
 影雪は感動と驚嘆の中で、夢穂の前髪を梳くように撫でた。
 
「……説教は、後で聞かせてくれ」

 焦がれる少女の色を失くした唇へ、影雪は自身のぬくもりを重ねた。

 そして一度に立ち上がると、踵を返し部屋を出た。
 影雪はもう子供ではない。
 病床の母に付き添い、泣くことしかできなかったあの頃とは違う。

 勇ましく廊下を踏みしめる影雪の前方には、行動を予期していたように立ち塞がる人物がいた。
 
「……どちらに行かれるおつもりですか?」

 花弁が散ったような、紅色の通紋に囲まれた目が、影雪を見据えている。

「それはお前が一番よく知っているのではないのか?」

 立ち止まった影雪は、一定の距離を保ち業華と対峙した。
 盆が過ぎ、秋の気配を感じさせる風が二人の間をすり抜けた。

「……夢穂はよくがんばりましたよ」

 まるで終わったかのように、過去形で話し始める業華に、影雪の顔が険しくなる。

「ここまで人や空間に歪みが生じるまで、意志を強く保った眠りの巫女は初めてでした」
「……話せ業華、お前が知っていることすべて」

 影雪は氷天丸を抜くと、その刃先を正面に立つ業華の首筋にあてがった。
 これはもう、問いかけではない。
 いつまでも核心に触れない業華に痺れを切らした影雪の、強硬手段とも言える懇願だった。
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